《いきなり失礼します。今更ですけど、これ、ラルバ・ディ・ナポリじゃないですか? 私も昨日行きましたが、おいしかったです! 地元民より》
そんなコメントが、いきなりブログに投稿されたことを私は翌朝知った。「ラルバ・ディ・ナポリ」は、いつかお母さんと行ったピザ屋さんの名前で、そのコメントがついた記事は、そこで食べたピザの写真を載せたものだったから、私は驚いたというよりも薄気味悪かった。このブログの存在は友達にも伝えていなかったし、写真こそ見る人が見ればこの街のものだということが分かるだろうが、テキストはいつも同じ《今日もつまんない一日でした。》とだけ書いていたから、例えばピザ屋さんの名前で検索したりしても引っかかることはないだろう。コメントの投稿主である「saki」は一体どうやって、このブログに辿り着いたのだろう? 深夜2時に投稿されたこのコメントに、私は返事を書くことができなかったし、新しいブログの投稿も一時的にやめてしまった。そして、それを察したかのように「saki」も新たなコメントを投稿することはなく、一時的な膠着状態が生まれていた。
だが、数日後、犯人は意外な形で明らかになった。
「ねぇ、隣座ってもいい?」
2月も半ばを過ぎ、他のみんなは国立の前期試験をまもなく迎える頃。指定校推薦で進路を決めた生徒たちだけが3年1組の教室に集められ、受験体験記を書けとか諸々の手続きをやれとか言われる、ちょっとしたガイダンスが始まる直前。声をかけてきたのは上田さんだった。
「……いいけど」と、私は努めて素っ気なく返す。クラスが同じだった頃も、彼女とあまり深く関わらなかったのは、彼女がいわゆるオタクっぽい女の子のグループに所属し、クラスの隅で妙な漫画を貸し借りして盛り上がっているのを見て「仲良くなれなそうだな」と反射的に思ったせいだった。別に、いわゆる腐女子に対して嫌悪感や蔑む気持ちはなかったけど、少なくとも私にはそういう趣味がなかったという、ただそれだけの話なのだ。上田さんは、別にスポーツをしているわけではないはずだが肌は妙に浅黒く、最近になって始めたらしい、地味な紺色のゴムで二つ結びにしたかわいらしい髪型は、残念ながら彼女の顔立ちにはあまり似合っていなかった。
ガイダンスは1時間ほどで終わり、15名ほどの推薦生はお昼前に解放された。もし美佳や千尋がいたら一緒にお昼を食べたかったけど、きっと彼女たちは駅前の塾にいるだろう。お母さんには「お昼は要るか要らないか分からない」とだけ言っておいたから、大人しく家に帰って、適当に焼きうどんでも作ってもらおうと考えながら、私はそそくさとプリントや筆箱をプーマのエナメルバッグにしまった。上田さんは、どういうわけか私のそんな様子をじっと見ていた。まるで、話しかけるチャンスを窺っているように。ただ、私はそれを察知しながらも撤収に向けた準備の手を止めず、職員室に寄って書類を一枚だけ出してから、自転車置き場へと向かった。
「ねぇ、好美ちゃん、この間、いきなりコメント書いちゃってごめん」
そして、どこか予感していたそんな言葉を、上田さんは自転車置き場でたどたどしくぶつけてきた。フルネームは確か、上田早紀だったとガイダンスの途中に思い出していたし、「saki」のブログを辿ってみたら、そこには腐女子たちの間で人気だという漫画の夢小説が書かれてあったから、まさか、と警戒していたのだった。
「……なんで分かったの」とだけ、私はまず返した。まず彼女とその行為にまつわる薄気味悪さを解消してからでないと、彼女とは話さないと決めていた。
「ごめんなさい! 直接はメアド交換したことなかったけど、ほら、友達がアド変のメール送ってきたとき、一斉送信した中に好美ちゃんの名前を見つけてね。それで、暇つぶしに色々検索してたら見つけちゃって……」
引き笑いみたいな息継ぎが随所に入る、変な話し方の要領を得ない長話を要約するに、彼女は不当な手段で私のアドレスを入手し、そのうちアットマークの前の文字列を検索したら、私のブログに辿り着いたということのようだった。確かに、初期設定のままの適当な名前でやっていたから、ブログのタイトルは彼女が検索したとおりの名前になっていたかもしれない。
「なんで、そんな気持ち悪いことしたの?」と、私は今度は、やや感情の乗った言葉を返した。そりゃ、気持ち悪いに決まってる。特に仲が良くもない同級生が、勝手に私のアドレスを見つけてアドレス帳に大事に大事に保存して、そのうえネットストーカー紛いの行為まで仕掛けてくるのだから。そこでようやく、上田さんは自分の置かれた状況に気付いたらしく、血の気の引いたような表情になった。まさか、「見つけてくれてありがとう! いい機会だから友達になろうよ」みたいなことを私が言うとでも思っていたのだろうか?
