彼がHIVに感染したのは一時期外国で自暴自棄な生活を送っていたためでした。もちろん私はそんな彼を手放しで受け入れることはできませんでした。彼がHIVに感染していると知ったとき、自分が陰性とわかっていても私の心が受けた衝撃は多大なものでした。もしも検査の順番が逆だったら、自分も感染しているかもしれないという恐怖に苛まれていたと思います。しかし、自分は大丈夫でもお腹の子供に感染していたらと夜も眠れない日が続きました。尊敬してやまなかった人なのに憎しみすら感じることもありました。彼は何度も私に詫びました。しかし詫びながら、子供は産んでほしいと懇願しました。私も子供を堕ろそうなどとは、はなから思ってもいませんでした。堕胎は殺人です。HIV感染がわかったからといって彼自身が自暴自棄になることはありませんでした。自業自得といえばそれまでです。血友病の患者の方など自分にはまったく過失がないのに感染させられた方もたくさんいらっしゃるのですから。
 それでも、彼の内なる絶望感は計り知れないものだったと思います。私は彼に結婚しようと言いました。お互いが状況を理解し合っていれば日常生活に大きな支障をきたすこともありませんし、これから生まれてくる子供のためにも父親はいてほしいと思ったからです。しかし彼は頑なにそれを拒みました。彼は意志が強いといえば長所になるのですが、それよりも、とても頑固な人でした。子供の幸せを最優先しよう。先程多くの人が一瞬息を止めたように、何か異物でも見るような目をしたように、世間ではHIV感染者に偏見の目が向けられています。たとえ子供が感染していなくても、父親がHIV感染者だと知られたらどのような扱いを受けるのか。友だちができても、その家の親はあの子と遊んじゃいけませんよと自分の子供に言うかもしれない。学校に通うようになれば、給食も体育の授業も何一つ問題はないのに同級生たちからだけではなく教師からも迫害されるかもしれない。確かに、父親のいない子供も偏見を受けるかもしれない。それでもまだ、社会的にはこちらの方が受け入れられるのではないか。そんな話し合いを重ね、私たちは結婚を断念し、私は一人で子供を産むことになりました。
 出産後、愛美も感染していないことがわかりました。どんなに胸をなでおろしたことか。大切に大切に育てよう、私がこの子を守るんだ、そう心に誓った私はすべての愛情を娘に注ぎ込みました。自分のクラスの生徒と娘どちらが大切か、と訊かれれば、当然、娘と答えます。当たり前です。愛美に一度だけ、パパは? と訊かれたことがあります。パパは愛美に会えないところでうーんとお仕事がんばっているんだよ。父親と名乗ることを自ら諦めた彼は残りの人生をすべて賭けるかのように、仕事に情熱を注ぎ込んでいきました。
 しかし愛美はもういません。
 


 一歳になった愛美を保育所に預け、私は仕事に復帰しました。都市部の保育所なら夜遅くまで預かってくれるところもあるのですが、片田舎の保育所では延長しても六時までです。実家も遠いため、シルバー人材派遣センターにお願いすることにしました。そこで紹介していただいたのが、学校のプールの裏手に住んでいらっしゃる竹中さんです。そうです。ムクという黒い大きな犬を飼われているお宅です。プール横のフェンス越しに、ムクにお弁当のおかずやお菓子をあげたことがある人もいるのではないでしょうか。竹中さんは毎日、保育所が終わる四時に愛美を迎えに行き、私の仕事が終わるまで預かってくれていました。愛美は竹中さんが大好きで、おばあちゃんと呼んでよくなついていましたし、ムクのことも「わたしがごはんをあげるかかりなの」と大変かわいがっていました。そのようにして、竹中さんには三年近くもお世話になっていたのですが、今年に入り、竹中さんは体調を崩され、しばらく入院されることになりました。入院されたからといってすぐに次の人を紹介してもらうというのも気が引け、竹中さんが回復されるまで、私は愛美を自分で迎えに行くことにしました。普段は六時まで延長してもらい、仕事を早く切り上げて迎えに行っていたのですが、職員会議のある水曜日だけは会議が長引くと時間までに迎えに行けなくなるため、あらかじめ四時に迎えに行き、会議が終わるまで保健室で待たせていました。内藤さんや松川さん、愛美とよく遊んでくれていましたね。本当にありがとう。よっぽど嬉しかったのか「おねえちゃんたちに、まなみちゃんってわたうさちゃんみたいっていわれたよ」と耳元で内緒話のように教えてくれたこともあります。
 泣かないで二人とも。
 愛美はうさぎが大好きでした。ふわふわした手触りのものも大好きでした。だから、小さい子供からみんなや高校生くらいにも人気のあるキャラクター『わたうさちゃん』が大好きでした。保育所に持っていくカバンもハンカチもティッシュもソックスもシューズも何から何までわたうさちゃんでした。毎朝、お気に入りのわたうさちゃんのヘアゴムを持って私の膝に座り「わたうさちゃんみたいにしてね」と言うのが口癖でした。休日、ショッピングセンターに出かけてわたうさちゃんグッズを見つけると「かわいいねえ」と目をきらきらさせていました。