部屋はぱっと見たところ大広間のような場所だろうか。かなり広いように思える。十人は余裕で掛けられるであろう木製の長テーブル。暖炉の上には鹿の頭部の剥製が掲げられている。面白みのない、テンプレートな金持ちのイメージだけで作られたその空間は、画面越しでも不気味に見えた。
「そういえば、四谷さん。いつも一緒に動画を撮影している方は今日はいないのですか?」
幽遊亭が訊ねると、四谷はうんざりしたようにため息をついた。
「ああ、タクローのこと? あいつは今日は休み。一ヶ月前に廃寺にロケ行ってからなんか体調悪いみてえでさ……。ほんと、使えねえわ」
「それって、何かに取り憑かれたのでは?」
「ははっ。そんなわけあるかよ。それじゃあ、誰から動画撮ります? 俺は出来れば一番最後がいいんだけれど……」
企画では、動画の撮影は一人ずつ行い、他の者はその様子を邪魔せず立ち会わなければならない――とのことだった。
「ええ、一番最初はちょっと緊張するなあ……」
幽遊亭が目配せすると、イタコの不知火イトコが微かに頷いたように見えた。
「……それでは私から。この場所に囚われし霊を降ろしてみます。子供か……あるいは殺人鬼の……」
何とか聞き取れる程度の声で呟くと、手近にあった椅子を引き、おもむろに腰をかけた。肩にかけていたショルダーバッグから数珠を取り出すと手を合わせ、じゃらじゃらと鳴らし始めた。あらかじめ用意していたのか、三脚に取り付けられたスマホが、ちょうどいい位置に設置されているのがわかる。
ぶはっ、と四谷が吹き出す。
「え、ナマで見られちゃうワケ? 噂のイタコ芸! こりゃあ見ものだわ」
茶化す四谷に一切取り合わず、不知火イトコは祝詞のようなものを、一心不乱に唱え続けている。
ぼそぼそしていた声は次第に大きくなっていく。内容は何一つ聞き取れないが、その様子は鬼気迫るものだ。はじめは揶揄っていた四谷も、その姿を見てすっかり黙り込んでしまった。
祝詞のような、呪文のようなものが暗闇の廃墟に響く。緊張が画面越しに漏れ伝わってくるようだった。やがてその緊張がピークに達するのと同時に、ぷつんと糸が切れたかのように不知火イトコの上体がばたんと、テーブルに倒れ込む。
「……え、あ、あの……大丈夫? です?」
幽遊亭が恐る恐るイトコの肩に触れるのと同時だった。
上から引っ張られるかのように、がばっと、イトコが立ち上がる。
「ひえっ」
勢いに驚いて、幽遊亭は床に尻餅をついてへたり込んだ。
「……ココ、ドコ? イタイ、イタイ――」
イトコはキョロキョロと、周囲を見渡している。
「――イタイ、イタイヨ……ドオシテ? カエリタイヨ」
先ほどと同じようにか細い声だったが、それに加えてどこか幼さのようなものを感じる口調に聞こえた。
「大したもんだな。迫真の演技じゃねえか」
おれの横でセンパイが、感心したようにつぶやいた。
不知火イトコの経歴ははっきりとしていないが、元々はどこかの劇団に所属していた売れない女優だったという噂もある。その口寄せは迫真のイタコ芸と揶揄されながらも、一定のファンを獲得しているだけに説得力を持つものであった。
「イタイ、イタイヨ……オカアサン、オトウサン……」
イトコはしきりに痛いと繰り返している。その口ぶりからして殺された子供の霊を降ろした――ということなのだろうか。
「えーっと……これは何? 俺がなんか質問すりゃいいってコト?」
その迫力にたじろいでいた四谷も、ようやく冷静さを取り戻したようだ。
「た、たぶん……。四谷さんからどうぞ?」
幽遊亭はいまだに床の上にへたり込んだままだった。どうやら腰が抜けてしまったらしい。
「あー……もしもし? 君は何? ここで殺されちゃった子……ぶはっ、やっぱだめだわ」
唐突に四谷が吹き出す。
「ちょっと、何笑ってるんです?」
幽遊亭が情けない声を上げた。
「いやだってよお、はじめはちょっとビビったけどさ、こんな茶番に付き合う義理ねえだろ?」
「他人の動画撮影に協力するって、説明されたでしょ? 義務ですよ」
「あーはいはい。んーっと。君は誰? 名前言える?」
イトコはゆらゆらと不規則に上体を揺らしている。
「――ワカラナイ……ボク、ダレダッケ」
「この屋敷に来ていたことは覚えているか? ここは丘の上にあるK邸だ」
「ウウ……ワカラナイ」
「じゃあ、ここにいた殺人鬼のことは? 笛吹って頭のイカれたヤロウのことだよ」
「ウ……ウスイ……」
「そう、笛吹。そいつはここにずっとかくれていたんだ。ここでお前たち五人の子供が、奴を匿っていた。奴はお前らに食べ物とかを持ってくるように命令していたはずだ……覚えているか?」
