孤独死現場や家族問題を取材し続けるノンフィクション作家の菅野久美子さんによるエッセイ『生きづらさ時代』が刊行された。本作は取材を通して出会った人々から自身の生きづらさを考察し、それと付き合うためのヒントを探っている。本作のテーマや、他人事ではない「孤独死」問題について語ってもらった。

 

──昨今、「生きづらい」と感じる人が増えているように思います。数々の取材から見えた、生きづらさを抱える人の共通点はありましたか。とくに現代ならではと言えるものがあれば教えてください。

 

菅野久美子(以下=菅野):私は、孤独死現場を取材することが多いのですが、生きづらさを抱えている人に共通するのは、やはり「孤立」だと思います。私たちの周囲には、職場の付き合いや友人など、人間関係の輪がそれなりに広がっているように見えます。スマホもSNSもあるし、日常生活だって不便はない。その一方で、濃密な人間関係が作りづらくなっているのではないでしょうか。他人の領域に立ち入らない、自分をさらけ出せないことによってかえって疎外感を抱く人が多くなっているように感じます。

 孤独死をテーマに書いた初めての著作『孤独死大国』で、孤立者1000万人という数字を出したのですが、この数字は非常に重大な意味を持っていると思っていて、それが生きづらさとリンクしていると思っています。

 配偶者や同居の家族がいても、ふと誰しもが言い知れぬ孤独感を感じている。それが、取材を通して見えた令和という時代の特徴ですね。

 

──孤独状態ではなさそうに見える人でも、孤独感を抱いているのが現代。人間関係を避ける人が多くなり、疎外感だけが増しているのですね。

 

菅野:そもそも、本音の会話は「重い」と捉えられがちです。だけど本当は、見て欲しいし知ってほしい。そんなジレンマの中で私たちはもがいているような気がするのです。例えばですが、いざという時に、頼れる相手がいない。特にコロナ禍は、感染して寝込んだ際、隔離期間を含めて身近に助けを求められる相手がおらず、自分の孤立に気づいた人も少なくなかったと思います。孤独死は、まさにそんな現代社会を体現した究極の「死」の形態です。

 私が取材を続けている「女風(女性用風俗)」だってそうです。性欲以前に、ありのままの自分を見て欲しい、受け入れて欲しいという強い願望を利用女性たちから強烈に感じる。そもそもその願望を受け止めてくれる人が周囲にいないからです。

 それを考えると、誰しもが非常に生きづらさを抱えた時代なのだな、と感じずにはいられません。

 

──今回は菅野さん自身の生きづらさについても書かれています。親や生まれた時代(就職氷河期世代)により自己肯定感が低いと自らを分析されていました。この点は共感する読者も多いと思います。現在の菅野さんは自己肯定感の低さとどのように付き合っていますか?

 

菅野:私は、モノや他人に依存的になってしまうことがとても多かったのです。自己肯定感の低さゆえに、猛烈にその満たされなさを埋めて欲しいと思ってしまう。だけど埋めても埋めても、その感情は穴の空いたコップのように、水がどんどん漏れ続ける。まさに終わりがないんですよね。

 それならば、徹底的にその感情を感じ切ってみたいと思うようになりました。ハマったり沼ったりしてもいい。ただそんな自分を見て見ぬふりをしたり、シャットアウトすることだけは、やめようと。私は母親から、色のついたお菓子を食べることを禁止されていました。「体に悪いから」と。だけど、私はそのお菓子をずっと食べたかった。だから、大人になってお菓子を大量に買って、朝からひたすら何個も何個も食べ続けたこともありました。そうやってやり尽くすと、一息ついて、分析できるようになったんですよね。なんで、あの時あの人と一緒にいて心地よかったのだろう、あれだけモノを収集してしまったのだろう、と。

 だけどやはり決定的だったのは、母親と絶縁したことかもしれません。もう母に認めてもらわなくてもいいんだと思えた。そうしたら、少し憑き物が落ちた気がしたんです。

 あと年齢的な問題も大きいです。40代になって、体力がガクンと落ちました。すると、老いの意識とともに、人生の「先」が見えてきたんですよね。自己肯定感は低いままですが、そんな諸々が重なって、ようやく自分の人生を歩み始めた気がします。

 

──菅野さんはこれまで孤独死現場を数多く取材されてきました。今回の本にも凄惨な現場が登場します。若い世代にも「孤独死するかも」と危機感を抱いている人は多く、悲痛な声も書かれています。多くの人にとって遠くない「孤独死」を防ぐために一番重要なことは何だと思いますか? 

