「しかしまあ、これはまさしくコドクだな」

 センパイはタバコの煙混じりのため息と共に、そう吐き出した。何人もの所有者を経てきたであろう、古めかしい軽自動車の車内には、ヤニとコーヒーと、センパイの安っぽい香水の匂いが混じり合って充満している。

「コドク?」

「ああ、コドクだよ」

「センパイは『俺は孤独な人生を楽しんでんだ』って、常々言ってませんでした?」

 手持ち無沙汰に開いていたスマホの地図アプリをぼんやり眺めながら、おれは気の無い返事を返した。

「そっちの孤独じゃねえよ。呪いの方の蠱毒こ どく。壺を用意して、その中に毒虫やら蛇やらを入れて閉じ込めるわけ。そんで、生き残った一匹が勝者――ってやつ」

 ああ、そういうことか――と納得する。センパイのアクセントが完全に「孤独」の方だったし、それにセンパイは蠱毒について少し誤解しているようだ。蠱毒というのは――とおれが言うのを遮るように、センパイはたんの絡んだ笑い声をあげた。

「お前、意外とモノを知らねえよな。そんなんじゃ、社会に出てから困るぜ」

 ダッシュボードの上に取り付けられたスマホを意識しながら、センパイは言った。どうやら決め台詞ぜりふを言ったつもりらしい。

「これ、今録画している意味あります? 車中の様子なんて、いつも動画で使ってなかったですよね?」

「変化だよ変化。いつもと同じような感じだと、視聴者も飽きるだろ。今回は臨場感を高めるために常にカメラ回しておくから、気合い入れてけよ。いつもの間抜けづら晒さないようにな」

 前方などおかまいなしに向けられる視線には、いつものようにおれのことを少し見下すような、小馬鹿にするようなニュアンスが見てとれた。おれは努めて自分の感情を表に出さないように、助手席の窓を目一杯開けた。

 エアコンが効かない車内に、生ぬるい風が入り込んできたが、まるで涼しさを感じることは出来ない。

「……で、蠱毒が何なんです?」

 おれは視線をスマホに戻したまま訊ねる。地図アプリを閉じて、ニュースサイトを開く。ろくに講義に出ることもなく夏休みに入った大学生には、およそ関係ないであろう外の世界の話題を、ぼんやりとスクロールしていく。

「だからさ、今この状況が……だよ。有名ないわく付きの心霊スポット。そこに集められし配信者たちが三日間を過ごす――。勝者はただ一組ってのがさ。まさしく蠱毒。『バトル・ロワイアル』みてえでさ」

「そういう風に言うと、これから殺し合いが始まるみたいですね……。あ、次の交差点の信号、左です」

「お、左ね」

 二十万で買ったという軽自動車には当然カーナビなどついているはずもなく、助手席のおれがスマホを見ながら方向を指示していた。荒っぽくハンドルが切られ、人気のない国道をさらに進んでいく。おそらくだいぶ速度オーバーしているはずだが、パトカーはおろかしばらく対向車ともすれ違っていない。

「延々と同じような道が続くなあ。まあこんな田舎、普通来る用事もねえし、二度と来ることもねえんだろうけど」

 センパイの独り言のような愚痴に、一応「そうっすね」と返しておく。

 

 S市の旧K邸といえば、その界隈では有名な曰く付きの心霊スポットとして知られている。

 元々は地元の資産家の邸宅だったが一家が引っ越し、人が住まなくなって久しいという。古めかしく荘厳な造りの洋館は、周囲の家々から良くも悪くも目立ち、いつしか地元の若者たちが肝試しと称して、不法侵入を繰り返すようになっていた。

 十五年ほど前、K邸に忍び込んだとある廃墟探訪たん ぼう系配信者の動画が一部で話題となった。動画には、建物の中にはっきりと人影が映り込んでいたのだ。

 その人影が果たして本物の幽霊なのかは、定かではない。フェイクだと言う者が大半であったが、一部の物好きの視聴者たちにウケた。その動画を機に、いち地方都市であるS市に、全国から肝試し目的の物好きたちが集まり始めたのである。肝試しの様子を撮影しサイトに投稿する廃墟探訪系、あるいは心霊系の配信者たちも、こぞって訪れるようになっていった。

