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夏の盛りのある日、朝から万江島の邸宅を訪れた愉里子。茶事で使う「湿し灰」を作る手伝いをするためだ。その作業中に誤って灰の上に倒れ込んだ愉里子は、体中が灰まみれになってしまった。万江島に風呂を借り、バスタオル姿で涼んでいたところ、万江島の若い友人で噺家の半七と鉢合わせて──。

 

「このあたりを走るだけですからスピードは出しませんし、菱沼さんもこのバイクは乗り心地がいいって言ってくださいました」
「菱沼さん乗ったんですか。すごい」
 彼女は確か、七十五か六のはずだ。
「一度乗ってみたいって言われましてね、後ろに乗っけたんです。菱沼さんは昔、スクーターに乗ってたそうです。この辺は坂が多いから、近所のスーパーにも年配の女性がよくスクーターで来てますね」
「久しぶりのバイク、ドキドキします」
 万江島氏のヘルメットはゴーグルが付いたおしゃれなジェットタイプだが、私のヘルメットはほとんど使った形跡がない、頭部全体をすっぽりと覆う黒くて頑丈なフルフェイスだった。万が一バイク事故が起こったら顔の骨が折れることもあるから、女性のヘルメットはフルフェイスじゃないとだめだとバイク店の店主が力説するのを聞いたことがある。万江島氏もそれを遵守しているのだ。
 バイクは90ccのホンダジョーカーで、ポップなカラーは横須賀のバイクショップでカスタムペイントしたのだとか。車体は低く、シートも広めで、後ろまでほぼフラットなので乗りやすい。しかも、後ろに乗る人のためのバックレストまでカスタマイズされていた。
 二人でシートに乗り、私がどこをつかもうかと逡巡していたら、
「腰にしっかりつかまってくださいね」
 と言われる。それで手をまわしてみると、見た目よりも腰回りが太く、男の身体のたくましさを感じる。しっかりと抱きつくのはまだ早いと思い、万江島氏の背中と自分の胸に少し隙間を開けておいたが、走り出した途端、そんな余裕はなくなった。
 怖い。
 すぐさま万江島氏にしがみついた。バイクは軽快にカーブの多い山道を下っていくが、私は身を守るものがなにもなく道路に全身をさらしていることの恐ろしさに震えた。少しアクセルをふかしただけで猛スピードで走っているように感じる(後で聞いたら時速四十キロだった)。バイクを楽しんだ若い頃からもう二十年以上経っていることを、今さらながら思い出した。
 ところが、坂を下りて目の前に紺青こんじよう色の海が見えると、魔法がかかったように怖さが薄らいだ。ひろびろとした海からの、さわやかな風。甘い夕暮れが始まろうとしている。
 海沿いの真っ直ぐな道を走るうちに、ようやく、バイクのスピードやエンジン音、振動や風圧に慣れてくる。道路の右側は、山を背に、小さな民家や別荘やアパートなどが、空き家も含めてとぎれとぎれに立っている。左側は、遠くのほうに貨物船が行きかう海が見え、その向こうには房総半島の低い山々が薄い影のように連なっている。万江島氏に触れている手の感触やバイクに乗っている身体の感覚が自然なものとなり、全身で風を感じることが快感になってくる。
 東京へ向かう車線は渋滞となっているが、私たちは逆方向なので、空いた道をのんびりと走る。初めて信号で止まると、万江島氏が少し顔を後ろに向けて声をかけてきた。
「大丈夫ですか」
「最高です」
 万江島氏は、革のベルトをつかんでいる私の手の甲を、バイクグローブをはめた手でぽんぽんと軽くたたいた。言葉をかわさないそんな会話に、くすぐったいような幸せを感じる。
 私の返事を聞いて、万江島氏はスピードを上げた。あたりの音が消えてエンジン音だけが響き、二人だけの世界がバイクに乗って運ばれていく。景色が輝いて見える。青春という文字がぽっかりと頭に浮かぶ。
 海沿いの道は二手に分かれ、万江島氏は山へと向かう道を選んだ。民家の立ち並ぶなだらかな坂を上がると、徐々に畑のほうが多くなっていく。やがて一車線の細い道になり、上がり切ると、見晴らしのいい丘の上に出た。
 あたり一面、畑しかない。赤茶色の土に、背の低い緑色の苗が整然と並んでいる。田んぼの多い北陸の人間にとっては、新鮮な景色だ。周囲に高い山がなく、見渡す限り薄暮の空と緑の畑が広がるばかりで、そのスケールも大きい。
 海が見下ろせるところまで来ると、万江島氏はバイクを停めた。
「ちょっと降りてみましょうか」
 フルフェイスのヘルメットを脱ぐと、窮屈な靴を脱いだような解放感があった。
 人は誰もおらず、薄桃色が西のほうから広がり始め、小高い丘の上にはやさしい風が吹きわたっている。
「畑しかないんですけど、僕はこの風景が好きなんです」
「日本っぽくないですね。グアム島の町はずれをドライブしたとき、こういう感じだったのを思い出しました」
「ああ、似てますよね。気候も温暖で、のどかだし」
「私も観光地よりこういう何でもないところが好きです。バイクで来るのにぴったりですね」
 そうして目と目が合うと、万江島氏はすうっと顔を寄せて短いキスをした。よい香りのする花の匂いをもっと味わおうと顔を近づけ、ふいに唇が触れたかのようだった。
 遠くから車のエンジン音が聞こえた。私たちは少し離れ、音のする方を見た。農家のおじいさんが運転する古い軽トラがゆっくりと坂を下って行った。それを見送ると、万江島氏が言った。
「戻りましょうか」
「……はい」
 私たちはヘルメットをかぶり、またバイクに乗って走り出した。
 私は素直に従ったけれど、本当は物足りなかった。おじいさんがいなくなって再開してもよかったのに、万江島氏はそうしなかった。周囲にはさえぎるものが何もなく、いつまた車が来るかわからないのだから、それはそれで納得できるのだけど。
 でも、万江島氏の腰にまたぎこちなく手をまわしているうちに、これでよかったのかもしれないと思った。あの口づけが一瞬だったからこそ、一生忘れられない、夢のようなひとときに思われた。 
 さわやかな夏の夕暮れにふさわしい、忘れていた青春のきらめきが二人のもとを訪れ、すばやく通り過ぎたようだった。

