2015年に刊行された藤野千夜さんの『時穴みみか』が、このたび双葉文庫より刊行されました。大の藤野ファンである田中兆子さんの文庫解説からは、作品への熱い想いが伝わってきます。文庫化を記念し、お二人の対談を公開します。田中さんが読み解く、『時穴みみか』の魅力とは? 藤野さんが明かす、創作のこだわりとは? 単行本刊行時、物語のラストに角田光代さんが嗚咽、町田康さんが慟哭したとも評したこの物語について、存分に語り合っていただきました。

構成・文=門賀美央子 撮影=川しまゆうこ

 

 

小学6年生ならではの心の動き

 

藤野千夜(以下=藤野):今回の文庫化では解説を書いてくださってありがとうございました。

 

田中兆子(以下=田中):心から大好きな作品なので、書けてうれしかったです。実は、役者の卵が自分の出演する『徹子の部屋』を妄想するように、ずっと前から「もし私が解説を担当したらこうしよう」なんて色々考えて、心の中でメモしていたんです。まさか本当にそういう日が来るとは思ってもいませんでした! しかも、今日はこんなふうにお話しすることができるなんて。

 

藤野:いえいえ。なんだか無理にお願いするようなことになりまして。

 

田中:とんでもない。藤野さんはなかなか対談などをお受けにならないっていうのは聞いておりましたので、こちらこそ光栄です。

 

藤野:そういえば、今日の時間に遅刻される夢を繰り返しご覧になったとか……。

 

田中:そうなんです(笑)。毎回違うバージョンで遅刻する夢を見ていました。私が携帯電話を持ってないのであまりにも遅れているのに連絡ができず、いつもは優しい担当編集者にとても怖い声で「藤野さん、もうずっとお待ちです!」と怒られて目が覚める、という(笑)。

 

藤野:私、現実に対談で遅刻したことがあるのでそのドキドキとてもよくわかります(笑)。

 

田中:藤野さんに直接、大好きな美々加についてお話をうかがえるというのがうれしすぎて、ずっと緊張していたんでしょうね。私は美々加──というか、美々加が昭和の女の子として生きることになった「小岩井さら」ちゃんと同い年なんです。つまり私、「さらみみ会」に入れるんです!

 

藤野:じゃあ、私と田中さんは2歳違いってことですね。

 

田中:そうですね。そのせいもあって、ここに書いてくださっている昭和49年のあれこれが本当にもう楽しくて楽しくて。

 

藤野:私もこの作品はとても好きです。自分で言うのもどうかと思うんですけど。

 

田中:美々加を小学6年生に設定されたのはどうしてだったのでしょう? というのも、私は読んでいて、この設定がとても絶妙だと思ったんです。私自身もそうでしたが、小学校高学年の時期はちょうど大人の入口をちょっと覗き始める時期というか、大人のいろんな面が見えてくるようになりますよね。そんな年頃ならではの心の動きがとってもよく書かれていて、感動しました。だから、この設定にした理由をお伺いしたくて。

 

藤野:具体的な意味があって6年生にしたわけではないのですが、今おっしゃったような微妙な時期だからこそ、というのは心のどこかにあったのかもしれません。また、あの時期ぐらいの子供って、同じクラスにいながら心身の成長度合いにはけっこうばらつきがありますよね。そういうところにも興味がありました。

 

田中:美々加っていう名前がまたいいんですけど、それもぱっと思いつかれたのですか?

 

藤野:実は、割と繰り返し書いている少女のキャラクターの名前が美々加なんです。でも、最初は美加っていう名前でした。「主婦と交番」(編集部注:『夏の約束』講談社文庫所収)という短編に出てくる娘なのですが、その子が私の中でどんどん育ってきて、他の作品でも顔を出すようになったんです。私、手塚治虫のファンなので、そのひそみに倣って、作品ではスターシステム──同じキャラクターを異なる作品でも出す方式を採用しているもので。

 

田中:なるほど。藤野さんの作品はたくさん読んでいるのですが、確かに「このキャラクターは、もしかしてあの作品に出てきた、あの?」と思うことがよくあります。

 

最初は可哀想な物語だったはずが……

 

田中:本作の構想はどのように思いつかれたのですか?

