第一章 少佐、青雲の志を抱く
1
「ベーグル屋さんになったんだね、青雲社」
連れのアダっちが、すっと足を止めて言った。
有名なビアレストランの、煉瓦造りの茶色いビルが隣に見える。短い横断歩道を挟んだこちら側に、笹子が以前勤めていた会社はあった。
「この建物、前と一緒?」
きれいな水色の、細いフレームの眼鏡をかけたアダっちに訊かれ、
「さあ。さすがに建て替えてるんじゃないかな」
笹子は自信なく答えた。人通りに気をつけながら、正面からビルをうかがう。
以前は地下鉄の出口からこのビルの前まで、アーケードになっていたはずだった。その屋根がすっかりなくなって、まず印象が違う。
二〇一五年の四月だった。
青雲社は角のビルだったから、場所を間違えることはなかったけれど、建物がそのまま同じかどうかは咄嗟に判断がつかなかった。なにしろ出版社がベーグル店に変わっているのだ。ガラス張りの店舗の中、そちらの様変わりにまず気を取られてしまう。
昔も同じようなガラス張りで、入ってすぐ右手には、会社の受付があった。今は左手の奥に、ベーグルの注文カウンターが見える。
といっても、べつに青雲社が社業を変えたわけではなくて、以前本社だったビルが、今はよそに貸されているということのようだけれども。
「角を曲がったほうに、社員の通用口があって」
そっちも見ると、今と昔との違いがわかるかもしれない。隣のビルとの間の路地へ足を踏み入れ、こっちこっち、と笹子は連れを手招きした。
曲がってみると、ベーグル屋さんのビルは、そっちサイドにもガラスがはめこまれて、だいぶ雰囲気が違う。青雲社のときは壁だった。やっぱり建て替えて新しいビルにしたのだろう。
「そのへんにドアがあって、入るとタイムカードと階段だったの」
先に進み、笹子は指差した。そもそも細長いビルだったから、全体の構造をそう大きく変えられなかったのかもしれない。示したあたりは、オートロック式のおしゃれなものになってはいたけれど、やはりドアが見えた。今ではその奥に、エレベーターがあるのだろうか。
「あ、使ったことがある、そっちの通用口」
以前、編集プロダクションに勤めていたアダっちが思い出したように言った。その頃、定期的に彼女はこのビルへ来て、青雲社の仕事をしていた。
「うん。表のシャッターが下りてる時間は、よその人も通用口使うからね」
ずいぶん古い記憶が、笹子にもよみがえる。いろいろ忘れているものだと感心した。なにしろ、この街を訪れるのは、二十何年ぶりだった。
社員は普段、通用口しか使わないから、隣のビルの地階、名物のスマトラカレーを食べに行くのも、脇のドアを出て、そのまま道を突っ切り、あちらのビルの通用口になっている脇階段を下りて行くのだった。わざわざ正面に回らなくても、そこから地下のスマトラカレー店と、隣の喫茶店に入ることができた。
「いつもあそこから出て、あっちにぴゅーっと走って行くんだった」
一方通行の車が、パーキングメーターの脇スペースを、ようやく通り抜けて行けるくらいの幅の道だ。そこを左から右へ、指先で横切るように示す。「こっちのドアから出て、あそこの階段を下りて行くの」
「それ、ビルとビルのあいだをネズミが走って行くみたいじゃん」
アダっちが笑う。
「うん。そんな感じ。飲み屋街とかで見るよね」
笹子も自分なりに、イメージして笑った。「今でも入れるのかな」
いよいよ実際に道を横切り、隣のビルの通用口へ向かった。
地下へつづく階段は、煉瓦の壁に囲まれ、ほの暗く、幅は一メートルもない。
2
少佐、こと小笹一夫が東京神田J保町にある出版社、青雲社で働きはじめたのは一九八五年の春のことだった。
茨城県の筑波研究学園都市で、「科学万博」が開かれた年だ。
