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 突如として、センパイが動画投稿者の真似事を始めたのは、ちょうど去年の今頃だった。去年センパイは三度目の留年が決まり、いつの間にかおれと同級生になってしまっていた。

 ――ほら。そろそろまあ、何かしら考えなきゃいけねえだろ?

 そんなことを言うものだから、おれは大いに驚いたものだ。

 おれの目にはセンパイはすでに人生を諦めているように見えていた。日々を惰性で過ごし、その内自主退学するかあるいは放校されるのであろうと。将来のことなど何も考えていないように見えていたからだ。

 ――これが上手くいけばさ、すぐに大学なんて辞めてやるよ。

 三十手前の男のセリフとは思えないものだった。あまりにも現実が見えていない、夢見る子供のようにまっすぐな眼差しだった。はじめはいつものように適当な思いつきなのだろうと高をくくっていたが、存外彼は真剣だった。全国各地の心霊スポットに足を運ぶ「心霊系」を名乗り、活動を開始したのである。有無を言わさず巻き込まれるかたちで、おれはその活動を手伝うようになった。

 おんぼろの軽自動車に乗って、二人で各地を回った。心霊現象が起こるとされる廃病院、廃学校、事故物件、トンネル――。全国津々浦々、有名どころとされる場所はほとんど押さえた。元からセンパイには、オカルト趣味があったらしい。飽きっぽい性格からして、聞きかじったようなレベルではあったが、そういう心霊スポットとされる場所の知識は持っていた。

 動画の内容としては、他の似たようなことをやっている配信者とさほど変わらない、さして珍しくもないような内容だった。深夜に全国の心霊スポットに直接足を運んで、そこでの探索の様子を撮影。編集したものを投稿する――。いわゆる心霊系などと呼ばれる配信者は、おれたち以外にも数多く存在している。既に数えきれないほどの先駆者たちが活躍している状況で、新規参入の配信者は皆、当然ながら不利な立場だと言っていい。

 どのジャンルにおいてもそうだが、配信活動において新規の参入者は厳しい戦いを強いられることとなる。特に心霊系はメジャーなジャンルとは言い難い。新たにこのジャンルに興味を示す視聴者が多くないことを鑑みると、必然的に既に別の心霊系のチャンネルを見ている視聴者をどれだけ引っ張ってこれるかが成功の鍵となる――。というのが、センパイの考えだった。

 ――この手の動画がヒットするには、ある種の法則みたいなのがあるんだよ。

 配信サイト上に数多く存在する、心霊スポットを探訪する動画。ある程度の登録者数があるチャンネルならば、ひと際再生数が多い動画が一本か二本はある。いわゆる霊が「映ってしまっているもの」だ。

 謎の物音やノイズなどの、音による異変だけでは弱い。映ってしまったもの、すなわち謎のオーブや人影――出来れば顔がわかるようなもの――がほんの一瞬だけ映り込んでいれば尚良い。どのチャンネルでも、一番伸びているのは、そういうものがたまたま映り込んでしまった動画なのである。

 では、そういう映り込んだものは本物の霊なのか――。それについてはほとんどすべてがフェイクだろうと、センパイは考えていた。センパイは心霊的なものが実在しているとはあまり思っていなかった。実際、数々の心霊スポットを訪ねてみても、生憎あい にく霊障の類に遭遇したことは、今まで一度もなかった。

 動画ではよくセンパイが「寒気がしてきた」とか「視線を感じる」とか、それっぽいことを言ってみせるものの、無論、すべて演技である。どんな場所へ赴いても、霊はおろかそれらしいことは何も起きない――。そんな何も起きない映像を用いて、どうやって心霊系の動画を作ればよいのか。おれたち以外にもおそらく、多くの配信者が頭を悩ませていることだろう。何かが起きたのであれば、それをそのまま動画に入れたらよい。では何も起きない場合は――。

 おそらくそういうときに、大抵の配信者は作り物を入れようとするのだろう。いわゆるフェイクだ。

 謎のラップ音、足音、うめき声。あるいは白く光る球体、人影――。それらは自然な形で捉えることは出来なくとも、すべて後付けで加えられるものだ。もちろんある程度の技術は必要となるが、決して難しいものではない。

 じゃあ早速やりましょうと言ったおれに、センパイはストップをかけた。センパイ曰く、手順が大事なのだという。

 ――ぽっと出の配信者がいきなり「映り込んでしまった」やつを上げたら、怪しすぎだろう? これ系の視聴者は物好きが多いから、目が肥えてる奴がほとんどだと思っていい。だから、しばらくはそういうフェイクは使わずにいくんだよ。

