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「……なんだ、この問題は」
 マヒトが隣でぽかんとしている。わたしは言った。
「これはたぶん、水平思考クイズの一種だね」
「水平思考?」
「聞いたことない? ウミガメのスープ」
 ——ある男が、レストランでウミガメのスープを食べた。男はウエイターに確認した。これは間違いなくウミガメのスープか、と。ウエイターは答える、間違いありません、と。その日の晩、男は自殺した。なぜか?
「ああ、聞いたことあるな……でも、情報が少なすぎて特定できないだろ」
「ロジカルシンキングでは導き出せない答えに、さまざまな角度からアイデアを出すことによってたどり着くのが水平思考だよ。それを問題形式にしたのが水平思考クイズで、ウミガメのスープはその中でももっとも有名な問題の一つ」
 正解を教えるのは簡単だが、気になるならあとでネットで調べればいい。いまは目の前の問題に取り組むべきだ。
「普通、水平思考をクイズとしてやる場合には、解答者は《はい》か《いいえ》で答えられる質問を出題者にしながら正解に近づいていくのだけれど……」
 ブロックの側面には、せみ型のロボットが張りついていた。これに質問や解答を吹き込むのだろうか。
「この男は、結婚していますか」
 わたしは言ってみる。蝉の反応はない。
「どうやら、質問に答えてくれるわけではないみたいだな。とりあえず、思いついたことは何でも言っていこう。解答の回数に上限はなさそうだし。よし、『男は心臓発作で死んだ』!」
 マヒトが解答するも、やはり蝉は沈黙を保っている。
「『家族に見捨てられて自殺した』!」
 沈黙。
「『借金を返さずに金を持ち逃げして、借金取りに見つかって海に沈められた』!」
 またしても、沈黙。マヒトは肩をすくめた。
「闇雲に答えてもだめ、か」
「問題文に、必ずヒントはあるはずなんだ。よく考えよう」
 わたしはあらためてモニターを注視する。
「せっかく多額の借金を完済して、手元にお金も残って、これから人生やり直せるってところだったのに、どうして死んじゃったんだろう。男は生きる気力を失ったのかな」
「自殺だったってことか? でも、少なくとも家族が理由じゃなかった」
「見放されたのではなく、家族を突然うしなったとか……でも、そう考えるには問題文に手がかりがなさすぎるよね。質問ができない以上、書いてないことは関係ないと見るべき」
 水平思考クイズは、基本的には意外に聞こえるシチュエーションでありながらも、答えを聞けば納得できるように作られている。ミステリにおける密室トリックの解が〈瞬間移動の超能力〉では読者が憤慨ふんがいするのと同様に、この問題の正解も、聞けばひざを打つようなものであるはずだ。
「男はお金を借りる先を探したり、求職したりといったことは試したんだよね。そこから、死ぬつもりはなかったと読み取れる」
 しゃべりながら考えを整理する。マヒトも同意した。
 病死でなければ自殺か、もしくは殺人か。マヒトは先ほど、この三つの分類をそれぞれ解答として提示したのだ、とわかる。
「殺人の線を検討するなら、借金取りに追われたというのは悪くない考えだよね。でも、すでに否定された。男の台詞せりふからも、借金を返す意思はあったようだし」
「男が高額当せんしたことを知った何者かが、男を殺して宝くじを奪ったってのはどうだ?」
「それだと、男は当せんしてから一週間も換金しなかったことになるよ。経済的に逼迫ひつぱくしていたのに、一週間も待つわけがない」
「なら、奪われたのは換金した札束のほうだったんだろ。『男は何者かに殺され、当せんした金を奪われた』!」
 マヒトの声に、蝉は今回も反応しなかった。
「それが正解だとすると、問題文の借金のくだりは要らなくなるもんね」
 宝くじに高額当せんした男が死んだ、という情報だけでも、殺人の動機としては想像しうる。もちろん、それでは水平思考クイズとして成立しているとは言いがたいが。
「じゃあ、『家がないから凍死した』ってのもだめか」
「そうだね。宝くじが関係なくなっちゃう」
 焦りが募る。この間にも第二の関門に到達したペアはどんどん増えていて、そろそろ正解者が出てもおかしくない。
 もう一度、情報を整理する。男は多額の借金を背負っており、宝くじ一枚を買って文字どおり一文なしになった。翌日、宝くじに当せんして借金の倍の額を手に入れた。男には借金を返す意思があった——。
 待てよ。何かが引っかかる。わたしは見切り発車で口を開く。
「わたし、借金ってしたことないな。マヒトは?」
「あるよ。とある事業を立ち上げるときに、な」
「へえ、事業なんかやってんだ」マヒトの見た目や言動には似合わない発言だ。
「けっこうな額の資金を集める必要があったんで、足りないぶんを金融機関から借り入れた。まあ、事業が成功したからすぐに完済できたけど。借金自体は多額でもなかったからな」
