島の旅

 

 先日、台湾生まれの若者と話す機会があった。与那国島から台湾が見えた話や、台湾で医師免許を取ったという老齢の医者と会った話をしながら、西表島の浜でばったり会った、彼と同じ年頃の若者のことを思い出していた。

 西表島は何度か訪ねたことがある。山を縦走したことも、キャンプをしたことも何度かあるのだが、帰宅して昔雑誌に書いた原稿を読み返してみると、国道の写真まで載っているのに、肝心の「浜の名前」が書かれていなかった。

 写真を頼りに、あらためて地図で確かめると、そこは「南風見田の浜」という場所だった。今は近くにキャンプ場まで整備されているらしい。

 僕がこの原稿を書いた時、そこはまだ、西表島の果てにある、ひっそりとした、隠れ家のような浜だった。

 

西表島の漂泊の浜

 

 テントの外から聞こえてくるカラスの鳴き声で目をさました。なにやらバタバタと騒がしい。テントの中で寝ている僕に襲いかかってきそうな勢いだ。あたりが静まるのを待って、寝袋からはいだして起きあがった。テントのジッパーを開けて、雨が滴る外に顔を突き出した。カラスはもうどこかへ逃げてしまったようで姿は見えないが、散らかっていた僕の荷物がめちゃくちゃじゃないか!

 食料を入れてあったはずのポリ袋がどこにも見あたらない。まさか、と思ってあたりを見回すと、ビールの空き缶だらけの木の根元に、レトルトカレーのビニールパックが食い荒らされたゴミになって落ちていた。今日一日分のパンも、ソーセージも、チューブに入ったコンデンスミルクまで、カラスにすっかり食い尽くされてしまっていた。

 とりあえずまた買い物に行かなければと思い、雨合羽を羽織ってテントの外に出た。モンパの木とアダンの茂みをかきわけて、林の中から砂浜へ出ると、いちばん近い集落のほうへぶらぶら歩きはじめた。



 西表島のこの浜辺でキャンプをしたのはただの成り行きだった。沖縄本島から、石垣島まで船で渡り、さらに船に乗って西表島に着いたのは、かれこれ三日も前だった。

 キャンプ場を探しているうちに、たまたまこの浜辺にたどり着いてから三日間というもの、ずっと雨がふり続けていた。浜昼顔のつたが、地面を這う砂浜から、遠浅の珊瑚礁が続く先に、白い波頭が立っているのが見える。

 リーフの先は太平洋で、晴れていれば波照間島が間近に見えるはずだ。少なくとも僕が持っているガイドブックによると、「人の足跡もないほどきれいな砂浜に立てば、素晴らしい夕焼けも見える」はずだが、ずっと雨ばかり降り続いていた。

 砂浜を挟んで海の反対側には、亜熱帯の原生林が間近に迫っている。砂浜を歩きながら石垣島があるはずの方角に目をやると、灰色の雨雲の塊に覆われていて、まったく何も見えなかった。



 ビーチから県道へと続く細い道のあたりで、ポリ袋をぶらさげて買い物から帰ってきた人とすれ違った。はじめで会う、四十代とおぼしき男とぎこちなく挨拶を交わした。

 この浜辺で三日前にテントを張った時にはわからなかったが、一見すると誰もいないように見える浜辺には、茂みに隠れるようにしてかなりの数のテントが立っていた。それぞれの敷地は、木立や茂みで間仕切りよろしく隔てられていて、他の住人と顔を合わせることはめったにない。三日も経っているのに、隣のテントにいる人とさえ、まだ会話もしたことがなかった。

 ここは西表島を半周している県道が途切れた、さらに先にある浜辺で、亜熱帯の鬱蒼とした密林に、ぶ厚い雲が垂れ込めている。普通の観光客も、島の住民も、こんなところまで足を運ぶ人はめったにいない。公共の交通手段さえないのだから、雨となればなおさらだ。そんな最果ての浜辺に、かなりの数の人たちが、林の中にひっそりと隠れるようにテントを張っているなんて、実際にきてみるまで想像もしていなかった。



 浜辺からいちばん近い集落へ向かう道の両側に広がるサトウキビ畑は、ちょうど刈り入れのシーズンだった。雨の中で泥にまみれて鎌を握る人たちの中に、日焼けした顔の若者が目についた。きっと島の外からアルバイトにでも来ているのだろう。製糖工場の近くを通り過ぎ、浜から延々六キロも歩いて、いちばん近い集落にある一軒だけの商店に着いた。

 コンビニとまではいかないが、たいていの生活必需品はそろっている。ここへビールを買いにくるのが、日課になっていた。

 買い物を済ませ、また浜までぶらぶら歩いてひき返すうちに、三日間もふり続けていた雨がやっと上がりかけていた。

 よし、と気合を入れて、キャンプよろしく近くの小枝を拾い集めて焚き火をつくろうとしたが、灯油をかけて火をつけようとしても、湿った生木は黒く焦げるだけで、なかなか火が燃え移ってくれなかった。

