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個人店だからできる対応

#ネギ多め
 賄いだからご飯は自分でよそう。つまりはよそい放題だ。映画『トラック野郎』で菅原文太演じる星桃次郎がドライブインで食う飯のように山盛りなの。育ち盛りの高校生だったからとにかくご飯だよね。ご飯で腹いっぱいにしたいんだよ。
 呑兵衛になってご飯をほとんど食わなくなった今では信じられないんだけどさ。
 当時、昌平ラーメンは茎わかめを赤紫蘇色に漬けた“しばわかめ”をご飯にのせてラップして出前に持ってくんだけど、そのしばわかめも盛り放題。
 しばわかめだけでも、ご飯を相当かき込める。生姜焼きの横にはキャベツの千切りが盛られる。その横にマヨネーズを添える。いや、添えるなんてもんじゃない。ブリブリと出しまくる。マヨネーズがトグロを巻いてた。「ソフトクリームか」ってくらいにね。
 若かったねぇ。いろんなところで生姜焼きを注文するけど、いまだにあの頃の賄いで、“最初に体に染み込んだ味”と比べちゃうんだよね。
「ラーメン、ネギ多め」って、ぶっきらぼうに出前を取るホストの兄さんがいた。
 電話に出た俺は兄さんの要望通り、ラーメンをラッピングするときにネギを余計に入れて持って行ったよ。岡持ちから出てきたラーメンを見た兄さんは、怪訝そうに、
「ネギ多めって言ったろ? あのな、俺はネギ多めが好きなんだよ。定価よりもカネ足してもいいからネギ多めにしろ」って言った。
 そう言われた瞬間、俺は兄さんの担当になろうと思ったね。
 その日から、ホストクラブ・Sの出前の電話は、俺が全部持って行くと決めた。
 何日かして兄さんから、またラーメン注文が入った。
 よし! 任せてくれ、俺が担当だ。
 これからホストで接客するのにそんなにネギ食って大丈夫? ってくらいごっそりと入れてやったよ。兄さんは出前を持ってきた俺の顔を見て、
「また、おまえか。どうせ少ないんだろ?」
 みたいな目をしてたけど、ラップ越しの山盛りネギを見たらご満悦。それから兄さんは俺に毎回、“お駄賃”をくれるようになったんだよ。
 この「カネ足してもいいから」というホストの兄さんのフレーズ。ずっと頭の片隅に残っちゃってね。気付いたら俺も言うようになってたよ。
「その酎ハイ、おカネ足してもいいから、350円を400円にしてもいいからをちょっと硬め(濃く)にしてくれ!」とかさ。
 こういうやりとりはチェーン店ではできないんだよな。
 
チェーン店嫌いを決定付けた対応

#つゆだく
 ある年の大みそか、さいたまスーパーアリーナで行われる格闘技イベントをプライベートで息子と見に行った。
 この日はとにかく寒くてね。腹も減ったし、会場の近くに吉野家があったから、景気付けに牛皿でビールを飲もうと思ったんだよ。
「牛皿、つゆだくで。特につゆだくだくで頼むぜ!」ってと注文したんだよ。
 バイトの姉ちゃんは冷静に
「つゆだくですね」
「いや、つゆだくだくで」
「つゆだくはありますけど、つゆだくだくはありません!」
 ピシャっと、マニュアル通りに言われちゃったんだよ。
 まいっちゃうよね。
 そんなのノリじゃない。何も本当に“だくだく”じゃなくたっていいんだからさ。この時のガックリ感ったらなかったなぁ。
「わかりました、だくだくですね!」で構わないの。
「熱々のちょうだい!」と変わらないんだからさ。
 それ以来、元々嫌いだったチェーン店には行かなくなったな。
 もしも、あの姉ちゃんが同じ外食産業、吉野家じゃなくて、家族経営の住宅街にある町中華のバイトを一度でも経験していたら対応は違ったと思うよ。
「ねぇちゃん、つゆだくだくにしてよ」
「あいよ!」
その「あいよ!」があるかどうかが重要なんだ。
 それをなくしてしまったら世の中おしまいだぜ、ってこと。この本を読んでる皆さんならわかってくれると思う。ほんの一瞬のやり取りだけどね。
 高校時代にやった町中華でのバイトは本当に楽しかった。1年強という短い期間だったけど、歌舞伎町で働く人たちのエネルギーになれてよかったし、こうしてあの頃の思い出話ができたわけだから。
 いまだに街で出前のスーパーカブを見かけたり、出前をやってる町中華にお邪魔するときは、尊敬の念と若かりし頃の思い出で胸がキュンとなるもんね。
 町中華に通う理由は何か。もちろん、“町中華の味”は好きなんだけど、“町中華の空間”が好きなのかもしれない。
 チェーン店しか入ったことない若い奴だって行けばわかるさ。
 せっかくラーメンや餃子を食べるんだったら、“人情も味のうち”のお店で食べたいよな。
 
