第二章 情報
要綱に書かれていたのは、中野駅から徒歩十五分程度の距離にある、オフィスビルの住所だった。『中野セントラルガーデン ウエスト』。施設名を頭の中で読み上げながら、ガラス張りのエントランスへと足を踏み入れる。
『巡回警備を実施中です』
春名を真っ先に出迎えたのは、楕円型の自律型警備ロボットだった。黒く塗装された頭部は常に回転しており、その旋回がかすかな威圧感を周囲に与えている。警備ロボットを目で追いながら、入口正面に設置されたサイネージの前へと移動する。「ご利用予定」の箇所には、三つの予定が表示されていた。
13:00-17:00 国友グループ 友國会 レクリエーション 1F ルーム3A
14:00-18:00 内閣府 情報社会綜合研究所 研修会会場 B1F ルームA
14:00-18:00 東皇大学 先端情報研究所 採用試験 B1F ルームBC
サイネージの画面を眺めながら、どことなく国との距離が近そうな施設だと思う。この建物に来るまでにも、「中野セントラルガーデン」には、旧国友財閥との関わりが深いビール会社「コウリュウビール」のロゴが大きく入ったキッチンカーが出ていた。
「春名さん?」
聞き覚えのある声に振り返る。ラフショートの黒髪に、くっきりとした二重瞼の目。眉は自然に整っていて、化粧気は全くないが、それが様になっている。春名が口を開く前に、女性は明瞭な声で言った。
「雫石です、陸幕の頃にお会いした」
「あぁ雫石さん。ご無沙汰してます」
「制服じゃないとわかんないですよね」
こちらが弁明する前に、雫石は嫌味のないカラッとした口調で言う。今、彼女はグレーのパンツスーツを着ていたが、その着こなしにはどこか初々しさがあり、普段からスーツで過ごしているわけではないことが垣間見える。春名は苦笑し、頷いた。
「最後にお会いしたのは……去年の総火演ですか」
「そうですね。春名さんと普通の声でしゃべるのは、新鮮かも」
雫石はそう言って人懐こい笑顔を見せる。富士総合火力演習、通称「総火演」は、陸上自衛隊が静岡県の東富士演習場で行う、国内最大規模の実弾射撃演習だ。防衛省担当の記者として配属されたばかりだった春名は、当時、陸上幕僚監部の広報室に所属していた雫石からの案内で「総火演」に招待され、戦車部隊の射撃音が響く中、最新の装備品や開発中の将来装備品について、レクチャーを受けたのだった。
「個人的には……もう少し騒がしい方が安心しますね」
「私もです。ここはちょっと、静かすぎ」
雫石は、言いながら卵型の警備ロボットを目で追う。建物内で大きな音を発しているのはこの警備ロボットくらいで、定期的に流れる「巡回警備を実施中です」という機械音声が、やけに大きく聞こえた。
「あ。もしかして、春名さんもコレですか?」
警備ロボットを猫のように眼だけで追っていた雫石が、思い出したように言う。その指は、サイネージに表示された「内閣府 情報社会綜合研究所」の文字を指していた。
「……ええ。上司から、急に行ってくるよう言われて」
周囲に誰もいないことを確認し、ささやくように答える。警備ロボットがどうも気になり、声は自然と小さくなった。
「私も。何の細かい説明もなく、紙ペラ一枚で行ってこいって」
命令が不服だったのか、雫石は声に怒りを滲ませて言う。近い境遇の知人がいたことで春名はわずかに安心していたが、置かれた状況が不可解であることには変わりなかった。
「とりあえず……部屋まで行ってみましょうか」
腕時計で時間を確認しつつ提案する。時刻は十三時四十三分。開催時間までは、十分以上の余裕がある。だが、受付まで行けば、また新たな情報が得られるかもしれない。春名は雫石と共に、地下へと続くエスカレータ―へ歩を進めた。
「さっきのサイネージ、『情報社会綜合研究所』って書いてましたけど……はじめは『情報局』の説明会って聞いてませんでした?」
B1へと降りる長いエスカレーターの道すがら、雫石が背中から尋ねてくる。普段、男性ばかりの職場で働いていることもあってか、彼女は男性相手でも物怖じする様子は一切なかった。
「あぁ、私も上司からは『情報局』と聞いた気がしたんですが……案内には『情報社会綜合研究所』とあったので、こちらが正しいと思うことにしました」
記者という職業柄、春名は組織の正式名称を普段から厳密に確認する。そうした際、人の発言というのはあてにならないため、メールの署名や公式サイトの企業情報等、文字に起こされた名前を参照することが習慣となっていた。
「『情報局』の方が、わかりやすい気がしますけど」