 K邸は地元資産家のK氏が所有していたものの管理者はおらず、事実上放置されている期間が長く続いていた。門扉もん ぴは鎖と南京錠で施錠されていたが、柵を乗り越え侵入する無法者たちは後を絶たなかったという。そのような状況が続いていたのにもかかわらず、騒音問題などには発展しなかった。K邸は市街地の中心から少し離れた小高い丘の上にあり、過疎化が進んでいたことも相まって、近隣には人が住んでいる民家はなかったのである。

 数々の来訪者が訪れ、投稿サイトには今でもK邸に侵入した際の動画をいくつも確認することが出来る。いずれの動画も、撮影者が大袈裟に騒いでいるだけの、取るに足らないものばかりだ。

 K邸への来訪者が増えたことにより、寂れた地方都市のS市の経済が活性化した――などということには、もちろんなるはずもなかった。たしかに一部の界隈の興味を惹いたものの、一般的に有名になったとまでは言えず、K邸は取り立てて何かあるわけではない、いち心霊スポットに過ぎなかったのである。

 状況が一変することになった契機は、今から十年前。はじめてK邸の動画が投稿されてから五年ほど経った頃だった。世間からの関心はとっくに薄れ、K邸は死にかけの地方都市の片隅にぽつんと忘れ去られた、ただの廃墟という存在に戻ろうとしていた。

 そんな世間から飽きられはじめていた心霊スポットに、一人の配信者が侵入したのである――。

 

 申し訳程度に発展した市の中心部をあっという間に抜けると、また人気のない道が続いていく。

「この先の一本道を上ったところにあるみたいですね」

 おれがそう告げると、センパイは「わかった」と言い、適当な民家に勝手に入り、停車した。

「いいんですか? 勝手に停めて」

「いいでしょ。見た感じ人は住んでないみたいだし」

 築五十年は優に超えていそうな木造の民家は、それこそ霊的な何かが出そうな雰囲気をまとっていた。窓にはベニヤ板が打ちつけられており、茶色く錆びた郵便受けの口は、ガムテープで塞がれている。近隣を見回してみても、同じような人が住んでいそうもない家屋ばかりで、まさしく死にかけという言葉が似つかわしい街並みだった。

 時刻は午後二時を回ったところ。日は高いはずなのに、山に囲まれた土地ということで、このあたりの日照時間は極端に短いのだという。曇り空も相まって、すでに周囲は薄暗くなっている。

 車を降りて、K邸へと続く一本道を見上げる。斜面は急で、小高い丘――というよりも、山道に近いように見える。思わずため息が漏れる。

「……やっぱり、歩かないとだめなんですか? 別に車で行ってもバレないんじゃ……」

「いや、だめだ。万が一、俺らの車が見つかったらせっかくの計画が台無しだ。いいか? 俺たちはあくまでイレギュラーなんだからな」

 センパイはノートパソコンなどの機材が入ったリュックを背負って歩きはじめる。おれは渋々その後に続いた。

 

 歩いたのは二十分ほどだったのに、随分と長かったような気がしてならなかった。薄暗い山道は延々と続き、まるで終わりのない道を進んでいる錯覚に陥ってしまうほどだった。

 やがて、開けた場所に出たと思うと、古めかしい洋館が姿を現した。

 ここに来るまでに目に入った、いわゆる一般的な家屋とは明らかに異なる、洒落た造りの洋風の建物だった。

「動画で見るよりひどくねえな」

 センパイは意外そうに言った。

 K邸はそれなりの築年数を経ているはずだが、相応の金をかけて建てられただけあって、建物自体はまだ丈夫そうに見えた。しかし、それでもどこか言い表しようのない、人を寄せ付けようとしない陰鬱な雰囲気を纏っている。

 邸の正面には堅牢けん ろうな鉄の門扉があったが、センパイから事前に知らされていた通り、鎖は巻き付けられていなかった。センパイが押すと、びついた鈍い音と共に、ゆっくりと門は開かれた。どうやら手筈通り、あらかじめ開けられていたようだ。

「よし。とりあえず中に入るぞ」

 敷地内には母屋と思しき三角屋根の大きな洋館と、その裏手に平べったい屋根の別館のような建物があった。質素な造りの別館の方は、かつて住み込みで働いていた使用人たちの住まいとして建てられたものらしい。おれたちは周囲に人がいないか細心の注意を払いながら、裏手にまわり別館の扉を開けた。こちらも手筈通りなのか、施錠はされていなかった。

