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 なつかしいスマトラカレー店は、以前のまま、同じ場所にあった。
 隣の喫茶店は、チェーンの洋食屋さんに変わっていたけれど、カレー店のほうは、対面のベンチシートやウッディなテーブル、さっぱりした内装もほとんど変わりなく見える。
 意外にも中に入るのがはじめてだという連れのアダっちが、奥まったテーブルに着くと、海老カレーと焼きリンゴを注文し、笹子は昔よく食べた、ポークカレーと小さなサラダを頼んだ。メニューにも特段変わりはなさそうだった。
 ただ、当時もうずいぶん高齢だった、品のよい、いつも背筋のぴんと伸びた店主の姿はなく、かわりにその頃は店主を手伝うポジションにいたと思う男性が(息子さんだろうか)、午後のいた時間帯にしては、いくらか気ぜわしげな様子で立ち働いている。
 薄めでやさしい、独特な味わいのポタージュスープとサラダが運ばれ、ほどなく銀の舟にたっぷり入った焦げ茶色のルーと、白いお皿に平たく盛られたライスが、笹子とアダっち、それぞれの前に届く。早く口に運びたいのをこらえて、テーブル据え置きのポットから、らっきょうと福神漬けをせっせとライスの脇に盛ると、せっかくなので写メに撮って、笹子は昔の同僚、えっちゃんに送った。

 笹子がこの街を訪れるのは、正確に数えれば……二十二年ぶりだった。
 もっとも、車で通りかかったことなら何度もあったし、それどころかつい一年半ほど前には、友人の編集者、通称ハラトモちゃんに連れられ、タクシーでいきなり街中にある中華料理店に運ばれてどきどきした。
 つまり二十二年ぶり、とはとても言えない、と判断するのが妥当なところなのだろうけれど、それでも一応、車で通りかかるのは地面に足がついていないのでセーフ。
 ハラトモちゃんの件も、ふたりきりではなく同行者があり、それも仕事の流れだったから、タクシーの中で目的地がわかっても咄嗟に拒絶するのは難しかったし、
「どういうこと? 私、この街は嫌だって前に言ったよね」
 と、現地に着いてからひとり駄々をこねるのもさすがに大人げない。案内された中華のお店自体はまだ新しく、なんの馴染みも思い入れも恨みもなかったから、まあいいわと食事を済ませ(料理は美味しかった)、場のマイナスの空気にのまれないよう、お手洗いで口紅を引き直すと、素早く街を離れてノーカウントにした。
 自分の心の中で。
 そんな葛藤や経緯もあっての、二十二年ぶりだった。
 笹子は今、物書きをしている。
 その職業からすれば、せめて二十二年間、「自分からは」一度も足を踏み入れなかった、等と正しく言い添えておいたほうがいいかもしれないけれども。
 ともあれ二十二年前まで、笹子はここ、J保町にある出版社に勤めていた。
 そしてクビになった。

「ひー。辛かった」
 カレー屋さんを出ると、アダっちがあらためて言った。
 古い付き合いながら忘れていたけれど、アダっちは辛いものがよほど苦手だったらしい。カレーを食べているあいだ中、ずっとひーひー、ひーひー言っていて、あんまり世間話をしなかった。
 シナモンのきいた焼きリンゴをシェアしながら、ようやくそのあとの予定を決め、とりあえず街をぶらつくことにしてお店を出たのだった。
「青雲社、何階建てだった?」
 ベーグル屋さんのほうを見て、アダっちが訊く。
「六階……七階かな」
 笹子は思い出して言った。
 一、二、三……アダっちが今のビルを、一階から順に数えていく。