 センパイの考えはこうだ。まずは心霊スポットに足を運んだ映像を、変な編集を付け加えずそのまま投稿する。アップするのは霊障の類は映っておらず、やたらとオーバーに怖がってみせるセンパイと、撮影役のおれの声がこだまするだけのやかましい映像だ。おれたちはそんな何の編集も加えられていない、霊障の起きない心霊動画を、月四本程度のペースで愚直に制作し投稿し続けた。当然、そんなものがウケるはずもなく、再生数はどれもいいところ五十回程度、コメントもつかず登録者数も一向に伸びる気配はなかった。

 配信者にとって何よりも大切なのは、動画の再生数だ。チャンネル登録者数も大事ではあるが、登録者数一万人の配信者より五百人の配信者の方が稼いでいるというパターンも珍しくない。

 収益は、再生数に広告単価をかけたもので決まる。一万再生で広告単価が一再生一円の場合は一万円が貰えるという計算になる。広告単価というのはサイト側が決めるものであり、同じチャンネル内でもそれぞれの動画により異なったりする。動画の再生数や時間、視聴者の年齢層などで決まるとされているが、詳しい基準は公表されていない。単価が高いジャンルとそうでないジャンルがあるとされているが、それもどういうものが高いのかは、明確にはわからない。

 一月の収益は、一月の内、そのチャンネル内に投稿されている全ての動画の再生数を合計した分が入ってくる仕組みだ。はじめの頃はひと月五千円にも届かないときがほとんどだったが、今では毎月安定して三十万円以上の収益を稼げるようになっていた。

 きっかけは半年ほど経ってから投稿した、とある事故物件を訪れたときの動画だった。そこに一瞬だけ映り込んだ白い人影――不自然なところもなく、我ながらよく出来たものだと思う――が心霊系の愛好者の一部で話題となった。

 ――言ったろ。手順が大事だって。

 結果として、センパイの思惑通りとなった。最初からフェイクを入れるのではなく、何十本か投稿した後に入れることによって、ある種の信頼を得ることが出来たのだ。

 実際、同じような時期に活動を始めた他の心霊系配信者がいたが、早々にレベルの低いフェイク動画を投稿し、バッシングを受け活動休止に追い込まれる様子を横目で見ていた。

 おれらの動画に寄せられたコメントは好意的なものが多かったものの、フェイクなのではと疑うものも少なくなかった。映像的な不自然さはなかったが、やはり新参者が霊を捉えてしまったということで引っかかっている人も多かったのだ。コメント欄ではこれが本物であるか否かについての、不毛な議論が交わされることとなった。

 そんな状況が、突如一変することとなる。

 有名配信者、ワタベスベルである。

 ワタベは『ワタベスベルの心霊探訪』というチャンネルを運営している。登録者数は二百万人を超えており、心霊系の配信者としては最上位に入る。自称「霊がえる」霊能者であり、信奉する視聴者も多いが他人を見下すような発言が多いため快く思わない者――いわゆるアンチも多い。

「徹底したリアリティ」のある動画作りを標榜しており、どの動画も高いクオリティを保っている。近頃ではネット界隈だけではなく、テレビや雑誌といったマスメディアへの露出も増えている。

 その影響力は底知れず、彼がフェイクだと指摘したことで潰されてしまった配信者は、両手におさまらないほどいる。界隈に多大な影響力を及ぼすカリスマインフルエンサー、まさしく「心霊系のご意見番」と言うべき配信者だった。

 そのご意見番がコメント欄で、おれらの動画がホンモノであると、お墨付きを与えてきたのだった。ただのフェイク動画である、おれらの動画を、だ。

 この一件でワタベがインチキ霊能者であることが証明されてしまったのだが、それを知るのはおれたちだけだ。無知な大衆はカリスマが認めた動画に殺到し、その多くが真贋を判断できないまま、カリスマに右にならえで高評価をしていった。コメント欄の論争は、本物だということで決着がついたようだった。

 おれたちのチャンネル登録者数は一気に五千人を超え、心霊系の界隈で、注目を集めることとなった。視聴者から各地の心霊スポットの情報が送られてきたり、ワタベが主催する心霊系配信者の集まりに呼ばれるまでになった。

 今日この場所に来るきっかけとなったのも、そのワタベに声をかけられたからである。

 

 K邸裏手の別館、かつての使用人たちの住まいだったという建物は、思いの外、綺麗な状態が保たれていた。二階建てで、同じような大きさの部屋が並ぶ、小ぢんまりとしたアパートのような造りをしている。先方から適当な部屋で待機していろ――という指示を受けたので、二階廊下の突き当たり、一番奥の部屋の扉を開けた。

 八畳ほどのワンルームは、古めかしいベッドと小さな流しとガスコンロが申し訳程度に備え付けられた、質素な部屋だった。当然、ガスも水道も止まっていて、電気も点かない。

「やっぱこんなとこで三日過ごすって、結構キツいな」

 シーツも剥がされ窓際に忘れ去られたように放置されていたベッドに、センパイが腰をかける。ぎしりという錆びたスプリングの音とともに、積もっていた埃が宙に舞った。思わず二人で咳き込む。掃除をしようにも、ほうきの一本も見当たらないので、おれは仕方なく埃の積もったフローリングの上に座り込んだ。