 

菅野:孤独死を防ぐ方法は、本当によく色々なところで聞かれるのですが、私たち一人ひとりがどんな未来を望むかに尽きると思います。

 孤独死そのものは、防げる未来も実はそう遠いものではないでしょう。今も、ペットや高齢者の見守りのために、当たり前のようにカメラを利用していますよね。スマホからいつでも確認できるので、異常があったらすぐ通報したり、駆け付けられます。

 つまり、遺体の発見だけに注視すると、プライバシーの問題はとりあえず横に置きますが、AIのような技術が家の中の生体反応の有無を自動的に感知するなんて世界は、近々可能になるわけです。例えば人が亡くなってゼロ秒後に発見されるとなるとどうでしょうか。事故物件という概念すら変わるかもしれない。今、孤独死で一番現実的な問題として騒がれているのは、遺体の腐敗による物件へのダメージですからね。

 

──孤独死という状況自体は、技術の発展によってなくせるかもしれないということですね。

 

菅野:ただしそれはあくまで、孤独死の早期発見に特化したものに過ぎません。孤独死の7割を占めるゴミ屋敷化のようなセルフネグレクトの問題や、心身に悪影響を与えるレベルの孤独・孤立の問題は、何ら解決されていないまま残されます。むしろ遺体の発見と回収だけがスムーズになって孤独死が無くなった社会は、私にとってはSF映画のようなディストピアに映ります。

 もし、孤立そのものに目を向けるのならば、その「死」のずっと手前にある問題と私たちは向き合わなければならない。それには、時には痛くて苦しい人間関係と無関係ではいられないんですよ。

 孤独死をなくす上で、趣味などの浅く広い「弱い繋がり」の人間関係を築いておくというのはもちろん大切だし、それが模範解答です。ただ、人間関係は良いとこ取りができないことは強調しておきたいですね。人との関係は、傷付いたり傷付けあったり、時に不快な思いをすることもあります。ここまで便利に一人で快適に生活できる環境が整った時代に、そんな関係性を私たちは引き受ける覚悟はあるのだろうか。これは、現代特有の課題といえるかもしれません。孤独死をなくす方法、それはやはり、私たちがどんな社会を望むのか、なんです。

 

(後編)に続きます

 

【内容紹介】
数々の孤独死現場を取材してきた著者が直面した現場には、家族やパートナー、社会との関係に苦しんだ「生きづらさ」の痕跡があった──
他の人のように上手く生きられない。現代人が抱えるどうしようもない辛さを様々な角度と視点から探る、著者初のエッセイ。

第1章 私が生きづらいのはなぜか
母親と生きづらさ/事故物件に刻まれた「生」の証/私を縛る容姿のコンプレックス
第2章 私たちを縛りつける「性」
女性用風俗の現場から/婚活戦線で傷つく女性たち/弱さを見せられない男性/ロスジェネとその傷
第3章 いまの時代の生きづらさ
Z世代の繋がり/年収400万円時代の生きづらさ
第4章 生きづらさを越えて
喪失感が生む生きづらさ/SNS依存から抜け出す/溢れるモノを「捨て活」/ごみ屋敷が告げたSOS/生きづらさとの付き合いかた

 

菅野久美子(かんの・くみこ)プロフィール
1982年生まれ。ノンフィクション作家、エッセイストとして孤独死や家族問題を追う。著書は『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』、『ルポ女性用風俗』などがある。最新刊『生きづらさ時代』は著者初のエッセイ。