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「ゴミ?」

 圭一が置いていったのだろうか。紙袋を覗くと、毛玉だらけの毛布が入っている。顔を近づけて、ギョッとした。

「クサッ!」

 獣臭けものしゆうみたいなのがする。気持ち悪くてほかのゴミを見る気にはなれない。スマホが鳴った。圭一だ。

「ねえ、ちょっと。人んちの前にゴミとか置いていかないでよ」

「ゴミじゃないよ。紙袋のほうは、使ってる容器とかお気に入りの毛布とか、あとカリカリの残りがちょっとだけ入ってる」

「はあ? っていうか、何よ、この毛布。すっごい臭いんだけど」

「捨てちゃ駄目だよ。それ、ヨミチのお気に入りだから。それがないと機嫌悪くなっちゃうからね」

「夜道? ねえ、圭一。まだ近くにいるんでしょう。これ取りに来てよね。千円くらいだったら、電車賃代わりにあげるから」

「ありがとね」と、圭一の声は柔らかくて、少し小さかった。「三か月したら引き取りにいくから。それまでヨミチのことお願い。まさきちゃんなら大丈夫だよ。じゃあね」

 また一方的に電話が切れた。と、同時に段ボール箱が動いて、わたしは飛び退いた。

 段ボールが小刻みに揺れている。横に、縦に、何かが中から出たがっているみたいだ。心臓がバクバクとする。

「やだ、ちょっと、なんなのよ」

 恐る恐る近づいてみる。使い古しのヨレた段ボールはテープで軽く留めてあるだけだ。怖かったけど、手を伸ばしてテープを引き剥がした。蓋が開いて、埃の塊みたいなのがピョンと出てきた。

 一瞬、なんだかわからなかった。ただ、鼻がブタみたいに上向いていて、全身、大掃除したあとの雑巾みたいな灰茶色をしている。

「ブサッ!」

 猫だ。かなりのブサ猫。やけに額が広くて、小さい目は離れ気味。仏頂面っていうのか、とにかく全然可愛くない。段ボールの中でおとなしく新聞紙に埋もれ、上目でじっとこっちを見ている。しばらくぜんとしてしまったけど、ハッとした。猫はいつ逃げ出すかわからない。仕方なく、段ボールと紙袋をかかえて部屋に入った。

 このマンションがペット禁止じゃないことを、圭一は覚えていたのだろう。でも飼えなくなった猫を押し付けるなんて、ひどすぎる。

「ちょっとブサニャンコ。じっとしててよ」

 段ボールを玄関に置いた。自分の部屋を見て、散らかり具合にびっくり。ソファの上には服と鞄の山。ネットで買った水とか健康食品が箱のまま床置き。雑誌や本も積んである。

 猫を放せるスペースなんかどこにもない。そもそも、猫というのは放してよいものだろうか。今までハムスターしか飼ったことがないのでわからない。

「とりあえずどっかにケージ作るしかないか。っていうか、首輪してるのかな。猫って、紐で繋いでもいいんだっけ」

「あかんやろ」

「ぎゃあ!」

 びっくりして大声が出た。慌てて周りを見回す。声がした。男の声だ。

「何? 気のせい?」

「気のせいちゃうよ」

「ぎゃあ!」

 また男の声だ。酒焼けしたようなオッサンの声。1DKのどこに隠れているのかわからないけど、この部屋に絶対誰かいる。

「ヒモ男の猫やからゆうて、紐で繋ぐんはあかんやろ。猫は自由な生きモンやで。俺はもうヤンチャは卒業したけど、昔は家の中にいることも嫌やった。よう家出したわ」

「嘘でしょう」

 腰が抜けそうになる。灰色のブサ猫が喋っている。口のあたりをモゴモゴと動かしながら、喋っている。

「悪いけど、しばらく面倒見たってや。ノラ暮らしでもよかったんやけど、俺も歳やから、店の残飯がちょっと脂っこくてな。圭一も心配しよるし、ここで厄介になるわ。圭一があんたはええ人やゆうてたで。まあ、新しい同居人やと思って、仲良く……」

「猫が、猫が喋ってる! 喋ってる!」

 パニックで頭がおかしくなりそうだ。それとも、すでにおかしいのか。慌てて猫から離れ、部屋の隅まで避難する。猫は箱に入ったままだ。

「これは、夢よ。それか幻聴よ。もしかしたら、イタズラ? 箱の中にスピーカーが入ってて、誰かが遠隔で喋ってるのかも」

「誰がそんな手の込んだイタズラ仕掛けよんねん」

 また猫が喋った。ブサイクな顔はそのままで、声は単調。さっきから関西弁だ。猫が関西弁って、おかしいでしょう。

「あんた、なんで関西弁なのよ。関西の猫なの?」

「え、俺、関西弁か? そんなん考えたことなかったわ。なあ、ねえちゃん。俺の毛布出してんか。俺、もう眠たいねん」

「毛布?」紙袋は部屋の中に持ってきてしまった。「っていうか、ねえちゃんって誰よ。もしかして、わたし?」

「なんや。気安いか」

「当たり前じゃない。見ず知らずの猫にねえちゃんなんて呼ばれたくないわよ」

「えらい水臭いな。あんた、圭一の元カノやろ。俺は圭一の飼い猫や。ドラマの相関図でいうたら、一人、間に挟んで繋がってる仲やないか。圭一はあんたのこと、まさきちゃんって呼んでたな。でも俺はまさきちゃんなんてガラじゃないわ。こそばゆい」

