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「あれが、恋に落ちるということか」と茶碗を洗っていて突然気づいた。もう十年ほど前の話である。相手は、今住んでいる部屋の内装をお願いした建築家の女の子だ。内装が終わるまでの数カ月ほどの付き合いなのだけれど、ほぼ毎日ふたりでランチやお茶に行ってはよくしゃべった。仕事以外のこと、特にどういうケンカをしてきたかで大いに盛り上がった。武勇伝を競い合ってはしゃべり、笑い転げた。次から次へと話は途切れることがなく、どんな話題も楽しかった。
 女の子だし、きっと相手も恋だとは思っていないと思う。だけど、誰かと出会ってすぐに、あんなに楽しく過ごしたことは今までになかった。まさに落ちたという感じだった。
 そのときの私は、同じお金を遣うなら、おもしろいことをしたかった。内装工事は仕事というより遊びだと思っていて、ふたりであれこれアイデアを出し合うだけで楽しかった。
 話してきたことが形になり、ほぼでき上がりに近い状態になったある夜、彼女から電話がかかってきた。まだ現場にいるらしく、彼女は台所に穴を開けたいと言った。穴を開けたい場所は、今日、職人さんにきれいにタイルを貼ってもらったばかりである。その職人さんは、棟梁が連れてきた人である。彼女の言っていることが無茶苦茶だということは、素人の私でもわかった。
「お金のことは私が何とかしますから。ここに穴を開けたいんです」
 そうしなければ明日にでも地球が滅びてしまいそうな勢いだった。いいわよと私は電話を切り、次の日、現場に行くと、台所の流しの上のあたり、ちょうど目線にくる場所に、すでに横四十センチ、縦三十センチほどの穴がぽっかり開いていた。貼ったばかりのタイルは無残にも剥がされていた。しばらくすると、棟梁がやってきて、穴と彼女を見るのだが一言も発しない。彼女の方も一歩も引かないという顔で、私は二人にはさまれ、ただただいたたまれなかった。
 台所で洗い物をしていると、その穴から車いすのダンナの頭がすっと横切ってゆくのが見える。さらにその先にベランダがあり、そこから向かいのマンションの窓が見える。明るい窓、薄暗い窓。光の色も暖かいの青っぽいのと家によってそれぞれ違う。そういうのを見ながら台所仕事をしていると、こんな細々とした家の用事もまた世の中とつながっている大事な仕事のように思えてくる。
 彼女とは、その後、ときどき会う。家に来てもらって一緒にゴハンを食べることもある。そのとき彼女は、とても大事そうに壁やら棚をなでて帰ってゆく。私の恋は終わったのだろう。彼女と会えば楽しいし、おしゃべりも前のままだ。けれど、彼女は大学の准教授で、建築の仕事の方も忙しいようだ。私の方もまた仕事がたまる一方で忙しい。二人ともちゃんとした大人になってしまった。
 出会った頃、彼女は何かを打ち破りたかったのではないかと思う。私もまたそうだった。穴を開けるのを台所に、というのは意味があると思う。それはいまだに女性の砦と思われている場所だからだ。事実、私はここでダンナと自分の食事を三度三度つくらねばならないのだから。
 彼女に一度、死にたいとつぶやいたことがある。「エーゲ海を見てからにしましょう」と必死に説得された。台所の穴を見ると、そのときのことを思い出す。彼女の穴は、非常識で、バカバカしくて、でも優しさに満ちあふれている。どんなときも、あなたは外につながっています、という彼女のメッセージに私は今でも泣けてくる。
 今さら照れくさくて、ねぇあのとき私たち恋に落ちたよね、なんて聞けるわけないのだけれど、それは一生聞けない質問なのだけれど、あのときの私たちは青臭くて、ケンカっぱやくて、子犬のようにじゃれあいながら空を見て歩いていた。どう考えても、あれは恋だったよなあと、今でも思う。

 

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