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 どうしてだ? あり得ない。こんなことは――。

「……おい、しっかりしろ!」

 センパイに肩を揺さぶられ、おれはようやく正気を取り戻した。

「センパイ……どうして……」

「ちゃんと聞いてたか? こりゃ、すげえチャンスだ。ちゃんと録画出来てたよな?」

「え……ああ、はい」

「すげえの撮れちまったな。こりゃバズるぞ」

 センパイは言いながらリュックを背負っていた。手にはカメラとライトを携えている。

「……帰るんですか?」

「はあ? 何言ってやがるんだ? こんなチャンス滅多にないんだぞ?」

 センパイが何を言っているのか、理解できなかった。

「まさか……あの女を撮りに?」

「当たり前だろ。絶好のチャンスだ。最高の撮れ高が期待できる」

 とても正気の沙汰とは思えない。

「今あの女に近づけば、間違いなく殺されますよ」

「大丈夫だ。見つからないように、物陰から撮るんだ。あいつが蠱毒をする様子をさ」

「見つかったらどうするんです?」

「見つかっても大丈夫だろう、たぶん。だって、相手は女一人だぜ? 奴らの二の舞にはならねえよ」

 センパイの目は、血走っているように見えた。まるでクスリでもキメたかのように。小心者のセンパイがクスリなんてやるわけないだろうに……。

 センパイはイカレている。眼前の撮れ高を、人生逆転のチャンスを逃すまいと、正常な判断ができなくなっているのだろう。

 頭が正常じゃないのは、おれも同じだった。

 今目の前で起きたことを、どうしても現実のものとして受け止めることができずにいた。さっきから必死に考えを巡らせているが、どうやっても合理的な答えを得ることができない。不知火イトコがイタコの口寄せ――死者の魂を降ろしたということを、否定できずにいる。

「俺は一人でも行くからな。行きたくねえならここで待ってろ」

 呼び止める間もなく、センパイは部屋を飛び出していった。部屋にはおれと、おれの間抜けな姿を撮っているカメラが残された。

 違う……これは違う――。

 先ほどからずっと、冷静さを欠いた頭の奥が、眼前で起きた事実を否定しようと試みて、それに失敗することを繰り返している。

 咄嗟に、パソコンの画面を見る。シークバーを調整し、先ほどの四谷カメラと共有していた画面を巻き戻す。薄暗い部屋を映した画像を、必死に見る。

 その時だった。

 屋敷の方向から短く「ぎゃっ」という、悲鳴のような声が聞こえてきた。

 まさかセンパイが――。窓の外を覗いてみるも、暗がりで何も見えない。

 まさか、あの女に――。

 否定はできなかった。あの女は何かに取り憑かれているようにしか見えない。女だからとセンパイは言っていたが、事実、大の男を一瞬で二人も殺しているのだ。

 不意に、どこからか足音が近づいてきていることに気がつく。ドアの向こう。廊下のその向こうの階段を、一段一段ゆっくりと踏みしめてくる、足音が――。

 考えろ、この状況はどうもおかしい――。

 必死に自分に言い聞かせ、パソコンの画面にかじり付く。

 さっき僅かにだが感じた違和感――。それがわかれば何か手がかりが掴めるかもしれない。

 考えろ。どうしたら説明がつく? このあり得ない状況に――。

 足音が近づいてくる。ゆっくりと、確実にこちらに近づいてくる。

 おれは息を潜める。身を隠した方がいいのだろうか。いや、それよりもたしかめないと。頭は冷静さを失っていた。完全にではなく、センパイが部屋を出て行った後に、鍵を掛けていないということに気づくくらいの絶妙な冷静さを残していた。

 しかし、それに気づいたときには、すでに遅かった。

 足音が、おれのいる部屋の前で止まったから。

 ゆっくりとドアノブが回され、そして――。

 

 屋敷の正門近くに停められた見知らぬ白いバンの前で、センパイはタバコをふかしているところだった。

「センパイ」

「おう、来たか……」

 暗い空にぼんやりとした煙が立ち上っていく様子を見ながら、おれは黙り込む。

「どういうことか、説明してくれます?」

「まあ、焦るなよ……。お前はどう思った?」

 こちらを試すような口ぶりで訊ねてくるので、思わずむっとしてしまう。

「……すべては、おれを騙す様子を撮影するためだった――であってます?」

 センパイはふーっと、煙を吸い、それを宙に吐き出す。

「まあ、正解だな。……どこらへんで勘づいた?」

「……ぶっちゃけ、はじめから違和感はあったんですよ。長い物に巻かれる主義のセンパイが、どうしてワタベからの誘いを断ったのかって。正直、そこからずっと違和感がありました。センパイなら、企画への誘いを断ることはないだろうって。炎上を気にしてリスクを回避するよりも、センパイなら絶対に受ける選択をするだろうって」

