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『#ハッシュタグストーリー』の発売を記念して、全4篇の冒頭を公開。最後は麻布競馬場さん『#ネットミームと私』をお楽しみください。木爾チレンさん、カツセマサヒコさん、柿原朋哉さんの作品は公開中です。
『#ネットミームと私』はインターネットの海を漂う、田舎道で少女が中指を突き立てる瞬間をとらえた奇妙な写真から始まる物語。いつしか誰もが知るネットミームとなったその写真の裏側には、彼女だけの物語があった。『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で大ブレイクの麻布競馬場が送る、SNSの意外ないい話。

 

#ネットミームと私


 インターネット歴の長い人なら、きっとこの画像を何度も見たことがあるはずだ。奇妙な画像で、しばしば「情報が多すぎる画像で打線組んだw」みたいなタイトルでまとめられているのも見かける。
 山間部の農村で撮られた写真のようだ。畦道があって、左右には水の抜かれた田んぼが広がっており、奥には雑木林も見える。まず手前には、顔は見切れていて見えないが、中学か高校のものらしき地味な制服を着た女の子が、カメラに向かって力強く中指を立てている。その少し後ろには、雑種と思しき茶色い犬が、首に散歩用の紐をぶら下げながら手前の少女のほうへと、舌を嬉しそうに出しながら走っている。そして、その少女と犬の背後には、転んで地面に倒れ込みかけている老婆がいる──
 まず、何が起きているんだろう? 撮影者とその意図は? そして、少女の顔こそ隠れているが、画素数の低いカメラで素人が適当に撮ったであろうこの画像が、なぜインターネットの海を漂うようになったのか? 背景情報にまで考えが及ぶと、脳みそが強制シャットダウンされそうになる。ネットでは「クソ田舎に中指立てる少女」みたいな解釈が定説になっているようだったが、それを証明する材料もなければ、説明してくれる当事者が現れることもない。誰もがこの画像のことを知っているのに、誰もこの画像の詳細を知らない──そんな倒錯的な状況が生じているとも言えるだろう。
 かく言う私も、この画像のことは何も知らない。ただ、私は少なくとも、この写真の中にいる犬だけは知っている。名前はハナちゃん。何歳なのかは分からないが、少なくとも相当老いていることだけは分かるこの犬は今、オレンジのフットネイルを施した私の足元にいる。すっかり色素の薄くなった毛に覆われたおなかを緩やかに膨らませたり縮めたりしながら、静かに眠っている……そんなハナちゃんを1分ほど見つめてから、私は意を決してSNSにこんな投稿をした。

【拡散希望】この有名な写真に映っている少女を探しています。私は、奥にいる犬の飼い主です。保護犬で、これまでどんなふうに生きてきたか分からないのです。あと何年生きられるか分からないこの犬と、もう一度会って、撫でてやってくれませんか?
2023年8月2日 16:57