 やれやれと諦めて辺りを見まわすと、隣のテントの前で威勢良く焚き火が燃え盛っているじゃないか。隣といっても木立の隙間から焚き火の炎がちらちら見えるだけで、どこの誰がキャンプしているのかまったく分からなかった。

 林を横切って近づいていくと、木立に囲まれた隣の敷地に辿り着いた。木々の間に大きな屋根が張ってある。ロープには細々した食器やタオルがぶら下がり、焚き火の横には乾いた薪が積んであった。焚き火の奥にあるテントの前で、若い男がひとり腰をおろし、茶色く濁った川の水かなんかを、コーヒーフィルターで濾している最中だった。

 顔をあげた男と目があった。

「あ、すみあせん」

 思わず頭をさげた。他人の家の庭先に、勝手に入ってしまったような気がしたからだ。

 実際のところ、砂で平らに土盛りした前庭を、石や大きな貝殻で囲った彼の敷地は、キャンプというよりも、海辺の住居のようだった。

 三日目にしてはじめて訪れた隣家の庭先に、冷凍のさんまと缶ビールを両手にぶら提げて現れた僕を見て、メガネをかけた男が言った。

「火ですか?」

「え、ええ、まあ」

「どうぞ、使ってください」

 椅子代わりの発砲スチロールの箱をさし出された。隣に住人がいるらしいとはわかっていながら、三日間ずっと声もかけずにいたが、思っていたよりもフレンドリーな若者のようだった。

 コーヒーフォルターで濾した水でお茶を沸かしはじめた男と、焚き火を囲んで腰をおろした。

 とりあえず冷凍のさんまを焚き火の網に載せて、男に尋ねた。

「いつからここにいるの?」

「一ヶ月ぐらいかなあ」

「え! 一ヶ月も?」

 それから、よくよく話を聞いてみると、彼は仕事を辞めて、自転車旅行をしている元サラリーマンで、もうかれこれひと月ぐらいこの浜に住んでいるのだという。

「去年の年末年始も、ここにいたんだけどね」

 そう言われてまた聞き返してしまった。

「え! 去年もここにいたの? じゃあその間は? どこにいたの?」

「北海道まで行って、また戻ってきた」

 朴訥で淡々と話す彼のテントの近くに、タイヤがつるつるになって、錆びた自転車がたてかけられてある。おせじにも、日本縦断をするような立派な自転車には見えなかった。

 話題を変えて男に言った。

「一ヶ月もいるだけあって、いいテントと屋根だよね」

「ああ、これは俺のじゃなくて、去年知り合った友達のやつを、間借りしてるんだけど」

 いちいち驚かされることばかりだった。

「間借りって、友達は、何をやってるの?」

「よく知らないけど。仕事か、旅行じゃないのかな。いつもは、ここに住んでるらしいんだけど」

 僕はあたりを見まわしながら聞き返した。

「ここに、住んでるの?」

「俺は去年の年末年始は、一ヶ月間しかここに居なかったけど。右隣の人は三年めで、その向こうにいる人が六年め。浜の奥のほうで会った人は、十何年住んでるとか言ってたよ」

 西表島の物価は安くはないのだが、彼が言うには、稼ごうと思えば仕事はあるらしい。道路はいつもどこかで工事中だし、今はちょうどサトウキビの収穫の時期で、この浜から通っている人もいた。早朝になると、浜まで迎えのハイエースがやってくるのだ。彼の話によると、この浜には昔、ヒッピーのコミューンがあって、もっと大勢の人たちで賑わっていた時代もあったらしい。

 そんな話を聞きながら、焚き火の上で冷凍のさんまをひっくり返していると、コーヒーカップを差しだされた。

「これ、もしよかったらどうですか?」

 受け取ったコーヒーカップに顔を近づけると、なにやらきのこのような匂いがする。彼が言うには、雨あがりの朝には、浜の近くの道端にある牛糞に、マジックマッシュルームがわんさか生えているらしいのだ。

 コーヒーカップを片手に考え込んでしまった。このメガネをかけた、どこから見ても真面目そうな、元会員だという彼は、年末年始を過ごすために、北海道からわざわざこんなところまで来たとでもいうのだろうか? いや、去年もいたということは、一年かけて往復してきたということか? 気になっていきさつを尋ねると、彼はさんまの横できのこを焼きながら言った。

「この浜の景色がなんか好きでさあ。そろそろ出て行こうといつも思うんだけど、なかなか億劫になっちゃって」

 それ以外に、別にたいした理由はなさそうだった。



 夕方近くになって、男と別れて砂浜に出ると、目の前に絶景が広がっていた。西の雲から海岸線にかけて、波打つオーロラのようなオレンジ色の光が射している。

 はじめて目にする晴れた景色の中を、波打ち際沿いに浜の奥のほうまで歩いていった。岩場をひとつ越えると、また別の砂浜が続いていた。誰かが石でこしらえた、直径数メートルほどのストーンサークルが、半分砂に埋もれかかっている。

