国境の旅

 

 僕がはじめて書いた原稿は、「旅に出るので会社を辞めます。ある日突然、あなたを襲う『深夜特急』症候群とは?」というものだった。当時の肩書きを見ると「正真正銘の偽サラリーマン」となっている。翌月には同じ雑誌で、「深夜特急」完結編を出したばかりの沢木氏にインタビューをした。「それでも旅に出たほうがいい」と題されたインタビューの中で、僕は若気の至りでかなりしつこい質問をしている。そして、さらに翌月には、自分が書いた原稿の通りに旅に出たのだった。
 時が経ち『地の果てのダンス』という本に収録された旅行記と、初めて雑誌に書いた原稿を読み比べた。そして、今さらのように気がついている。ノンフィクションに嘘はないが、都合のいいように書き替えているか、今でもはっきり覚えているのに、書かなかったことばかりなのだ。
 虚構と現実の狭間で作品を書き続けている僕にとっては、ますますやっかいな話なのだが、昨日の献立も覚えていないのに、「どうして過去の、ある物事を、かくもはっきり覚えているのか?」という、「記憶」と「言表」について考え直すきっかけとなった旅行記だった。
 そして、あてもなくただ旅に出るのは何かが欲しいのではなくて、むしろ、自分中に溜まった塵芥を捨てに行くのだ、と思うようになった。

 

 

ベトナム

 

 2週間前にベトナムに入ってから今日まで、あまりの騒音と暑さと、ひっきりなしにやってくる物売りに追いかけられて、葉書の一枚も書けなかった。雨期を前にした4月のサイゴン(※現ホーチミン)は1年でいちばん暑い。気温は摂氏40度……おれはやっと見つけたカフェのテーブルにへたり込み、フランス式のエスプレッソを氷で冷して流し込む。

「1995年4月
 拝啓
 ここでは夏が膿を垂らしながら腐っていきます。」

 数日前にそう書いたままのノートは、汗とビールにまみれてただのパルプになりかけていた。
 タイからベトナムまで一緒に旅を続けてきたカメラマンのジェフは、昨日の夜、ひと足先にサイゴンを出て、飛行機でプノンペンへ向かった。おれは明日の朝5時のバスで国境を越えて、夕方にはプノンペンのキャピタル・ゲストハウスで落ち合う予定だ。ハノイのゲストハウスで聞いた話では、今年に入ってから数人のオーストラリア人旅行者が二人もカンボジアの国境近くで拉致されて行方不明になっていた。陸路でカンボジアに入って検問に引っ掛かれば面倒なことになるのは目に見えていたジェフは、しょうがなく飛行機を選んだ。それに二人とも、サイゴンを一日でも早く出たかった。それほどサイゴンはうんざりするような街だった。

「GIのジッポとベトコンのヘルメットを十ドルで売っていた。
 ヘルメットは最初の一発で殺られていた。
 ライターに刻まれた言葉は、死に損なっていた。
VIETNUM
71-72
DONG BA TIEN
DEATH IS MY BUSINESS
AND BUSINESS HAS BEEN GOOD
あんたの脳みそをぶち抜いた一発は何にとどめを差したんだ。
来月にはパレードがある。
ぶち抜かれた脳みそを忘れるためのお祭りがある。」

 ここまで書く間に、三人のガムを持った子供と五人の絵はがき売りと二人のアクセサリー売りと、他にもわけのわからんガラクタをわんさか抱えた連中がかわりばんこにやってきた。いつまでだって目の前に立ってるんだ。おれがこの手紙をすっかり書き終わって、コーヒーもビールももう飲めなくなって、くたくたになって降参してお金を払うまで……ワン・ダラー……しわくちゃの、よれよれの、まっ茶色になったワン・ダラー……たまりかねたおれは、それを、売り物のチューインガムを抱えた女の子のちっちゃな手にそっと渡した。じゅうぶん気をつけたつもりだったが、まわりにいた連中は見逃しっこなかった。もう一枚よこせだと! 次の小僧も! あっちのおっさんも! シクロの運転手まで「どこまで送る?」なんて手招きしている。
 ここではおれみたいなやつらは、ぶらぶらしてる外国人は、みんな十把一絡げでそういう輩だと思われている。おれはいくらがんばったって、君らの大群をみんな相手になんかできっこない。金輪際お断りだ。おれにはいくら頑張ったってあんたたちみんなにお金なんかやる気はないんだ。

