インターネット歴の長い人なら、きっとこの画像を何度も見たことがあるはずだ。奇妙な画像で、しばしば「情報が多すぎる画像で打線組んだw」みたいなタイトルでまとめられているのも見かける。
山間部の農村で撮られた写真のようだ。畦道があって、左右には水の抜かれた田んぼが広がっており、奥には雑木林も見える。まず手前には、顔は見切れていて見えないが、中学か高校のものらしき地味な制服を着た女の子が、カメラに向かって力強く中指を立てている。その少し後ろには、雑種と思しき茶色い犬が、首に散歩用の紐をぶら下げながら手前の少女のほうへと、舌を嬉しそうに出しながら走っている。そして、その少女と犬の背後には、転んで地面に倒れ込みかけている老婆がいる──
まず、何が起きているんだろう? 撮影者とその意図は? そして、少女の顔こそ隠れているが、画素数の低いカメラで素人が適当に撮ったであろうこの画像が、なぜインターネットの海を漂うようになったのか? 背景情報にまで考えが及ぶと、脳みそが強制シャットダウンされそうになる。ネットでは「クソ田舎に中指立てる少女」みたいな解釈が定説になっているようだが、それを証明する材料もなければ、説明してくれる当事者が現れることもない。誰もがこの画像のことを知っているのに、誰もこの画像の詳細を知らない──そんな倒錯的な状況が生じているとも言えるだろう。
かく言う私も、この画像のことは何も知らない。ただ、私は少なくとも、この写真の中にいる犬だけは知っている。名前はハナちゃん。何歳なのかは分からないが、少なくとも相当老いていることだけは分かるこの犬は今、オレンジのフットネイルを施した私の足元にいる。すっかり色素の薄くなった毛に覆われたおなかを緩やかに膨らませたり縮めたりしながら、静かに眠っている……そんなハナちゃんを1分ほど見つめてから、私は意を決してSNSにこんな投稿をした。
【拡散希望】この有名な写真に映っている少女を探しています。私は、奥にいる犬の飼い主です。保護犬で、これまでどんなふうに生きてきたか分からないのです。あと何年生きられるか分からないこの犬と、もう一度会って、撫でてやってくれませんか?
2023年8月2日 16:57
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「2位じゃダメなんでしょうか?」
お笑い芸人のモノマネに、観覧客もタレントたちも一同大爆笑。昼過ぎから始まった年末特番が、右上に「アナログ」という透かし文字の入ったテレビの画面からだらだらと流れ出ている。14時半。コタツの置かれたリビングには、私だけがいる。背中を丸めてコタツに入り、あと10時間ほどで終わる2009年を、無抵抗に見送ろうとしていた。
「2位でもいいんじゃないでしょうか? 好美議員もそう思いませんか?」
子供部屋のドアを開けて、大学が冬休みだからと帰省している、姉の朋美がリビングに入ってくる。普段は名古屋で一人暮らしをしている彼女にとって、こんな退屈な田舎町でせめてもの娯楽を求めて出かけるなんてことはまったく非効率かつ不必要なことなのだろう。クリスマスの翌日に実家のマンションに戻ってきたかと思うと、ほとんどの時間を二階の自室で過ごしていた。大学3年生が一体どんなことをやっているのか知らないが、あの姉のことだから、きっと分厚いテキストを広げて机に向かっていたのだろう。かつて「神童」と呼ばれ、現在に至るまでその名誉ある称号を戴く権利を保持し続けている彼女は、キッチンへと歩いてゆき、お母さんが作ってくれていたウーロン茶をヤカンからマグカップに注いで、豪快にゴクゴクと飲んだ。窓の外のずっと遠くを、東海道新幹線がチラチラと光を反射しながら走っていくのが見える。
「ダメなんだよ、2位じゃ。1位の人には分からないと思うけど」
