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 あれは、冷たい雨の日でした。可愛いピンクの長靴履いて、綺麗な赤い傘さして。ひらひら黄色いカッパを着た私は、堤防の上を小さなカエルを追いかけながら歩いていました。緑色の小さなカエルはとても綺麗で、楽しそうに、規則正しく歩道の間を跳んでいくのですから、ずっと見ていることが出来ました。
 緑のカエルをしばらく追いかけていると、いつの間にか私も一緒にジャンプをしていました。まるで二人で何かの特訓をしているようだなと思い、私は一人で笑いました。その間もカエルは一生懸命、特訓を重ねていました。きっとこの子は恥ずかしがり屋で、人があまりいない雨の日くらいしか特訓が出来ないんだわ。私は健気に頑張るカエルを応援しました。
 ところが、私の応援は聞こえなかったのか、それとも最初から特訓をしているつもりなんてなかったのか、ある時カエルはぴょんと草むらに跳んでいって、そのままいなくなってしまいました。私は別れを惜しみ、草むらの中に入っていったのですが、いくら長靴が泥だらけになっても、カエルを見つけることは出来ませんでした。
 とても残念な気持ちになりましたが、仕方がありません。草むらをかきわけ、河川敷まで下りてきてしまっていた私は、堤防の上へと戻ることにしました。でも、もしかしたらまた出会えるかもしれないという運命も捨てられず、下りてきた時とは違う道を進みます。
 その道の先で、彼女が私を待っていました。
 彼女は、草むらの中でうずくまっていました。すぐに彼女に気がついた私は、水たまりを蹴飛ばして駆け寄りました。彼女は泥だらけで、所々に赤い色が滲んでいて、何より、尻尾が他の猫の半分くらいしかありませんでした。
 大変だわ。私はそれだけを思いました。どうして彼女がそうなったのか、彼女が誰なのか、そういうことは考えませんでした。
 私は傘を畳み、彼女をそっと抱えて、驚かさないようゆっくり堤防をのぼっていきました。彼女の体の膨らみから、静かな呼吸が伝わってきました。
 私は最初、彼女を家に連れていこうと思いました。しかし帰っても誰もいないことに気がつき、そのアイデアはゴミになってしまいました。一人では、怪我を治すことは出来ません。
 雨粒が顔に当たって冷たい。きっと彼女も寒がっていることでしょう。私は考えます。考えて、私は誰かに助けを求めることにしました。川とは反対側に堤防を下りて、近くにあったクリーム色のアパートに走ります。少し乱暴に私が走っても、腕の中の彼女はまるで動きませんでした。
 アパートの一階、端っこの部屋から順番にチャイムを押していきます。最初の部屋は、誰も出てきませんでした。次も、次も、その次も、五軒目でやっと出てきた女の人は、私を見るなりすぐにドアを閉めてしまいました。私は次々に部屋を訪ねていきました。だけど、留守にしている家がほとんどで、たまにドアを開けてくれる人がいても、話を聞いてくれようとする人はいませんでした。腕の中の彼女は、震えていました。
 二階までしかないアパートの最後の一軒。二階の端の部屋のチャイムを押す時、私の心臓がどんなにか速く動いていたかしれません。小さくなる呼吸のリズムには、自分の腕の中で誰かが消えてしまうかもしれないという怖さがありました。
 中からチャイムの音がして、物音が聞こえ、まずは誰かがいることに安心しました。これまでに訪ねた部屋は、電気がついていても誰もいないというところがいくつかあったからです。
 足音は少しずつ玄関のドアの方に近づいてきて、鍵が開けられた音がして、ノブが回され、ついにドアが開くと同時に、私は叫んでいました。
「この子を助けて!」
 中から出てきた綺麗なお姉さんはびっくりした顔で数秒。その顔のまま私と腕の中の彼女を見比べました。私はお姉さんの目をじっと見ました。話をする時は人の目を見なくてはならないと、ひとみ先生に教わっていたからです。
 するとお姉さんの目は、震える彼女の上で止まった後、これまで訪ねたどの部屋の人もしてくれなかったことをしてくれました。
 私の目を、ちゃんと見てくれたのです。
「ちょっと待ってて」
 お姉さんは一度部屋の奥まで行って、タオルを持ってすぐに戻ってきてくれました。そして私の手から小さな命を受け取ると、タオルにくるんで部屋の奥につれていきました。
「お嬢ちゃんもカッパと靴脱いで中に入りな」
 とても優しい声で言われたので、私はほっとしてその場で眠ってしまいそうだったのですが、先にお礼を言わなくてはなりません。この優しいお姉さんの名前はなんていうんだろう、そう思っていた私の目に、ドアのすぐ横にある表札が映りました。
 私は、そこに黒マジックで乱暴に書かれた文字を読みました。
「アバズレ、さん?」
 とても不思議な、まるで日本人じゃないみたいな名前。もしかしたら外国の人なのかしら、そうは見えないけど。私は首をかくんと傾げました。
「ほら、怖くないから早く入っておいで」
 私はお姉さんに呼ばれ、結局お礼を言う前にお風呂に押し込まれ、いつの間にかシャワーを浴びていました。お風呂場から出ると、私の濡れていた服の代わりに大人用のパジャマが用意されていて、柔らかいそれを着させてもらうことにしました。
 お姉さんは、尻尾のちぎれた彼女に包帯を巻いてあげていました。邪魔をしないよう、私はじっとお姉さんの手を見ていました。
 お姉さんの治療が終わって、やっとお礼を言うことが出来ました。
「本当にありがとう」
「いいんだ。お嬢ちゃんの服は洗濯機で乾燥させてるから、乾くまでいたらいい」
「うん。えっと、アバズレ、さん?」
 私が名前を呼ぶと、お姉さんはきょとんとしました。どうして私がお姉さんの名前を知っているのかと、びっくりしたのでしょう。
「表の表札に書いてあったわ。アバズレさん、でいいのよね?」
「私の名前?」
「ええ」
 私が頷いてすぐ、アバズレさんはわっはっはっはと大笑いしました。それがどういう意味の笑いなのか、私にはとんと分かりませんでした。でも、楽しそうなのはいいことなので、私も一緒に笑うことにしました。
「あっはは、あー、うん、それでいいよ。それが私の名前だ」
「外国の人なの?」
「いいや、日本人だよ」
「へぇ、珍しい名前ね」
 私が感心していると、アバズレさんはまた笑いました。
「そうだ、アバズレさん。この子を助けてくれたお礼に表札の文字を書きなおしてあげるわ。あの字、失礼かもしれないけど、あまり上手とは言えないわね。私の字、とても綺麗なのよ」
 私はそう提案したのだけれど、アバズレさんは首を優しく横に振りました。
「んー、せっかくだけどお嬢ちゃんに書いてもらうほどのものじゃないんだ。自分で書いたわけでもないしね」
「へぇ、あれは誰が書いたの?」
 アバズレさんは、今度はうっすらと笑いながら、こう言いました。
「さあ、誰だったか忘れたよ」
 こんなことがあって、私とアバズレさんと尻尾のちぎれたあの子は仲良くなりました。
 ひとみ先生は私に友達がいないと思っているみたいだけれど、私には立派な友達がいます。
 オセロをする友達も、一緒にお散歩をする友達も。
 そして、本のお話をする友達もちゃんといます。
 だから私は、学校に友達がいなくても、お父さんとお母さんが忙しくて全然遊んでくれなくても、寂しくなんてないのです。

 

『また、同じ夢を見ていた』は全4回で連日公開予定