「……ごめんなさい、そんなに怒ってると思わなくて」
「怒ってるんじゃない。調べたら出てくるような、無防備なことをしたのは私も悪いけど、だからって『お前のこと知ってるぞ』みたいなコメント残したり、それを嬉しそうに報告してくるのは気持ち悪くない? って言ってるだけだよ」
案の定、上田さんは私がそこまで言ってようやく、彼女の行動に関して私が感じている問題点を理解したようだった。
「だって……嬉しかったんだもん。こんなクソ田舎で苦しんでるのは私だけだと思ってたから、初めて同じ苦しみを共有できる人が見つかったと思って! 好美ちゃんは違うの? ブログ、全部遡って読んだよ。クソみたいな日常しか送れないこの街が、息苦しい実家が嫌いなんじゃないの?」
実家、という言葉を聞いた途端、私は変なスイッチが入ったように「違う!」と叫んでいた。上田さんが黙り込んでしまっている間に、私は二度ほど深呼吸をして、昂った感情をどうにか抑え込もうと試みた。
「上田さんがどうなのかは知らないけど、私は地元に友達もいるし、楽しく過ごしてる。家族とだってそうだよ。私はお母さんのことも、お姉ちゃんのことも……」
「でも、少なくとも、お姉ちゃんに対してはコンプレックスがあるんじゃないの? 知ってるよ、好美ちゃん、最初は名大医学部行くって言ってて、そのあと志望校を早稲田に落として、それで最終的には明治にしちゃったんでしょ? そんなの絶対、お姉ちゃんにコンプ持つに決まってるし、きっとお母さんも、お姉ちゃんのことばかり依怙贔屓してるんでしょ? ほら、私と同じじゃん! ネガティブな気持ちの対象が違うだけで、似たような気持ちを持ってるわけじゃん! なのに、なんでそうやって、私はあなたとは違うみたいなことを平然と言えるの?」
短い沈黙から抜け出した上田さんは、さっきの発言が私の図星を突いたという確信をきっと得たのだろう、いやに余裕に満ち溢れたニヤニヤ顔で、煽るように、畳み掛けるように続ける。
「せっかく、春から一緒の大学行くわけだしさ。仲良くしようよ。こんなクソ田舎捨てて、一緒に東京を楽しもうよ。私たち、いい友達になれるし、東京で新しい人生をスタートできるよ、きっと!」
もう限界だった。あまりに私の本心を言い当てられ続けて、心が限界まで苦しくなったわけではない。これ以上、私という人間を、その世界を決めつけられ続けることに耐えられなくなったのだ。
「私、上田さんのこと苦手。私だけじゃないと思うけど。ちょっと距離感がおかしいって言うか、自分の世界? の押し付けがちょっと強すぎるって言うか……」
いつか千尋が言っていたことを、私はそのとき思い出していた。彼女は、世界のすべてを分かりやすいストーリーに、それも彼女の世界の中に先行して存在するストーリーに無理やり当て嵌めて、乱暴に理解しようとする人間なのだ。
「違う」と、それでも私は、既に勝ち誇ったような顔の彼女に対し、どうにか声を絞り出す。「私は、あなたみたいな単純な世界に生きてない」
きっと、私と上田さんは永遠に分かりあえない。現に彼女は、私の言葉を受けてキョトンとした顔になり、次に何を言えば私を屈服させられるのか、その道筋が分からなくなってしまったようだった。実に彼女らしい反応だろう。世の中には敵か味方しかいなくて、敵は悪くない頭で論破すればいいと思っている。でも、違う。確かに私の世界には、もちろん好きな人も、嫌いな人もいる。しかし世界は、それだけの単純明快なものである必要はないんじゃないだろうか? 曖昧さや矛盾がそこにあってもいいんじゃないだろうか?
「ごめん。私、あなたのこと嫌いだから、もう話したくない。友達にもならない」
これまで記憶にないほどに、直截的な物言いを自分がしたことに、自分自身も驚いていた。しかし、タガが外れたように、私の体の中から、これまで言いたいけど言えなかった本音が、まるで洪水のようにあふれ出てきた。
「確かに、私はお姉ちゃんにコンプレックスを持ってる。どれだけ頑張っても、お姉ちゃんみたいには永遠になれないって、薄々分かってる。でも、私とお姉ちゃんとの間に存在するものは、勝ち負けだけじゃない。お母さんとだってそうだよ。幸せな思い出だって、いっぱいある。好きだけど嫌いだし、嫌いだし好き。それじゃダメ?」
今度は上田さんが黙る番だった。彼女はまだ諦めていないようで、その沈黙をどうにか破って「でも私は、家族とうまくやれてない……」という、ほとんど聞こえないくらいの小さな声を発したが、私はそれを制するように続ける。
「上田さんがもし、私が持っているものを持っていないんだとしたら、それは悲しいことだと思う。でも、それは上田さんの世界だよ。あなたの世界で、私の世界を決めつけないで」
そこまで言うと、私はどういうわけか涙が出そうになってきて、相変わらず黙ったままの上田さんを置いて自転車で走り出した。息がしづらいほどに冷たい日陰から日向へと、私は飛び出した。
「好美は好美で、いいところがたくさんあるんだから」
私の頭の中では、お母さんのあの言葉がわんわんと響いていた。上田さんとの、決して愉快ではない会話を通じて、しかし私は確かに、私だけの世界の薄っすらとした輪郭を発見することができた。地元を去るまで、18年間育ててもらったあの家を出るまで、あと1か月と少し。その間に、私は私だけの世界の中でその答えを見つけようと、バクバク弾む心臓に突き動かされるように決意したのだった。
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