そんなお姉ちゃんの姿を視界の隅で捉えながらも、しかしわざわざ重たい頭を彼女のほうに向けることはせず、私は小さく呟いた。事業仕分けのせいでスパコンが2位になったとしても、お姉ちゃんは永遠に1位であり続けるだろう。3歳上で、現在は名古屋大学の医学部に通うために一人暮らしをしている彼女とは、幼稚園から高校まで全部一緒だったから「朋美ちゃんは私のクラスだったけど、すごい子だったのよ」みたいなことを担任の先生から何度も言われてきた。それほどにお姉ちゃんは優秀な学生だった。まず頭がよくてテストはいつも学年で1位だったし、そのうえ剣道部では部長を務め、生徒会長まで務めたりと、内申点まで完璧だった。「神童・中山朋美」と、みんなやっかみ半分で囃し立てていたし、彼女自身もその称号を、変に照れることなく当然のように受け取っていた。
「なんか面白いのやってるの?」と、2杯目のウーロン茶を手にお姉ちゃんがコタツの向かいに座る。私は「別に」と素っ気なく返すと、入れ替わるようにキッチンへと歩いてゆき、そこでウーロン茶を1杯飲んだ。ゴーゴーとうるさい音を立てるエアコンは、寒がりな父の好みに合わせて30度近くに設定されていて、その熱を存分に吸い込んだステンレス製のヤカンから注いだウーロン茶は妙にぬるかった。それが何となく気持ち悪くて、一口飲んだらあとはシンクに流してしまった。それで私は、「散歩に行ってくる」と感情のこもらない口調でお姉ちゃんに言い残し、去年イオンで買ってもらったオフホワイトのダウンジャケットを適当な部屋着の上から羽織ると、まるでそこから逃げるように、ドアを開けて外に出た。
県庁所在地だというのに、市の中心部から15分も電車に乗れば背の低い住宅街が広がる。その中で一番背の高い、茶色いマンションの4階に私の家がある。5分も歩けば、あたりは水を抜かれた田んぼだらけ。私はそこを歩いている。白っぽく色褪せ、あちこちにひび割れの入ったアスファルトを踏みながら、私は行くあてもなく、どこまでも続くような真っすぐな道を、彷徨うように歩いている。風のない、静かに澄んだ晴れの日だった。12月の終わりの空気は刺すように冷たかったが、リビングのぬるく濁ったような空気をお姉ちゃんと吸っているよりは気分がよかった。
兄弟姉妹に神童がいると、どんな気持ちになるかみんな知っているだろうか? まず、友達はこんなことを言う。
「お姉ちゃん、めっちゃ頭いいんでしょ? 現役で名大医学部とかヤバイでしょ!」
それくらいならいい。問題は家族だ。
「お姉ちゃんと同じ高校には受かったんだし、もうひと頑張りして成績伸ばせるといいんだけど」
その言葉を、せめて怒鳴るように言ってくれるのだったら、どれだけ救われただろう? お母さんはいつだって、本気で私という人間の出来の悪さを心配するように、それも最後には「もちろん、無理はしなくていいからね。好美は好美で、いいところがたくさんあるんだから」とまで付け加えて、優しく応援してくれた。
「じゃあ、私のいいところって何? お姉ちゃんになくて私にあるものって、一体何? さっき、あるって言ったでしょ? ねぇ! そうやって私のこと、無責任に褒めないで……」
そう叫びたくなる衝動を、私はグッと堪えて、黙って俯いたままその場をやり過ごした。4月の半ば、高校に入ってすぐに受けた、新入生実力テストの結果をお母さんに見せた日のことだった。その日、私は「散歩してくる」と言って、スニーカーを履いて外に出た。 それは積極的な理由によるものではなく、家にいたくない、でもこの街の15歳には他に行くところがないという、ただそれだけの消極的な理由によるものだった。その日を境に、高校3年生になった現在に至るまで、私は何かのタイミングで──それはおそらくお姉ちゃんがきっかけとなるものなのだろうが──こうして散歩に出るようになった。一年ほど前から、 散歩には若干の積極的な理由が伴うこととなった。畦道の向こうに、私だけの小さな幸せを見つけたからだ。
「ハナちゃん」
