体感では数秒のワープが終わり、荒城は覚醒する。
途端に大きな揺れに襲われ、近くにあったバーを掴んで衝撃に耐えた。ガンガンと痛む頭と揺れる船体が共鳴しているようだった。
長距離ワープの後に船体が揺れるという話は無かったし、そんな要素は無い。
状況を把握する為に検査プログラムを作動させると、ワープが終わった直後に運悪くスペースデブリの雨に行き当たってしまったようだった。スペースデブリとは、宇宙を漂っている隕石や宇宙ゴミのことで、それらが宇宙船を損傷することは少なくない。最悪の場合は、こちらもデブリの一部になってしまう。
幸いながら、航行が出来ないほどの損傷を負ったわけではなさそうだった。生命維持などに必要な部分も無事である。プログラムによると船体の損傷率は十%ほどなので、ナノマシンが問題無く修理してくれるだろう。二日もあれば問題無く修理が終わるはずだ。
致命的な損傷が無いことを確認した荒城の脳内は、琴音が殺された場面に引き戻された。
琴音は──琴音はどうなったんだ?
妹の夫は捕まったのだろうか? 琴音はちゃんと弔われたのだろうか? 事件は解決したのだろうか? 荒城には何一つ分からなかった。
カメラ──そうだ。カメラだ。あのカメラはまだ家の中を映しているだろうか? 慌てて件のカメラに割り当てられているモニターを確認する。永遠にも思えるほどの数分が経ち、通信が復帰した。
モニターの時刻表記は、七年進んでいた。荒城の一回目の長距離ワープは、地球との間に七年の時間差をもたらしていたのだった。
カメラには七年後の荒城の部屋の中が映っていた。
見慣れた部屋だ──とはいえ、色々なところが変わってしまっている。綺麗に整頓されていたはずの部屋には、沢山の段ボールやらガラクタが転がっていた。物置に使われている、と一目で分かった。だが、こうして雑に扱われたからこそ、このカメラが気づかれることはなかったのだろう。来客が不自然に思わないよう、相当丁寧に探さなければ分からないところに、荒城と琴音はカメラを設置したのだ。
物置と化した部屋には、当然ながら琴音の死体は無かった。だが、事件が終わったとは思えなかった。警察がちゃんと犯人を捕まえていたら、この部屋がここまで荒れることはないだろう、と荒城は思った。
部屋で変わっていないのは、中央に置かれたカウチなどの大きな家具だけである。そのカウチにも、見知らぬ人間の服が掛かっていて吐き気がした。琴音と暮らした部屋が浸食されている。
何より衝撃だったのは、カウチの前をこの世で一番憎い相手が横切ったことだった。
それはあの、妹の夫だった。
全身の血が沸騰しそうな怒りを覚えた。
男はどう見ても罪を償ったようには見えなかった。ちゃんと裁かれたのであれば、荒城と琴音が暮らした部屋を、物置なんかには出来ないだろう。この男は、何らかの方法で部屋を我が物にしてしまったのだ。
荒城はもう一度計器を叩いた。どうしてだ。こんなのはおかしい。こんなことがあっていいはずがない。琴音をあんな目に遭わせた男が、こうしてのうのうと生きているなんて。
妹の夫は完全犯罪を成し遂げたと考えているかもしれないが、それは思い上がりだった。目撃者ならここにいる。地球から数光年離れた先に。
「このまま……許してたまるか。人殺しめ」
荒城はモニターのことを睨みながら、そう呟いた。
長距離ワープの後には、地上ステーション本部と定期連絡をすることに決まっている。さっきは機会を逃したが、この定期連絡の時であれば、話す時間は充分取れる。
長距離ワープを挟んだお陰で、あの男を七年も野放しにしてしまった。だが、今からでも遅くない。そうしなければ、琴音があまりにも救われない。一体、琴音はどうして殺されなくちゃならなかったんだ?