 サイゴンに来る前に、僕たちはハノイにしばらく滞在していた。
 ハノイはサイゴンにくらべれば落ちついた街だった。旧市街に見つけた小綺麗なホテルの前の通りには細々した雑貨を売る店が軒を並べ、色とりどりのプラスチックのバケツを山のように積んだ自転車が行きかっていた。ダブルベッドがひとつしかないホテルは連れ込み宿のような造りだったが、近くの湖のほとりのカフェに行けば、朝から焼きたてのフランスパンを食べることができた。
 夜の10時を過ぎるとハノイの雑踏は深い静寂に変わる。おれたちは毎晩、人気のない暗い道を、自転車に乗って近くのバーに繰り出していた。カウンターでたたばこをふかしながら、本物のヘビが10匹も入ったきつい酒を飲んでいた。大きなビンから、じかに注いで、ショットグラスで……5杯めぐらいで記憶が途切れた。
 真っ暗な通りの煤けた町並みに似合わない洒落た内装のそのバーは、「アポカリプス・ナウ」という名前だった。昼間にしらふになって看板を見ても、フランシス・コッポラの映画の題名と同じ「地獄の黙示録」と書いてあった。カウンターの中に早口のバーテンがいて、いくらでもヘビ酒を注いでくれた。
「サイゴンにも親戚がやってるアポカリプス・ナウがあるんだ」
「そりゃ良かったな。乾杯だ! 一杯おごるよ」
「他にも二人親戚がいて、グッドモーニング・ベトナムっていうバーをやってたんだけど、そっちは客足がさっぱりで潰れちゃってさ」
「そりゃ残念だな。もう一杯だ!」
「もう一人親戚がいてさあ」
「たぶん名前が悪かったんだな。もっと強烈な映画の名前じゃないと、あんたらみたいな観光客には受けないんだよ。もう一人の親戚のバーがあって、名前を当てたら一杯おごるよ」
「どうせプラトーンとか、フルメタル・ジャケットとか、そういうんだろ」
「いや、もっとすごいんだ。ハート・オブ・ダークネス・ダークネスってんだけど、そっちのほうは儲かってる」
 カウンターの端に黒い髪の女が人いて、同じヘビ酒を飲んでいた。どこの国の人だったのか、旅行者だったのかも覚えていない。おれが帰る間際になって、彼女はおれに「あなたのことを占ってあげる」と言って、額の上に掌を当てたのだと思う。彼女はそれからなにかを言った気がする。ヘビになったおれはジェフに抱えられて店を出た。自転車を飛ばしてホテルにたどり着くまでに二回も堀に突っ込まなきゃならなかった。
 

