空港の旅
2021年は衆議院議員選挙でも「入管法改正」が論点になった珍しい年だった。名古屋の入管の施設で収容中だったスリランカの女性が亡くなったのは3月だった。東京五輪に出場予定だったベラルーシの選手が、羽田空港で亡命したいと警察に保護を求めた報道も話題となった。
出入国在留管理庁のウェブサイトには、「令和3年2月に「出入国管理及び難民認定法等の一部を改正する法律案が閣議決定されて国会に提出されました」と書かれている。「出入国管理関係法令等」の一覧や、公開情報も随時掲載されているが、その内容は、専門家に訊いてみても、「一概には言えない」というほど多岐に渡る複雑なものだった。
その後の一連の報道を見るたびに、僕はパリの空港で会った男を思い出していた。ふたつの映画の主人公のモデルとなり、伝記の日本語訳が出版された彼について調べると、ウィキペディアに名前や経歴や写真まで載っていた。
髪の毛が少なくなった彼の写真を見ながら、僕は僕が知っている彼のことだけを書くことにした。なにしろこれは小説でも映画でもなくて、彼は映画という虚構のモデルなのだから。
「パリ空港の人々」の男
実際の出来事を元にした映画は、数多く存在する。映画の舞台になった「現場」を訪ねたことも、映画監督にインタビューしたことも多々あるのだが、映画のモデルになる人物というのは、たいてい歴史上の人物とか、脚本家か原作者の想像とか知り合いとか、連続凶悪犯とか、とっくに戦場でくたばってるとか……ありがちだけどあり得ないような話だから映画にまでなるのであって、会おうと思ってもまず会えるわけがないと思っていた。実際に出くわすまでは。
シャルル・ド・ゴール空港のトランジット・ロビーで暇を持て余していた僕に、その男は声をかけてきた。ロビーの通路に面したカフェで、搭乗券に記されたフライトの時刻とゲート番号を確かめていた時だった。すぐ隣のテーブルに座っていた男が、前髪を指先でつまみ、僕に向かって、つんつん、と引っ張ってみせた。
「同じ色だな」
最初はフランス語でそう言った男は、また、つんつん、と前髪を引っ張りながら、次は英語で同じ言葉をくりかえした。
僕の髪の毛の色は、男と似たような黒っぽい茶髪だった。一見、パリに多いムスリム系のような感じはするが、国籍はもちろん、アラブ系かペルシャ系かもわからない。それほど特徴のない顔つきの男に向かって、僕が自分の前髪を、これか? という仕種で引っ張ってみせると、男は人なつこい笑顔を浮かべながら英語で言った。
「あんた、日本人だろ?」
「ウィ」
とフランス語で答えると、今度はフランス語で尋ねてきた。
「これから、東京まで帰るのか?」
「まあね」
僕は曖昧に頷いた。
ひと月前に日本を出てから、バックパックひとつであちこちふらついていた僕が持っていた航空券は、東京行きの直行便ではなくて、モスクワで乗り換えにひと晩もかかる、格安のオープンチケットだった。男は自分の腕時計で時刻を確かめていた。
「アエロフロートのモスクワ行きなら……あと二時間後だよ」
だからこんなカフェで時間をつぶしているのだが、どうしてそんなことが男の口からすらすら出てくるのか怪しげに思い、僕はさっき確かめたばかりの搭乗券をまた眺める素振りをしながら、横目で男の風体をちらちら盗み見ていた。
これといった特徴のない黒いジャンパーと黒いスラックスに、特徴のない黒い革靴をはいている。その足元に、灰色の古びたスポーツバッグが置いてある。
別に危なそうなやつではないが、空港の職員のようでもないし、カネ持ちのビジネスマンや観光客のようにも見えなかった。搭乗券から顔をあげると、まだこっちを見ている男と目が合ってしまった。何か話さなければと思った僕は、旅行者なら誰でもしそうな無難な言葉をかけてみた。
「あなたは、どこまで?」
男は僕の質問には応えずに、足元に置いてある古びたスポーツバッグを開けて一冊のノートを取り出すと、ページの間に挟んであった新聞の切り抜きを、僕が座っているテーブルに置いた。
いきなり差し出されたフランス語の新聞記事に、何事かと驚きながら、とりあえずざっと目を通してみると、「TOMBE DU CIEL」という映画の題名が書いてあった。日本では『パリ空港の人々』という邦題がつけられたその映画を、僕はちょうど二週間前にパリの映画館で観たばかりだったのだ。
驚いて顔をあげた僕を、男が満足そうな顔つきで眺めていた。僕はまた新聞の切り抜きに目を落とした。
フィリップ・リオレ監督の『パリ空港の人々』は、パスポートを盗まれたカナダとフランスの二重国籍を持つ主人公が、シャルル・ド・ゴール空港のトランジット・ゾーンから、どこへも行けなくなってしまうという話だった。
新聞から顔をあげると男に尋ねられた。
「あんた、その映画、知ってるんだな?」