コスモ星丸という名の、青く、まんまる目で坊主頭に触角二本、両手を広げ、土星の環のようなリングに身を通したマスコットキャラクターが、わたし~星丸~、とテレビのCMで繰り返し歌っていた。
わたし~星丸~。
あなた友だち~。
万博のキャラクターとして、コスモ星丸が世間の子供たちにどれくらい好かれ、人気があったかは、当時もう子供ではなく、身近に子供もいなかった小笹は知らない。ただ、行きたいなあ、つくば博、とCMを見るたび思いながら、三月中はスケジュールの調整がうまくつかず、四月からは、もう社会人見習いとして働きはじめていた。
青い雲、と書いて青雲。
青雲社。
それは君が見た光。
僕が見た希望……。
会社名を人に教えれば、こちらもまた結構な確率で、お線香「青雲」のテレビCMの話題になってしまうのだったけれど、とりあえずそのお線香の会社とは無縁だった。そもそも「青雲」を作っている会社の名前は、日本香堂だった。
なのに大学の卒業前、友人たちに働き先を伝えると、
「え、小笹くん、お線香つくるの?」
とまで訊く者が案外いたことには驚いた。出版、と最初に説明しているのに、よほど人の話を聞いていないか、それとも理解の範囲外にあることなのか。逆に、自分のコミュニケーション能力に、なにか重大な欠陥があるのか。
「違うよ、出版社」
とそのたび小笹は素早く首を横に振って答えるのだったけれど、次に多くの者が連想し、口にしたのは野球漫画『巨人の星』の主人公、星飛雄馬が通った高校の名前だった。こちらは漫画の連載終了は一昔以上前だったけれど、TVアニメが繰り返し放送されていたから話が熱い。へそ打法がどうとか、伴宙太の父・伴大造襲撃事件がどうとか、入試の面接がどうだとか、話題がそのまま星飛雄馬のほうに逸れて、しばらく戻らないこともあった。
つまり、それくらいみんなの心に、星飛雄馬とその「青雲」高校時代、そしてお線香の「青雲」とそのCM曲(と丁稚の「さだきち」)が深く刻まれていると小笹はあらためて知ることになるのだったけれど、一方で肝心の青雲社については、みんなほとんどなにも知らないということもよくわかった。
「へええ、青雲社に」
「素敵、青雲社」
「なるほど、青雲社ときたか」
といった大袈裟な反応がないことは、はじめから予想できたけれど、
「ああ、青雲社ね。名前は知ってる」
「うん。なんか聞いたことある」
とシンプルに答える者さえ、滅多にはいなかった。
当時で創業から二十五年ほど。社員数八十余人というのは、出版社として決して小さいほうではなかったはずだけれど、主な出版物が実用書と暴露本、実話雑誌と青年漫画雑誌だったから、まだ年の若い世代には、社名を知る機会の少ない出版社だったのだろう。
実際、小笹自身も人の紹介を受けるまでは、発行している漫画雑誌「週刊大人漫画クラブ」の名前と、あとはテレビタレントが執筆して話題になった何冊かの本のタイトルを耳にした記憶があるくらいで、どちらもその版元が「青雲社」だとは知らなかったし、正直なところ、社名にも聞き覚えがなかった。
「青雲の志を抱く、っていうわけですね」
そんな気の利いた感想をくれたのは、中学からの友人で、一足早く社会人になった池田進だった。
池田とは中学、高校と同じ漫画サークルで、一緒に夏合宿なんかにも行った。繊細なタッチで美少年たちがきゃっきゃっ、きゃっきゃっと水浴びするような絵を描くのが得意だった彼は、真面目に国立大の法学部を出て、半導体を作る会社の法務部に勤めていた。
一方、小笹のほうは大学へ進むのに一年遅れ、マスコミ志望だったけれど就職もなかなか決まらず、知り合いを頼って青雲社漫画編集部の契約社員として一年働いてみることに決まったところだった。