「――それだ!」
 わたしがいきなり叫んだので、マヒトが目を白黒させた。
「びっくりさせるなよ……」
 わたしは手のひらを向けてマヒトを制すと、蝉に向かって解答した。
「『男は財産を整理して借金の大半を返済し、残りはごくわずかだった。宝くじで当せんしたのはその倍、といっても微々たる額だった。男は借金を返し終えたものの、手元には少額の現金しか残らず、家も職もなく金も借りられないという状況で、一週間後に餓死した』」
 マヒトが目をみはる。一瞬の静寂が訪れ、直後。
 蝉が、けたたましくミンミン鳴き出した。
 わたしとマヒトは目を見合わせる。モニターの表示が、矢印に変わった。
「やった!」
 第二関門、トップ通過だ。わたしはマヒトとハイタッチした——この世界では暴力は許されないので、あくまでも優しい動きで。
「お手柄だ、アキ!」
「マヒトの言葉がヒントになったよ。借金イコール多額、ではないと気づかせてくれた」
 問題文に《多額》とあったのがミスリードになっていたのだ。残った借金が多額だとは限らない。宝くじ一枚ぶんの額よりは多かったのだろうが、日本円にしてたとえ千円でも、借金は借金だ。言うまでもなく、千円では一週間を生き延びるのも容易ではない。
「でも、たとえば公的扶助を受けるとか、死なずに済む方法はいくらでもある気がするんだけどなあ。借金ってのは、たいてい完済すればまた借りられるものだし」
「しょせんはクイズだから。借金が少なく、当せん金額も少額だったことに気づきさえすればいいんだと思うよ」
 そこまで語ったところで、はっとして振り返る。
 わたしたちのすぐあとを、別のペアが追って来ていた。見た目は若い女の子の二人組だ。
「どうやら、この二組の優勝争いになりそうだな」
 マヒトのつぶやきに、気合いを入れ直す。
 わたしたちは風を切って進み、最終関門にたどり着いた。《リズムエリア》と題されたそれは、ペアで協力してリズムゲームをクリアするというもので、難易度はさほど高くなく、わたしたちと二位のペアの差が開くことはなかった。
 関門を突破し、力いっぱい羽ばたく。すると二位のペアが、マヒトとわたしのあいだに無理やり割り込んできた。
「ちょっと、どいて!」
 わたしは声を上げるも、彼女たちは当然、道を空けてはくれない。ほかの挑戦者を力ずくで動かすことは不可能だ。
 やむを得ず、わたしは高度を下げる。このレースは、ペアが二人ともゴールラインを越えた時点でゴールとなる。マヒトがどれだけ早くゴールテープを切っても、わたしが遅れたら意味がないのだ。
 このままでは負ける——そう思った、次の瞬間だった。
「きゃっ!」
 二位のペアの女の子たちが突然、短い悲鳴を上げた。彼女たちは動きを止めている。
 わたしの位置からは見上げる恰好だが、彼女たちは何かに激突しそうになり、跳ね返されたように見えた。目をらすと、鼈甲べつこうに似た色をした半透明の壁のようなものが、彼女たちの眼前に立ちはだかっている。大きさは扉二枚分くらいだろうか。
 そのすきに彼女たちを抜き去りながらも、頭には疑問が渦巻いていた。パラダイスレーシングには三つの関門があるだけで、それ以外の障害はないはずなのに、あの壁はいったい何なのか。強引な割り込みをした彼女たちへの制裁? いや、あれとてルールで禁じられた行為ではなかった。
 ともかくも、運はわたしに味方している。直進していると、遠くにゴールラインが見えてきた。すでにゴールしたマヒトが、わたしに向かって手招きをしている。
 ラストスパートだ。ついに、念願の優勝を掌中に収めつつあるのだ。翅に力を込めようと前かがみになったわたしはしかし、そこで思わずうめいた。
「うっ……」
 スピードが急激にダウンする。いま動いたら、ちょっとやばいかも……。
「おい、どうしたアキ! ゴールは目の前だぞ!」マヒトが叫ぶ。
 それでもわたしは何とか羽ばたくが、殺虫剤をかけられた害虫みたいにふらふらしてしまう。そこに、壁を避けて進んだぺアが追いついてきた。観衆の声援が最高潮に達する。
 デッドヒート、と呼べるようなかっこいいものではない。わたしと彼女たちはゴールラインの手前で並び、そのままゴールを通過した。ほどなく、正面に設けられたモニターに結果が表示された。
 優勝者の欄に、わたしとマヒトの名前はなかった。
「何やってんだ! 今回こそ、優勝できそうだったのに!」
 鬼のような形相のマヒトに詰め寄られるが、相手をしている余裕はなかった。
「だって、しょうがないじゃん——もう限界!」
 わたしはミルキーな色のタイルが敷き詰められた地上に降り立つが早いか、両方の耳たぶを真下に引っ張る。最後に見たのはマヒトの、ぽかんと開かれた口だった。

 

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