 翌朝、私はよく眠れないまま、自分のベッドで目覚めた。
 あのあと、万江島氏が夕食を一緒にと引き留めるにもかかわらず、私は家に帰った。これは駆け引きなどではなく、苦渋の決断である。
 キスだけの今なら引き返せる、とまず思ったのだ。
 私は万江島氏を茶の湯の先達として敬愛している。茶の湯を通して深く語り合いたいと願う唯一無二の存在である。その関係が、性愛を介在させることで濁り、万が一こわれてしまうならば、ここで踏みとどまったほうがいいのではないか。
 でも、そんな理由はきれいごとだった。たとえ今の関係がこわれても、私は万江島氏とセックスしたかった。プラトニックなんてちっとも楽しくない。私は男の肌に触れ、身体を使って会話したいのだ。
 なぜこれほどまでにセックスを求め「花摘み」を続けているのか、自分でも不思議に思うことがある。昔の言葉でいうならば「好色」であり、現代ならば「ニンフォマニア」だという人もいるかもしれない。私としては、多くの男性から好かれたい=モテたいということではなく、自分の好みの男性とセックスしてみたいだけである。
 私がぼんやり思うのは、セックスをしているとき、私は私から離れることができて、それが気持ちいいということである。日々の生活で、私は私でいることに疲れているのかもしれない。
 もしも、万江島氏と夕食を共にしお酒を飲めば、たぶん私は万江島氏に迫ってしまうだろう。でも若い子のように、初めての相手と「ありのままのわたし」でベッドインするのは危険である(最近濡れなくなっていることだし)。また、彼の自宅という生活圏内でセックスしたくなかった。
 今まで見た限りでは、万江島邸に亡くなった妻の存在を感じさせるものはなかった。すでに十七回忌を終えており、しかも妻は茶の湯を好まず、菱沼さん曰く「奥様はやんごとなき御家庭で育ったせいか、まったく家事をなさらなかったそうです」ということだから、茶室や台所などに女あるじの趣味を感じさせるようなものも見かけなかった。とはいえ、二人の間に子供はいないが、万江島氏の茶の湯友達の口ぶりから察するに、夫婦仲は良かったようである。だから、寝室といった最もプライベートな空間に行けば、妻の思い出の品がさりげなく置いてあるかもしれない。それだけでなく他の女性の存在も感じられれば、とても平常心ではいられない。また、菱沼さんと親しくしているからこそ、彼女がいないときに寝室に出入りするような行為をして、後からそれを知られてしまうのも避けたかった。
 そして、いつになく感じたのは、怖れだった。
 万江島氏も私のことを好きだとわかった途端、いつものようにすぐに前へと進めなくて、おろおろしている。少女のように何かを怖がっている。
 いや違う。私は少女なんかじゃない。大人の私は、セックスしたら終わりが来ることをわかっている。結婚が終着点ではない私にとって、男女の関係はセックスで始まり、いつか終わるものである。セックスしなければ、永遠に始まらないかわりに、終わりもない。
 これまで、終わりを怖れたことなど一度もなかった。いつ終わってもいいと思いながら、この一瞬を楽しみ、今日の花を摘んできた。
 でも、昨日はなぜだか、小さな花を咲かせたままにしておきたかった。

 

「今日の花を摘む」は、全3回で連日公開予定