毎年十月二十七日になると、根本家にファクスが届く。根本賢相(六十七歳)はそれを楽しみにしている。自分が読んでから妻の百合子(六十六歳)に渡す。彼女が読み終えると、それを仏壇に供える。そんなことが八年近く続いている。古いファクスはファイルに綴じてある。
 ファクスの出だしはいつも同じ。「根本、おっつぅ~」となっている。呼びかけられている「根本」というのは、賢相のことではない。百合子のことでもない。彼らの娘、陽子このことだ。呼びかけているのは笹原浩平(六十歳)。陽子の職場の上司だ。「おっつぅ~」というのは彼らの間で、「お疲れ様」という挨拶をそういっていたらしい。

(一年目のファクス)
 根本、おっつぅ~! そっちはどうだ? 意外と快適か? 毎日俺がお前の写真に話してんの知ってるよな? まさか「きいてないよ~」は無しだぞ。
 お前がそっちにいったなんて、今でも信じらんないよ。あのときはショックだった。ミキから電話がきたんだけど、「なにウソついてんだ」って思ったよ。「死んだ? はあ? 根本が? だってあんなに元気だったじゃん、ウソだろう」っていったけど、ミキがガン泣きしてたから、これはマジだと思った。
 棺の中、小さな身体だったね。お前のことだから、そっちでも、みんなに好かれて楽しくやってるんだろうな。パパの英会話教室はうまくいってるのかね? ママも少しは立ち直ってきたかな? お前がいなくなって、みんな本当に悲しい思いをしたんだよ。夢の中でいいから、ご両親に孝行してやれよ。それから、俺んとこにも出てこいよ! な。

 根本陽子は二十七歳でこの世を去った。
 結婚してハワイに新婚旅行に行き、帰ってきて「いま、成田に着いた、明日お土産持って行くからね」と母親に電話をして、その翌朝に亡くなった。急性心不全だった。
 葬式は夫の実家の近くで行われた。会葬者が千人近くにも及び、陽子の交友関係の広さを示していた。
 葬式の後、夫側から親戚関係を絶ちたいという申し出があり、賢相も同意した。夫にはこの先長い人生が待っていて、陽子への思いに引きずられていてはいけないと考えたからだ。
 そう考えた賢相自身、娘への思いにとらわれ続けている。
「好きだった趣味が全部イヤになってしまったんです」と彼はいう。「ブルーグラスのバンドもゴルフもクラシック音楽もドライブもみんな嫌いになった。自分が楽しむことに罪悪感のようなものを感じるんです」
 賢相と百合子は、二人だけのときに娘の話はしないようにしている。泣き出すに決まっているからだ。
「テレビ観てるときにね」と百合子が小さく笑う。「悲しい場面があるでしょう。それにかこつけて、お互いここで涙流しとこうって感じで泣くんです」
 当然ここにいるべき娘がいない、そう考えると夫婦は自分たちだけで楽しむことができなくなった。旅行に行かなくなったし、外食もしなくなった。
 そんな二人を慰める日が一日だけある。それは命日の十月二十七日だ。陽子の学生時代の友だちがやってきていっしょに食事をしてくれる。それに笹原からファクスが届く。その日だけは、心おきなく娘の思い出に浸ることができる。

(三年目のファクス)
 この前、神宮の花火大会のポスター見てさあ、お前とミキと俺とで行ったこと思い出したよ。渋谷からタクシー乗ったら渋滞でさ、お前、地元だから裏道知ってて案内してくれたよな。焼きそば食べたり、ビール飲んだり、でかい花火に大騒ぎしたりしてさあ……。
 去年、パパから電話もらったよ。俺、元気出して話したけど、やっぱり涙出ちゃったよ。
 実は、俺の女房が先月、自宅で倒れたんだよ。子どもたちがすぐに病院に運んだけど、脳内出血だった。左半身完全にマヒしてるよ。さすがに今回は俺もまいった。
 お前と話がしたいよ。たまには夢に出てこいよ。正月に会ってから全然出てこないじゃんか。

