六畳の部屋いっぱいに楕円形に敷かれた線路の上を八両編成の電車が走っている。植田孝一(三十六歳)は、畳に顔をつけるようにして電車を見ている。植田はいわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる鉄道オタクだ。この歳になるまで女性とつき合ったことがない。彼は都内で生まれ育ち、工業高校を出て、東京都の職員になった。三十歳のときに、親に頭金を出してもらって一戸建ての家を買った。仕事は安定しているし家もある。たりないのは嫁さんだけだ。
 三十三歳のときに結婚相談所に入会し、二年間で十回お見合いをした。全部ダメだった。
「気に入った人はいなかったんですか?」私がきく。
「いましたけど、向こうから断られちゃうんですね」植田が笑う。
「どうしてですか?」
「さあ、私の外見が良くないからでしょうかね」植田が笑うと、大きな縁の眼鏡の奥で目がへの字になる。小説家の大江健三郎に似ている。
 結婚相談所の女性に、「植田さん、調子に乗ってオタクの話をするからダメなんですよ」といわれた。
 三十五歳になったときに結婚相談所はあきらめ、インターネット結婚情報サービスの会員になった。会費を払うと、自分のプロフィールを公開でき、女性会員のプロフィールを見ることができる。気に入った人がいれば、サービス会社経由でメールを送ることもできる。植田は自分のプロフィール作成にあたって、趣味の欄に音楽とか旅行と書き、鉄道のテの字も出さないようにした。
 その後、待っていたが、いっさいメールは来なかった。こちらからメールを送っても断りの返事が来るばかりだ。
「これだけやっても」植田が頭をかいて笑う。「誰からも相手にされないんだから、もう、一生結婚できないって思った方がいいのかもしれませんね」
 二〇〇五年の国勢調査によると、三十代前半で、男性は二人にひとり、女性は三人にひとりが結婚していない。その人たちの約九十%が結婚したいと思っている。
 結婚したいと思っているのに、なぜ結婚できないのだろう?
『希望格差社会』の著者、山田昌弘は、主要な原因のひとつとして経済格差の問題をあげている。非正規雇用の人たちが増え、また正社員でも給料が上がらず、収入が少なくて結婚できないでいるのだ。
 経済格差については社会政策によって改善するしかないのだが、社会政策は今すぐ実行されるわけではない。そこで、収入の低い男女が結婚するには、「男は仕事、女は家庭」という考えを捨てて、共に働き、共に家事・育児をするようにしなければ無理だろうと山田は結論づけている。
 山田のこの考えは、「婚活」している人たちに伝わっているのだろうか。
 中山千絵(三十八歳)は建設会社で事務員として働いている。二年前から積極的に合同コンパ(合コン)やお見合いパーティに参加してきた。好みの男性は何人かいたが、メール交換はしても、つき合うまでにはなっていない。彼女は目を惹くような美人ではない。
「自分の魅力はどんなところにあるとお考えですか」私がたずねた。
「やさしいところだと思ってます」彼女がニコッと笑う。「以前つき合っていた彼氏がそういってくれたから」
 二年前まで中山には恋人がいた。彼女が働いている会社に、彼は派遣社員としてやってきた。仲良くなり、七年間つき合った。七年間でわかったことは、派遣社員の彼の給料は増えていかないということだった。三十代後半になり、結婚して子どもを産みたいと思ったとき、彼の収入では無理だと中山は考えた。彼女は意を決して彼と別れた。
「いくら気持ちがピッタリ合ってても」彼女がいう。「お金のない人と結婚したら自分が
不幸になるでしょう」
「相手の方の年収がどのくらいならいいんですか?」私がきく。
「こんな時代ですから、贅沢はいえないですね」彼女が少し考える。「私がパートやって、生活できるくらいなら……」
 中山はいまの仕事を続ける気はないらしい。彼女にとって、結婚するとは専業主婦になることなのだ。
「年収が三百万円ぐらいだったらどうですか?」
「いやー」彼女が大きな声を出して笑う。「それはないでしょう」

 こんなデータがある。東京に住んでいる未婚女性の約四十%が結婚相手の年収は六百万円以上でなければイヤだと思っている。それに対して未婚男性の中で年収六百万円以上の人は、わずか三・五%しかいない。女性たちは一部の男性に集中し、ほとんどが結婚できず、一方、低収入の男性は見向きもされないのが現実だ。
 婚活中の女性の多くは、派遣社員の男性と共働きでいいから結婚しようなどとは考えていない。