指摘はもっともだったが、春名には、「情報局」の名称が正式採用に至っていない理由が少しわかる気がした。
「外部に出すには、名前が『情報局』のままではまずいんでしょうね」
「どうしてまずいんですか?」
雫石が間髪入れず尋ねてくる。清水との会話を思い出しつつ、春名は答えた。
「大日本帝国の頃にあった『情報局』というのが、なかなか、悪名高い組織なんですよ。情報の統制や、国民へのプロパガンダを担当していた組織だったので……」
「そうなんですね」
雫石が思いのほか真剣な表情で聞いているのを見て、春名はおや、と思う。情報局に関心があるのなら、防衛省所属の彼女に記者として聞いてみたいことが一つあった。
「情報というと──」
「あ、春名さん。前見て」
雫石に短く言われ、向き直る。エスカレーターの傍には「情報社会綜合研究所 研修会場」と印刷したコピー用紙を机に貼っただけの、質素な受付案内があった。長机の後ろには、スーツ姿の中年男性が一人立っている。口角は上がっているが、その目は全く笑っていない。男は春名たちを認めると、仮面の笑みを大きくした。
「春名宗平様。雫石沙希様ですね」
「……はい」
答えつつ、雫石の表情を確認する。名乗る前にフルネームを言い当てられた雫石は、その目に警戒心を滲ませていた。
「内閣府の山野と申します。どうぞ、こちらへ」
山野と名乗った男は、口元に笑みを浮かべたまま扉の方へと案内する。背丈を大幅に超える木製の扉には「カンファレンスルームA」の文字。先を行く山野が扉を開けると、百人は優に収容できそうな大会議室と、整然と並んだ白の長机が姿を現す。会場の中には、二名の男女がぽつんと座っていた。女性が右端に、男性が左端の机にそれぞれ座っており、全く交流していた様子がないところを見ると、どうやら知人同士ではないらしい。しん、と静まったカンファレンスルームを静かに進んだ後、どちらが言うでもなく、春名と雫石は中央の机に並んで座った。
「まもなく、担当の者がまいります。それまでしばしご歓談ください」
山野は再び受付の方へと戻っていく。山野と名乗った男が部屋を出ていくまでは、春名も雫石も黙ってその背中を目で追っていた。
「名前、なんでわかったのかな」
雫石がほとんどひとりごとのように言う。
「参加者名簿のようなものがあるのかもしれないですね、顔写真入りの」
推測を伝えつつ、春名自身すっきりしないものを感じる。自分の知らない相手に名前を言い当てられるのは、愉快な経験ではなかった。自分の情報が、自分の預かり知らぬところで共有されている。その「共有」がポジティブな理由で行われていることは、記者という職業では特に稀だった。
「参加者……これで全員ってことは、ないですよね?」
雫石がそう言って周囲を見渡す。国際的なカンファレンスでも開催されそうな会場に、今は春名たちを含め四人だけが座っていた。壁際には、これから撮影が入るのか、三脚の上に大型のENGカメラが設置されている。取材現場での癖で放送局のロゴを探すが、ここから見える場所には、それらしいものは見当たらなかった。
「これで全員なら……会場選びを間違ってますね。中野でこの広さでは、会場費も馬鹿にならないでしょうし」
「公論通信さんに『税金の無駄』って書かれちゃいますよね」
「そういうのは、旭日さんの方が得意です」
お道化て言う雫石を躱しつつ、端に座っている男女を観察する。左端に座る男性は痩身で、青く染めた長髪を後ろで束ねている。全身を黒い衣服に包んでいて、一見して固い勤め人ではないだろうことが見て取れた。
右端に座っている女性は、ミディアムヘアの黒髪をハーフアップでまとめており、濃紺のジャケットとブラウス、黒のパンツを無難に着こなしていた。太いセルフレームの眼鏡をかけていて、男性の方とは対照的に、役所の窓口にいても違和感のない印象を受ける。
「あんまり、統一感もない感じ」
春名の内心を代弁するように、雫石がささやいた。黙って頷きつつ、思案を巡らせる。春名と雫石だけであれば、「防衛省関係者」という共通項が見出せるが、今この会場にいる全員が、その関係者とは思えない。再び長髪の男性の方を確認しようとしたところで、カンファレンスホールのドアが開いた。
入ってきたのは、一人の女性だった。長い黒髪を自然にまとめ、ダークスーツを身に纏っている。女性は部屋の中央まで歩を進めると、静かに言った。
「内閣情報局の織笠と申します。皆様には、当局の入局試験をお受けいただきます」
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