「ああ、ちょっと前に観たばかりだよ」
「実は、僕がその主人公のモデルなんだ」
僕は狐にでもつままれたような気持ちで、テーブルに置いてある古びた新聞記事の切り抜きをまた読み返した。それは確かに、「映画のモデルになった実在の人物」について書かれた記事だった。
記事を読み終えた僕はもう一度、黒いジャンパーとスラックス姿の、自分と似た黒っぽい茶髪の他には、これといった特徴のない男の風体をひと通り眺めてみた。『髪結いの亭主』という映画にも出演していた主人公役のジャン・ロシュフォールとは、まったく似ていなかった。
男の説明によると、もう一年間以上もシャルル・ド・ゴール空港のトランジット・ロビーで暮らしているらしかった。レバノン生まれで、フランスでしばらく働いていたが、十年以上ぶりに母国へ帰り、またフランスへ入国しようとしたところ、書類の不備でフランスへ入国することも、母国へ帰ることもできなくなってしまったらしい。
そんな話を聞かされても、どこの国へも入国も出国もできないなどということがほんとうにあり得るのかどうか、僕には理解できなかった。男が長い間ここで暮らしているのは確かなようで、通りがかりの掃除夫が片手をあげて挨拶していく。
呆気にとられて眺めていた僕に男が言った。
「一年もいたら、空港で働いてる人とは全員顔なじみだからな」
男はカフェのギャルソンを呼ぶと、エスプレッソのおかわりを注文した。ポケットに余っていた小銭を見つけて、「おごるよ」と申し出た僕に、「いらない」と男は首を振った。
「ここの人はみんな優しくてさ、サンドイッチとコーヒーぐらい、どの店でもただでおごってくれるんだ」
ギャルソンが運んできたエスプレッソを飲みながら、僕は男に尋ねてみた。
「どこで寝てるの?」
「ソファー」
「シャワーは?」
「空港には何でもあるよ」
「家族は? いるの?」
「かみさんと子供がパリにいる。前に一度会いに来たよ」
映画の筋書き通りだった。
「仕事は?」
そう尋ねると、男は特徴のない顔に軽く笑顔を浮かべた。
「僕はどこの国でもないこんな場所に一年間も住んでるんだぜ?」
はぐらかすように応える男は、根掘り葉掘りそんな質問をされるのが嬉しそうな様子だった。
男の説明によると、フランス当局に再入国を求める嘆願書を提出していて、その返事が来るのをここで待ち続けているのだという。その間に、フランスやイギリスや、日本の新聞社からも取材を受けた。その新聞記事を読んだフィリップ・リオレ監督が、『パリ空港の人々』を撮ったらしいのだ。
そこまで説明されても、どうして男がどこにも行けずに何年間もここにいるのか、僕にはやっぱりよくわからなかった。
「ちょっと、僕の荷物、見ててくれないかな?」
そう言い残すと、席を立ってトイレのほうへ歩いていく男の背中を目で追った。カフェに面したロビーの通路を、搭乗券とパスポートを持ったどこかの国の人々が、忙しそうに行き交っている。
自分もこれまでに何度か、空港で夜を明かしたことはあった。まる二日間以上飛行機を乗り継いだことも、トランジットした空港で「途中下車」しようとして強制送還されかかったことも、テルアビブの空港でイスタンブール行きの便に搭乗を拒否されて翌日スイス経由で出国させられたこともあった。イギリスやオランダや日本に入国したものの難民として暮らしている人と会ったこともある。でも、入国も出国もできずにトランジット・ロビーで暮らしている人になど、映画の中でしか会ったことはなかった。
カフェに戻ってきた男に写真を撮ってもいいかと訊くと、「どうぞどうぞ」と愛想よく答えながら、慣れた様子でカフェの椅子にもたれてポーズをとった。バックパックから一眼レフを取りだしてシャッターを押した僕に男が言った。
「できたら、その写真、送ってくれないかな?」
僕は思わず聞き返した。
「……ど、どこに?」
「シャルル・ド・ゴール空港のトランジット・ロビー宛で届くよ」
男はまた足元に置いてあるスポーツバッグを開けて、手紙の束を取り出した。説明してもらわなくても、それが世界じゅうから届いたエアメールなのは察しがついた。
男はきっと、暇そうな旅行者を見つけては身の上話を聞かせて、あり余る時間を潰していた。そうやって、世界じゅうから手紙や写真を送ってもらっていたのだろう。
黙って手紙の束をめくっている男の姿を見ているうちに、僕はだんだん、男がフランスに入国したいのでも、レバノンに帰りたいのでもなくて、ずっと空港にいたいのではないかと思いはじめた。
映画の中で、空港を抜け出してパリへ向かうシーンがあったのを思い出した。ほんとうに一度も空港から出たことがないのかと尋ねてみると、「あるよ」と男は即答した。
「一度だけ、空港の近くにある教会に連れてってもらったことがある」
僕は、誰に? とも、どうやって? とも訊けずに呆気にとられて尋ねていた。