 稲葉義男(三十八歳)は東京大学を出て、大手銀行に入り、いまはコンサルティング会社に勤めている。ニューヨークに六年間住んでいた。
「アメリカでは」稲葉がいう。「みんな明るくインターネットの結婚情報サービスを使ってましたね。日本人も含めて。友人の紹介よりいい人が見つかりやすいって。私の親友もそのお陰で結婚したんです。米国人ですが」
 稲葉は二年前に結婚情報サイトの会員になった。プロフィールの年収の項目は最高の二千万円以上で、相手への希望は、海外で暮らした経験のある人としている。
「どうして三十八まで結婚できなかったんだと思ってますか?」私がきく。
「親からもまったく同じことをいわれます」稲葉が苦笑する。「でも、そんなに焦ってません。ここまで待ったのも、広い世界からいい相手を見つけたいからなんです。元カノより納得できる人をね」
 稲葉の元には月に二、三通は女性からメールが来るという。冒頭に紹介した植田の場合、女性からのメールはまったく来ないし、彼の方からメールを送っても断りの返事しか来なかった。インターネットサービスの利用者の多くが、メール交換はできても、会えるようになるのはかなり難しいといっていた。
「そうかな?」稲葉が首を傾げる。「僕は会ってみなければわからないという考えだから、一、二回メールしたら、会いましょうっていうんです。それでだいたい会えますけどね」
 彼はいままでに七人の女性と会った。どの女性も素敵な人だった。が、結婚したいとまでは思えなかったという。
「素敵だなと思える人でもダメなんですか?」私がきく。
「結婚相手だから、この人だっていう人じゃなきゃ難しいんです。女性の方も同じ思いでしょう」
 稲葉の目の前にはたくさんの素敵な女性がいる。それだから逆に、選ぶのが難しいのかもしれない。
 可能性だけを考えたら、それこそ星の数ほど相手はいるのだから、選ぶなんて不可能だ。

 小笠原清(三十八歳)は大手出版社の営業部員だ。私がその会社の編集者の女性に、婚活について取材しているといったら、この人こそミスター・コンカツだといって紹介してくれた男性だ。日に焼けた顔をしていて笑うと白い歯が目立つ。二枚目だ。
「おそらくボクはこの二年で、二百人以上の女の子と会ってます」と小笠原が笑う。
 彼は毎週のように合コンに参加している。
「わざわざ合コンしなくても、社内に魅力的な女性がたくさんいるんじゃないですか?」私がきく。
「うーん」小笠原が目を天井に向けて社内の女性たちを思い浮かべ、それから白い歯を見せて笑う。「いますね。でも、リスクが高すぎます。いいなと思う子がいて、告白して、イヤだっていわれたら、翌日から気まずくなるじゃないですか」
 一九八五年に成立した男女雇用機会均等法以後、女性の本格的な職場への進出があり、セクシャル・ハラスメントという言葉が定着するなど、職場は恋愛の生まれる場ではなくなったのかもしれない。

 奈良県が少子化対策として行っているお見合いパーティを見学した。対象者は三十歳から四十三歳の独身男女。場所は奈良市内の高級レストラン。
 六人がけのテーブルに男女が向き合って座っている。男性十五人、女性十三人。
 中年女性の司会者が進行手順を説明してから始まる。
 向かい合った男女が、年齢、職業、趣味などを書いたプロフィールの紙を交換する。それを見ながらお互いが質問する。いっせいに話しはじめたので室内は急にガヤガヤしだした。
 チリン! 鈴が鳴る。潮が引いていくように話し声が消えていく。一組の会話時間は三分と決まっている。「プロフィールを相手の方に返して下さい。男性はグラスを持ってひとつ右に移動して下さい」司会者がいう。
 男性たちがいっせいに隣の椅子に移る。そしてまた三分間のおしゃべりが始まる。好きな食べ物や趣味、住んでいるところや仕事など、表面的な会話があっちでもこっちでも交わされている。
 一巡すると、バイキング形式の食事になり、自由に交流する。食事を少しだけ取っていち早く好みの女性の前に座る男性がいるかと思うと、料理を取りすぎて相手にあぶれてひとりで食事をしている女性もいる。
 食事が終わり、女性から気に入った男性のところに行って良いことになる。三十分後、今度は男性が気に入った女性のところへ行く。
 三十歳の女性の前に三人も男性が群がっている。他はなんとなくカップルになっている。ただひとり、四十一歳の女性の前にだけ男性がいない。おっとりとした下ぶくれの美人だ。目の前のコーヒーカップをじっと見つめている。周りでは男女の会話がはずんでいる。下ぶくれの頬が赤くなっている。あっちこっちで笑い声がはじける。三十分間、ひとりぼっちの彼女はコーヒーカップだけを見つめていた。顔全体が赤くなり、耳まで真っ赤になっている。
 最後に、全員元の席にもどり、自分の好みの人の番号を第三希望まで小さな紙に書いて司会者に渡す。男女で一致すれば、カップルが成立する。この日成立したカップルは五組。
 下ぶくれの美人は入っていなかった。
 パーティが終わると、彼女はサッサッと出口に急ぐ。私は彼女を追いかけて、話しかけた。
「こういうお見合いパーティに参加されるのは何回目ですか?」
「十回目です」彼女が小さな声で答える。
「失礼ですけど、最後におひとりで座っていたでしょう」
「あんなの初めてです」
「あの時、どんなこと考えてましたか?」
「今日はうまく自分のこと話せなかったなって思ってました」
「つらくなかったですか?」
「べつに」
 あとから出てきた人たちが私たちを見ながら追い越していく。なお、私が質問しようとすると、
「すみません」といって、彼女は小走りに去っていった。
 婚活は一種の選別だ。選ばれる人がいれば選ばれない人もいる。収入が低くて相手にされない男性がいるし、年齢が高くて声のかからない女性がいる。また、見た目の魅力がなくて無視されつづけている男女もいる。
 選ばれなければ、それも何度も選ばれなければ、人は傷つく。

