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 センパイのスマホが鳴ったのは、午後十時半を過ぎた頃だった。日はすでに落ち、窓の外も室内も、深い暗闇に覆われていた。

「お。メッセージだ。『もう少しで着く』だとさ」

 スマホによって照らし出されるセンパイの顔を見て、おれの内からまたよからぬ衝動が湧き上がってくる。

「……じゃあ、用意しますね」

 欲望を気取られないように、おれは冷静を装いながら、スリープにしておいたノートパソコンを起動する。画面が明るくなりすぎないように調整し、ソフトを立ち上げた。

 五分ほどして、正面の門が開かれる、鈍い音が聞こえた。続いて車のエンジン音が伝わってくる。別館の位置からは正門が見えないが、台数は一台。おそらく参加者は相乗りしてきたのであろう。

 しばらくすると、画面共有したパソコンのスクリーンに、ニヤついた軽薄そうな男の顔が映し出された。

「はい。どうもー。前科三犯の四谷よつ やアツローでっす。今晩はね、なんとあの忌まわしき殺人事件の現場、S市のK邸へと足を踏み入れちゃっておりますよー。あ、今日はちゃんと許可取った上で入ってるんで、不法侵入ではありませんよー」

 手持ちのスマホで自撮りしている男の名前は四谷アツロー。今回の企画の参加者の一人だ。元々は事故物件へ許可なく不法侵入を繰り返す、どちらかといえば心霊系というより迷惑系配信者として有名だった男である。悪びれもせず不法侵入を繰り返すこと、前科三犯。悪名は無名に勝るを地でいく人物であり、今回の参加者の中ではもっともチャンネル登録者数が多い。彼もまた、動画に「偶然」映り込んでしまった霊障をワタベに認められ、ここに呼ばれたのだという。

「今回はね、一人じゃないんですよ。ワタベさんの企画に呼ばれたこちらの美人ともう一人、冴えないおっさんの三名でお送りしたいと思いまーす」

 カメラが反転し、暗闇の中に立っている二人の人影を、心許ないライトで照らし出す。

「ちょっと、冴えないおっさんはないでしょう? アタクシ、四谷さんと同い年ですよー」

 おどけて言ってみせたのは、小太りの男――幽遊亭ゆう ゆう ていまるおだった。丸い縁無しメガネに着流しという風貌の彼は、本業が怪談を蒐集し口頭で披露する、いわゆる怪談師である。自分のチャンネルでも主に怪談話をしていたが思ったように伸びず、行き当たりばったりで始めた廃墟探訪にこれまた霊障が「偶然」映り込んでしまった結果、ワタベに認められたという経歴の持ち主である。

「あ、そうなんだ? どーでもいいけど。ね、不知火しらぬいさん?」

 四谷に同意を求められた長い黒髪の女は、頷きもせずじっとカメラを睨みつけているように見えた。

 不知火イトコは美人の部類に入るのであろうが、どこか薄気味の悪い、陰気な印象が勝る女だった。まだ若いとは思われるが、正確な年齢は公表していない。自称、代々続くイタコの血筋なのだという。霊魂をその身に降ろす「口寄せ」の様子を動画にしている彼女もまた、ワタベに認められたことにより一躍注目を浴びることとなったらしい。

「相変わらず美人だな」

 画面越しに彼女を見て、センパイが言った。

「……そうですね」

「まあ、俺の好みじゃねえが……。お前はああいうのがタイプなの?」

「はあ?」

「この前のワタベの飲み会のときに、なんかあの子と話してたろ。ちゃんと見てたからな」

「……別に、ただの世間話ですよ」

「ほんとかあ?」

 センパイは、おれの気持ちなど露知らず、おれが彼女に気があると、決めつけているような口ぶりだった。

「何々? そんな睨みつけないでよ。せっかくの美人が台無しだよ?」

 茶化す四谷に向け、ねっとりとした視線で彼女は睨んでいた。

「……早く終わったほうがいいと思う。ここ、ほんとに危ないから……」

 掠れた小さな声で、彼女は呟いた。

「お、マジで? ありがてえ。イタコさまのお墨付きをいただいちゃったよ! これは撮れ高、期待大ですねえ」

 わざとらしくテンションを上げ、編集後に見るであろう視聴者たちを煽る。

「しかし……ほんとにあれですね。アタクシなんかは全国津々浦々、色んな廃墟や事故物件を巡りましたが……ここはなんかこう、別格な雰囲気と言いますか……。さっきからいるだけで寒気が止まりませんよ、はい」

 饒舌に語ってみせる幽遊亭は、不安そうにきょろきょろと視線を泳がせている。

「うーん……まあたしかに。なんかこれまでとは違う、ヤバ目な雰囲気が漂っているような……。流石、大量殺人の現場ってとこだな」

 今から十年前のことだ。一時心霊スポットとして持てはやされたもののブームが過ぎ去り放置されていたK邸に、一人の心霊系配信者が不法侵入した。ワタベスベルである。当時ほとんど無名の配信者だった彼は、すでに見向きもされなくなった廃墟に、一人足を踏み入れたのである。