そんな小笹のため、池田進と古くからの友人たちが、わざわざ就職祝いの会を開いてくれたのだった。
新宿にある、こぢんまりしたロシア料理店でだった。どんな理由かは知らないが、池田進は昔から、薄暗くてテーブルの小さな店が好きなのだ。
「でも……少佐につとまりますかね、編集者。こう言っちゃ悪いですけど、気が利かないのに」
目が大きく、首の長い池田は、ズブロッカの小さなグラスに口をつけると、少し悪戯っぽく、からかうように言った。
小笹を少佐と呼ぶのは、この古い集まりだけだった。
人気少女漫画に出てくる「少佐」というキャラクターに、顎の張った顔立ちとセミロングの髪型、肩幅のひろい体格までがよく似ていると、高校生のころに誰かが言い出して以来のあだ名だった。
「でも、面接してくれた編集長は、向いていそうだって」
小笹は弱々しく言った。ふだんぼんやりして気が利かないのは、確かに池田の言うとおりだったけれど、面接では精いっぱいにこにこしていたら、
「お、君はあんまりプライド高くなさそうだな。向いてるよ」
早口の編集長にいきなりほめられたのだった。
紹介でほぼ働かせてもらうと決まっての面接だったから、相手も気軽に言っただけかもしれないけれど、正規の就職活動で無残に全敗してからのほめ言葉は、どんなにささいなものでもありがたく、小笹の胸にしみた。
「人手はいくらでもほしいんで、どうぞよろしく。あ、これ新しい号」
編集長が一冊くれたのは、永井豪のスペクタクル巨編、『バイオレンスジャック』が巻頭に載っている号だった。
以前少年誌で連載していたその作品が、青年誌で継続しているのはファンたちにとって大きなことで、大学で「青雲社」の名前を知っていた数人は、全員、永井豪ファンで雑誌とコミックスの両方を買っている者たちだった。
「いいなあ、少佐。永井豪の載ってる雑誌だろ」
と、その日の集まりでも話題になり、中学、高校、大学、計十年間漫画サークルに所属していた小笹は、自分自身は少女漫画を読むことのほうがずっと多かったけれど、素直に嬉しく、誇らしかった。もちろん小笹だって、『ハレンチ学園』のハレンチ大戦争や『デビルマン』のラストシーンには魂を震わせた世代だし、『おいら女蛮』や『イヤハヤ南友』、「週刊マーガレット」掲載のエロマンチックコメディ「ドキドキどしん!」などの作品も、可愛くて大好きだった。
「パーラー青雲とは関係ない? パチンコ屋のパーラー青雲。あるじゃん、駿台から下りて行ったほうに」
昔、御茶ノ水の予備校に行くついでに、そのパチンコ店をよく利用したという友だちが聞いてきたので、
「さあ。関係ないんじゃないかな」
と小笹は答えた。お線香、星飛雄馬につづいて、今度はパチンコ屋さんか。
いっぱいあるな、青雲、と半分笑いながらだったけれど、やがて働きはじめて知ったところによれば、それは完全に小笹の間違い、不勉強だった。
もともと青雲社を興した人物が、同じ街で開業したパチンコ店がパーラー青雲だった。すでに創業者が亡くなって、経営権がべつべつに移譲されていたのと、場所が少し離れていたせいで気づかなかったけれど、数年前までの社員ならもちろん全員が知っている話だったし、両方のビルを写真に撮って並べてみれば、鑑定の素人でもはっきりとわかる。
青雲社とパーラー青雲。
どちらの建物の壁面にも、明らかに同じ筆跡をもとにデザインされたロゴ看板が(青雲社は縦に、パーラー青雲は横にだったが)どんどんどん、どんどんどんどんどんどん、とひと文字ずつ、貼り付けるように飾られている。その筆跡こそは、先代オーナー社長、つまり創業者の手によるものということだった。
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