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9 三日目 昼(承前)

 ヴィラに戻り、ふたりはまっすぐにミアの部屋をたずねた。出てきた彼女に新藤の死を告げると、ミアは衝撃に目を潤ませた。
「そんな……では田中さんは、他の食べ物にも毒を……」
「ああ」後藤はうなずいた。
「もう、水以外には口をつけないほうがいい。水のボトルも、これまで以上に慎重にチェックして」
 ミアはこくんとうなずきを返した。まつ毛の先に、小さな涙の粒が光る。
「それから……、桃木さんを探しに行こう」
「桃木さん? そっか……彼女にも教えないとね。なにも口にしないよう伝えなきゃ」
「ああ、そうだね」
 三人で再び外に出た。午前中に桃木を見かけた湖の方へと足を向ける。
 三人とも、口数は少なかった。ミアは新藤の死について思いを馳せ、桃木の身を案じているのだろう。天羽はきっと、先ほどのドームの前でのやり取りについてまだ考えている。
 自分はなにを考えている? と後藤は自問した。
 もちろん、桃木のことだ。彼女を捕え、拘束すること。桃木が犯人であることは今となっては間違いないのだから。そういえば桃木は大きなハサミを持っていた——。
 後藤はベルトの左側に手を伸ばして、フルーツナイフがまだきちんとそこにあることを確認する。
「彼女と会ったのは、確かこのあたりだった」
 礼拝堂へと続く小道の上に立ち、後藤は言った。三人はぐるりと周囲を見渡した。人の姿はない。しかし、天羽が茂みの中に何かを見つけて指さした。
「ここ、花が切られてます。そっちも」
 天羽の指し示す先、豊かな葉の生い茂る真っすぐに伸びた茎の先端が、ぷつりと不自然に途切れているのを見つけた。明らかに、鋭い刃物による切り口だ。
「桃木さん、お花を集めていたんでしたね」ミアがつぶやく。「増田さんのために……」
「彼女は自分のためとも言っていました」
 天羽はミアの方を見て言った。
「自分が死んだときには、たくさんの花に囲まれたいから、と」
「そんな……」
 ミアは痛ましい表情を浮かべる。
「そんなことにはなりません。もうこれ以上、田中さんの好きにはさせない」
 天羽は答えなかった。花を失って尖る針のような茎を辿って、湖のほうへと分け入っていく。
「桃木さん!」
 後藤が声を張り上げる。
「桃木さん! どこですか!」
 やがて三人は湖のほとりに出た。水の匂いがむせかえるほどに濃い。靴のつま先がぬかるんだ泥にすべる。
「あれはなんでしょう?」
 最初に、ミアが見つけた。彼女の指す方に目を凝らすと、木製の小さなボートが一隻、岸辺の茂みに頭を突っ込むように止まっているのがわかった。白い塗装が剥げかけている。遊覧用の手漕ぎボートだ。
 塙殺害の際、礼拝堂へ続く足跡はひとりぶんしか残されていなかった。犯人はボートを使ったのではないか、と話していたことを思い出す。あれがそのボートだろう。
 先頭を行く天羽がそちらに足を向けた。足元のぬかるみをものともせずに進んでいく。後藤は泥に足を取られ、やや歩みが遅れた。白い華奢な靴を履いているミアとはさらに距離が開く。後藤は立ち止まって、彼女が追い付くのを待とうとした。
「ああ」
 天羽が声を上げた。驚きとも感嘆とも、深いため息とも取れる声だった。
 彼はボートへと歩み寄る。
 後藤も数歩、先へ進んだ。
 視界を遮っていた太い木に手を突いて、湖のほうに顔を出す。数メートル先のボートの縁から、白い足の膝下が投げ出されるように伸びているのが見て取れた。青いサンダルを履いたつま先が、湖面にわずかに触れている。その細いストラップに覚えがあった。桃木の履いていたものだ。
「ああ」