 さっきよりも険しい岩場を越えると、さらに浜辺が続いていた。こんなところにも、誰かが住んでいるはずのテントが、木立の奥にいくつも見える。ここから浜沿いに県道まで出るだけでも、一時間ぐらいはかかるはずだ。さらにその先の岩場を越えようとした時だった。岩の上に千切れた鳥の足が、ころん、と置いてあるではないか。置いてあるのか、たまたま落ちていたのかはわからないが、薄気味悪くなって引き返してきてしまった。



 自分のテントまで戻る途中で、海に向かって釣竿を投げている年上の女性と会った。ちょうど、けっこうな大きさのたち魚が一匹かかったようだ。

 釣りの話を二言三言交わしたが、彼女ははじめて会った僕に、別に驚きもしなかった。かといって親しげな様子でもなかった。きっと長年ここに住んでいて、闖入者には慣れているのだろう。しばらく眺めていると、釣り竿をしまいながら話してくれた。

「息子がいるから」

「どこにですか?」

「この島に住んでるのよ」

「ここじゃなくて?」

「学校に通ってるから」

 さよならも言わずに彼女と別れた。暗くなる前に自分のテントにたどり着くまで、他には誰とも会わずじまいだった。

 薄暗がりで隣の住人の様子をうかがうと、さっきと同じく焚き火の前に、じっと腰をおろしている。この浜の景色が好きだと言っていたが、僕のように晴れたから海辺を散歩したりはしないようだ。かれこれ一ヶ月もいるのだから、夕暮れなど見飽きてしまったのかもしれない。

 テントの中でランタンを灯し、地図を開いて確かめてみた。僕がいる浜は、なんと、国立公園の一部のようだった。台湾はすぐ近くで、那覇までは倍以上もの距離がある。西表島の山をはさんだ反対側には、設備の整ったキャンプ場があるらしいが、ここは県道が途切れた先の、誰の管理も行き届いていない浜辺のようだった。

 インドのゴアの海岸沿いや、タイやインドネシアの島にも、似たような電気もない浜辺があった。でも日本にこんな場所があるとは、西表島に来るまで考えてもみなかった。僕は不思議な世界に迷い込んでしまったような気持ちで眠りに落ちた。



 翌日は朝から晴れ渡っていた。太陽がのぼるにつれて、サンゴ礁の海がみるみる色づいてゆく。

 誰も泳いでいない海に浸かりながら、生ぬるい缶ビールを飲んでいると、何やら人の気配がした。

 浜辺の入口から、大きなバックパックを背負った大学生のようなグループが、大声をあげてはしゃぎながらやってくるのが見えた。

 近くの砂浜にテントを張って、ピクニックのように敷物を広げ、貝殻をひろったり、写真を撮りあったりしている。

 その光景は、ごく普通のキャンプそのままだったが、浜の住人たちとはまるで違っていた。見た目だけではない。会話をしたのは二人だけだが、浜の住人たちにはどこか、日本に住んでいながらにして何かを諦めてしまったかのような、冷めた静けさが漂っていた。



 午後になってバックパックを背負ったグループが引きあげてしまうと、誰もいないビーチで缶ビールを飲んでいるのにも飽きてしまった。テントからスピーカーを持ち出して音楽を聴いたりしてみたが、他には何もすることがなかった。陽が傾くにつれて、いい加減浜から出て行きたくなった。

 テントをたたんで荷物をまとめるのに、三十分もかからなかった。

 僕が四日間も過ごした敷地をあらためて眺めてみると、木立に囲まれて土盛りがされたその場所は、どう見てもかつての誰かの住居のようだった。

 隣の男は相変わらず焚き火の前に腰をおろしていた。僕は彼に挨拶もせずに、県道へ向かう道へ出ると、携帯電話でタクシーを呼んだ。

 しばらく歩いたところでタクシーがやってきた。

 車に乗り込むなり、タクシーの運転手は、三日間もシャワーも浴びていない僕の顔を、ルームミラーでちらちら見ながら尋ねてきた。

「キャンプですか?」

「ええ、まあ」

 運転手は独り言のように話し続けた。

「あの浜には、小学校の遠足で行ったことがあるけどねえ。それ以来行ったこともないから。警察も入らないような場所だから。誰かがテントで亡くなってても、一週間ぐらいわからなかった、なんてこともあるんですよ」



 港から船に乗って石垣島に着いたのは、もう午後の五時近くだった。

 とりあえず空港へ向かったが、財布に現金がほとんどなくて、クレジットカードで東京までの片道航空券を買った。

 そのまま飛行機に乗った私は、日付が変わる前に東京の自宅の湯船に浸かり、西表の垢を洗い流していた。

 風呂から上がると、いつものように近所のコンビニへ行き、眩しい明かりの下で棚に並んだ細々した商品を眺めながら、浜で出会った隣の住人のことを思い出していた。

 彼はきっと、今日も焚き火の前に腰をおろしているはずだ。

 コンビニを出ると、車や自転車が行きかっている。

 彼は、いつになったら浜を出て、どこへ向かって、あの自転車を漕いでいくのだろうと思いながら、通りを眺めていた。

(第6回・了)