中学校の教員になって丸八年、最初は修業も兼ねてなのか都市部のM中学校で三年、一年休職して、今度は県境に近いのんびりムード漂うこのS中学校で四年、実質七年勤務したことになります。
「あのM中学校?」そうです。最近テレビでよく見かける桜宮正義先生のいる学校です。はい落ち着いて。そんなに有名人ですか。「知ってるのか?」一応、三年間同じ職場に勤務していたので、知っていることは知っていますが、あの頃は熱血先生といっても今ほどではなかったので、多分みんなの方が詳しいのではないでしょうか。何ですか? 前川さん。「知らないから説明してほしい?」では、あまり気乗りしませんが簡単に。桜宮先生は中学生の頃から不良グループのリーダーで、高校二年生のとき、担任教師への傷害行為で退学処分になりました。その後世界中を放浪しながら、そこでもかなり危険なことをしていたそうですが、紛争や貧困の中で生きる人たちと出会い、共に生活するにつれ、自分の過ちに気付き、帰国後、高校卒業資格を取り、有名私立大学に進学し、中学校の英語の教員になられました。中学校を選ばれたのは、自分が道を踏み外した年頃の子供たちに同じ過ちを繰り返してほしくない、と思われたからだそうです。数年前からは学校が終わった後も繁華街を夜回りし、家に帰らずあてもなくうろついている子供たち、自分の学校の生徒ではない子供たちにも一人一人声をかけ「自分を大切にしよう。やり直しはたった今からでもできるのだから」と熱く説き続けてきたことから『世直しやんちゃ先生』と呼ばれるようになり、テレビ番組に出演されたり本を出版されたりと活動の場を広げられているようです。「先週テレビで同じことを言っていた?」それはどうも失礼しました。知っている人には退屈な説明だったようですね。「大事なところが抜けている?」三三歳を迎えた昨年末、医師から余命数ヶ月の宣告を受けるものの、人生を悲観することなく最期の瞬間まで教育者としてあり続けようとするその姿は熱血先生ではなく、もはや聖職者である、と言われていたところですか? 阿部くんはよく知っているのですね。「尊敬している?」「桜宮先生のようになりたい?」そうですか。
できれば後半だけ見習ってもらいたいものです。
さて、桜宮先生の話になってしまいましたが、熱血先生にあこがれる生徒たちからすれば私は少し物足りない先生だったかもしれませんね。先程も言いましたが、教員になりたての頃は私も熱血先生を目指していました。何か一つ問題が発生すれば、授業もそっちのけで全員で解決に取り組もうとし、誰か一人教室を飛び出せば、たとえ授業中でも追いかけて行きました。でも、あるとき思ったのです。完璧な人なんてどこにもいない。教員ごときが子供たちに熱く何かを語ろうなんて、勘違いも甚だしいのではないか。子供たちに自分の人生観を押しつけて、自己満足しているだけではないか。結局、子供たちを上から見ているだけではないか。一年間の休職が明けS中学校に赴任することになった際、私は自分にルールを設けました。子供たちを呼び捨てにしない。出来る限り同じ目線に立ち、丁寧な言葉で話す。この二つです。他愛もないことですが、ちゃんと気付いてくれる人はいました。「何に気付くか?」自分が何者であるか、ではないでしょうか。児童虐待のニュースが毎日のように繰り返されていると、子供は大人に虐げられていると思われがちですが、みんなのほとんどは、勉強をしてください、ご飯を食べてください、などと大人に頭を下げられながら大切に大切に育てられてきたのではないでしょうか。だから大人に対して、呼び捨てにできたり、ため口をきいたりできるのではないですか? 先生たちの中には、生徒にニックネームで名前を呼ばれたり、ため口で話しかけられたりすることが、生徒たちから好かれている証拠だと思われている方もたくさんいます。ドラマに出てくる熱血先生はほとんどそうですから。みんなは学園ドラマを見たとき、思ったことはありませんか? 熱血先生と問題を起こす生徒、両者は何か事件が起こるたびに深い信頼関係を築いていきます。では、エンドロールに何年何組の生徒たちとしかクレジットされない、その他大勢の立場はどうなるんだろう、って。熱血先生は授業中にもかかわらず、自分の経験や問題を起こした生徒の心の奥底にある気持ちを熱く語っています。でも、みんなそんな話を聞きたいのでしょうか? そんな話はいいから授業を続けてください。まじめな生徒が勇気を出して言うと、人という字は……などとさらに無駄話が続きます。挙げ句の果てにはまじめな生徒が問題を起こした生徒に、さっきは悪かったな、などと謝っていることもあります。ドラマならそれでいいのかもしれませんが、実際にそれを持ち込まれたらどうでしょう? そもそも、普段からちゃんとしている人に授業を中断してまで語らなければならないことなんてあるのでしょうか? 道を踏み外して、その後更生した人よりも、もともと道を踏み外すようなことをしなかった人の方がえらいに決まっています。でも残念なことに、そういう人には日常ほとんどスポットが当てられません。学校でも同じです。そして、それが毎日まじめに生活している人に自己の存在価値への疑問を抱かせ、時として、マイナスの思考へと向かわせていく原因になっているのではないでしょうか。