 ボートの縁に手を突いて、天羽が再び息を吐いた。桃木の膝から上は、ボートの中にあって後藤の位置からは見えない。それでも、容易に想像がついた。桃木がボートの上で、優雅にうたた寝を楽しんでいるわけではないことは。
「後藤さん」
 天羽はボートをのぞき込んでいた顔を上げて、まっすぐ後藤を見た。縁に突いた手にぐっと力を込め、ボートを大きく傾けた。その中身が明らかになる。
 花がひとつ、湖面にこぼれた。
 小さな白い花だ。
 ボートの中は、桃木が自身の手で集めたと思われる花で満ちていた。
 彼女がいつか広告の撮影をしたという色とりどりの花と比べれば、即席で集めた野の花は鮮やかさには劣るだろう。しかし、その上に横たわる桃木自身が、ひときわ鮮烈な色彩を放っていた。大量に流れ出した血はまだ酸素を失っておらず、鮮やかな赤い色を保っている。
 血の出どころは、ひと目で分かった。
 桃木の右側頭部。
 耳の横から顔を二つに割るようにして、斧が深々と突き刺さっている。
 水の抵抗を受け、ボートは天羽が傾けたのとは反対方向に大きく揺れた。水面から跳ね上がった桃木のつま先が、水滴を空へ高く飛ばした。ゆらゆらと揺れ続けるボートのへりに隠れ、桃木の顔はもう見えなくなった。彼女が視界に入っていたのは、ほんの数秒のことだ。それでも後藤の脳裏には、顔を割られた桃木の目が投げかけてきた、虚ろな視線が鮮明に残った。
「桃木さんも死んだ」
 天羽が言った。
「これ、たぶん塙さんの首を切った斧ですよね。俺らが探しても、見つからなかった。海にでも捨てられたものと思っていたけれど」
 柄の長さが五十センチほどの、扱いやすそうな斧だった。片手でも易々と振るえそうな——。
 ガサっと音がして、後藤は背後を振り返った。後藤から数メートルのところに立ったミアが、近くの木にすがりつくようにして、膝から地面に崩れ落ちる。目を見開き、こぼれた涙が頬を伝う。「ひどい」という彼女のつぶやきが、風に乗ってかすかに聞こえた。
「田中さんは、桃木さんまで……」
「葛西さん」
 天羽は言った。
 その声色を聞いて、後藤は天羽がなにを告げようとしているのか、直感的に理解した。制止しようと息を吸い込んだときには、もう天羽は次の言葉を言い終えていた。
「田中さんはいません」
「え?」
「田中さんは存在しません。すみません」
「天羽先生、なにを——」
「この島にはもう、俺ら三人しかいないんです」
 ひときわ強い風が湖を渡り、木々を揺らした。立ちすくむ三人の間を吹き抜けた後、三人しかいない、という天羽の言葉を肯定するように、唐突な静寂が訪れた。
「俺は犯人じゃない」
 天羽は続けた。
「自分でそれはよくわかっています。それから、後藤さんも犯人じゃない。野々村さん殺害時の確かなアリバイがあるし……それに、先輩がそういうひとじゃないっていうのは、俺はよく知ってます。大学時代から、もう十年以上の付き合いになるわけだから」
「お二人が犯人じゃないというのは、私にもわかっています」
 ミアが答えた。
「だから、犯人は田中さんなんです。彼でしかありえない。そうですよね? 野々村さん殺害時のアリバイなら、私にもあります。なのにどうしてそんなことをおっしゃるんですか? 田中さんがいないなんて……」
 後藤は自分を挟んで話すふたりを交互に見やった。この話がどこに向かうのか考えながら、頭の中では天羽の言葉を反芻していた。もう三人しかいない——。
「葛西さん、すみません。俺が嘘をついていたんです」
 天羽は言った。
「今回のクラファンで、最高額返礼品のこのツアーに対する申し込みが、定員に達しなかったんです。それじゃあ恰好がつかないと思って、寄付者をひとり、自分で勝手にでっち上げた。それが田中さんです。田中さんはこの島に来ていないというだけじゃなくて、最初から存在すらしない人間なんですよ」