 その頃、青雲社のビルはおんぼろで、あまり広くないワンフロアの七階建てに、エレベーターはなかった。
 一階が受付と小さな応接スペース。二階が社長室。三階が販売と業務。四階が経理と総務。
 五階に漫画雑誌の編集部があり、六階が広告宣伝部と更衣室。七階は資料や書籍を置く倉庫として使われていた。
 身分は契約社員だったけれど、新卒の小笹は入社後の一週間ほど、一応、新人研修のようなものを受けた。社長室で社長と専務の話を聞き、業務の人と印刷所に行き、販売の社員と取次会社や書店をまわる。
 J保町から少し遠く、北区赤羽には自社の倉庫と管理部があったから、その倉庫にも手伝いに行った。
「下に車が迎えに来るから、それに乗って行ってくださいな。今日はそこで終わっていいですから」
 ぎろっとした上目遣いが特徴的な総務部長の指示通り、小笹が昼食後、一階の応接スペースで車(というのは赤帽の軽トラックだった)の到着を待っていると、ずいぶん大きな原稿袋をかかえた女子が、隣のブースに案内されるのが見えた。
 黒縁めがねをかけ、緑色のブルゾンを着て、平べったい、外国のランドセルみたいな、黄色いスクエアバッグを背負っていた。
 つづいて編集部員なのだろう、三十代後半くらいの、ざっくりした白いセーターを着た地味な顔立ちの男性が現れると、片手を上げ、親しげな挨拶をしながらそちらの席へ行く。ぼそぼそ、ぼそぼそ、と男の人がなにかを言い、ぎゃはっはっ、と大きく笑う女の子の声が聞こえた。
「しっ。君は声が高いよ」
 男の人の声がたしなめている。君、ではなくて、チミ、と言ったかもしれない。
「すみませーん」
 と応じる声が聞こえ、しばらく静かになったかと思うと、また、ぎゃははは、と長く笑った。
「だから声が高いって」
「すみませーん」
 というやり取りも仕事のうちなのだろうか。ずいぶん楽しそうな会社だな、と小笹はあらためて思い、原稿袋をかかえた女の子の、黄色いバッグがおしゃれだったなと考えていた。

 ざっくりしたセーターを着た編集者は、漫画編集部の西にしさんという人だとほどなくわかった。
 研修を終えた小笹が編集部に配属されると、すぐにあれこれ質問してきたのだった。出身はどこだとか、学校はどこだとか、家族構成はどんなだとか。恋人は趣味は旅行は。車は靴は時計は。洋服はお酒はギャンブルは、などなど。本当のところどこまで知りたいのかはべつとして、ぽんぽんと矢継ぎ早に訊く。一応、相手が質問に答えるまではあきらめないタイプみたいだった。
 つまり、ちょっとしつこい。新人ということで小笹は何度かそういう質問攻めにあって、正直に言うと、この時期は西田さんを少し苦手に思っていた。

 青雲社は今まさに大きくなりつつある会社だったのだろうか。
 同じ本社ビルに全部の部署は入りきらず、実話雑誌と書籍の編集部は、近くの雑居ビルに間借りしていた。
 さらに写真部とスタジオが、徒歩二、三分の別棟にある。タコ足のように伸びる会社、と評している社員もいた。
 仕事の合間にふらりと歩けば、J保町はやはり本の街だった。
 特に大通りを挟んで、青雲社の向かい側には、多くの書店、古書店が立ち並ぶ。そちら側にある高岡たかおか書店という漫画専門店を見て、小笹は昔を懐かしく思い出した。
 他の雑誌のことはよく知らなかったけれど、以前は「別冊マーガレット」のフライング発売をしていた。小笹は御茶ノ水の予備校に通っていた十八歳の頃、毎月そのフライング発売日になると、エサを求めて人里を訪れる熊のように坂を下りて、高岡書店に立ち寄り、分厚い月刊少女漫画雑誌を胸に抱えて、J保町から帰っていたのだった。
 くらもちふさこが『いつもポケットにショパン』を連載していた頃の別マだった。
 それが小笹にとって、ほぼ最初のJ保町体験だった。
 もっと前、十代前半の、都内の私立中学に通っていた頃には、急に好きになったづかおさの古い単行本、『ライオンブックス』とか『アポロの歌』とか『人間ども集まれ!』とかを求めてせっせと古書店を探し歩いていたのだけれど、そのときは地元沿線に近い、貸本屋くずれのようなお店ばかり当たっていた。そういったお店が、まだ街中にぽつぽつ残っていた時代だった。
 当時一度、クラスの賢そうな男子ふたりが、
「ねえ、キミ。東京で古本屋といえば、やっぱり人形町だね」
「まあ、それはそうだね、あそこが一番多いね」
 なんて気取って話しているのを聞き、ひとりこっそり人形町を訪れたことがある。
 もちろんあとで気づけば、それは人形町ではなくてJ保町の聞き間違い、ということになるのだったけれど、そもそも内向的な性格だった小笹は、なんだ、大したことないな、ここ、と思いながら、誰にも確かめず、人形町界隈を小一時間歩き回って、ようやく見つけた小さな古書店を二、三軒はしごして帰った。
 久しぶりの高岡書店で、小笹はついそんなことも思い出した。
「……なに買ったの、チミ」
 書店を出たところで、声をかけられた。ポロシャツにチルデンセーターを着た、服の趣味がいつもテニスっぽい西田さんだった。「漫画?」
「はい。岩館いわだて真理子まりこの、『しん物語』の二巻です、買いそびれてたんで」
「岩館真理子? へえ。好きなの?」
「はい」
 と、小笹はうなずいた。

 

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