 ***

「2位じゃダメなんでしょうか?」
 お笑い芸人のモノマネに、観覧客もタレントたちも一同大爆笑。昼過ぎから始まった年末特番が、右上に「アナログ」という透かし文字の入ったテレビの画面からだらだらと流れ出ている。14時半。コタツの置かれたリビングには、私だけがいる。背中を丸めてコタツに入り、あと10時間ほどで終わる2009年を、無抵抗に見送ろうとしていた。
「2位でもいいんじゃないでしょうか? 好美議員もそう思いませんか?」
 子供部屋のドアを開けて、大学が冬休みだからと帰省している、姉の朋美がリビングに入ってくる。普段は名古屋で一人暮らしをしている彼女にとって、こんな退屈な田舎町でせめてもの娯楽を求めて出かけるなんてことはまったく非効率かつ不必要なことなのだろう。クリスマスの翌日に実家のマンションに戻ってきたかと思うと、ほとんどの時間を二階の自室で過ごしていた。大学3年生が一体どんなことをやっているのか知らないが、あの姉のことだから、きっと分厚いテキストを広げて机に向かっていたのだろう。かつて「神童」と呼ばれ、現在に至るまでその名誉ある称号を戴く権利を保持し続けている彼女は、キッチンへと歩いてゆき、お母さんが作ってくれていたウーロン茶をヤカンからマグカップに注いで、豪快にゴクゴクと飲んだ。窓の外のずっと遠くを、東海道新幹線がチラチラと光を反射しながら走っていくのが見える。
「ダメなんだよ、2位じゃ。1位の人には分からないと思うけど」
 そんなお姉ちゃんの姿を視界の隅で捉えながらも、しかしわざわざ重たい頭を彼女のほうに向けることはせず、私は小さく呟いた。事業仕分けのせいでスパコンが2位になったとしても、お姉ちゃんは永遠に1位であり続けるだろう。3歳上で、現在は名古屋大学の医学部に通うために一人暮らしをしている彼女とは、幼稚園から高校まで全部一緒だったから「朋美ちゃんは私のクラスだったけど、すごい子だったのよ」みたいなことを担任の先生から何度も言われてきた。それほどにお姉ちゃんは優秀な学生だった。まず頭がよくてテストはいつも学年で1位だったし、そのうえ剣道部では部長を務め、生徒会長まで務めたりと、内申点まで完璧だった。「神童・中山朋美」と、みんなやっかみ半分で囃し立てていたし、彼女自身もその称号を、変に照れることなく当然のように受け取っていた。
「なんか面白いのやってるの?」と、2杯目のウーロン茶を持ってお姉ちゃんがコタツの向かいに座る。私は「別に」と素っ気なく返すと、入れ替わるようにキッチンへと歩いてゆき、そこでウーロン茶を1杯飲んだ。ゴーゴーとうるさい音を立てるエアコンは、寒がりな父の好みに合わせて30度近くに設定されていて、その熱を存分に吸い込んだステンレス製のヤカンから注いだウーロン茶は妙にぬるかった。それが何となく気持ち悪くて、一口飲んだらあとはシンクに流してしまった。それで私は、「散歩に行ってくる」と感情のこもらない口調でお姉ちゃんに言い残し、去年イオンで買ってもらったオフホワイトのダウンジャケットを適当な部屋着の上から羽織ると、まるでそこから逃げるように、ドアを開けて外に出た。
 県庁所在地だというのに、市の中心部から15分も電車に乗れば背の低い住宅街が広がる。その中で一番背の高い、茶色いマンションの4階に私の家がある。5分も歩けば、あたりは水を抜かれた田んぼだらけ。私はそこを歩いている。白っぽく色褪せ、あちこちにひび割れの入ったアスファルトを踏みながら、私は行くあてもなく、どこまでも続くような真っすぐな道を、彷徨うように歩いている。風のない、静かに澄んだ晴れの日だった。12月の終わりの空気は刺すように冷たかったが、リビングのぬるく濁ったような空気をお姉ちゃんと吸っているよりは気分がよかった。

