2021年、愛知県での定着が報告され注目を集めた寄生虫エキノコックス。北海道ではキタキツネの感染率が40%を超え、人に寄生した場合は命に関わる病を引き起こします。

 

 戦後、礼文島で患者が相次いだことを契機に本格的な対策が始まりました。河﨑秋子さんの長編小説『清浄島』は、その史実をもとに研究者と島民の闘いを描いた作品です。本書の文庫化を記念し、長年研究に携わる八木欣平氏と著者の対談を特別公開します。

 

取材・文=瀧井朝世

 

 

 

河﨑秋子(以下=河﨑):このたびはお忙しいところありがとうございます。八木さんに最初にお会いしたのは2017年頃でしょうか。私が、1954年に礼文島出身者にエキノコックスの発症者が多数見つかり、島で撲滅を図ったことを知って小説にしたいなと思ったんですよね。編集者に相談したら調べてくださって、北海道立衛生研究所にエキノコックス研究の第一人者がいらっしゃるということで、八木さんをご紹介いただいて。いきなり押しかけてお話をうかがいましたよね(笑)。その後も、原稿を読んでいただきいろいろご指摘くださって、お時間をとらせてしまいました。

 

八木欣平(以下=八木):いい経験でしたよ。失礼な言い方になりますが、最初はどういうバックグラウンドの方なのかも、どのように小説の題材にするのかも分からなかったんです。でも原稿を読んで、小説を書かれる方はすごいなと改めて感じました。僕は科学的な事実の表現が正しいかチェックするために読みましたが、面白かったです。河﨑さんに書いていただけてよかった。これはぜひみんなに紹介したいですね。

 

河﨑:ありがとうございます。『清浄島』の主人公であり、当時の礼文島にエキノコックスの調査に行く研究者、土橋義明は、衛生研究所に所属していた八木さんの先輩にあたる研究者の方を参考にしました。

 

八木:僕は1980年代にその方の下にいたんですよ。冗談の好きな、明るい方でしたね。少し前に亡くなったという葉書をいただいて、時間が経ったことを実感しました。河﨑さんの書いたこの本を先輩にも読んでもらいたかったですね。

 

河﨑:そうなんです。この小説を書こうと思った頃にはすでにご療養中とのことでご挨拶できず、結局お会いすることはなかったんです。土橋以外は、基本的に登場人物にモデルはおらず、勝手に想像してしまったのですけれど。

 

八木:当時はエキノコックスの研究はまだ入り口で、分からないことがいっぱいあった。それでも研究者は地道にひとつひとつ確認しながら進めなくてはいけない。その時の葛藤が小説の中に滲み出ていますね。僕からすると「なぜこんなに上手に書けるんだろう」と。

 

河﨑:畏れ入ります。

 

八木:研究者がヒロイックに描かれていたり、大げさに人が亡くなったりする話でもないところもいいですね。抑制が利いていると感じました。

 

河﨑:初期のエキノコックス研究にあたられた研究者の方々のご活躍の記録を見て、絶対にヘンに物語化しすぎないようにしようと思いました。それで今回は現実に基づいたフィクションという形をとったんです。もちろん専門家の方から見て、ここはちょっと違う、という箇所はあると思いますが。過去の事例や研究もいろいろ調べましたが、本当に研究者のみなさんが身を切るようなご苦労をされたとよく分かりまして。先達あっての今の公衆衛生なんだと身に沁みました。

 

八木:小説の最初のほうに、笹の実のエピソードが出てきますよね。戦後の食糧不足の時期、岩手で小麦粉の代用品として笹の実でパンを作っていたら、それを食べた多くの妊婦が流産したという。

 

河﨑:後からあれは笹の実が毒なのではなく、笹の実に時々発生する麦角菌が原因だったと分かったんですよね。

 

八木:そのように科学というのは、後から振り返ってその原因が解明され、これからは同じことは止めましょうとなることが多い。笹の実の話はその良い例ですね。僕も勉強になりました。

 

河﨑:専門の方にそう言っていただけるのは、嬉しいです。

 

八木:研究者はみんな、本当のことは分からないまま、その時点で分かっている範囲で何をどこまでやるかを判断しなければならない。『清浄島』の土橋の上司である小山内も動物を殺処分するかどうか判断しなくてはならなくなりますが、それも分かっている範囲で決めなくてはいけなかったんですよね。僕ら研究者は人に話す時、いつも「本当のことは分からないけれど、今の段階ではここまで分かっている」ということをどう伝えるか悩むんです。でも、みなさんは研究者なら本当のことが分かっているんだろう、みたいなイメージを持たれていたりする。その研究者の悩みを、なぜ河﨑さんがここまで表現できるのか、ちょっと不思議な気すらします。

 

河﨑:それはやはり、事前に八木さんにお話をうかがえたのが大きかったんです。特に動物実験など、研究のなかでの命の扱い方のお話が印象に残っていまして。

 

八木:動物実験については研究者だって、「そんな可哀相なことを」と思っている。でもやっぱり、実験することにより新しい事実が確かめられれば、必ず社会に貢献できる、という気持ちがあると思います。主人公の土橋にもまた共通する気持ちがあって、そのことがしっかり描かれていて、すごいなと思いました。

 

河﨑:ありがとうございます。私は研究者ではないですが、元畜産関係者としてスクレイピーとかBSEの問題には直面し、割り切れないことがいろいろあったんです。そのあたりの思いは作品に入れた感じがあります。

 

八木:土橋らが実行した飼い犬たちの全頭処分に関しては、当時できる方法としては科学的な事実に基づいた選択肢が他になかったという理解をしています。あれが成功例として評価されていいのかは分からないですけれど。

 

河﨑:島民の方々もご苦労がありましたよね。どういう感情を抱かれたのかは創作ですが、できるだけ、当時の方の気持ちから外れないようにしようと思いました。礼文島には取材に行きまして、本当にいいところでした。とても美しくて、人も温かくて、すごく親切にしていただいて。それは、エキノコックスを含め時代の荒波や、地形的な条件を潜り抜け、人としての営みを継続していらっしゃるからこそ得られたものだなと思いました。次は観光客として行って、礼文島いいところだよ! と勝手ながら友人知人にアピールさせていただこう、と。

 

八木:僕、隣の利尻島には行ったんですけれど、礼文島には行ってないんですね。これを読んで、僕もぜひ訪問したいなと思いましたね。貴重な高山植物を見ることができると聞きますし。

 

河﨑:温泉もありますよ。

 

〈後編〉に続きます。