 サイゴンにはほんとうにアポカリプス・ナウの本店だか支店だかがあったが、スヌーカーが置いてあるただ広いだけのつまらない店だった。おれたちはローリングストーンやレックス・ホテルをはしごして、掘っ建て小屋の前にスーパーカブが並んだ地元のバイカーズの店や、真夜中の青物市場の屋台にまで繰り出していた。朝まで飲んでとことん話せるならば、どんな場所でもいとわなかった。
 生ぬるいビール。マルボロを一箱。ネズミが足元を這い回っている。おれはゴミの臭いに欲情して反吐を吐く。やがて疲れ果て、薄暗いホテルのベッドに突っ伏して目が覚める。またぞろ太陽の下に放り出される。
 ジェフと別れて一人になったおれは、バーやカフェまで歩くのもだんだんおっくうになった。ベッドの上でノートを開いたとたん、もう何も書くことなどないような気がした。もう何も考えられなくなってしまっているのがはっきりわかった。思いばかりがこみ上げてきて、何もまともに筋道を立てて考えられない。おまけに三日前からひどい下痢で、部屋に戻ってベッドで丸くうずくまっても、眠ることもできなかった。旧式のエアコンが頭の中でサイレンのように唸っている。ジェフと一緒にいる時はまだそれでも良かった。一人になると、自分は何をしているのかすらわからなくなる。今や神経はズタズタだ。一人で何も食わずにこうやっていれば、誰にも知られずにくたばることもできるんだろう。
 そのままじっとしていると、自分の指先がどこにあるのかすらわからなくなって、体が深く深く沈んでいく。ここの明かりは蚊も見えないほど真っ暗だ。机の上のノートが、ぼんやりした明かりの下で何かの形を取りはじめる。気を取り直してペンを持つ。ペン先がパルプの塊にずぶずぶめり込んでいく、シャワールームで顔を洗ってみる。真っ白いトカゲが目の上に張り付いている。トカゲに食われたおれの顔が、鏡の中からこっちを見ている。

 おれは間違いなくダメになりつつあった。

 壁の時計がカチカチ鳴っている。荷物をまとめるのも面倒くさくなった。プノンペン行きのバスが出るまであと5時間……おれは旅をしながら逃げている。仕事も彼女との生活もほっぽり投げて、またこんなところまで逃げ出してきている。おれはそれがやり切れなくて窒息しそうになっている。何もかも放っぽり投げてこんなところまで逃げ出してきてるのが明らかな証拠だ。おれの頭は手紙を書くにはへたり過ぎている。どうして多くの人が「何かしなくては」などと思い悩むんだろう。おれはまた逃げ出してきてしまった。
 その逃げた先にあるのは、旅にあるのは、どこに行ってどこに泊まってどこで食べてどこで排出するか、これだけだ。どうしようもなくそれを繰り返す肉体があるだけだ。

 時計の針が3時を回った。このホテルのこの部屋にもう二度と来ることはないのだと思うと、むしょうに落ちつかなくなって、部屋じゅうを、ベッドの下まで見渡してみる。
 おれは自分にある規則を課した。

 何も考えるな。とにかくどこかへ移動するんだ。

 寝静まったホテルをそっと抜け出して、真っ暗な道をバスの待合場所へ歩いていった。

 

国境

 

 十五人乗りのダッジラムが荒野の一本道を時速120キロで走って行く。いきなり車が傾いて椅子からずり落ちそうになる。一本道のチキンレースにはもうだいぶ慣れてきた。対向車がぶつかるスレスレでどちらかの車がハンドルを切る。隣の男はずっとゲームボーイをピコピコ鳴らしている。後ろの席には怪しい大荷物を抱えた二人の男。前の席には派手な化粧をして香水の臭いをぷんぷんさせた四人の女の子。運転手の隣にはその世話役の男……つまり、おれも含めて、まともそうな乗客は一人もいなかった。
 サイゴン-プノンペン間を走っている定期バスは向こう一週間運休していて、旅行会社はどうしても陸路で行くと言い張るおれにこのバスを手配してくれた。これは「特別の臨時バス」で、おれが受け取ったチケットは、旅行会社のメモ用紙にボールペンで「LE RAI 630番地。25ドル」という住所が書かれたただの紙切れだった。
 待ち合わせ場所で運転手にそれを見せると、彼はおれを無視してバスに線香をささげていつまでもわがダッジラムの旅路の無事を祈っていた。怪しい二人のビジネスマンも、四人のお姉さんも、みんなおれとは目を合わせなかった。英語もフランス語も、日本語でも試してみたが、無駄だった。結局、おれは勝手にバスに荷物を放り込んで席におさまっていた。