 兄弟姉妹に神童がいると、どんな気持ちになるかみんな知っているだろうか? まず、友達はこんなことを言う。
「お姉ちゃん、めっちゃ頭いいんでしょ? 現役で名大医学部とかヤバイでしょ!」
 それくらいならいい。問題は家族だ。
「お姉ちゃんと同じ高校には受かったんだし、もうひと頑張りして成績伸ばせるといいんだけど」
 その言葉を、せめて怒鳴るように言ってくれるのだったら、どれだけ救われただろう? お母さんはいつだって、本気で私という人間の出来の悪さを心配するように、それも最後には「もちろん、無理はしなくていいからね。好美は好美で、いいところがたくさんあるんだから」とまで付け加えて、優しく応援してくれた。
「じゃあ、私のいいところって何? お姉ちゃんになくて私にあるものって、一体何? さっき、あるって言ったでしょ?  ねぇ! そうやって私のこと、無責任に褒めないで……」
 そう叫びたくなる衝動を、私はグッと堪えて、黙って頷いたままその場をやり過ごした。4月の半ば、高校に入ってすぐに受けた、新入生実力テストの結果をお母さんに見せた日のことだった。その日、私は「散歩してくる」と言って、スニーカーを履いて外に出た。 それは積極的な理由によるものではなく、家にいたくない、でもこの街の15歳には他に行くところがないという、ただそれだけの消極的な理由によるものだった。その日を境に、高校3年生になった現在に至るまで、私は何かのタイミングで──それはおそらくお姉ちゃんがきっかけとなるものなのだろうが──こうして散歩に出るようになった。一年ほど前から、 散歩には若干の積極的な理由が伴うこととなった。畦道の向こうに、私だけの小さな幸せを見つけたからだ。
「ハナちゃん」
 私が呼びかけるまでもなく、ジャラジャラと重たそうなチェーンを揺らしながら近づいてきたのがハナちゃんだ。田んぼの真ん中にある、古い木造の平屋の庭のような場所で飼われている、茶色い雑種の犬。何歳かは分からないが、私でも軽々と抱き上げられる小さな体やツヤツヤとした毛並みを見ると、きっとまだ生まれて数年の子犬なのだろう。私は慣れた手つきで、黒く煤けた外壁にねじ込まれた真鍮のフックから散歩紐を取ると、ボロボロの首輪にナスカンで繋げる。ジャラ、とまた重い音を立ててチェーンが外れると、ハナちゃんはそれが嬉しいのか、あるいはこれから待ち受ける楽しい散歩の時間が嬉しいのか、とにかくしっぽを千切れそうなほどにブンブンと振り回すのだった。

 ハナちゃんの飼い主は、米沢さんというおばあちゃんだった。80代後半の、言い方は悪いが今にも死にそうなおばあちゃんで、足が悪いのか腰が悪いのか、とにかく彼女が移動するときは杖をついたり、手押し車をノロノロと押したりして、いかにも辛そうに歩いていた。そんな彼女が、明らかに頻繁な散歩を必要とする子犬を飼っているのは「犬好きだし、寂しいから」だと聞いた。事実、彼女はハナちゃん(これは私ではなく、米沢さんによる命名だ)を毎日のように撫でてやっていたし、ごはんも、私が見る限りはちゃんとあげているようだった。ただ、散歩にだけは連れていっていなかった。「私の腰がこんな状態だし、鎖がついてるけど、まぁそれなりに動き回れるでしょ」というのが彼女の主張だが、私がチェーンを外してあげたときの、その後散歩に連れていってあげたときのハナちゃんの、まるで笑顔のように口角を上げて舌を出し、弾むように歩く様子を見ると、ハナちゃんはもっともっとたくさん散歩に行きたいようだった。
 息苦しさから逃れるために家から逃げ出したある日、私はハナちゃんと初めて出会った。そして、ハナちゃんを触っているうちに玄関から出てきた米沢さんに、私は「もしよければ、私に散歩させてくれませんか?」と提案し、それはすんなりと快諾されたのだった。

 私とハナちゃんは、西へ西へと、お姉ちゃんのいる家からなるべく遠くへと歩いてゆく。ハナちゃんの爪がアスファルトに当たるたび、チャッチャと陽気な音がする。畦道は永遠に続くようだが、このあいだ地図を見たら、最終的にはゴルフ場の外縁の雑木林にあたって消えるらしい。物言わぬ生き物との時間にも、いつか終わりがあるのかもしれない。そして、その終わりが訪れるのはそう遠くないということを、私は頭では理解しつつ、心中では受け入れることを拒んでいた。私は今年の秋のうちに、指定校推薦で明治大学に進学することが決まっていた。つまり、来年の春には地元を離れ、上京することになっていたのだ。世間的に見れば、そりゃ悪くない進路だろう。ただ、幸せというのは、世間の平均値なんかではなく、身近な世界との相対評価で決まるものだ。
「ハナちゃん、2位じゃダメなんでしょうか?」
 私の、家族の誰に対しても投げかけられなかった問いに対して、ハナちゃんは舌をハッハッと小刻みに揺らしながら、チラリと私のほうを見るだけだった。
 何もかも、どうしたらいいのか分からないのだ。お姉ちゃんとの楽しい思い出だって、たくさんある。家族みんなで行ったUSJ。スイミングスクールの帰りに一緒に食べたセブンティーンアイス。お父さんが運転する車の後部座席でのどうでもいい語らい……。一方で最近、お姉ちゃんのいる実家で、私は惨めったらしい感情にまみれて、どうにか息をして生きている。心の中で相反する感情がぶつかりあって、 血を流している。自ら生み出したこの矛盾を前にして、私はどう生きてゆけばいいのだろう? その答えはいつまで経っても浮かばないままだったし、そうである以上、私はなるべく家から遠いところまで、二度と戻れないくらい遠くまで、ハナちゃんと永遠に歩いてゆきたいような気持ちになる。