「じゃあどうしてまたここに戻ってきたわけ?」
「おれはムスリムじゃない。クリスチャンなんだ」
僕は、ちぐはぐな受け答えだな、と思ったが、その時は、どうしてなのか考えてみたりしている暇もなかった。
「あんた、もうそろそろ行かなきゃだろ?」
男にうながされてロビーに設えてある時計を見ると、カフェのテーブルについていから、もう一時間近くたっていた。
立ちあがってバックパックを背負い、男にフランス語で「またね」と挨拶すると、「オーボワ」と男は同じ挨拶をした。
カフェから人の行き交う通路に出たとたん、僕は不安に襲われてポケットから搭乗券とパスポート取りだした。忘れていなかったのを確かめて振り返ると、地味で目立たない男の後ろ姿がカフェの椅子にもたれていた。
そういえば、名前を訊くのを忘れていたと気がついたのは、日本へ帰ってからだった。男に写真と手紙を送ろうとしたが、肝心の宛名がわからなかった。カフェの名前も覚えていない。しょうがないので、男が言っていた通り、トランジット・ロビー宛でエアメールを出した。
宛先不明で戻ってこなかったから、運良く届いたのかもしれないが、男からも返事はこなかった。そもそも、あの男が新聞に載った本人なのかどうか、確かめる術もない。正直なところ、特徴のない男の顔も姿も覚えてすらいなかったのだ。半年後にシャルル・ド・ゴール空港で再会するまでは。
その時はパリに数日間滞在するだけの、仕事も兼ねた慌ただしいスケジュールで、僕はキャリーバッグをひいて搭乗口に向かう途中で同じカフェの前を通りかかった。そういえばと思い出してテーブルに座り、ギャルソンにエスプレッソを頼もうとして狭いカフェを見渡すと、近くのテーブルに地味なグレーのシャツを着た男が一人で座っていた。
まさかとは思ったが、茶髪がかった髪の毛と足元に置いてあるスポーツバッグを見て、僕はようやくあの男に間違いないと確信したぐらい、特徴のない風体の目立たない男だった。
近くまで行って「サヴァ」と声をかけると、男はつい先日会ったばかりのように、「サヴァ」と挨拶をした。別に驚いている様子もなければ、僕が誰なのか尋ねようともしない。隣のテーブルに座ったが話しかけてもこないので、僕のほうから尋ねてみた。
「半年前にここで会ったの、覚えてる?」
男は「ああ」と頷いたが、僕が誰なのかわかっていないようだった。
「写真を撮って送った日本人だよ」
男はまた「そうか」と頷くと、足元に置いてあるスポーツバッグを開けて手紙の束を取り出した。きっと毎日いろんな人に会っているから、誰が誰だかわかっていないのだろうと思っていると、テーブルに封筒を置いた。
「写真と手紙、ありがとう」
間違いなくそれは、僕が出したエアメールだった。男は平然とした様子で言った。
「ここからじゃ返事は出せないんだ」
空港の職員にでも頼めばいいだろうと思ったが、何か事情があるのかもしれない。僕は男に訊いてみた。
「あれからずっと空港を出てないの?」
「ああ」
「連絡は?」
「くるのを待ってるところさ」
妻と子供はパリにいて、一度教会へ行ったことがあると言ってたはずだ。
「あんたは、どうしてまた戻ってきたんだ?」
「日本へ帰るところだよ」
そう言ったそばから後悔していた。ちぐはぐなのは僕のほうだった。男は帰ることができないからここにいるのだ。半年前から戻れないまま待っているのだ。レバノン、パリ、シャルル・ド・ゴール……。
「そろそろ時間じゃないのか」
男に言われて時計を見ると、もう搭乗時刻が迫っていた。ポケットの中の搭乗券とパスポートを確かめながら思い出して男に訊いた。
「そうだ、名前は?」
男がスポーツバッグから取りだしたのは、パスポートだった。1ページめの名前の横に、イランの国籍が書いてあった。
搭乗を告げるアナウンスが流れていた。立ちあがり、半年前と同じように、「オーボワ」と挨拶しながらカフェを後にした。
急いで出口の標識のほうへ歩きながら僕は数年前にオーストラリアで会った九十歳の日本人女性を思い出していた。終戦直後にオーストラリア人と結婚してメルボルンに移住した彼女は、まだ日本国籍を持っていた。日本は二重国籍を認めていないが、実際の保有者は国内外に数多くいる。海外居住者の二重国籍が発覚した場合、日本国籍は剥奪される。
搭乗時刻を告げるアナウンスが、トランジット・ロビーに響いていた。もうすぐフライトの定刻だった。チェックイン済みの乗客ならアナウンスぐらい流れるはずだと思っていると、通路の先に「出国」と書かれた看板が見えて立ち止まった。
しまった。
僕はフランスから出たいのに、出口へ向かえばまた入国することになってしまう。ここはフランスだが、僕はもう出国しているはずだ。
額の汗を拭いながら急いで通路を引き返すうちに、見慣れたカフェの看板が見えてきた。