 ベトナムの国境で運転手の隣の男にパスポートを集められ、彼が出国手続きをしてくれるのを待った。カンボジア国境でまた車を止めて入国手続きを待つ。気温は40度をとっくに越えていた。二つの国境の真ん中に100メートル四方の空き地があって、自転車でやってきたベトナム人とカンボジア人の市が立っている。バッテリー、ガソリン、野菜、煙草、缶ジュース……ありとあらゆるものが物々交換で右から左に運ばれていく。もちろん、彼らはパスポートなど持っていない。二つの国境線には有刺鉄線の柵があったが、広場の両側、つまり二つの国境線の間の土地は、どこまでも続く畑だった。畑を耕す牛の彼方からスーパーカブに乗った農民がやってくる。彼がいる場所から言えば、彼はどっちの国の住民でもなかった。
 パスポートを持っていった男がおれを呼ぶ。
「おい、おーい、そこのジャパン」
 壁のない小さな掘っ立て小屋がいくつかあって、入国係員のいるカウンターにはハエが何十匹もブンブン飛び回っていた。目の前にいる女性がおれのパスポートを書き移す間に、何回も間違ってそのまま上から書き直していた。書類は今やしわくちゃのハエ取り紙のようで、彼女がすっかり仕事を終えるまでに20分以上かかったが、入国審査はそれだけだった。

 カンボジアの道はベトナムよりもずっとひどい。日差しはますます強くなり、バスの窓からは果てしない岩と赤土の砂ぼこりの大地が見える。道路状況はますます悪化していた。わがダッジラムはエンジンをぶんぶんいわせてがんばっていたが、それも時間の問題だった。
 まずクーラーが止まった。
 すぐにスピードが半分くらいに落ちた。前に座った女性のマスカラはもう汗でドロドロに溶けて流れていた。ゲームボーイのピコピコも聞こえなくなった。
 やがて車はよろよろと右側の土手に突っ込み、惰性で10メートル走ったところで、完全に停止した。
 ボンネットを開けると、まさかとは思ったがラジエターからシューシュー白いものが吹き出していた。
 ただの国境越えは、今やほんとうのサバイバルになりつつあった。こういう時には、偶然その場に居合わせた同士とはいえ、妙な連帯感が生まれるものだ。女の子たちとボトルの水をわけあって飲んだ頃には、おれたちはすっかり過酷な旅に立ち向かう同志だった。彼らはみな正月で里帰りするカンボジア人で、運転手の隣りにいた男はこの旅のガイド兼女の子たちの世話役だった。女の子の一人は首に蝶々の入れ墨をしていて、一番グラマーな彼女は四人の親玉だった。
 運転手は近くから泥水をくんできてはラジエターにひっかけていた。ゲームボーイの男が女の子たちをからかっている。おれが木陰に放尿に行くと、彼も隣にやってきてジッパーをおろした。
「セックス・セックス・プロデューサー」
 彼女たちはベトナムに出稼ぎに行っているらしかった。
「あんたの仕事は」
「おれは……まあ、貿易だ」
「何を運んでるの?」
「それはちょと言えないな。さっき国境の係員に半分あずけてきた。あいつらは何でも持ち出せるからな。でも半分だけだぜ」
 旅の仲間は、つまりそんな人たちだった。みんなで泥水運びを手伝ったが、ラジエターの方は全然ダメだった。冷やせば直るという問題ではなくて、ファンベルトが一本ぶち切れていた。

 一時間後、ファンベルトなしのままで、ダッジラムは最高時速30キロでトロトロ一本道を走り出した。それからさらに4時間か5時間がたった。プノンペンまであともう少しという所で、いちばん会いたくなかった人影が砂ぼこりの向こうに立っているのが見えた。マシンガンを持ったミリタリー・ポリスだった。

 車が止められ、全員が下ろされる。路肩に大きな小屋があって、何人もの兵隊がゾロゾロ出てきた。着ている制服はまちまちで、ヘルメットを被った人と、MPの腕章をした人と、土色の服の警察と、緑色の服にベレー帽を被った小柄な男が車を取り囲んでいた。