 そこでワタベが遭遇したのは心霊の類――ではなく、実体を伴った殺人鬼、笛吹うすい晴彦はる ひこであった。

 笛吹は当時世間を賑わせていた連続殺人犯である。小学生の子供三人を誘拐した後、殺害。その遺体をバラバラにして遺棄したという罪で逮捕状が出たが、確保しにきた警官たちを振り切り逃亡。約一年半もの間、行方をくらませていたのだった。

 その笛吹が潜伏していたのが、廃墟と化したK邸だった。すでに忘れ去られた心霊スポットは、潜伏先として最適だったのだろう。彼は遠く離れたS市に流れ着き、そこで長い間、潜伏していた。ワタベが侵入してくるまでは。

 ワタベは自身のチャンネルで生中継するため、スマホを片手に廃墟に足を踏み入れた。当時のチャンネル登録者数はまだまだ少なく、ライブ中継を見ている視聴者も五十人弱だったという。そのライブ映像は、すぐに消されてしまったものの、瞬く間にコピーが拡散され、今でもネット上を探せば比較的容易に視聴することが可能だ。

 ワタベが屋敷の地下へと足を踏み入れたとき、物音が聞こえてきた。

 ――おい、誰かいるのか?

 ワタベが上擦った声で暗闇の向こうに問いかける。返事はない。

 ゆっくりと、カメラが進んでいく。果てしなく続くかのような闇の中、ぼんやりとしたスマホのライトが、ついにその姿を捉える。

 痩せ細った、面長の髭面。肩まで伸びた長髪に、狂気を宿した双眸が、暗闇に浮かび上がる。

 幽霊にしてはあまりにも鮮明で生々しいその顔は、紛れもなく、繰り返し報道されていた連続殺人鬼のものだった。

 ――うわああああああ!

 悲鳴を上げるワタベ。同時にカメラが激しく動き、笛吹の姿がフェードアウトする。

 ――あんた誰? ここで何してんの?

 ――あ……あう……。

 ワタベの問いかけに、笛吹は掠れた声で答える。

 ――何々? え?……まさかあんた……。

 ――あええ、あ、あ、うう……。

 画面が再び笛吹の顔を照らし出す。眩しそうに顔を歪めながら、男はうめき声を繰り返すだけだ。

 ――間違いねえ、嘘だろ、おい……。まじかよ、おい!

 ワタベの声色から、明らかにテンションが上がる様が見て取れる。

 ――そ、そうだ。警察に電話……。あれ、たしか懸賞金かけられていたよな……うわっ!

 カメラが横に動き、それを一瞬捉えた。

 床一面に広がる血。そして……。

 重なり合う、小さな身体。かつて人間だった、肉の塊――。

 ワタベと笛吹。二人の男の悲鳴とも絶叫ともとれる、耳をつんざくような声がこだまする。そのまま、動画は終わる。

 その後、ワタベの通報により警察が駆けつけ、笛吹は逮捕された。しかし、彼は取調べでは意味不明なうめき声を繰り返すのみで、拘置所で首を吊り自殺してしまう。

 潜伏先となったK邸からは、五人の子供の遺体が見つかった。いずれも地元の小学生であり、同じクラスの仲の良い者同士のグループであった。周囲の証言から、殺された彼らは一年ほど前からどこか様子が変だったという。グループ以外の子供と関わるのを極端に避けるようになったり、門限を破ることが多々あった。現場から給食のパンやスナック菓子の袋が発見されたことから、どうやら笛吹は子供たちに食料の確保を命じていたらしいと、警察は推測した。

 どうして子供たちは笛吹をかくまっていたのか。また、どうやって笛吹は子供たちを手懐けたのか――。常識的に考えると、大いに疑問が残る。

 解決されない謎を残したまま、事件は忌まわしき記憶として、世間に印象付けられた。

 再びK邸が心霊スポットとして賑わう――ということはなかった。あまりにも生々しい惨劇が起きた現場は、もはや心霊スポットとしてはいささか度が過ぎる代物となっていた。十年経過し、心霊系配信者たちが増加し続ける今も、K邸に足を踏み入れようとするものはいない。そこに今、おれたちを含めた四組の配信者が足を踏み入れてしまっている。

「しかしまあ、ここを土地ごと買い取っていたなんて、やっぱワタベさんは俺たち過疎配信者と違って儲かってんだなあ」

 周囲をカメラで見回しながら、四谷は嫌味ったらしい口ぶりで言う。

 事件の後、笛吹の姿を捉えた動画がきっかけで、ワタベは一気にスターダムへと駆け上った。心霊系配信者として不動の地位を築き上げたのち、密かに買い手のつかない状況が続いていたK邸を購入していたのだという。

「本当に羨ましいかぎりですねえ……。でも、どうしてワタベさんはご自分で配信しないのでしょう? そればかりか、こんな絶好の機会をどうして我々なんかに譲ってくれたのでしょう?」