 後藤はミアを見た。嘘をついていた、という言葉を聞いても、大きな反応は見せなかった。ただ彼女は、いつもの射るように真っすぐな瞳を天羽に向けていた。「それから」と彼は続ける。
「野々村さん殺害時の葛西さんのアリバイは、もう崩れています」
 天羽は先ほど、新藤の死体を発見したドームの前で語ったのと同じことをミアに告げた。花を集める桃木を見て、野々村も自ら花を集めていたのではないかと気づいたこと。
「それから、金子先輩が殺された現場——金子先輩の部屋の中にも、花が落ちていました。室内に花を入れるには、マスターキーを使って開錠する必要があったはずです。マスターキーは後藤さんが持っていたと言ってたけど……同室の葛西さんなら、眠っている後藤さんのポケットから鍵を取り出すことだって不可能じゃなかった」
 風に乱れる髪を押さえて、天羽は続ける。
「あとはそう……俺たちが先ほどドームまで新藤さんの様子を見に行っていた時間、葛西さんはひとりきりになりました。この湖まで桃木さんを探しに来て、ヴィラまで戻る余裕は充分にあった」
 そこで言葉を切った天羽はボートの中にちらりと視線を落とし、「もうここには、俺たち三人しかいません」と繰り返した。
「俺は……葛西さんを疑っています」
「天羽先生……そんな、私」
「あなたはいいひとです。本当に、とてもいいひとだと思う。でもだからこそ、周りが汚く見えてしまったんじゃないですか? あなたが話していた、田中さんの動機そのままに……あなたは田中さんの行動を非難することはあっても、その動機の根本のところには、ずっと理解を示していました」
「いいえ! 私は、そんな」
「天羽」
 後藤は口を挟んだ。
 ふたりを再び交互に見た。
 十年来の後輩。
 愛しい恋人。
 共有した思い出は、恐らく天羽の方が多い。
 側にいた時間の密度なら、きっとミアの方が濃い。
 それぞれに厚い情を抱き、自分なりの敬意を持っているつもりだった。
 どちらのことも心から信じていた。
 それでも、もう三人しかいないのだ。
「ミアじゃない」
 後藤は言った。
 どちらも信じ続けることはできない。
「でも、後藤さん」
「ミアじゃないんだよ」
「でも、もうそれしかないじゃないですか。田中さんなんていないって、先輩だって知って——」
 そこで天羽は言葉を切った。はっとした目で後藤を見る。
「もちろん、俺でもない」
「……それってどういうことですか? それってつまり、先輩、まさか俺が」
 後藤は数歩後ろに下がり、茂みの中に膝をついたミアが立ちあがるのに手をかした。それから、「俺も気づいたことがあるんだ」と言った。
「塙さんが殺されたとき……礼拝堂の扉にはぼろぼろのクモの巣が張って、廊下には埃が積もっていた。犯人も塙さんも、どうやって出入りしたのかわからなかった。だから俺らは、そこが事実上の密室だと判断した。未だに解けない謎だと」
「……はい」
「でも、思い出したんだ。十年近く前のことで、すっかり忘れてたけど……。『コブスプレー』」
 その商品名を聞いても、天羽は顔色を変えなかった。ただ、傷ついたような、痛みに耐えるような顔でふたりを見据えている。
「人間には、完璧なクモの巣を作りだすことはできない」
 後藤は続けた。
「でも、壊れてぼろぼろになったクモの巣なら、埃の積もった古いクモの巣のようなものなら、作ることができる。特殊演出用のスプレーで」
 廃墟や屋根裏の場面を演出するための、クモの巣スプレーや埃スプレー。後藤はその存在を、演劇サークルの活動の中で知った。ジュリエットが眠る傍らでロミオが服毒死する最後のシーンで、地下深くの霊廟を演出するため、場面転換の際にそれを大道具に吹きかけた。
「普通のひとは、そんな商品があることも知らないはずだ。演劇関係や、映像関係に属したことのあるひとくらいしか……。ミアはその分野に関わっていたことはない。特殊演出について、俺から話したこともない」