 最初に小屋の中に呼ばれたのは、ただ一人いた「外人」のおれだった。
 無言でライフルにうながされて小屋の中に入った。横長のテーブルがあって、三種類の制服を来た三人の男が座り、回りにはマシンガンを持った兵隊が何人か立っていた。
「机の前に行け」
 マシンガンの男が銃を振って合図する。まず机の左側に座った男にパスポートを見せた。質問は舌のまくれた英語だった。
「名前は?」
「清野栄一」
「生年月日は?」
「1966年5月4日」
「どこから来た?」
「サイゴン」
「どこまで行く?」
「プノンペン」
「何しに行く?」
「観光」
「どこを?」
「……」
「どこを見るんだ?」
 おれはどこを見たいかなんて考えたこともなかった。彼はいらいらしながら隣にいた男のほうを顎でしゃくった。横に座った男の前に行って、全く同じ質問を受ける。またその横の男の前で同じ質問を繰り返す。最後に三人がパスポートをじろじろ裏返して眺めると、一番左側にいた兵士が言った。
「こいつはもう連れてっていい」
 カンボジアではいまだに三つの軍隊か、MPが現実には存在しているようだった。その後も何度か同じような小屋を見かけたが、彼らはそれぞれ勝手に国道にチェックポイントを作って検問をしていた。
 小屋から出る時、緊張して入り口の柱に思い切り頭をぶつけてしまった。入れ代わりに、四人の女の子たちが入っていった。
 外に出ると五、六人の若い兵隊がニヤニヤしながらおれの回りに集まってきた。
「100ドルぐらい置いてってくれたっていいだろ」
「あいにくトラベラーズチェックしかないんだけど」
「これは何だ?」
 おれは財布代わりの防水ケースを首にぶら下げていた。運の悪いことに、10ドル札が何枚か入っていた。
「おい、金だよ、見ろよ、すごいぜ。こいつ金なんか持ってるよ。現金だぜ」
「わかった。わかったから……」
 彼らはゲラゲラ笑いだした。
「なあ、カンボジアは暑いだろ」
「暑い」
「サングラスって便利だよな」
 今度はおれのサングラスを要求してきた。次にはカメラ……その時だ。
 小屋の中から銃声が聞こえた。

 1回、2回、3回……。

 おれは思わず身をすくめる。冗談じゃない……肩をすくめながら飛行機でプノンペンに行ったジェフと自分のことを考えていた。

 小屋の中の彼女たちはそれっきり出ては来なかった。最初はいけすかないと思っていたけど、ほんとはいい女の子たちだった。いちばんグラマーだった女の子は、バスの中で腹を空かしたおれに、自分の食事を分けてくれようとさえした。
 おれはいたたまれない気持ちになって車に戻った。小屋の中から女の子たちの世話役の男が難しい顔をして車の方に歩いてきた。銃声は確かに3発だった。おれは恐る恐る彼に訊いた。
「……どの娘が殺られたんだ」
「いや誰も」
「誰もって、バンバンって音が聞こえただろ!」
「あれか? 空砲だろ。カンボジアは明日から正月だからな。お祝いだろ」
 そう言いながら、彼は相変わらず渋い顔をしていた。彼女たちがベトナムでしている仕事が、彼女たちが小屋から出てこられない理由のようだった。男はなんとかごまかそうとしていたが、彼女たちの恰好を見ればどんな仕事をしてるのかは察しがついた。小屋の中を覗きに行くと、女の子たちはみんな耳を押さえて座りながら、兵隊に隠れて舌を出していた。結局彼女たちは「もっと上の人間」が来るまで足止めを食うことになった。おれは彼女たちの一人一人に手を振った。それが精一杯だった。ダッジラムは彼女たちを残したまま、プノンペンの街中に入って行った。
 キャピタル・ゲストハウスの前を通りかかると、ジェフが一人でアンコールビアーをひっかけていた

 

カンボジア

 