 死んだ者は変わらないが、生きている者には様々な事が起こる。

 賢相と百合子は、娘を枠にはめないようにして育てた。中学校から短期大学まで一貫している私立の女子校に入れた。中学・高校は体操部で活躍し、大学はバスケットボール部で楽しんでいた。友だちが多く、陽子は男言葉で話していた。その結果、家庭でも職場でも男言葉を使うようになった。父親のことを「ケンショウ」、母親のことを「ユリコ」と呼び、自分のことは「ヨコちゃん」といっていた。
 子どものころから、陽子は周りを楽しくさせる人だったという。
「いつも周りの人に気を配ってるんです」百合子がいう。「私の母がいっしょに暮らしてたときですけど、母と私がちょっといい争ってて、そんなとき、あの子が帰ってくると、さっと雰囲気を察知するんです。で、母の傍に行って『お祖母ちゃんどうした? ユリコと何かあった? お祖母ちゃんユリコなんかに負けんじゃないよ』って、母は『うん』ってうなずいて元気になるの。私は台所でそれをきいてて、あの子が母にそういってくれることが、うれしいのよね」
「会社のことを面白おかしく話してくれたね」賢相が百合子にいう。
「『笹原部長はね』」百合子が陽子の声色を真似て話す。「『女好きなんだよ。だから、ヨコちゃん、大きな声で、セクハラ部長、セクハラ部長って呼ぶんだ、そしたら頼むからそれだけはやめてくれって』ね」
「あの頃は、毎晩のように夜の一時近くまで、陽子の話をきいて涙流して笑ってた」
「楽しくって楽しくって」
「面白い子だったね」

 賢相は外資系の金融関係で働いてきた。いまは退職し、原宿の自宅で英会話を教えている。彼の経験から、自由奔放な陽子は、外資系の会社でなければ勤まらないだろうと考えていた。学校を卒業してから、二年間英語を勉強させた。そして外資系のカード会社に就職させることができた。そこにいた上司が笹原だ。

 毎年ファクスを送り続ける笹原に話をききに行った。
「陽子さんってどんな人でしたか?」私がきく。
「細くて、小さくて、百五十三センチっていってたかな、可愛い顔してました」笹原が思い出して笑う。「朝、私が自分の席にいると、柱の横から顔だけちょこっと出して、『おい』っていうんですよ。『なんだよ』『タバコ吸いに行こうぜ』『さっき吸ったよ』『そんなこというなよ、もう一回行こうぜ』って。変わってるでしょう。私は上司ですよ。
 廊下を歩いてると肩組んでくるんです。『どこ行くんだよ』って、『支社長のところに資料持って行くんだよ』『そうか、頑張れよ』って、こんな調子です」
 陽子の仕事は、未払いの人へ電話で催促する回収業務だ。その電話のときは敬語を使っていたという。
 笹原は業務全般を管理する部長だ。
 陽子は二十人の部下をかかえるグループリーダーで、部下には自分より年上の人が多かった。
「外資系の自由さはあるんですけど」笹原がいう。「結局数字、数字ですから、その面では厳しいんです。私が彼女に『こんな数字じゃダメだよ』っていうと、『だけどヨコちゃん一生懸命やってんだよ』って、『一生懸命やってたら数字変わるはずだろう』そういって怒ると、悔しいんでしょうね、目がうるうるしてくる。『なんだよ、そんなこといったら泣いちゃうじゃないかよ』って。『お前泣いてもダメだぞ、もっと良い数字だせ、改善しろ』『わかったよ』プイって席に戻っていく。
 それで数字が良くなってきて、『お前んとこ、最近数字良いな』っていうと、『だろ、だろ、見た』って、『毎日見てるよ』『良いだろう、ほめてくれよ』『ほめてやるよ』『ちゃんとほめてくれよ』『良くやったな』っていうと、すごく喜ぶんです。
 私はいろんな部下とつき合ってきたけど、あんなに仲良くなったのは彼女だけですね。一日いっしょにいて飽きないんだから」
「どんなところが彼女の魅力なんですか」
「明るいし、のびのびと生きてる感じが伝わってくる、アイツが傍にいると、こっちまでのびのびとして楽しくなってくるっていうのかな。
 困ったことがあって、私が頭かかえて仕事してると、机の横のパーテーションの上から手が出てきて、チョコを五、六個バラバラって置いてったりする」
「そういう気づかいをするんですね」
「いいヤツなんですよ。夕方になると、『今日はどうよ』ってメールが来るんです。『メンバーは?』って返信すると、『三平、ミキ、ガン、ヨコちゃん』『じゃ、先に行っててくれ』って、ほぼ毎日飲む。といっても二時間ぐらいですけどね」
「飲み屋で仕事の話をするんですか」
「仕事の話はほとんどしない。若いもの同士の会話ですよ。音楽とか洋服の話とか、こっちはきいてるだけ、それと金を出すだけ。ときどき、『オヤジ、これ聴いてみろよ』とかいってCDを貸してくれたりしましたけど」
「誰のCDですか」
「そのときはトミー・フェブラリーだったかな。まあ、流行の音楽です。それと、帰りなんですけど、アイツは原宿で降りるんです。こっちは新宿経由八王子ですから電車の中にいる。そうすると、ドアの前に立って、でかい声で『じゃな、オヤジ、明日な』って大きく手をふるんですよ。けっこう混んでる電車だから、恥ずかしくってね」
「どうしたんですか」
「仕方ないから、私も手をふり返しましたよ」