「ウ……ウン……オボエテル」
絞り出すような声だった。四谷はさらに続ける。
「どうして笛吹を匿っていたんだ? 何か、あいつに脅されていたとか?」
「……チ、チガウ」
「脅されていなかった? じゃあ、なんで奴を……」
四谷の問いかけに、そのまましばらくイトコは黙り込んでしまった。ウ、ウ、と、短い唸り声が断片的に聞こえてくる。
「お、おい……どうした? 何か言えよ……」
四谷の口調からはいつの間にか、先ほどまでの揶揄うようなニュアンスは消え去っていた。
「……なんかやべえな。まるでホンモノみてえじゃん」
隣のセンパイもイトコの迫真の口寄せに呑み込まれているようだった。
不穏さと不気味さと、異様な緊張感が屋敷を支配しているのが手に取るようにわかる。やがてイトコの口から漏れ出たその言葉は、四谷たちには到底理解の及ばないものだった。
「――スキダッタ」
「…………はあ?」
「スキダッタ……アコガレテイタ……アイシテイタ……ソンケイシテイタ……ミンナ、アノヒトノコト、スキダッタ……」
「好きだった? 憧れ? 尊敬? ……まじで言ってんのか? どうしてあんなイカレヤロウをそんな風に慕っていたんだ? あいつに、笛吹にお前らは殺されちまったんだろ?」
四谷は矢継ぎ早に質問を重ねた。
「ウ……イタイ……クルシイ……タスケ……」
イトコはそう繰り返すとばたんと、その場に倒れ込んでしまった。
「……お、おい……大丈夫か?」
闇の中を、完全な静寂が支配していた。沈黙がゆったりと流れた後、不意にイトコが立ち上がった。すっと、まるで頭の上にくっつけられた紐で引っ張られるようにして。
「……コロセ」
先ほどとはうって変わって、低くドスの利いた微かに嗄れた声だった。
「は?」
「コロセ……トナリニイルコドモヲ……コロシアウノダ」
眼前で話しているイトコは女のはずなのに、その口調は男のようにしか聞こえなかった。
「お前……まさか……笛吹か?」
四谷の声は震えていた。先ほどまでの余裕など微塵も感じられないほどに、目の前に降ろされた殺人鬼の魂に、心底恐怖を抱いているようだった。
「……コロセ、コロシアエ……コドクノタメニ……」
「コドク? 一体何だよ? 何のことだよ?」
「コロシアイ……サイゴニノコッタモノガ……ワタシヲ……」
「殺し合え? おい、どういうことだよ? わかりやすく説明しやがれ!」
「アトヨニン……ドウシテ……ニゲ……」
イトコの身体が、突如気が抜けたようにその場に倒れた。
「……なんだって? なんだってんだおい!」
四谷は完全に余裕を失っているようだった。喚いてはいるが、イトコと一定の距離を保ち、近づく気配はない。画面の片隅に映る幽遊亭は、小さな口を金魚のようにぱくぱくとさせたまま、言葉を発せないでいる。
「お、おい、なんとか言えよ、イタコ女!」
四谷が叫ぶ。声がひっくり返りなんとも無様だ。
「――子供たちは……みんな、あの人のことを慕っていたの――」
イトコはむくりと、半身を起こした。
先ほどまでの、たどたどしい口調ではなかった。か細いが、自らの意思を感じられるはっきりとした言葉運びだった。
「彼は……あの人は子供たちの憧れ――ヒーローだった。大人たち、世間にとっては残虐な殺人犯だったかもしれないけれど、子供らにとっては唯一の理解者であり、カリスマだった。彼は言葉巧みに子供たちを導いた。共に廃墟で過ごすうち、子供たちにとっていつしか、彼は守るべき存在であり、自分たちを守ってくれる唯一の存在となっていた。彼の世話をし、彼の話を聴くこと。彼と共に時間を過ごすことが、子供たちの世界の中では絶対のものとなっていった。子供たちにとって、彼は紛れもなく神様だった――」
淀みなく、イトコは自らの口で述べてみせる。
「――どうして殺人鬼をそこまで崇めていたのか……それはきっと子供たちにしかわからないこと。ただ一つ確かなのは、彼には才能があったということ。子供たちを支配し服従させる、得体の知れない何かが。科学的に説明することのできない何かが、彼にはあった――」
パソコンからは、イトコの声しか聞こえなくなっていた。
「お、おい……これってまさか……ガチのやつなのか?」
センパイが訊いてきたけれど、おれには答える余裕などなかった。
まさか……あり得ない――。
画面越しに繰り広げられる状況に、理解が追いついていなかった。
あり得ない――。
そんなことは、あるはずがない――。
頭では否定してみせても、眼前で繰り広げられているその状況が、現実がそのあり得ないことが起きているということを証明してくる。
「おい、大丈夫か?」
不安そうに訊ねてくるセンパイを横目に、おれは思考を巡らせる。