 おれとジェフは落ち合ったその日の晩に、PKOの頃にできた「外人向け」バーのほとんどをのぞいて回り、ハート・オブ・ダークネスという店に落ちついた。プノンペンにたむろしているバックパッカーはそう多くはない。二日もいればどこのバーに行ってもほとんどが顔なじみだ。
 明日バンコク経由で日本に帰らなければならないジェフは、いつにも増して飲んだくれていた。おれはダッジラムの疲れで倒れそうだった。ジェフはプノンペンでいちばん怪しいディスコに、カメラを持って乗り込むと言ってきかなかった。その前に一度ホテルに戻ろうと夜道を歩いていったが、二人ともホテルの場所など覚えていなかった。おれたちは同じ通りを何回も行ったり来たりしていた。そのうち前を歩いていたジェフが、ミリタリー・ポリス警備している建物に突っ込んで行きそうになるのが見えた。おれは慌ててジェフを引きずり戻した。
 それからのことはあまり覚えていない。ジェフといろいろ人生の話をしたはずだ。いずれにしても、気がついたら朝だった。

 薄暗い部屋の壁にトカゲがぴたぴた這っている。どうしておれはジェフと一緒に帰らなかったんだろう? 一人になれば、時間と体を持て余すのはわかっているのに。一人で旅をしていると、自分が日本に帰って机の前に座ったり、ベッドに寝ころんでいる姿や、誰か……自分の親しい誰かと会っている様を考えることがある。そして、もしかしたら自分がそんな光景や場にそぐわなくなってしまっているんじゃないか? と思って不安になった。十九歳か二十歳の頃、初めて旅をした時はそんな気持ちにはならなかった。パリに住んでいた時は、帰るべき自分の部屋は処分してしまっていた。今では自分の好奇心や欲望といったものが、一体どこから来てどこへ行こうとしているのか? そんなものがあるのかどうかさえますますわからなくなっているように思う。昨日の晩もジェフといろいろ話し込んだ。

 とにかく、移動することだ。

 おれはアンコールワットがあるシェムリアップ行きの飛行機に乗るために空港へ向かった。今日はカンボジアの正月の二日目だが、路上にはいつものように座り込んで食事をする人たちがたむろしている。飛行機は満員で、ギリギリまでレストランで待つことにした。明るい場所にいればおれの心はまだ落ちついていられる。それにここは、静かで綺麗だしクーラーも効いていて心地いい。
 目の前を何人もの旅行者がやって来ては立ち去って行く。おれはそれをじっと眺めて座っている。太った年寄りのだぶついた肉の固まりや、みにくい貧乏人や、殺したいほどぞっとする顔をした人や、汗や反吐や唾まで一緒になって目の前を行進していく。

「人間は血の詰まった袋だ」

 カフカは確かそう言った。ここインドシナ半島の歴史は、血の歴史だ。マルグリット・デュラスの時代の前から今までずっと、歴史は血と骸骨のものだった。
ベトナムやプノンペンでおれはいくつかの博物館に行った。サイゴンの(アメリカ)戦争犯罪博物館。ハノイの革命博物館と軍事博物館。ポル・ポトの監獄だったプノンペンのツール・スレーン博物館、骸骨だらけのキリングフィールド……そこにある蓋骨やおどろおどろしい屍体の写真は本物だったが、おれにとってはそれが誰で、何であるかということよりも、その展示の事実そのものがそら恐ろしかった。ハノイの革命博物館には沢山の小学生のグループが課外授業に来ていて、墜落して鉄クズになったB52を眺め、ジオラマつきの部屋で映画を見ていた。映画はベトナムの大勝利を描いたドキュメントで、ジオラマの上ではフィルムに合わせて、緑色の豆電気で示されたアメリカ軍を赤色の豆電気のベトナム軍が包囲していく。やがてジオラマは赤電球ばかりになって、映画の方はベトコンの大勝利パレードを映し出していた。小学生たちは勝利パレードが始まると、満足そうに部屋から出て行った。