 

藤野:ものすごく根本的なところから話をしますと、タイムスリップを扱った作品が昔から大好きなんです。小説だと広瀬正さんの『マイナス・ゼロ』、映画だと『戦国自衛隊』『ファイナル・カウントダウン』といったような作品ですね。

 

田中:そうなんですか。理由は?

 

藤野:私は普段からぼ~っとしている方なので、はっと気がつくと景色が変わっているという状況に親しみを感じるのかもしれません。たぶん同じような理由で「似ているのになにか違う」というパラレルワールドものも好きなのですが。そういう前提があって、当時書き下ろしで何か出しましょう、と声をかけてもらった時に準備したのが本作でした。でも、当初の構想とはずいぶん違う内容になってしまいました。

 

田中:どう違うんですか?

 

藤野:本当は母と子の別れをメインにした話にする予定だったんです。仲のよい母と娘が、ちょっとした気持ちのすれ違いで、大きく離れた場所に行ってしまう。ところが、書いているうちに進めていた方向ではだんだん筆が乗らなくなってしまいまして。

 

田中:それはまたどうして?

 

藤野:最初は平成に取り残されたお母さんが娘を捜してさまよう姿を書こうとしていました。けれど、その心情があまりに哀れで、私自身がちょっとつらくなりすぎてしまったんですね。また、美々加の方も美々加の方で、行った先で怖い思いをさせたくなくなって。著者である私自身の、美々加に対する愛情が強くなりすぎ、つらい目にあわせるのが無理になってしまいました。なんというか……突き離して見られないんです、彼女を。「帰りたい帰りたい」ってメソメソしながらも、優しいパパさんやママさんがいて、大好きなお姉ちゃんが守ってくれ、好きなものを食べてわがままも言って、友達だって優しくしてくれたらいいなって気持ちが強かったと思います。だって、美々加にしてみれば昭和に行っているだけで十分怖いはずですから。だからもうそれ以上はいいかな、と。もちろんドラマティックな物語にするなら、もっとひどい目にあう方がいいんだと思うんですけど。

 

田中:普通の小説ならそうなります。

 

藤野:行った先でぬくぬくしている場合じゃないですよね。狐のマフラーを巻いて『ベルばら』の初演を観に行ってるんじゃないよ、って(笑)。

 

田中:そうそう、狐のマフラー! 狐の口のところがバネになっていて、それで留めるんですよね(笑)。あれも懐かしかったなあ……。

 

藤野:今はもう見かけませんものね。

 

田中:演目の選び方もどんぴしゃです。『ベルサイユのばら』なんて、同じ時代を生きてきた女性なら必ず反応してしまいます。

 

藤野:そうですね。

 

田中:私などはどうしてもそういう同時代的な「懐かしさ」に読み方が偏ってしまうのですが、宝塚に関しても単なるノスタルジーではなく、昭和から令和にかけて変わらないものとして置かれているのだと思います。他の「変わってしまったもの」との対比と申しますか。そこは構想された結果だと思うのですが、すごくうまく機能していますね。もちろん、非常にさりげなく書かれているんですけど。他にも、さらっと流すところと細かく描写するところのメリハリがおもしろい。例えば「象印賞」については何も説明せず終わってしまうけども、ハエ取り紙は「ハエ取り紙」とは書かずに描写だけで表現する。そうしたバランスが非常にうまい。いつもそういうところに藤野さんのセンスを感じるというか、「しびれる!」って思うんです。

 

藤野:自分ではあまり意識していないのですが、そう言っていただけるとうれしいです。でも、自分の作品の話をするのはどうも気恥ずかしいものですね。

 

田中:その気持ち、わかります(笑)。ところで、作劇の基本は「行きて帰りし」だと言われていますよね。『スター・ウォーズ』がその典型ですが。主人公は行った先で戦い、観客はその過程にわくわくするのでしょうが、あえてそれをやらなかったのがよかったと思います。小学生女子がいきなり知らない世界に放り込まれたなら、雄々しく立ち向かうより、「ママ、ママ」って泣く方がリアリティがありますし。

 

藤野:そうですね(笑)。

 

田中:あの年代にはあの年代にしかない心の動きがありますが、よくぞあの頃の気持ちをこんなにうまく言語化してくださいました。たとえば、美々加が頑なに「さら」と呼ばれることを拒否するあの感じ。あれは少女ゆえの頑固さだと思うのですが、同時に美々加の魅力のひとつになっています。