一体これは、どういう状況なのだろう。しかしいくら考えてみても、頭が回らない。とても冷静にはなれない。
「おい……それで一体……一体ここで何が起きたんだよ? どうして子供たちを殺し合わせなきゃいけなかったんだ?」
パソコンから四谷の情けない声が聞こえてきた。
「コドク……ですよ」
幽遊亭の震える声がした。
「コドク?」
「ええ、蠱毒……中国に伝わる、呪いの類です。壺の中に複数の虫やら蛇やらを入れて閉じ込め、そこで殺し合いをさせる……。そして、最後に残った一匹が……」
「まさか、それを再現しようとしたのか? この屋敷を壺に見立てて、子供同士を殺し合わせたってのか?……イカレてやがる……」
イトコはゆらゆらと身体を揺らし続けている。不規則に、不安定に。
「彼がみんなで殺し合うように言ったとき、ほとんどの子供たちは困惑を隠せなかった。みんな彼に心酔はしていたけれど、その命令を素直に受け入れるまでには至っていなかった。もう少し時間をかけて、皆が芯まで彼に惚れてしまっていたら、きっとその命令にもみんな従ったことでしょう。でも、彼には残された時間が少なかった。自らの身体を蝕む病に、彼は気づいていたから。だから、早急に蠱毒をする必要があった」
小鳥が囀るかのような、独り言のような口調だった。
「……どういうことだよ? どうして蠱毒をする必要があったんだ? 蠱毒をしたら一体どうなるってんだ?」
「――蠱毒をすることが、彼自身を救うただ一つの方法だった。蠱毒により永遠の命を手にし、死後に蘇ることができると、そう思い込んでいた。子供たちは皆彼に心酔していた。でも、たとえ彼の願いであったとしても、殺し合えという命令には素直に従うことはできなかった――ほとんどの子は」
「ほとんど?」
「彼の悲願を達成しようと行動した子供が、一人だけいた。その子は他の子たちと違って、少し後から屋敷に出入りするようになった。その子は他の仲間たちと比べて、彼から信頼されていないと感じていた。新参者だったからなのかもしれない。その子は彼の信頼を勝ち取るために、必死に努力した。でも、どうしても真の信頼を得ることはできなかった。だから、彼が殺し合いをするよう命じたことは、その子にとっては千載一遇のチャンスだった」
「まさかその子が……」
「そう、その子が殺した。一切の迷いなく。友達を仲間を。一切の慈悲なく、躊躇なく殺した。ただ彼の願いを叶えるために。心酔している彼にとって、唯一の存在となるために……」
「イカレてやがる……」
絞り出すような声だった。四谷がそう言ったのと同時に、隣でセンパイがごくりと生唾を呑み込む音が聞こえてきた。
「これで彼の願いは叶うと、その子は思った。でも、それは違った。蠱毒にはあと四つの魂が必要であると彼が告げると、その子は迷いなく屋敷を飛び出した。誰か、誰でもいい。誰か連れてきて、屋敷で殺さなければ――。しかし、そう都合よく殺す相手が見つかるはずもなかった。彼が屋敷を飛び出すのと入れ替わるかたちで、とある一人の配信者が屋敷へと足を踏み入れた」
「それが、ワタベだったってことか……」
「蠱毒の完成には、あと四つの魂が必要だった。結局蠱毒は完成しないまま、彼は自ら命を絶ってしまった」
「なあ、蠱毒が完成したら、一体何が起こるってんだ? それにイトコさんよ……あんたは一体……」
四谷の質問には答えず、ゆっくりとイトコが立ち上がる。先ほどまでぶれまくっていた四谷のカメラが、今は彼女の姿をしっかりと捉えている。カメラに向かい歩いてくると思った、次の瞬間。
「え?」
四谷の右斜め前にへたり込んでいた幽遊亭の首筋から、噴水のような血飛沫が上がった。
「げ、がっ……ごひゅ……」
苦悶する声と共に、幽遊亭の丸っこい身体がのけぞる。
「え、ちょ……はあ?」
四谷のものと思しき、素っ頓狂な声が聞こえてくる。状況を呑み込めていないのは、おれだけではなかった。おそらく誰一人として眼前で起きていることを理解出来ていないはずだった。
「いや、ちょ、まって。どういう……」
「これであと三つ。あと三人の魂があればいい。蠱毒は私が完成させる。あの日、五人の仲間を殺した、私が」
「え、あ、はい。っていやいやちょっと……」
イトコの手にナイフのようなものがあると視認できたのは、ちょうど四谷の身体から血飛沫が上がるのと同じタイミングだった。
四谷が手に持っていたカメラは天井を映している。その画面をゆっくりと、イトコが覗き込んでくる。こちらを、画面の向こうにいるおれたちを見ている。
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