「わたしだって、化け猫にちゃん付けで呼ばれたくないわよ」

 だんだんと怖さより腹立ちのほうがまさってきた。この猫がどうして喋れるのか知らないが、のらりくらりとした口調がムカつく。

 そもそも、なんでわたしが圭一の猫の面倒なんか見なくちゃいけないのか。可愛くないどころか、化け物だ。ここはきっぱり断ろう。

「悪いけど、あんたをここには置いておけないわ。毎晩仕事で帰りが遅くて、家のことだって満足にできないのに、猫なんて飼う余裕ないの。ましてや元カレの猫なんて、なんの義務もない。圭一に電話して迎えに来てもらうからね」

 また猫が喋り出す前に、圭一に電話を掛けた。だが何度コールしても、掛け直しても、出ない。

「あいつめ。人に化け猫を押し付けやがって」

 悔しくて歯ぎしりする。猫は気だるそうに大あくびをした。

「だからここで厄介になるゆうたやろ。ええやん、別に。猫は犬と違って散歩はいらへんし、紳士やからションベンもクソもちゃんと決められた場所でしよる。犬みたいによそ様の壁に引っかけたりせえへん。俺も居候やから、夜鳴きは極力控えるわ。メシも贅沢は言わん。隅っこのほうに間借りしておとなしくしとるさかい、あんたは普段通り生活したらええよ」

「ええよってね。あんたみたいな化け猫が一緒で、普段通り暮らせるわけないでしょう」

 もう一度掛けるが、圭一は出ない。こうなったら、段ボール箱ごと外に放り出してやろうか。回り込んで素早くやれば、うまくいくかもしれない。

「おっと。あんた、俺のこと捨てようとしてるやろ」

「な、なんでわかんのよ」

 ビビッて、つい体を縮ませる。でもすぐにビビッたことに腹が立った。猫はブサイク顔でこっちを見ている。

「俺、匂いでそいつが怒ってるとか、怖がってるとかわかるねん。あんたはすごいな。度胸あるわ。それにな、そいつから漂ってくる残り香で、周りのやつの感情もわかるねん。あんた、今、男に口説かれてるやろ。若い男や」

「はあ?」

「ふうん。こいつはなかなか、しつこい男やで」

「何わけのわかんないこと言ってんのよ、このブサイク」

 放り出すのは諦めた。手荒なことをすると呪われるかもしれない。なんだか急に馬鹿らしくなってきた。たかが猫一匹に、どうして振り回されなきゃならないのか。

「もういいわ。わたしは疲れてんの。明日も忙しいんだから、早く寝たいのよ」

「おう。俺もや。交渉成立やな」

「ムカつくなあ」と、玄関へ近づく。見れば見るほどブサイクな猫だ。「あんた、ここで寝るのよ。部屋には一歩も上がらないでよね」

 紙袋から薄汚い毛布をつまんで出す。ムッと悪臭が鼻をついた。

「クッサ!」

「そこに敷いて。フワっと丸くしてや」

 猫に言われるまま、臭くて汚い毛布を玄関の隅に丸める。スウェードのパンプスに匂いが移りそうで嫌だけど、玄関から先にこいつを入れるのはもっと嫌だ。猫は、のっそりと段ボールから出てきた。思っていたより小さい猫だ。毛足は長め。猫には詳しくないので、種類はわからない。

 猫は毛布の周りを少しうろつくと、匂いを嗅いで、ビーズソファへ沈むように真ん中へ収まった。

「言っとくけど、圭一に連絡がついたらすぐに出てってもらうからね」

 睨んでやるが、猫はもう丸くなっていた。興奮したせいでこっちはクタクタだ。お風呂に入ってサッサと寝よう。もしかしたら、明日になればただの猫に変わっているかもしれない。たぶん、いやきっと、そうだろう。

 風呂場に向かおうとして、ふと思った。ただの猫になる前に、一応聞いておこうか。

「あんた、名前は?」

 猫は片目を開けた。

「ヨミチや。圭一が夜の道で拾ったから、そうつけよった」

「なに、それ。変な名前」

「俺もそう思うわ」

 猫はまた目を閉じた。

 

 

「元カレの猫を、預かりまして。」は全4回で連日公開予定