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 珍しく昼の時間に外回りがないので、安奈と二人で社食を取ることにした。食堂は内勤の社員でにぎやかだ。わたしたちは眺めのいい窓側のテーブルに座った。

「元カレの猫を預かった?」安奈が聞き返した。

「そうなの」

 安くて美味しいランチも、朝からの憂鬱を晴らしてはくれない。化け猫は、残念ながら関西弁のオッサンのままだった。一段とブサイクさを増し、部屋もなんとなく臭かった。

「昨日、家に帰ったら、マンションの前に荷物と猫を置き去りにしてさ、電話にも出ないの」

「それ、最悪じゃないですか。その元カレって、どんな人なんですか」

「どんなって」

 食べながら、圭一のことを思い出す。顔はよかった。人当たりもよかった。声が癒し系で、優しい言葉をささやかれるとうっとりしたものだ。

 でも、無職。

「自称ミュージシャンってやつよ。三つ年下で……」

「あれ? まさきさん、年下と付き合っていたんですか。だったら」

「だったら、何よ」

 睨んでやる。安奈は悪戯いたずらっぽく笑って、首を振った。

「いいえ、なんでもありません。で、その年下ミュージシャン、売れてたんですか?」

「全然。昔は路上で歌いながら自作のCD売ってたらしいけど、それを作るお金もなくなって、たまに駅前で歌って、おこぼれ貰ってた」

 お金がなかったから、二人でよくブラブラと近所を散歩した。圭一は外でも恥ずかしげなく手をつないできた。家でもやたらとベタベタしてくる甘えん坊で、一緒にいる間は割と幸せだった。

「結構きつい人と付き合ってたんですね、まさきさん。それって所謂いわゆる、ヒモでしょう。その人とはなんで別れたんですか?」

「なんでって……。わたしが今のチームを任されて、忙しくなったからかな。三年前にふらっと出て行って、それっきり。それが急に連絡してきて、あんな化け猫を……。ブサイク猫を押し付けられて、困ってんの。これからB社の社内コンペもあるっていうのに」

「ああ、それですね。でもうちのチーム内はあまりテンションが上がってませんよね。正直、私もそこまで力が入らないっていうか、今の担当企業だけで手いっぱいっていうか」

「確かにね。面白い案件だし、新規拡販したいのは山々だけど、よそのチームと競い合うほど時間に余裕がないのも事実よね。安奈と矢代君はまだ余力あるけど、ほかのメンバーはプレゼンの資料作成する時間を捻出できるか。でも参加するからには、情けないものは出せないわ。一度、ミーティングしないと駄目かしらね」

「辞退はできないんですか?」

 安奈は明らかにやめたがっている。大手B社のセキュリティ全般を第一営業部が受注し、その一部の窓口を、第二営業部のいずれかのチームが引き受けることになった。顧客向けの説明をまず社内で披露し、よかったチームが担当するのだ。

 だが、社内コンペしてまで欲しい仕事ではないので、面倒な気持ちはわたしも同じだ。無駄な事務作業を増やしたくないのもある。コンペ用のプレゼン資料を作るのは、かなりの手間だ。今は自分が担当するS社のセキュリティ構築に力を注ぎたい。

 不参加も、ありかもしれない。わたしがそう判断すればメンバーは従うだろう。

「珍しい。トップ営業の女子が二人、優雅に社食ランチとは」

 顔を上げると、立っているのはランチのプレートを持った玉川壮一郎たまかわそういちろうだ。体育会系の元気よさが、周りの目を引いている。

「なんだ。玉川か」

「なんだとは、なんだよ。おまけに呼び捨てかよ」

「あら、失礼。玉川課長。そっちこそ呑気に昼休みなんて取ってていいんですか」

「いいだろ。昼飯くらい食わせろよ。美女に挟まれて、リラックスタイムだよ。小松さん、ここ、いいかな?」

「どうぞ」と、安奈は急によそ行きの笑顔だ。なんでわたしには断らないのかと、むっとした。

 ちょっとくらいつっかかっても、玉川はいつも笑顔でかわす。大手企業を担当する第一営業部の課長なので本当ならもっと偉ぶっていてもいいのだが、気さくなやつだ。

「あんた、B社の直担当でしょう。新社屋のセキュリティの件で、大忙しだって聞いたわよ」

「おう、だからおまえも頑張ってくれよ。システム系はそっちのチームで競い合って、一番いいもんを俺の手柄としてB社に持ち込むんだからな」

 まさにさっきの話だ。安奈がチラリと目配せしてくる。

「あのさ、その件なんだけど」

「矢代とも話したけど、あいつ、かなり気合入ってるからな。おまえのチームのプレゼン、俺は期待してるぜ」

「えっ」と、安奈と目を合わせた。安奈も意外そうだ。玉川はあっという間に食事を終わらせると、「じゃあな」と席を立った。本当はかなり忙しいのだろう。

「矢代君がB社の件に前向きだなんて知らなかったわ。前に聞いた時は、あまり興味なさそうだったのに。安奈、知ってた?」

「いいえ。っていうか、今思い出しましたけど、玉川課長も、まさきさんの元カレですよね」

 安奈が興味津々とばかりに聞いてきた。あまり触れられたくない話題だから、忘れた振りをしていたのだけど。

「大昔の話よ。入社した頃の、よくある話」

「確か二人は同期ですよね」

「そう。右も左もわかんない新入社員同士が意気投合して、ちょっとの間、付き合っただけよ」

「どっちから言ったんですか? で、どうして別れたんですか?」

 安奈はニヤニヤしている。まったく、この子は。恋愛ネタが好きなんだから。

「誘ったのは向こうだけど、お互いに気があるのは明らかだったからね。でも半年くらいで終わったわ。部署異動ですれ違いが多くなってね。あいつとはずっと仕事で関わりがあるから、元カレって感じじゃないわよ。奥さんのことだってよく知ってるし」