「いつごろ来るんでしたっけ?」

「あー、零時スタートだから……たぶん、十一時くらい?」

「結構ありますね……時間」

 九時間ほどここで待機しなければならない――ということか。

「まあ、退屈だよなあ」

 センパイはタバコに火をつけながらぼやく。窓から差し込んでくるわずかな光が、タバコを持つ手の甲を照らし、浮かび上がった血管の陰影を作り出す。薄汚れたタンクトップの下で、薄い胸板が上下する様子が、見て取れる。おれは、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 センパイと違って、おれは特別退屈というわけではなかった。埃と煙で満たされていくこの空間で、おれの心は高鳴っていた。

 センパイと、人気のない場所で二人きり――。そんな状況は、今までいくらでもあった。配信活動に付き合うようになってからは、何度もあった。しかし、その度に、おれはセンパイに対する邪な想いを、胸の奥に封じ込めてきた。

 この想いは、ずっと押さえ込んでおくべきなのだろう。それができるのであれば、一番いい。でも、もう限界だった。

 今この瞬間、センパイに対して理性を保てていることが不思議になるくらい、おれはすでに限界を迎えていた。

 告白しよう――。

 いずれは決断しなければならなかったのだ。そして、今日ここに来られた僥倖は、まさしく運命ということだったのだろう。

 ここでセンパイに告白する。本当のおれを知ってもらう――。

 しかしこの高揚する気持ちは、まだしばらく抑え込んでいなければならない。

 ベストなタイミングを、見極めなければならない。

「ところで、今日来るのって、何人でしたっけ?」

「三人。それぞれ別グループで、ほぼ個人でやっている奴らだよ……。ほら、こいつら」

 センパイがタブレットを見せてくる。

「……全員、結構な登録者数いるんすね」

「まあ、俺たちよりかはな。それでも十万人にいっているやつはいねえし、ほぼ誤差と言っていい。今回次第で、俺らが奴らを踏み台にして一気にごぼう抜きできる可能性も十分ある……てか、してみせる」

 いつになく、力強い口調だった。センパイは本気で配信者として成功し、人生逆転を目論んでいるらしい。夢も希望もなく怠惰な日々を過ごしていた以前とは、まるで変わってしまったように思える。ワタベに認められてからは、特に。

 ワタベ主催の配信者の飲み会に招かれたのは、今から三ヶ月ほど前のことだった。ホテルの大広間を貸切にした、飲み会というよりも大規模なパーティといったほうがいいその場で、センパイとおれは明らかに浮いていたことをよく覚えている。

 ワタベは定期的にこの規模の「飲み会」を豪勢に開いているのだという。心霊系に限らず、各界隈で有名な配信者が、そこら中にいるような場所だった。

 センパイはそこでワタベに「個別に話がしたい」と、別室に呼び出された。そして、自らの企画へ参加しないか――と打診を受けたのだった。当然、二つ返事で受けたのだという。界隈のみならず配信者全体に影響を持つカリスマの企画だ。普通に考えて断る理由もない。だから数日後、一転して企画への参加を辞退してきたと告げるセンパイの言葉に、おれは驚いた。

「やっぱり、普通に参加するんじゃダメだったんですか?」

 参加を辞退したはずのおれたちは、今晩企画が行われる場所――すなわちK邸に忍び込んでいる。

「ダメだ。何回も説明しただろ? 普通に誰かの企画に乗っかるんじゃ、いつまで経っても底辺か、底辺よりちょっと上くらいのポジションのままだ。ジャイアントキリングをするんだよ。上でふんぞり返っているワタベの喉元に噛み付いてやってさ、革命を起こすんだよ」

 センパイの不健康そうな色をした顔が、わずかに上気しているように見えた。

 ワタベの企画は新進の心霊系配信者たちを集めての、心霊スポットでの合宿というものだった。活動を始めて比較的間もない、登録者数十万人未満の配信者を集め、そこで誰が本物の心霊現象を動画にできるか、競い合わせる――。そのうちのどの映像が本物かをジャッジするのは、もちろん主催者であるワタベだ。

 ワタベがこういう企画を立てるのは、今回がはじめてだった。勝者となった者には「あのワタベに認められた」という称号が与えられ、一気に人気配信者への階段を駆け上る権利が与えられるのである。この界隈の新参者であるならば、誰しもが藁にもすがる思いで参加したい企画だと言える。

 センパイは、そのチャンスを断った。いわく、一気に上位層に食い込むために。ジャイアントキリングをするために――。

 

この配信は終了しました」は全5回で連日公開予定