(六年目のファクス)
 この前、お前の大好きだった「あかまんま」に、鶴田とミキとガンの四人で久しぶりに行ったよ。ヒゲのマスター、覚えているだろう? 彼が『顔の小さな可愛い人、会社辞めたの?』ってきくからさ、死んだって教えたら、急に涙ぐんじゃって「いっつもフライドポテト美味しいっていってくれてたのにね」って。しんみんりしちゃったよ。ここにいて当然のヤツがいないとさびしいもんだよ。
 ウチの女房は相変わらずマヒしたまま。平日はヘルパーさんにお願いして、土日は俺が家事全部やってる。料理がうまくなったよ。
 ところで、会社は親会社が変わって、ひどいもんだよ。みんなリストラに遭ってるよ。俺ももうすぐだな。もう五十八だから、サラリーマン人生も終わりだね。お前といっしょに仕事できて楽しかったよ。
 お前のこと絶対忘れないからな! 寂しくなったらいつでも出てこいよ! じゃあな。

「どうして毎年、陽子さん宛にファクスをしてるんですか」私がきく。
「突然いなくなったからショックでね、アイツがくれた写真が机の上にあるんです」笹原が手で大きさを示す。キャビネサイズだ。「それを見ながら、メールしてた頃の調子で書いてると、一瞬、アイツがいるような気持ちになる。そこから顔出して、『おいオヤジ』って。ときどき、夢にも出てくるしさ」
「どんな夢を見るんですか」
「二年くらい前だけど」笹原が頭をかいて笑う。「白いダウンジャケット着てた。私が『金貸してくれよ』っていったら、ポケットから五百円玉二枚出した。『そんなんじゃ足りないよ』って、『これしかないんだから仕方ないだろう』って。変な夢ですよ」
「最近はどんな夢を見ましたか」
「ここ一、二年アイツ出てきません。亡くなってから、もう八年だからね。正直なところ、年々、薄らいではきてますよ。そういうもんでしょう」

 賢相と百合子に再び会った。
 笹原と会ったことなどを伝えた。
 二人と話をしていて、居間の隅にギターがたてかけてあるのに気がついた。確か前にはなかった。そのことをきくと、やめていたブルーグラスのバンドを再開したのだという。
「この人が」百合子が思いだして笑う。「はじめて人前で歌ったときに、陽子が見に来たんです。『頑張れケンショウ』って大きな声で、ね」
「上がっちゃうし、下手だったし、おたおたしてたからね」賢相が笑う。「どうにか演奏が終わって、そうしたら、陽子が傍に来て『ケンショウが楽しんでる姿見るのヨコちゃんうれしい』っていってくれたんです。その言葉を思い出してね。あの子が喜んでくれてるんだからと思って、またやることにしたんです」
 たてかけてあるギターの横に額に入った写真が置いてある。黄色のドレスを着た陽子が微笑んでいる。

 八年目のファクスが根本家に届いた。

 根本、おっつぅ~! 急だけど、今夜飲み会実行! 場所は「あかまんま」 メンバーは、片岡、鶴田、ガン、工藤、ミキ、三平、俺、お前(写真参加な)。懐かしいだろ。一番可愛い写真持ったから安心しろ。