 薄暗い建物の内部はほこりっぽく、思わずむせてしまう。これから何時間か、この中で息を潜めていなければならない。そう思うと、少し気が滅入りそうになる。

「電気は当然通っていない。小型の発電機でも持ってこようかと思ったんだが、音で気づかれる可能性もあるからな。モバイルバッテリーをいくつかと、懐中電灯だけが頼りだ。もちろん、夜中でも外に光が漏れないようにしないといけないから、使うのには気をつけないと」

 センパイは三脚にスマホを設置しながら言った。

「バッテリー気にしなきゃなのに、カメラは回すんですか?」

「さっき言ったろ。今回は常に回すって。良いを撮るためだよ」

 鼻歌交じりに周囲を見渡すセンパイは、まるでキャンプにきた子供のように、無邪気に楽しんでいるみたいだった。

「楽しそうっすね」

「楽しいだろ、そりゃ。やっと運が回ってきたっていうかさ。しょーもねえ現状を打破できそうなチャンスが、巡ってきたんだ。楽しくねえワケねえよ」

 興奮しているのか、明らかに声が上ずっていた。普段はあまり見せることのないその様子に、おれは内心驚いていた。それなりに長い付き合いになるのに、こういう新しい一面が見れたという新鮮さに少し胸が高鳴るような気がした。

「うまくいくといいんですけれどね」

 おれがぼそっとそう言うと、センパイは無精髭の生えた顎をなぞりながら、口許を歪ませた。

「うまくいくさ。ていうか、何としてでも成功させなきゃ……だろ? 俺もオマエも、結構崖っぷちなんだからよ」

 センパイはどうやら、おれの現状にシンパシーを感じているようだった。

 勧誘されるがまま入部することとなった映像研究サークルで知り合ったとき、一学年上のこの男はおれよりも八歳も上だった。何浪かして入学したのに加え、二度も留年しているという。その見た目と雰囲気も相まって、周囲から浮いているということは、一目で感じとることができた。後で訊いてみると案の定、大学内のあちこちでトラブルを引き起こしている、評判の良くない男だった。

 背が高く、不健康そうに痩せた体躯。顔のつくり自体は悪くないものの、どこか陰鬱そうな目つきと卑屈に笑うこの男に、良い印象を抱く方が難しいだろう。何を考えているのかわからない――。ミステリアスといえば聞こえはいいかもしれないが、多くの人の目にはただただ薄気味の悪い、感じの悪い男に映っていたはずだ。

 俺はライブ感で生きてるからさ。やりたいことだけして生きてたいんだよ――。

 そんな風なことを言っては、ただひたすらに日々を惰性で過ごしているような男だ。加えて金銭関係や女絡みのトラブルを抱えているため、多くの者から距離を置かれていた。親兄弟とも、実質絶縁状態なのだという。

 センパイは孤独だった。誰からも疎まれ、誰からも気に留められない、何を考えているのかわからない陰気で不気味な男――。だからこそ、おれは強烈に惹かれたのかもしれない。

 おれは多くの時間をセンパイと共に過ごすようになった。孤独な彼がおれに心を開くのに、時間はかからなかった。多分、センパイの目にはおれが同類のように映ったのだろう。否定は出来ない。おれもまた、本質的な部分では誰ともわかりあえない、絶対的な孤独を抱えていたからだ。

 ほとんどの時間をセンパイと過ごすことになったため、必然的に他の人間との関係は希薄になっていった。それでもよかった。おれは胸に秘めた想いを隠したまま、センパイとモラトリアムの日々を過ごした。

「さて、始まるまで暇だな……。おい、これが終わったらソープ行くか? 結構な額もらえるみたいだからさ、奢ってやるよ」

 センパイはおれに無邪気にそう言ってくる。

「はは……おれはいいっすよ」

「オマエ、ほんとノリ悪いよな。……まさか、そっちか?」

「……まさか」

 おれは笑いながら適当に受け流す。

 センパイにはまだ知られてはならない。胸の奥のほうでとぐろを巻いている、センパイに対するよこしまな想いは、まだ隠しておかなければならない。

 

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