ワクワクする町中華の出前

#ビョーンとやたら伸びる町中華のラップ
 町中華の楽しみの一つに出前がある。何より店の味が家で楽しめることの喜びだよな。
 例えば昼に出前したとする。で、夜用にもう一品余計に取っちゃうんだよなぁ。メニュー豊富な町中華は二食続いたところで全然飽きやしない。何より夕飯の心配しなくていいんだからさ。最高だよ。
 多めに頼んだ場合、お皿の返却も考えると、店の皿から自前の皿に移す作業もあるなぁ。たまにレンゲを返すの忘れて、次頼んだ時に2個返したりしてさ。
 店屋物の料理を“あとで温めて食べる”ってのは、贅沢だな。そりゃ、コンビニの総菜や弁当を温め直すのとは気分的に全然違うよ。
「今日は店屋物にしましょうか」
 おふくろが何らかの理由でご飯を作ることがキツかった時に頼んでたね。
 決まって多めに取ってくれた。出前一つで家族の気分が上がったもんだよ。
 今だと“ウーバーイーツ”なのかな。それだっていいの。うまいんだけど、紙の皿やプラカップに入れられた餃子やチャーハンを見ると、「えー」ってなるんだ。やっぱり、食べ物は見た目が大事。店名が入った丼や餃子の皿、割り箸が入ったオリジナルの箸入れ、そして丼にかぶせる業務用のやたら伸びるラップとかさ。
“三大店屋物”と言えば中華・日本そば・寿司だったんだけど、そこに割って入ったのが宅配ピザだね。映画「E.T.」(1982年)がいけなかった。冒頭に宅配ピザを頼むシーンがあるんだけど、日本中の人たちが「出前でピザが来るの?」とカルチャーショックを受けちゃったわけよ。
 当時はオシャレに見えたし、何といっても「30分以内に配達しないと無料」というルールにやられた。出前にゲーム性を持ち込んだことは衝撃だったよ。 
 でもね、ピザ自体がどうこうじゃなくて、宅配ピザのほとんどが、チェーン店だからしっくりこないんだな。町のピザ屋さんが焼き立てを持ってきてくれるんなら、全然アリだと思うんだけどね。
 結局、店でも食べたいんだよ。実店舗もあっての出前。それに尽きる。町中華の場合、普段は家族で行って食べるけど、忙しかったりして仕方なく出前を取るわけ。
 持ってきてくれるのはマスターやおかみさん、厨房で働いてるお兄さんであってさ。出前を取るってことは、「よそで食べてない。裏切ってねえぞ」ということを証明する意味もあるんだよ。繋がってるの。ピザの宅配やウーバーは持ってくる人、誰だかわかんないじゃん。
 自宅で店と同じ器で食べるって行為、実は“贅沢”だったんだよね。店名が消えかけた年季の入った器がいい味出してんの。地域のいろんな家族の会話を聞いて、あるいは孤食を見てきたんだろうなって。端がちょっと欠けてたりしてさ。
 店と同じ器を使う出前は10年後、いや5年後には確実になくなると思うな。そのうちピザの宅配やウーバーはドローンで持ってくるんじゃないの。
 町中華を語ることは、食文化を掘り起こす作業なのかもしれないね。

マスター自身がダシの店

#某つけ麺チェーンの創業者
 行きつけの店のマスターから、「玉ちゃん、今何してんのー」って電話で呼び出されることがしょっちゅうある。そうなると「食べに向かってる」なのか、それとも「マスターに会いに向かってる」なのか、わからなくなることもある。まあその両方かもね。
 そんな俺の行きつけの町中華を紹介するよ。
 東京・杉並、環八通り沿いにある「凛」。西武新宿線の井荻駅とJR荻窪駅との間に位置したお店。交通の便は悪いけど、いつ行ってもお客さんはいっぱいだ。
 大将からはよく電話かかってくる。大将というか俺は会長と呼んでるんだけど、仕事がない時は呼ばれたら行ってるね。喋ってるだけで楽しいんだよ。
 会長は若い頃、誰もが知る華やかな世界で将来を期待された第一級の逸材だった。しかし、その世界では期待通りの活躍とはいかず引退。のちに面倒見の良さ、人材育成能力を買われ、若手が住む寮の寮長になった。
 その後、いろいろあって昭和を代表する某つけ麺チェーン店の創始者に。今は凛のオーナーであり、他にも飲食店を展開する経営者だ。
 厨房は働きもんの若手に任せ、会長はホール担当。担々麺、つけそば、焼きそば…凜は何を食べてもうまい。
 あえて一押しを選ぶならパクチー餃子かな。ちなみに餃子は会長が作ってる。
 番組で行ったとき、老夫婦が来てたんだけど、ケンカを始めちゃってね。
 それをニコニコしながら見ていた会長は、
「まあまあ、これでも食べて」ってなだめていた。
 そういったもめ事を収める能力がバツグンにある人でね。俺は会長からここでも書けない“収め上手”なエピソードをいっぱい聞いてるんだけど、それがいちいちしびれるんだ。
 誰彼に話すわけじゃなくて、俺にだけに言うの。機会があれば、世の中の表も裏も知る会長の逸話をどこかで発表したいと思ってるよ。
 会長が歌舞伎町でラーメン店をやっていた頃の話。
「木枯し紋次郎(中村敦夫)いたろ? あれが歌舞伎町でラーメン屋やってて、『紋次郎ラーメン』って店をオープンしたんだよ。名義貸しだったけどね。“紋次郎”だけにラーメンの上に串に刺さった焼き鳥がのってるの。すぐつぶれたな」
 花田虎上のちゃんこ屋、小倉優子の焼き肉屋じゃないけど、「あっしにはかかわりのないことでござんす」といった名義貸しでは長いこと飲食業界ではやっていけないってことだよな。
 町中華の命は“ラーメンスープ”って言うけど、会長からにじみ出てくるエキスこそがラーメンスープなんだよね。
 いちげんさんにはなかなか胸襟を開いて話してくれないだろう。でも、一度食べに行ってほしい。会長のたたずまい見てるだけで“本物”だってわかるよ。
 本当は会長じゃなくて“大王”って呼びたいんだけどね。

 

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