 満員だったはずの飛行機は、時間10分前に受け付けに行くとすぐ乗ることができた。搭乗口の近くにコンクリートでできたガンクリーナーが置いてあった。空港のアスファルトを傘を被った労働者が金槌を持って直している。機内はとんでもなく暑くてみんなぐったりしている。そのぐったりした一団が、ふらふら、ふらふら揺れながらなんとか運ばれて行く。隣には女連れのヤッピー風のアメリカ人が座っていた。スチュワーデスが一口で飲み終わる小さなコーラと水を運んできた。隣のヤッピーは、こんな飛行機の中で分厚いトルーマンの伝記を読みはじめていた。その表紙を見ただけで、ますます疲れがこみ上げてきた。アンコールワットがあるシェムリアップの同じゲストハウスで会った時も、その男はまだ偉大なトルーマンを読み続けていた。

 正月のアンコールワットは、全国からこの聖地におまいりに来たカンボジア人でとんでもない人出だった。スーパーカブやそれにも乗れない子供たちや大人たちを満載したトラックで溢れている。すれ違い様に頭に水がぶっかかってくる……どけよ、どけどけ!……もっと!……もっとガンガンぶっかけてやれ!……どこでも飯だ……どこでもおしっこだ……え、そこのごろつき……兵隊だって昼間から飲んでるんだ……次はお坊さんの一団だ……あっちではガマの油売りそっくりの実況販売の風邪薬……夜には巨大なグランドに何軒も即席ディスコがオープンする。いちばんの人気は「ビューティフル・サンデー」で、腰を振る女を野郎どもがひっかけている……ほんとに、そのグランドといったら、どこの縁日だってかなわなかっただろう。アンコールトムのてっぺんのクメールの微笑みに囲まれた仏像でさえ、この日のためにクリスマスのような豆電球で飾られていた。
 アンコールワットに続く橋の上は、物乞いと物売りで埋め尽くされていた。唖の一家や盲の一家、栄養失調の赤ん坊をゴザに寝転がせて稼ぎにしている一家などがびっしりだった。その中に寝ころがって這うこともできない男がいた。おれは彼らの間を、彼らが祈りを捧げるクメールの微笑みに向かって歩いて行った。

 夜明けのトンレサップ湖の上を滑るように小舟が渡っていく。乾期の終わりの湖の岸はだいぶ中の方までせり出していた。水草の腐った臭いが漂うドロの上に渡された板を歩き、おれは小さな漁船に乗り込んだ。プノンペン行きの船に港はない。漁船は水も電気もない水上ハウスの間を滑っていく。波ひとつない泥の湖は靄につつまれ、エンジンの音だけが響いている。水上ハウスには、ちょっとした店や警察署や病院もある。ハンモックに寝ころがった女が、通りすぎる漁船を窪んだ瞼の奥からじっとながめている。おれは彼女と目が会って、しばらく見つめ合う。彼女が寝返りを打つ前に、おれは先に目をそらしてしまう。

 プノンペン行きの船はだいぶ先の湖面に係留されていた。もう席がないと言われ、トタン板の屋根の上に寝ころがった。冷たい風が気持ちいい。船が走り出して30分後、屋根の上は灼熱の地獄だった。
 ちょっと尻を動かそうものなら、フライパンのように焼けていた。おまけにおれは食料も、一滴の水も持っていなかった。ダッジラムどころの騒ぎじゃなかった。湖はところどころ干上がっていて、スクリューに藻がからまり、船は何回も停止する。その度に藻をはずしに誰かが泥水に飛び込んで行く。船が止まって風がなくなると、屋根の上にはいても立ってもいられなかった。
 おれはベトナムからの道でMPに足止めされた四人の女の子を思い出していた。からからに干からびたノートを取り出して、レナード・コーエンの唄を思い出して書いた。