荒城の目にじわりと涙が滲むのと、モニター横のグリーンランプが灯るのは殆ど同時だった。このランプが灯ったら、通信準備完了の合図である。間もなく、地上ステーション本部──XA22にいる担当通信官と連絡が取れる。
報告しなければならないことは山ほどあったが、何よりもまず、琴音を殺した犯人のことを話したかった。
ややあって、モニターに金髪で青い目をした見知らぬ男が映し出された。歳の頃は二十代半ばくらいだろうか。比較的若い通信官である。
ネームプレートには『Doni』とある。……ドニ、と読むのだろうか? 荒城は外国語には詳しくないが、外国人の同僚は多くいる。彼らの名前や外見的特徴については知っている。
よって、翻訳機を通さなくても、その名前がフランス語系のものであることは分かった。
荒城はマイクを起動する。話したいことは沢山あった。──無事に長距離ワープは成功したが、スペースデブリにやられた。船体の完全な修復には二日かかる。損傷箇所はどこか分からないが、今のところ航行には問題が無い。次の長距離ワープにもゴーサインが出ている。そして──……自分の妻が殺された。犯人は彼女の妹の夫だが、彼はまだ捕まっていない。
荒城が最初の一言を発するより先に、ドニが口を開いた。
『Ca pose un probleme ?』
「…………あ?」
『Ca pose un probleme ?』
聞こえていないと思ったのか、ドニが同じ言葉を繰り返す。そして、自身の着けているヘッドセットを二度指で叩いた。荒城は首を振った。
「聞こえてないわけじゃない。意味が分からないんだ。今のはどういう意味なんだ?」
荒城は日本語で言った。荒城の日本語は翻訳されて、問題無くドニに通じるはずなのだが──……ドニは不思議そうな顔でこちらを見つめ返していた。そして、ゆっくりと首を傾げる。
そこで荒城は、とんでもない事実に気がついた。先ほどのデブリの衝突で故障したのは、通信システムの、それも翻訳に関わる部分なのだ。
エンジンや生命維持に関係する部分が損傷するよりはいい。命に関わる故障じゃない──。普段の荒城ならそう思うところだったが、今回ばかりは事情が違った。荒城には今、どうしても伝えなければならないことがあるのだ。
ドニは眉を寄せて、明らかに困った顔をしていた。だが、船のセキュリティモニタリングが済んでいくにつれ、表情が緩んでいく。船体に大きな損傷がないと分かって安心したのだろう。翻訳機だって二日もあれば修復される。
『Pas de gros probleme. 』
ドニが言い、こちらを安心させようとするかのように微笑んだ。そのまま、ドニは手元のバーチャルキーボードに指を滑らせ、記録をつけている。報告については問題無い、と判断されたようだった。そのまま、ドニの手が画面外に伸びていく。
あろうことか、ドニが通信を切ろうとしている。荒城は全身を震わせながら、大声で叫んだ。
「ノー!!!!」
ドニはビクッと身を震わせて、動きを止めた。
「ドニ、ドニ……」
荒城はどうしていいか分からず、ドニの名前を呼んだ。
それに対し、訝しげな顔つきのドニが口の前で手をグーパーと開き、モニターの外を指差す。その行動の意味するところは荒城にも分かった。恐らく、日本語の話せる人間を外から連れて来ようか? と提案しているのだろう。翻訳機が壊れてしまった以上、そうするより他にコミュニケーションを取る方法が無い。
平素なら、それで問題が無いだろう。
だが、今は違う。何故なら、次の長距離ワープの時間が二十分後に迫っているからだ。
二十分後、荒城は再び長距離ワープに入る。そして、地球からまた数光年を移動することになるのだ。その場で通信を再開した場合、地球では更に十数年……もし空間圧縮が更に上手くいき、船がもっと先へと進むことが出来れば、数十年の時が経つこととなる。
勿論、通常の航行業務において十数年のブランクは問題にもならない。地球側でのミッションは後任へと引き継がれていくだろうし、やることは荒城への定期連絡と記録だけだ。
だが、荒城琴音殺人事件においては違う。