「聞いたことあります。以前うちの人事にいた、ミスなんとか大学の超美人でしょう」

「彼女が入社してすぐにあいつが目を付けて、持ってっちゃったの。今でも仲良くしてるはずよ。子供も二人いるし」

「仕事ができて、周りからの人望もあって、マイホームパパか。私はああいう優等生タイプはパスかな。男はちょっとくらいだらしないほうが可愛いもの」

「あんたもヒモ男つかまえるクチね」

 ランチのあと、安奈は外回りに出かけていった。わたしも二社訪問を済ませ、夕方会社へ戻った。同じタイミングで、矢代も外出先から戻ってきた。

「ああ、矢代君。お疲れ。どう? K社の感触は」

「宿題いっぱいもらってきましたよ。でも、悪くはありません。これからアシの子と打ち合わせして、早々に片付けます」

 矢代が手にしているのは、近くのデパ地下に入っている有名洋菓子店の紙袋だ。焼きたてなのか香ばしい匂い。わたしが見ていることに気付いて、矢代ははにかんだ。

「アシの子にはちょっと無理なお願いするんで、先払いです」

「矢代君って、割と古い手使うわよね。でも実はそれが一番有効なんだけどね」

「先輩方に教わった結果ですよ。普段からマメにコミュニケーション取ってるかで、差が開くってね。すみませんが、柴田主任の分はなしです」

 矢代は紙袋を少し掲げた。

「いいわよ、そんな気を遣わなくても」

「代わりに、上がったら軽く飲みに行きませんか」

「ああ、今日は駄目だわ」

「そうですか」

 矢代が微笑む。急に、あの猫のことを思い出した。口説かれてはいないけど、そういえば昨日も矢代に誘われたっけ。なんだか自分の態度が素っ気なさすぎて、よくない気がしてきた。

「あのさ」と、背中を向けた矢代を引き留めた。「今日はさ、猫の餌を買いに行かなきゃならないんだよね」

「猫?」矢代が唇の端でいぶかった。「柴田主任、猫飼ってるんですか」

「ううん。知り合いから預かったの。それでさ、ちょっとしか餌が残ってなくて買い足さなきゃならないんだけど、化け猫がどうしても同じカリカリじゃないと嫌だって言うから、ペットショップが開いてる時間に行かないと」

「化け猫?」

「あ、いや、ええと、ドラ猫みたいなやつなの。ブサイクで、小汚いの」

「ひどいな、人の猫なんでしょう」

 そう言って、矢代はおかしそうに笑った。こいつが自然に笑っているのを、初めて見た気がする。いつもは格好つけるためとか、愛想とか皮肉とか、そんな笑い方だったのに。ちょっと、可愛いと思ってしまった。矢代の目はまだ笑っていた。

「猫のカリカリって重要なんですよ。違うやつだと全然食べてくれなかったりしますから」

「矢代君、猫飼ってるんだ」

「昔、実家でね。もう死んじゃいましたけど。俺が生まれた時から家にいて、大学生の頃までいましたね。可愛いですよね、猫」

「その猫って、やっぱりちょっと喋ったりした?」

 食いつき方が激しかったのか、矢代は少し驚いたようだ。

「喋るって、猫が?」

「あ、えっと……ほら、よくテレビの動物大好き特集みたいなのでやってるじゃん。ゴハンとか、オカヘリとか、飼い主が無理やりこじつけてるの」

「ああ、あれね」矢代はまた笑った。「うちのはなんの芸もなかったですね。ナーとかニャーとかしか言わなかったですよ」

 すると、突然背後から黄色い声がした。

「やだ、矢代さんが猫の真似してる。可愛い」

 総務部の若い女子社員が矢代に近寄り、顔を覗き込んだ。確かミスなんとか大学で話題になった可愛い子。パステルカラーの服にふんわりカールした髪は、女子力高めだ。特に何をされたわけじゃないけど、声のトーンが苦手で、わたしはすぐにその場から離れた。アシスタントの女子がヒソヒソと話すのが聞こえてくる。

「あの子、完全に矢代さん狙いだよね。メールで済む用件なのに、わざわざフロアまで来るし」

「ああいうわかりやすいのに矢代さんが引っかかったら、ショック。幻滅しちゃうかも」

 ふうん、と鼻を鳴らした。じゃあ、どんな女の子だったら納得するんだろう。つまりは、自分ってことかな。

 若い子にとっては、どこだって恋愛の場になるのは承知済み、経験済みだ。会社や訪問先だって、常に恋愛が絡む。お気に入りの商談相手がいる先に行く時には浮足立つものだ。ただ最近、わたしにはそういうことがない。仕事と同様に頑張れるほど、男に興味がなくなってきた。男より、焼肉とか一人酒のほうが魅力的に思えるのだからしょうがない。

 仕事を片し、ほぼ定時で帰ろうとすると、玉川に呼び止められた。

 

 

「元カレの猫を、預かりまして。」は全4回で連日公開予定