 シスターズ・オブ・マーシーは行ってしまったんじゃない。
 僕がもうこれ以上やって行けないと思った時でも、待っていてくれた。
 僕にやすらぎを、この唄をもたらしてくれた。
 君も彼女たちに会えればいいのに。
 長い間旅をしてきたんだから。

 そのまま耐えに耐えて5時間後、遠くの方に街らしきものが見えてきた。隣の男に聞いてわかったが、そこはポ・サット・プロバンスというフランス語みたいな名前の漁村だった。普通なら船はプノンペンまで行くのだが、水が少ないためにここで車に乗り換えるという。
「やっと着いたな」
「着いた着いた」
 おれはもう、ホテルのシャワーとアイスコーヒーしか頭になかった。今日だったら一泊20ドル、いや30ドルは奮発しよう。ビールのためならマティーニ・バーに乗り込んでやったっていい。
「結構早かったよな」
「そうだな。あと5時間ぐらいじゃないかなあ」
 車で……5時間もかよ!
「そうだな。朝になる前には着くんじゃないか?」

 掘っ立て小屋の並ぶ漁村でおれたちを待っていたのは、ボロボロのダットサンの荷台だった。トラックが近づいて来るとみんな我先に鞄を投げ込んで荷台によじ登っていく。女たちは自分の子供を放り投げている。おれは最後の力を振り絞って突進した。トラックが所定の位置に止まった時には、荷台の上には立っているのがやっとだった。

 プノンペンとバッタンバンを結ぶ道には、ポル・ポト派の検問所がいくつもあった。砂埃でドロまみれのおれは、もう前のように外人に見られるなんてことは絶対になかった。実際、回りのカンボジア人よりもおれはずっと薄汚れて、疲れはてていた。国道沿いには素っ裸の子供たちやポル・ポト派の兵隊たちが、ドロ水のたっぷり入ったバケツを並べておれたちが通り過ぎるのを今か今かと待ち構えていた。トラックの荷台ではこの車を仕切っている小僧が一人で張り切っていた。
「チョモ、チョモ」
 そう叫びながら、ポルポト派の兵隊に向かってお尻ぺんぺんしてみせる。トラックはわざわざスピードを落とした。一瞬後には水びたしだ。まずおれのカメラが一台駄目になった。トラックの上の乗客はみんなしょうがないといった顔をしている。彼らは何も言わないでいる。トラックの上の乗客は、泥水まみれでみんな押し黙っていた。
 やっと乾いたおれの鞄の上に、また水がぶちまけられる。今度は素っ裸の子供からだ。トラックの上の水を逃れた客は、今度は大声で子供たちをからかっている。
「チョモ、チョモ」
 書きつづけていたおれのノートは、見るも無残な姿だった。どこの郵便局だって受け取ってくれないような、ただのパルプになっていた。体が鉛のように重くなってくる。必死にトラックにしがみつく。顔は泥と水でぐしょぐしょだった。もうわかった。じゅうぶんだ。おれは旅行中あまりに沢山の人や、骸骨や、泥水を見過ぎてしまった。彼らが生きているこの国のことは、この頭から降りかかってくる泥水なんだ。おれは逃げて、逃げて、そしてまた何もわからずに帰ろうとしている。どこに帰るのかもわからずに帰って行く。それを旅だなんて言いながらだ。どうしようもないただの自家中毒だ。これ以上いたら、ほんとに帰れなくなってしまうだろう。おれはもう鞄の中の水を拭こうともしなかった。こうやって、どうしようもなく朽ちていく。朽ちて、薄汚れ、疲れていく。それがどこかで、心地よくもあった。笑いたい気もした。こうやって、おれはどこかへ帰って行くしかないんだ。もういいんだ。そのまま、そのまま、そのまま歩け、そのまましがみつけ、そのまま走れ、そのまま食え、そのままやれ、そのまま続けろ、そのまま書け、そのまま食え、そのまま生きろ、そのまま、そのままだ。

 プノンペンに着いたおれははじめて、クメールの微笑みに囲まれた、カンボジアの朝日を眺めた。

(第10回・了)