「なるほどね」

 たしかに、ワタベのかませ犬的ポジションとなり炎上してしまうリスクは否めない。しかし、それを理由に勝つかどうかもわからない四谷のサポートに回るという選択も、センパイらしくなかったのだ。

「違和感はもっとあった。移動中と待機中も常に回していたカメラ。あれが常におれの方を向いていたから。普段から動画にメインの演者として出てるセンパイではなく、あくまで裏方メインのおれを撮り続ける理由がわからない。だから、おれを撮る必要があるんだって、そう考えた。それと……」

 言うべきかどうか、迷った。

「どうした? 言ってみろよ?」

 センパイがまた、挑発するように言ってくる。

「大きな違和感があったんです。どうして、十年前に起きた事件の真相を彼女が……不知火イトコが知っていたのか……って。はじめは彼女が本物のイタコで、死者の魂を口寄せしているのかとも、考えた。でも、そんなことはあり得ない。だから、事件の真相を知る者が彼女に教え、彼女に子供たちを殺した犯人を演じるよう命じたと考えたほうが辻褄が合う」

「演じた?」

「そう。彼女は演じていた。おそらくあの場にいた四谷も幽遊亭も、そしてセンパイも――。おれ以外はみんな与えられていた役割を演じていたに過ぎない。おれを、騙すよう仕組んでいた……」

 センパイは肯定も否定もせず、僅かに口元を歪ませてみせた。

「それで……その事件の真相を知る者とは誰なんだ?」

「潜伏していた笛吹を発見した、ワタベスベルですよ。彼はその時ライブ中継していたけれど、途中で配信は途切れてしまった。その後に、笛吹はすべてをワタベに告白したのではないか。子供同士を殺し合わせたという、警察も知らないであろう事実を、それを示す証拠を、彼は持っているのではないか。そして、ワタベは今日に至るまでその事実を隠していた。なぜか?――」

 夜風が頬を撫でていく。

「――彼はおそらくは最良の方法でこの事実を世間に公表しようと企んでいたのではないでしょうか。おそらくは彼に利益を最ももたらすであろう方法で公開する。その方法とは多分……」

「ドラマだよ――」

 センパイがおれを遮るように言った。

「――正確にはネットドラマを中心とした、映画、漫画、その他複数の媒体で展開されるメディアミックス作品。今、流行りのモキュメンタリー・ホラーってやつだな。それが今回の企画の正体。今お前を撮ったのは、そのプロローグ的な立ち位置の作品となる」

「プロローグ?」

「そう。かつての猟奇殺人現場に忍び込んだ配信者たち。口寄せしたイタコに殺され、一人残された配信者――。それがお前ね。お前に何も言わなかったのは、リアルに怖がる姿を撮りたかったから。役者でもないお前に芝居させても、かえって不自然になるだろう? だから、本当の霊障が起きたということにしたんだ」

「はあ……」

「俺がワタベの誘いを断ったとかのくだりも、みんな嘘ね。すべてはこの真の企画を隠すためのフェイク。ちなみにお前はこの後、俺と一緒に実際に行方不明となる予定だ」

「行方不明って……」

「ワタベの物語の導入は、俺たちを含めた配信者たちの失踪から幕を開ける。ワタベがリアリティを何よりも大事にしているのは、有名だろう? だから現実で配信者として活動していた俺らが、本当に世間から身を隠すんだよ。心配いらねえ。潜伏場所とか金とかはみんなワタベが用意してくれる。俺もお前も、天涯孤独の身だろう? 誰も心配しないだろうし、しばらく気楽に生きようや」

「しばらくって……どれくらい?」

「すべての展開が終わる、大体二年くらいの間らしい」

 二年間も世俗から姿を消さなければならないのか。もっとも、センパイが言う通り、それで困ることはないのだが。

「……ちなみに、物語はどういう結末を迎えるんです?」

「さっきお前が言ったように、ワタベは笛吹と会話して、事件の真相を知っていた。しかも、そのときのやりとりの様子を配信はしてないが、録画で残しているんだ。ドラマの部分はあくまでフィクションが含まれるが、ラストはその時の実際の映像を流して終わる――っていう予定らしい」

 世間はすんなり受け入れるどころか、否定する意見のほうが多そうだが。

「まあ、心配すんな。全部上手くいくって」

 そう言って笑ってみせるセンパイの顔は、やはりどこかあどけなく、この人はどうしようもない孤独を抱えているんだなと、容易に想像できてしまうものだった。

 ああ、そうだった。おれは今日、告白しなければならないのだった――。このドス黒い想いを、この人にぶちまけなければならないのだった。

「ねえ、センパイ――」

 おれは背を向けたセンパイに声をかけた。

 