 最後に、冒頭に紹介した鉄ちゃんの植田孝一のその後を報告する。
 インターネット結婚情報サービスの会員になった植田は、「女性はオタクが嫌いですよ」という結婚相談所の人の忠告を守って、鉄道好きを伏せてプロフィールを作った。が、半年経っても女性からのメールは来なかった。
 そんな頃、インターネット結婚情報サービス会社主催のパーティがあった。行ってみた。そこでサービス会社の広報担当の女性と会った。植田は彼女に婚活がうまくいかないという話をした。三十分ほど広報担当にきかれるままに自分のことを話した。広報担当はこういった。
「植田さんの鉄道の話、すごく面白いです。ぜひ、趣味の欄に鉄道って書いて下さい。百万人会員がいるんですから、鉄道の好きな女性もきっといますよ」
 植田はプロフィールを作り直した。鉄道が好きだと書いたし、自分で撮影した鉄道の写真も載せた。
 プロフィールを変えてから、メールが来るようになった。そのうちのひとりと気があった。彼女は職場の異動で大阪から東京にきたばかりだという。「東京にも京橋があるんですね」とメールが来た。
「あります。日本橋もあります。ただし、ニッポンバシではなくニホンバシです」と返信した。
「身長百七十七センチなんです。まじ引きませんか?」と彼女。
 彼の身長は百七十センチ、彼女の背の高さにちょっと驚いたが、
「どちらかというと背の高い人の方が好みです。私は鉄ちゃんなので、地下鉄とJRを使って、一日で東京の名所をご案内できます」とメールした。
「私は時代小説が好きなので、人形町とか深川に行ってみたいです」と返事がきた。
 携帯電話の番号を教え合い、電話で話し、初デートの約束をした。彼は都営地下鉄の一日パスを用意し、綿密な行動スケジュールを立てた。
 デート当日、浅草も蔵前も八丁堀も、すべて彼女は興味を示した。うれしそうに「鬼平犯科帳」や「居眠り磐音」の話をしてくれた。なにより驚いたのは、彼女の方から彼の手を握ってくれたことだった。
 植田がこの話をしたとき、目をへの字にして笑いながらこういった。
「生きてて良かったですよ」
しかし、この話には後日談がある。

 先日、植田から電話があり、彼女と別れたという。
 両方の親に会いに行き、結婚しようということにまでなっていたのに、子どものことで対立した。植田は子どもが欲しいといい、彼女はいらないといった。それで別れたという。
「なにも別れなくても……」といいかけた私に、
「お互い条件の合う人を探そうということになったんです」と植田がキッパリといった。
 条件でつき合いはじめる婚活は、条件が違えば簡単に別れるのか、と思った。あんなにうれしそうだったのに……。
 中山千絵はやさしいところが好きだといってくれた派遣社員の彼をふった。稲葉義男は元の恋人よりも良い人がいるはずだと信じている。小笠原清は今度こそ素敵な人が来るんじゃないかと思って合コンをやめられない。植田孝一はやっと出会った彼女だったのに条件が合わないからと別れた。
 彼らに共通するのは、探せば理想の相手と出会えると思っている点だ。そしてこれが婚活ブームがふりまいてきた気分だ。この気分は目の前に相手がいるときに、もっと良い条件の人がいるのではないかと耳元でささやく。こうして、いつまでも相手探しをつづけることになる。相手を断り、自分も断られつづけることで、婚活をしている人たちは心の奥底で傷ついている。
 婚活は、結婚への近道のように見えて、逆に結婚を遠ざけていた。