 幽遊亭が不思議そうに呟いた。

 買ってからすでに数年が経過しているとのことだが、そのことは今も公表されていない。他ならぬ笛吹を見つけたワタベがK邸で再び配信をするのであれば、それは大きな話題をかっさらうに違いなかった。

「そりゃ、世間の反応が怖かったんだろ。十年前とはいえ、凄惨な殺人事件――しかも被害者が子供だ。その現場で動画を撮ったら当然批判の声がくるだろ。たとえ、合法的に立ち入ったとしてもさ」

「やっぱり、そうですよね……。この企画に勝ち抜いたとしても、動画を公開したらネガティヴな意見はくるでしょうね」

「そう。だからまずは俺たちに撮影させて公開して、それで世間がどんな反応するのか見よう……って魂胆なんだよ。そこまで批判がこないようだったら御の字で、奴はすぐさま自分のチャンネルに動画を上げるだろうな。逆に俺たちに批判が殺到して炎上したら、奴は知らんぷり。『そんな企画はなかった』とか言い逃れして、俺たちが勝手に不法侵入したことにでもするつもりなんだろう」

「ええ! そんなこと……ありますかね?」

「あり得るだろ。だから不法侵入の前科がある俺が呼ばれたんじゃねえの?」

 きゃはは、と自嘲気味に四谷は笑った。

「ええー。そんなあ……。それじゃアタクシたちはかませ犬……というよりトカゲの尻尾みたいなもんじゃないですかあ」

「まあ、世の中そんなうまい話あるわけねえだろ。……でも、俺はただのかませ犬になる気はないがな。炎上するのなんて慣れてるし、今更怖くねえ。逆に炎上してでも名を上げたいってポリシーだからな」

「へえ……よっぽど自信があるようで。何か秘策でもあるんですか?」

「それはまあ……言えねえな」

 四谷が画面越しに、こちらに目配せをしてきたように見えた。

 センパイがワタベの企画を辞退した後、代わりに参加することになったのが四谷だった。四谷がワタベを疑っていたように、センパイもこの企画には何かしらの裏があると考えていたらしい。企画に参加すること自体は大きなチャンスであるのと同時に、大きなリスクが生じる可能性も高い。そして、炎上した場合、ワタベに切り捨てられる可能性も十分にあり得ると踏んだのだ。

 そこでセンパイが出した結論は、企画には参加しないが、企画を利用する――というものだった。

 センパイは後釜となった四谷のサポートに回ることに決めた。四谷の撮影時に自分たちの手によってフェイクの霊障を起こし、彼の撮れ高を作り出す協力をする――。もし動画が公開され、世間に好意的に受け入れられたのであれば、おれたちにも相応の報酬が支払われるという約束だった。そして逆に炎上してもおれたちには一切の被害がない。そこが何よりのメリットだった。

 四谷が炎上などまるで気にしない振る舞いをしている一方で、センパイは炎上することを何よりも恐れているようだった。

 破天荒を気取ってはいるが、その実、気が小さく、慎重な選択をする場合が多い。反権力みたいな姿勢を示してはいるものの、長い物には巻かれろという考えが根っこの部分にある――。それが何年か一緒に過ごしてきて理解した、センパイの本質的な部分だ。

 仮にすべてが上手くいった場合、四谷は人気配信者への道を一直線に進むことになる。そうなった時に、自分たちを取り立ててくれるだろうと、センパイは目論んでいた。四谷のフェイク作りに協力するということは、同時に四谷の弱みを握るということにもなる。四谷がフェイクをバラされることを恐れるのかという点については、疑問が残るものの、高い人気を得てしまってからは今よりも炎上するリスクを避けるようになるだろう――というのがセンパイの見解だった。見た感じ、四谷も馬鹿ではない。取り立ててくれるのかどうかはさておき、弱みを握らせてしまったおれたちを無下にすることはないだろう。

 いずれにしろ、すべてが上手くいった場合である。フェイクの霊障を上手く引き起こせたとしても、それをワタベが認めない限り勝ちにはならない。

 無論、このことを知るのは四谷のみである。ワタベはもちろん他の二人も知らない。だからセンパイと四谷は、今日まで綿密に打ち合わせを重ねてきた。屋敷に忍び込む時間と隠れる場所、画面共有の手順、霊障を起こすタイミング――。

「……センパイ。あいつ、信用できるんですか?」

 おれは結局一度も四谷と直接顔を合わせる機会がなかった。

「ん? まあ、大丈夫だろ。こっちはあいつの弱みを握ってるんだ。すべて上手くいくさ」

 タバコに火をつけるその手が、少し震えていたことを、おれは見逃さなかった。強気に見せているが、やはり不安なのだろう。隠しきれないセンパイの弱さを垣間見て、おれの中のどす黒い感情が、また溢れ出そうになった。

 自分の内面から目を逸らすように、画面に目をやる。四谷が薄暗い部屋の中の様子をぐるりと映し出しているところだった。

 

この配信は終了しました」は全5回で連日公開予定