私が呼びかけるまでもなく、ジャラジャラと重たそうなチェーンを揺らしながら近づいてきたのがハナちゃんだ。田んぼの真ん中にある、古い木造の平屋の庭のような場所で飼われている、茶色い雑種の犬。何歳かは分からないが、私でも軽々と抱き上げられる小さな体やツヤツヤとした毛並みを見ると、きっとまだ生まれて数年の子犬なのだろう。私は慣れた手つきで、黒く煤けた外壁にねじ込まれた真鍮のフックから散歩紐を取ると、ボロボロの首輪にナスカンで繋げる。ジャラ、とまた重い音を立ててチェーンが外れると、ハナちゃんはそれが嬉しいのか、あるいはこれから待ち受ける楽しい散歩の時間が嬉しいのか、とにかくしっぽを千切れそうなほどにブンブンと振り回すのだった。
ハナちゃんの飼い主は、米沢さんというおばあちゃんだった。80代後半の、言い方は悪いが今にも死にそうなおばあちゃんで、足が悪いのか腰が悪いのか、とにかく彼女が移動するときは杖をついたり、手押し車をノロノロと押したりして、いかにも辛そうに歩いていた。そんな彼女が、明らかに頻繁な散歩を必要とする子犬を飼っているのは「犬好きだし、寂しいから」だと聞いた。事実、彼女はハナちゃん(これは私ではなく、米沢さんによる命名だ)を毎日のように撫でてやっていたし、ごはんも、私が見る限りはちゃんとあげているようだった。ただ、散歩にだけは連れていっていなかった。「私の腰がこんな状態だし、鎖がついてるけど、まぁそれなりに動き回れるでしょ」というのが彼女の主張だが、私がチェーンを外してあげたときの、その後散歩に連れていってあげたときのハナちゃんの、まるで笑顔のように口角を上げて舌を出し、弾むように歩く様子を見ると、ハナちゃんはもっともっとたくさん散歩に行きたいようだった。
息苦しさから逃れるために家から逃げ出したある日、私はハナちゃんと初めて出会った。そして、ハナちゃんを触っているうちに玄関から出てきた米沢さんに、私は「もしよければ、私に散歩させてくれませんか?」と提案し、それはすんなりと快諾されたのだった。
私とハナちゃんは、西へ西へと、お姉ちゃんのいる家からなるべく遠くへと歩いてゆく。ハナちゃんの爪がアスファルトに当たるたび、チャッチャと陽気な音がする。畦道は永遠に続くようだが、このあいだ地図を見たら、最終的にはゴルフ場の外縁の雑木林にあたって消えるらしい。物言わぬ生き物との時間にも、いつか終わりが訪れるのかもしれない。そして、その終わりが訪れるのはそう遠くないということを、私は頭では理解しつつ、心中では受け入れることを拒んでいた。私は今年の秋のうちに、指定校推薦で明治大学に進学することが決まっていた。つまり、来年の春には地元を離れ、上京することになっていたのだ。世間的に見れば、そりゃ悪くない進路だろう。ただ、幸せというのは、世間の平均値なんかではなく、身近な世界との相対評価で決まるものだ。
「ハナちゃん、2位じゃダメなんでしょうか?」
私の、家族の誰に対しても投げかけられなかった問いに対して、ハナちゃんは舌をハッハッと小刻みに揺らしながら、チラリと私のほうを見るだけだった。
何もかも、どうしたらいいのか分からないのだ。お姉ちゃんとの楽しい思い出だって、たくさんある。家族みんなで行ったUSJ。スイミングスクールの帰りに一緒に食べたセブンティーンアイス。お父さんが運転する車の後部座席でのどうでもいい語らい……。一方で最近、お姉ちゃんのいる実家で、私は惨めったらしい感情にまみれて、どうにか息をして生きている。心の中で相反する感情がぶつかりあって、 血を流している。自ら生み出したこの矛盾を前にして、私はどう生きてゆけばいいのだろう? その答えはいつまで経っても浮かばないままだったし、そうである以上、私はなるべく家から遠いところまで、二度と戻れないくらい遠くまで、ハナちゃんと永遠に歩いてゆきたいような気持ちになる。
「#ネットミームと私」は全4回で連日公開予定