 K邸の地下室はジメジメとして、拭いきれない死臭が至るところに染み付いているかのようだった。

「――ねえ、センパイ」

 おれがずっと呼びかけていると、ようやくセンパイは目を覚ました。

「ん……あれ、ここは?」

「地下室です」

「屋敷の?」

「ええ。ここで発見されたんですよ。笛吹と、子供たちの遺体が」

「え……は? いや、なんでこんなとこにいるんだ? さっきまで外にいたよな」

 センパイは状況をまるで呑み込めていないようだった。

「後ろから殴って、気絶させました。運ぶの大変でしたよ」

「……は? お前何言って……」

「おれがずっと感じていた違和感は、いくつかありました。一つは、誰も知るはずもない事件の真相を、なぜイトコが知っていたのか。もう一つの大きな違和感が、屋敷の部屋の様子でした。ほら、四谷たちがいた大広間。画面越しに見て、なんか違和感があったんですよ。あそこによく、みんなでいたから。おれ、よく覚えているんですよ。画面越しに注意深く見てみたんですよ。鹿です。鹿の剥製のツノの形が違いました。個体差が大きい部分ですから、他は完璧に再現できてもそこは難しかったんでしょうね。だから思い至ったんです。画面越しに見ていた屋敷の様子――。あれってここ、つまり本物のK邸ではなく、どこか別の場所に再現されたセットなんじゃないかって……」

 センパイはとろんとした目つきで、おれを見つめてくる。

「ああ、そうだ。演者の都合が合わないから、都内に似たような内装を再現したセットがあるんだ……」

 つまりこの邸に現在、生きている人間はおれとセンパイの二人だけということになる。

「やっぱり。よかった。これで、邪魔者はいませんね」

「おい……どういうことなんだ? どうして身体が動かないんだ? お前さっきからなんか変だぞ。事件の真相がどうとか……お前、一体……」

 身体を拘束された状態で、出来の良くない頭を必死に回転させているセンパイの様子は、おれの胸の内に根付いたドス黒い感情をさらに波立てていった。

「センパイ……。おれ、センパイのこと、ずっとよくない目で見てたんです。センパイは孤独で誰からも愛されない、寂しい人間で友人も家族もいない……。だから惹かれたんだと思うんです」

「いや、お前……何を……」

「センパイは〝あの人〟そのものだから」

 ずっと見ていた。センパイを。

 不健康な色合いの肌を。

 薄い胸板を。

 なにかを嚥下えん げする度に上下する喉仏を。

 その中身を、ずっと見てみたかった。

 ここに来ることを知らされたとき、これは偶然ではなくまさしく運命であるのだと悟った。あの人のためにセンパイを捧げることが、中断されてしまった蠱毒を完成させるのが自分の使命であるのだと。

「センパイ。おれなんです。十年前。この場所で仲間たちを殺した子供は。だから、知ってたんです。かつてこの屋敷で起きたことを。だから完成させなきゃいけないんです。蠱毒を。一度始めたからには、最後までやり遂げなければならないんです」

「えっ、あ、おいやめ……だれか!」

 センパイの声が地下室に反響する。

「誰もきませんよ。あ、さっきおれを部屋に迎えにきたタクローさん? 四谷さんの相方の。あの人には先に死んでもらいましたから」

 白いバンでここに来ていたのは、タクロー一人だけだった。ドアノブをガチャガチャさせていたのも、彼だった。四谷たちが来たと錯覚させるためのフェイクだったのだろう。生贄いけ にえが一人で飛び込んできてくれて助かった。

「だれか……だれか!」

 

 断末魔がようやく鳴り止んだころ、おれは今度は自らの胸にナイフを突き立てる。

 鈍色にび いろの痛みが、おれの中に広がっていく。

 センパイは道中、蠱毒に生き残った者が勝者――と言っていたけれど、それは違う。蠱毒で生き残ったものは、呪術を行使するための供物に過ぎないのだ。

 それにしても――。

 徐々に朦朧としていく意識の中、おれはあの女――不知火イトコのことをふと思い出す。

 ワタベのパーティ会場で、向こうから突然声をかけてきたのだった。

 あなた、蠱毒の生き残りですね――。

 そのことは誰も知る由もないことだった。

 なのに、なぜそれを知っていたのだろう?

 あの女、もしかしたら本物なのか?

 でも、そんなことはもうどうでもいい。どうでもよくなる。

 ほら。もうすぐだ。

 ほら。おれの魂を捧げることで、完成する。

 ほら。あの人の魂が戻ってくる。

 ほら。あの人の足音が聞こえてくる。

 

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