 ***

 冬休みが明けた学校では、みんな数週間ぶりの再会を賑やかに喜び合っていた。
「マジで年越しライブ以外の時間はず~っと勉強してた!」
「初詣は無理やり連れてかれたけど、怖くておみくじ引けなかったよね~」
 ただ、会話の端々や、それらが積み重なって形成される教室の空気には、明らかに緊張感がにじんでいた。あと二週間後にはセンター試験が、その後は私立の一般入試を控えているのだから当たり前だ。私の仲良しグループの美佳は名大を、千尋は同志社をそれぞれ第一志望にしていたし、どちらも模試の結果は余裕のA判定という感じでもないようだったから、きっと彼女らは冬休みの間、誰かと違ってコタツで無為な時間を過ごすことはほとんどなかったのだろう。
 その日は始業式とセンター試験当日に向けた過ごし方なんかのレクチャーがあって、午後からは自習になった。今日から自由登校ということらしく、塾や自宅で勉強したい人は学校に来なくていいし、「学校のほうが集中できる」という奇特な人は、自分のクラスや友達のいるクラスで自由に自習しても構わないということになった。美佳も千尋も、駅前の東進衛星予備校に行くそうで、お弁当を食べたら荷物をさっさと片付けてしまった。「マジだるすぎ」「ほんとにそれ」とボヤきつつ、きっとこれから一緒に塾へ向かうのだろう、横並びで自転車に乗る二人の後ろ姿は、やけに眩しく見えた。
「あ、あのっ。好美ちゃん、私のこと覚えてる? 中1のとき同じクラスだった……あっ、あと、実は私も、指定校で明治行くんだけどっ……」
 次に会うのがいつになるかも分からない二人と、別れる手前の交差点で名残惜しく話していたら、自転車に跨った女の子が突然声をかけてきた。久々すぎて、一瞬名前を思い出せなかったが──上田さんだ。彼女とは小中高いずれも同じ学校だったが、同じクラスになったのは一度きりだったし、特に部活や交友関係が被ってもいなかった。そして何より、彼女と私はそれほど仲良くなかった。彼女のことが嫌いというわけではなく、ただただ、彼女のことが好きか嫌いか判定できるほど、私は彼女と接する機会がなかったのだ。そんな上田さんにいきなり話しかけられても、私はどんな話をすればいいものか分からないし、そして何より、今は美佳と千尋と話したかった。現に、二人はこの状況に困惑しているようだったし、大事な時期にある受験生たちを寒空の下に放置し続けることは忍びなかった。
「……覚えてるよ。でも、ごめんね。今はこの二人と話してるから」
 私は素直にそう断って、上田さんが立ち去ってくれることを期待した。しかし彼女はまごまごと周りを見回し、そのまま立ち止まっていた。どうも、私が言った婉曲表現をそのまま受け取ったようで、彼女は私が二人と話し終わるのを待つつもりのようだった。
「上田さん。好美は人にあまり強く言えない性格だから代わりに言うけど、もう今日は帰って、ってことだからね? 話したいことがあるのかもしれないけど、先に話してたのは私たちだし、好美にも、いつ誰と話すかを決める権利があるから。分かった?」
 戸惑う私の代わりに、やや強すぎるくらいの口調で上田さんにそう言ったのは美佳だった。普段は気さくで面倒見のいい性格だが、クラスの女子に男子がちょっかいを出したときなんかには、彼女が今のようにピシリと物申すのがいつものことだった。
「そ、そうなんだ。ごめんね、私、あんまり、こういうの得意じゃなくて」
 ようやく私の思いが通じたのか、あるいは単に美佳の強硬な態度に腰が引けたのか、上田さんはものすごいスピードの立ち漕ぎでどこかへ去っていった。「ごめんね、いつも」と私が謝ると「別に好美は悪くないから!」と美佳は怒るように返してくるものだから、私は恐縮しきりだった。どうも、美佳と千尋はどちらも上田さんと同じクラスになったことが何度かあるらしい。
「私、上田さんのこと苦手。私だけじゃないと思うけど。ちょっと距離感がおかしいって言うか、自分の世界? の押し付けがちょっと強すぎるって言うか……あの子、あんまり友達いないし、それに腐女子らしいよ。何か、変なブログ書いてるって聞くし」
 苦々しい表情の千尋が、上田さんが去っていった方を見ながら言う。ブログ、という単語を聞いて、私は瞼のあたりがピクリとしたが、平静を装ったまま二人と解散した。