十数年後──琴音の事件は完全に風化しているだろう。犯人である妹の夫は、まんまと遠くに逃げおおせているかもしれない。その時に犯人の名前を告げることが出来ても遅いのだ。ただでさえ、もう事件から七年が経ってしまっているのに。
数十年後だったら、それこそ目も当てられない。その時には、妹の夫は死んでいるかもしれないのだ。罪を逃れ、琴音を殺した犯人だと逮捕されることもなく、のうのうと天寿を全うする。
そんなことは許せなかった。
荒城は、目の前にいるドニに、犯人の名前を伝えなければならない。必要最小限の情報で、自分が持ちうるものの全てを使って。犯人を告発しなければ。
返答が無いのをイエスと取ったのか、ドニが立ち上がる。それを見て、荒城は慌てて言った。
「ドニ! 行かないでくれ! そこにいてくれ!」
言葉と合わせて、掌を地面に向けてバタバタと動かす。所謂、犬にやるような『ステイ』の仕草だ。必死さだけは充分に伝わったのか、ドニは驚いた顔のまま、ゆっくりと着席した。
どうやら、言葉よりもジェスチャーの方が伝わりやすいらしい。もしかすると、ジェスチャー伝言ゲームのように、言葉抜きで伝える努力をした方がいいのだろうか? そう思った荒城は、人差し指と親指で丸を作り、オーケーサインを送った。
「いいぞ、ドニ! それで大丈夫だ!」
これで着席が合っていると伝えられただろう。そう思った荒城だったが、──ドニの反応は微妙だった。というより、ドニの表情は明らかに不快そうなものに変わっていた。心外だ、というように顔を顰め、再び立ち上がろうかと迷っているようだった。
「どうしてだドニ! ここにいてくれ!」
『Qus se passe-t-il, Tsutomu?』
聞き取れたのは最後の『ツトム』くらいだ。語尾が上がっていたから、きっと質問をされているのだろう。だとすると意味は、何を言っているんだ、務? あるいは、何がしたいんだ、務? くらいだろうか。
おかしい。自分はドニにここに居てほしいとちゃんと伝えたはずだ。ステイのサインは問題無く通じた……ということは、オーケーサインの方が駄目だったのだろうか、と荒城は思う。
その時、荒城は琴音との会話を思い出した。フランス語話者の同僚にオーケーサインを送ったら、なんだか微妙な顔をされた、という話をした時のことだ。
──えーとね。フランスではそれはゼロを意味するジェスチャーで、それを向けられると『判断にセンスがないな』とか『お前は無能だな』とか、そういう意味に感じるんだよ。
──そんなつもりはなかったんだが……。
──色々と難しいよね、伝えるのは。
そう言って、琴音は笑った。どうしてこのことを今まで忘れていたのだろう?
荒城は自分の過ちに気づき、慌てて言った。
「違う、そういうつもりじゃなかったんだ! 俺はドニと共に頑張りたいと思っている! 二人三脚でこの難局を乗り越えたいと思っていて──」
この言葉に合わせて、荒城は握った拳を顔の前に掲げてみせた。だが、ドニは更に訝しげな顔を荒城に向けるだけだった。日本では激励の意味として使われているガッツポーズも、ドニにとっては侮辱を意味するものだったのかもしれない。
こうして、ドニと荒城の会話はやや険悪な雰囲気で始まった。荒城は、ジェスチャーが万能ではない、ということを学んだ。言葉に頼らず、何もかもを伝えられる、というわけにはいかないのである。
*
一方のドニの方は、荒城には何やらここで自分に伝えなければならないことがあるのだ──という事態を把握した。
ドニは、先月XA22の部署に入った新人の通信官である。入って最初の仕事が、有人長距離航行に挑むミッショナー達の補佐であった。ドニは彼らに敬意を払っていた。日本人の荒城とは顔を合わせたこともなかったが、七年も前に地球を飛び出し、遥か遠い宇宙を飛び続けている彼のことを、しっかりとサポートしたいと考えていた。
だが、よりによってその荒城の宇宙船が、スペースデブリに襲われてしまった。
「Ca pose un probleme ?(問題はあるか?)」