 後藤は腕に体重を預けるミアにちらりと視線を落とした。彼女は混乱したような面持ちで、先ほどまでの後藤のように、話すふたりを交互に見やった。
「それから当然、野々村さんが殺されたときのアリバイがお前にはない。誰より自由に動けたんだ。花を集めたのが野々村さん自身だったっていう話も……野々村さんの指を確認したのはお前だけだ。そう、気になることがあると言って、お前はひとりで出かけて行った。あのとき本当は、屋外キッチンではなく、この湖まで桃木さんを探しに」
「本気で言ってるんですか?」
 天羽は震える声でたずねた。
「俺が犯人だって本気で思ってるんですか? 冗談でしょう? ずっと一緒にやってきた俺より、そのひとを信じるんですか?」
「天羽」
「サークルでも、北原さんのグループでも一緒だったのに。BFHだって、後藤さんから誘ってくれたのに!」
「俺はミアを信じてる」
 天羽はくしゃりと顔を歪めた。今にも泣きだしそうなその表情に、後藤は見覚えがあった。
 天羽が一年生のときのことだ。せっかく抜擢された主役の座を、ヒロイン役のちえみ先輩からの申し出により降ろされたとき。皆の前では「いやほんと俺が悪いです、すみません」とへらへら謝罪していたのに、裏で気心の知れた数人に囲まれると、目に涙をためて声を詰まらせた。大学生にもなって、こんなふうに泣くやつがいるのかと後藤は驚いた。と同時に、どうにも腑に落ちない気持ちにもなった。
 泣くほど悲しいなら、もっとまじめに稽古に取り組んでいたらよかったじゃないか。遅刻したり、うっかり日程を忘れてバイトに行ってしまったりせずに、きちんと責任感を持って頑張っていたらよかったじゃないか。そういう基本的なところをないがしろにしたせいで信用を失ったのだ。後から泣くくらいなら、最初から本気で、与えられた役割に真摯に向き合っていたらよかったじゃないか。
 しかし十年前とは違って、天羽は涙を流さなかった。「俺には動機がないです」と彼は言った。
「天羽は教祖だ」後藤は答えた。
「皆から敬われるうち、自分は特別だと思うようになった。自分だけが真に善意ある人間だと感じるようになった。理想的な信者たりえないと判断したひとたちを、殺していった」
 後藤が短く語った動機は、昨夜新藤が口にしていたものとほとんど同じ予想だったが、それはふたりには知る由もなかった。天羽は苦笑し、「本気で言ってるんですか?」と繰り返した。
「俺がそんなめちゃくちゃにヤバい人間だって、本気で思ってるんですか?」
 後藤は答えなかった。天羽は深く息を吐き、何度か頭を振った後、「わかりました」とつぶやいた。
「わかりました。じゃあもう、しょうがないです」
 天羽はボートの中にさっと両手を伸ばした。
 再びその手が現れたときには、斧の細い柄を握っていた。柄を引くと、刃の部分に刺さったままの桃木の頭部がずるりと持ち上がった。天羽がそれを振りほどこうと斧を揺すると、桃木の顔面からは新たな血がだらだらと漏れ出した。
 後藤はズボンのベルトに手を伸ばし、ナイフを掴むと素早く鞘から抜いた。
「やめて!」
 半ば放心状態にあったミアが叫んだ。
 刃先を天羽に向けながら、斧対フルーツナイフなんて、分が悪いどころの話じゃないなと胸の中で自嘲する。このいつだって調子のいい後輩とは、喧嘩ひとつしたことがなかった。例え素手同士だったとしても、フィジカルでこいつに勝てるとは思えない。それでも自分には、守らなければならないひとがいる。
「ふたりとも、やめてください。こんなの間違っています。私たちのなかに犯人がいるなんて……そんなの嘘。この島には田中さんがいるんですから!」
 後藤は一歩前に出て、田中の存在を信じて疑わないミアを背中に隠した。天羽はうんざりしたように首を振った。