 その日も、家に自転車とバッグを置いたらすぐにハナちゃんのところへ歩いて向かい、リードを付けて散歩に行った。今頃、美佳と千尋は必死に机に食らいついているんだろうか? 3年前、受験を目前に控えた姉がそうだったように──そう思うと、急に胸がつんと痛くなった。
 当初、第一志望は早稲田だった。別にほかの大学にはない唯一絶対の魅力をあの大学に見出したわけではなく、単に進路指導室の壁に貼ってあった河合塾の偏差値ランキングを眺めてみたら、私立では早稲田が一番偏差値が高いと知ったからという、それだけの理由だった。その隣には、国公立大学のランキングも貼ってあったが、そっちは見なかった。高1の時点で早くも数学に躓いた私にとって、国公立という選択肢は存在しなかったのだ。
 嘘をついた。本当に行きたかったのは名大医学部だった。それは単純な理由によるもので、お姉ちゃんがそこに通っていたからだった。彼女の合格が判明したときの親族一同の喜びようは大変なものだったし、何よりお姉ちゃんと、彼女の苛烈な受験勉強を支えたお母さんが抱き合い、静かに涙を流している光景は、おそらくは永遠に消えてくれないくらいに、私の記憶に鮮明すぎるほどに刻み込まれてしまっている。
 お母さんが私のために泣いてくれたことは一度もなかったと、そのとき気付いた。生まれつきの引っ込み思案な性格に加え、周りの顔色を窺いすぎて自分の意見を素直に言えないことが多かった。それはもしかすると、お姉ちゃんほどの価値のない自分が、せめて周りに迷惑をかけないようにという、自分に対する呪いみたいなもののせいだったのかもしれない。だから私は、お母さんを困らせたこともなかったし、一方でお母さんが泣いて喜ぶほどの成果を出したこともなかった。もちろん、お母さんが私を愛していないなんてことはないだろう。ただ、期待の大きさという点では、明らかに私よりもお姉ちゃんのほうが大きかったはずだ。学校だけでなく、習い事なんかもお姉ちゃんと同じものばかりやっていたが、あらゆる場で彼女は私よりもうまくやった。そして、それは大学受験という場でも同じだったし、そこで見せつけられた、それぞれが18年間積み上げてきた人生の点数の差みたいなものに、私の自尊心は完全に破壊されてしまったような気がする。
 私は受験から逃げた。どれだけ青チャートを解いても数学はできるようにならず、それで名大医学部は諦めて早稲田を目指したはずだったのに、そっちはそっちで模試の結果はいつまで経ってもC判定かせいぜいB判定で、このまま頑張ったところで合格できるかは怪しかった。そんな時、担任から明治の指定校推薦を受けないかと言われて、私はその話に飛びついてしまった。
 つまり私は、自分で自分に期待することをやめてしまったのだ。そのうえ、それをお姉ちゃんやお母さんのせいにしてしまっていた。悪意なく私を上回り続ける姉と、仕方のない慈悲のようにそれでも私を肯定してくれる母──家という最も身近で、そして最も狭い世界の中で私は、非致死性の惨めったらしさを常に感じていたし、秋のうちに早々に進路が決まり、受験から一抜けしてしまったせいで、最近は学校でちょっとした孤独まで感じることになっていた。