 

藤野:そうした部分を守ってあげたいっていう気持ちが、私にあったんだと思います。少女らしさをすり減らしていく話にはしたくなかったのでしょう。

 

田中:すり減らないところがいいんです。現実ではすり減ってすり減ってすり減っていくばかりですので。

 

藤野:もしかしたら、美々加が持つ一種の頑なさこそ、私にとっては“守りたい核”みたいなものなのかもしれません。

 

田中:だからといって、決して世間的にイメージされる単純な少女でもないじゃないですか。先ほど少しお話が出ましたけど、宝塚のチケットをもらうシーン。あそこで美々加はワーッとかキャーとか、わかりやすい形では喜びません。でも、行を重ねるごとにうれしさが増幅していきます。すごく丁寧にうれしさが積み上げられていくんです。読んでいてこっちもどんどんうれしくなっていくほど……。こういうところがやっぱりありきたりの作家と違うなと思いました。

 

藤野:ありがとうございます。

 

田中:お母さんの恋人に対する態度なども、とてもあの時期の少女らしい自然な心情だと感じます。

 

藤野:親本が出たときに読者の感想を読んだことがあるのですが、そこには「お母さん、今は美々加ちゃんのことだけ考えてあげて」というようなご意見がありました。それはもう美々加の側からすれば大正解なんですけど、でもお母さんもそれだけでは済まないから困っているんだろうな、と。

 

田中:そこの部分はむしろ今の方が読者にも響くテーマになっていると思います。一昔前ならいざしらず、今はシングルマザーのお母さんにも彼氏がいて普通と考える人が増えているはずですから。

 

藤野:そういう状況下では、お母さんはたぶん娘をすごく気遣っているはずです。けれども、何をしたところで、子供はどうしても寂しさを感じてしまうでしょう。美々加は特に頑なな子供だから、彼女が「外部の人間」と認識している人が家の中に入ってくるのはすごくイヤだろうな、と。

 

田中:その人がどれほどいい人でも嫌でしょうね。

 

藤野:むしろ、最初は好きなおじちゃんだったのだと思います。でも、家に入ってくるとなったら話が違うっていうところを、少し書きたかったんです。これが、継子虐待してくるような男の話だったらまた全然違う流れになっていたでしょうけれども、私にはそういうものは書けません。対立構造がしっかりしていないから、物語として弱くなるとは思います。でも、心底憎らしいタイプの登場人物を出したりするのはどうも苦手です。書くときに、私とはまったく異なる人格であるキャラクターの話であっても、ある程度は「自分もこうするかもな」と思わないと書けないところがあって。だから、絶対的な敵みたいなものは出せません。

 

田中:ですが、終盤の展開にはハラハラしました。書評でも「号泣した」「涙がとまらなかった」と書かれているものが多かったのですが、あの展開は最初から構想されていたのですか?

 

藤野:展開は決まっていましたが、書き方としては、たぶん、流れでああなった気がします。でも、美々加のことが大好きだったので、書きながら自分自身でも涙が出てきたのを覚えています。今回、文庫化のために久しぶりにゲラで読み返したのですが、やはり胸にくるものがありました。

 

田中:では、ラストシーンも最初から決まっていて?

 

藤野:そうですね。ラストシーンははっきり決まっていた感じです。全然決めずに書き出す人もいらっしゃると思うんですが、私は出発点とおおまかな通過点とラストは最初から決めて書くことが多いですね。そうでないと、さすがにちょっと不安で。特に昔はそうでした。中間地点を通りながら最後は思っているところに着地できればと祈りながら書き出していました。今は何があっても何とかなるかなという感じなのですが。

 

(後編)に続きます

 

【あらすじ】
小六の美々加は、シングルマザーのママに恋人ができて以来、学校の帰り道に道草をするようになった。ある日、黒猫のあとをつけて巨木の根元の空洞をくぐり抜けると、知らない家で目を覚ます。くみ取りのトイレやダイヤル式電話、学校ではこっくりさんに夢中な級友……。どうやら昭和49年にタイムスリップしたらしい。当たり前のように美々加を「さら」と呼び、たっぷりの愛情を注いでくれる小岩井家の次女としての日々が始まった──。優しさと温もりに包まれた、ノスタルジックな冒険譚。