「俺だってこんなの望んでないです。でも、殺されるのは絶対に嫌だから。俺は犯人から自分の身を守りたいだけです」
「こっちだってそうだよ」
 後藤は言った。天羽はまた顔を歪め、しかしやはり泣き出すことはなく、握りしめた斧を持ち上げながら低い声をもらした。「先輩」と、辛そうに呼びかける。
「俺を信じなくてもいいけど、そのひとを信じるのは絶対にやめたほうがいいですよ。そのひとは先輩に隠してることがあるんです」
 ミアがはっとしたように息を呑んだ。
「先輩には言わなかったけど、そのひとは」
「やめて!」
 ミアが叫んだ。
「天羽先生、お願いです。それは言わないで。それは私が、直接」
「直接言うって言ってたから、黙ってました。でも、いつ言うつもりなんですか? 付き合っているひとに隠すなんておかしいですよ。俺なんかに懺悔しないでいられないくらい、後ろめたいことなら」
 ふたりが何の話をしているのか、後藤にも想像がついた。昨日の個人面談の際に交わされた会話のことだろう。「わかっています」とミアは答えた。
「望くん、ごめんなさい。話さなくてはいけないことがあるというのは、その通りなの。私、まだ、自分でもわかっていないことがあって……。でもそれは、ちゃんと私の口から話します。だから天羽先生、お願いです」
 両手を組み、すがるような目を向けたミアに、天羽がぐっと言葉を飲み込むのがわかった。ミアを疑っていると明言しながら、しかし彼女の抱えている隠しごとをぶちまけてしまうことはしない彼に、後藤は苦い感情を覚えた。
「俺は、ミアを信じる」
 後藤は同じ言葉を繰り返した。
 天羽はうなずいて、「じゃあ、どうします? 俺をどっかに閉じ込めとくんですか?」と首をかしげた。
「正直それでも別にいいですよ。そのひと……葛西さんと離れて過ごせるなら」
 少しの間、後藤は考えた。今の天羽に、後藤とミアを積極的に攻撃する意思は本当に無いようだった。二対一とはいえ、ミアは丸腰で、向こうは斧を持っているのだ。これほどの優位にあって仕掛けてこないというのは、そういうことだろう。天羽はミアに罪を着せようとしているのだ。警察に対しても、ミアが犯人だと訴えるつもりでいるのかもしれない。であれば、もう無闇にふたりを襲うような真似はできないはずだ。
「どうせ明日には警察が来ます」
 同じタイミングで同じようなことを考えたらしく、天羽が言った。
「ちゃんと捜査をしてもらったら、誰が犯人かなんて簡単にわかるはずです。だから……明日までおふたりと離れて過ごせるなら、俺はそれでいいです」
「じゃあ……ヴィラに戻ろう」
 後藤は言った。
「各々自分の部屋に鍵をかけて、明日まで過ごせばいい。互いの部屋には近づかないと約束して」
「いえ、それじゃあ金子先輩が殺されたときと同じです」
 今度は天羽がしばし口をつぐんだ。それから「マスターキーを」と呟いた。
「マスターキーを、湖に捨ててください。今ここで。それなら納得します。大人しく部屋にこもって、先輩たちの部屋には絶対に近づきません」
 後藤はその提案について数秒考え、胸ポケットにずっと入れっぱなしにしていた鍵を手に取った。向こうからも見えるよう、まっすぐに腕を伸ばして掲げる。天羽がうなずいたのを確認してから、大きく振りかぶって銀の鍵を湖に投げた。鍵は音もなく湖面に吸い込まれ、穏やかな波紋が涼しげに広がった。
「これでいいだろ」
 天羽はうなずいたものの、斧を手放そうとはしなかった。後藤の方も、フルーツナイフを捨てる気はさらさらなかった。あの手斧ではヴィラの扉は破壊できないだろう、と考える。
 張り詰めた空気は解かれないまま、二組はヴィラへの帰路についた。
 道中で、途方に暮れた様子のミアがつぶやいた。
「——犯人は田中さんなのに」

 

(つづく)