《今日もつまんない一日でした。》
 その一言と、あとはその日撮った一枚の適当な写真を載せるだけのブログを去年の11月から始めたのは、きっとそんな現実から目を逸らすためだったのだろう。アメブロなんかではなく、なるべく利用者の少ないマイナーなサービスを使っていたから、今となってはその詳細を思い出すことはできない。別に誰かに読まれるためでも、誰かと馴れ合うためでもないそのブログの閲覧数はほとんどゼロに等しかったし、たまに1とか2とかのアクセスがあっても、コメントがつくことはなかった。だから、そのブログはこの田舎町から、そしてこの狭い家から外に開かれた窓であると同時に、私のきわめて個人的な日記帳でもあるという倒錯性を有していた。
 初期設定のままの適当な名前のそのブログに投稿された写真は、いずれもガラケーの貧弱なカメラで撮られたもので、そのまま私が見ている世界だった。美佳と千尋とクラスで食べたお弁当。自由登校のせいで誰もいない廊下。洗濯されてベランダに干されているアザラシのぬいぐるみ。ハナちゃん。ハナちゃんと歩く畦道。ハナちゃんが拾ったテニスボール。冬の夕暮れ。ハナちゃん。ハナちゃん……私の世界は次第に、私とハナちゃんだけのものになりつつあった。
 あと2か月もすればこの街を去ると理解していながら、惜別の気持ちみたいなものも、あるいは東京に対する期待感みたいなものも、ほんの少しも湧かないことに驚いていた。私は別に、上京物語にありがちな田舎に対するコンプレックスも憎悪も特に持っていなかったし、何人かの仲のいい友達もいた。そして、18年過ごしたこの田舎町と対比されるべき東京に対して、そもそも解像度の高いイメ―ジを持つことができていなかった。東京はせいぜいドラマやめざましテレビの中にしか存在しない世界で、この春からそこで生活し、おそらくはその後も東京の会社に就職して、転勤なんかもあるだろうが基本的にはそこで生活し続けるのだろうという事実に、私は確かな実感を持つことができていなかった。だから、私は地元から出ていくことに対しても、また東京で新しい生活を始めることに対しても、何ら特別な気持ちを持っていなかったのだ。
「ハナちゃん、東京ってどんなとこだと思う?」
 ハナちゃんは言葉を知らないし、もちろん東京のことなんか知らないから、私の問いかけに対して、いつかそうしたように、チラリと私の顔を見ただけで、弾むように畦道を歩き続けることを止めなかった。ハナちゃんは最近、明らかに痩せてきている。元からほっそりとした子だったが、最近はあばらがうっすらと浮き出るまでになっていた。米沢さんは、ちゃんとハナちゃんを世話しているのだろうか?
「大丈夫大丈夫、そんなに簡単に死にゃせんよ」
 その日、ハナちゃんを米沢さんちまで連れて戻ったとき、ちょうど玄関先で出くわした米沢さんは私の遠回しな質問に対して、そう言って明るく笑った。そこには、十分に世話をしていないことに対する罪悪感も、そもそも私から責められているという感覚すらも存在していないようだった。米沢さんは「お散歩連れて行ってもらえてよかったね~」と、いかにも愛情たっぷりな様子でハナちゃんをワシワシと撫でていたし、ハナちゃんもまた、気持ちよさそうにそれを受け入れていた。どこか、私だけがその親密な関係から除け者にされているような感覚──私はなぜか、お姉ちゃんの合格発表の日のことを思い出していた。

 

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