ドニはすぐさまそう確認した。だが、荒城の返答はまるで要領を得ない──というより、ドニには分からない言語で話している。そこですぐに、翻訳機が壊れていることに気がついた。
船のモニタリングの結果を見るに、損傷しているのは奇跡的にも通信機能の部分だけだ。航行にも生命維持にも問題が無く、しかも時間さえ掛ければ修復可能な部位である。この定期連絡は船の状態を確かめる為だけのものだ。ドニと荒城がコミュニケーションを取れなくても、概ね問題が無い。
「Pas de gros probleme.(大した問題じゃないな)」
そうしてドニは、そのまま通信を切ってしまおうとしたのだ。
だが、荒城はそれを鬼気迫る様子で止めた。言葉が通じなくとも、通信を止めてほしくないことは理解出来た。
「Qus se passe-t-il, Tsutomu?(どうしたんだ、務?)」
伝わらないだろうと思いながらも、そう口にしてしまう。
彼の鬼気迫る表情。彼には何か伝えたいことがあるのだ。
どうせ宇宙船の中と地球で流れている時間は違う。翻訳機が直ってから──そして二十分後に控えた長距離ワープを終えてから、次の通信官に伝えればいいんじゃないか、とドニは思った。翻訳機が壊れたままやり取りをするなんて、いくらなんでも不可能である。
荒城が通信を止めたくないのは、それを伝えるのは十数年後では駄目だからだろう。しかも、自分が日本語の話せる人間を連れて来ようか?というジェスチャーをした時も、荒城は拒否の姿勢を示した。きっと、二十分以内にそんな人間は見つからないと思ったのだろう。この二十分でなければ、駄目なのだ。
ということは、彼はどちらかというと、地球の時間に重きを置いた話を急ぎ伝えたいのだ、というところまでドニは理解した。これは大きなアドバンテージだった。
地球において重要なことなど、家族のことしかないだろう。きっと荒城は残してきた妻についてを聞きたいのだ──ドニはそう、解釈した。差し当たって、ドニは短く尋ねた。
「Ta femme?(妻のことか?)」
単語であれば、荒城も理解ができるのではないか……というのがドニの考えだった。これからは、なるべく平易なフランス語を用いて、荒城に伝えるのだ。
『た、ふぁーむ』
言葉を受け取った荒城は、とりあえずそれを復唱した。
そして『ああ、大丈夫だ。ドニ』と恐らくは日本語で言った。
ドニには意味が分からなかったが──その自信に満ちた表情から、荒城が『妻』という単語を覚えたことだけは分かった。流石は優秀なミッショナーだ。
さて、妻のことを話したいのだと理解したドニは、正直悩んだ。
荒城の妻が何者かに殺されたことは、予め伝えられていた。七年も前のことである。殺したのは押し込み強盗であったとされているが、犯人はまだ捕まっていない。
──そもそも荒城は、自分の妻が殺されたことを知らないだろう。
ドニを含め、地上ステーション本部の職員達は、荒城に妻が死んだことをいつ伝えるかを悩んでいた。
そして、先週の会議で「今回の通信では荒城の奥さんが亡くなったことは伝えないようにしよう」と、決めたのだった。
今回の通信は二十分しかない。その中で妻が殺されたことやその犯人が捕まっていないことを伝えるのは難しい。
次の長距離ワープが終わった後は、一週間ほど通常速度での航行が続く。入り組んだ話──受け止めるのに時間が掛かる話は、そこですればいい、というのが本部の判断だった。
そんな時に妻の様子を聞かれて、一体どう答えればいいのだろうか? 元気である、と答えたとして──三十分後には実は殺されていました、と伝えられる荒城のことを考えると、正直気が進まなかった。
悩んだ末、ドニは素直に答えることにした。
「Plus a ce sujet plus tard.(その話は後にしましょう)」
【おことわり:本テキストにはフランス語が使用されておりますが、システム上、正しく表記されていない単語(例・日本語読みで「スール」)がございます。ご了承とご理解のほど、よろしくお願いいたします。(編集部)】
『妹の夫』は全4回で連日公開予定