僕は慌ててあとについていった。「ケバい女の人」というのは冷たいイメージだったのだが、なんだかあの女の人は、見た目とは裏腹にすごくフレンドリーであたたかい感じがする。
「オイース。遅れたあ! ごめーん!」
そのケバい女の人がちょっとばかり男っぽい口調で言うと、部屋の中にいた別の二人くらいの女の人が「おはよう。遅いよ」「また制服着てんだ、偉いじゃん」と言った。
「だってせっかくホテルでバイトしてんだし、制服着てみたいじゃん」とケバい女の人は答えた。別の二人の女の人は私服だ。この人たちはホテルの従業員、あるいはアルバイトの人なのだろうか……。そんなことを思いながら、僕はなんとなく突っ立って部屋の中を見回した。
広い部屋には僕の仲間たちを含めて一五、六人の同世代の男女がいる。いくつかあるソファやテーブル席に思い思いに陣取ってお話ししたり、トランプをしたり、中には勉強している人もいる。
我が仲間たちもそれぞれの場所に散っている。ガンデンと中本は同じグループでトランプをしており、エロ川とセノマンはまた別のグループで話している。プーメンは僕のように所在なさげにニタリ顔で顎髭をいじりながら、どのグループとも少し距離をとってテーブル席に一人座っている。
「なにしてんの? 君、こっちおいでよ」
ケバいお姉さんは、部屋の片隅にあるエマニュエル夫人が座っているような籐椅子に膝を組んで腰をかけながら言った。その周囲には似たような椅子に座っている男子が一人とソファに座っている男女がいてなにやら会話をしていたようだ。おそらくこの三人は受験生なのだろう。
「あ……はい」
僕は小さな声で返事をすると、ケバいお姉さんの横にある小さな椅子になんとなく腰をかけた。
「えーと、君、名前なんて言うの?」
ケバいお姉さんが僕に聞いた。
「あ、高崎……瞬です」
一応下の名前も言った。
「はい、瞬君ね。よろしくー。いいね、フルネームの自己紹介。ちょっと感動しちゃった」
「え、そうなの……!?」とはもちろん声には出していないが、そんなことで褒められて、僕はなんだかものすごく嬉しかった。というか、僕の方こそほとんど感動してしまった。下の名前も言って心底良かった。
籐椅子に座っている男子が「よろしくお願いします」と笑みを浮かべて僕に言った。どことなく落ち着いた雰囲気があるというか、きっと僕と同じ高校生なのだろうがなんだか老けている。
ソファに座っている男女は「よろしくー」とフレンドリーに言った。男子のほうはサラサラな茶髪がちょっと吉田栄作みたいな感じだけど、吉田栄作なのは髪型だけで、細い目はグリコ森永事件の犯人の似顔絵にそっくりなキツネ目だ。女子のほうは茶髪のロン毛で真っ赤な口紅を引いていて横顔はまあまあ可愛いけど、正面から見るとオタフクみたいな顔をしている。
「じゃ、みんな自己紹介して。彼らは数日前から出入りしてるから」
ケバいお姉さんは僕にそう言った。だからこの三人はリラックスした雰囲気があるのだろう。
「木俣です」
籐椅子の老けた男子が言った。
「フルネームで言いなよ。瞬君もフルネームで言ったんだから」
「あ、そうですね。木俣五郎です。愛知県出身です。二浪で、第一志望は東京大学です。去年は東京理科大に受かりましたけど、どうせ行かないし今年は私立は早慶しか受けません」
「別に二浪は言わなくてもいいけどさ。理科大受かってたんだ」
お姉さんが言った。
「一応」
「もったいなーい。まあ頑張って東大入って。受かったら合コンしよ。はい、じゃあ次」
「あたしから?」
ソファのオタフク女子が言うと、吉田栄作もどきが「どっちでもいいよ」と言った。
「坂本理沙です。群馬出身。現役。えっとぉ、受ける大学は内緒。上智とか行きたいけど無理かな。他は特になし」
「ないの!?」
隣の吉田栄作もどきが大げさに驚いた。
「ないよ。あるの?」
「知らないけど。じゃあ俺?」
「俺」とケバいお姉さん。
「遠山大輔です。現役です。俺も群馬出身ですけど坂本さんとは無関係です。第一志望は成蹊大学だけど、日東駒専のどっかに引っかかれば御の字かなー」
坂本理沙と遠山大輔は僕と同学年ということだが、恋人同士でもないのにこんなに仲良く振る舞えるなんて、やっぱり都会の人間は僕たち田舎者とは一味も二味も違うと思わざるを得なかった。
群馬でも僕にとっては東京と同じだ。関東=東京なのだ。
「じゃ、私ね」
ケバいお姉さんは言うと、自己紹介を始めた。
「山口真理です。神奈川出身、東女の二年です。三月の頭までここでバイトしてます。シースポのサークルに入ってまーす」
え、このケバい女の人が東女なのか!? シースポってなんだ!? 山口真理ってなんだか妙にエロい響きのある名前だな……そんな思いが瞬時にして僕の頭の中を駆け巡った。
「じゃ、瞬君の番ね。まだ名前しか聞いてないから、いろいろ教えてよ」とソバージュのケバいお姉さん……いや、山口真理さんは言った。
「いろいろ教えてよ」ってなんだかとても良い響きだ。
なんだろう、なんかこう山口真理さんの話し方というのか、口から出てくる言葉はいちいち僕を刺激する。そもそも最初の「君」という呼び方からして女の人から「君」なんて呼ばれ方をしたことがないものだから妙にトキメいてしまったのだが、僕の名前を知ればすぐに「瞬君」と呼ぶその距離の詰め方、そして今の「いろいろ教えてよ」と言うその感じ。どの感じなんだって感じだけど、そういう感じ、分かっていただけるだろうか。「いろいろ教えてよ」なんて言われたら、特筆すべきものは何もないけど僕のすべてを教えたくなってしまう。
「あ、えーと……出身は……熊本県です」
「え、なぜ俺はウソを!?」と自分に突っ込みを入れたくなるくらい、僕はなぜか咄嗟にウソをついてしまった。
「いろいろ教えてよ」と言われて、なにか面白い話、相手に興味を持ってもらえるような話をしなければと咄嗟に思ってしまったのだ。熊本出身が面白いかと言われると、別にそれだけじゃ面白くもなんともないだろうが、鳥取県じゃ下手したら「どこだっけ?」となりかねないし、どうも僕は日本で一番人口の少ない鳥取県出身ということにコンプレックスがある。コンプレックスというとちょっと大げさだけど、なんだか恥ずかしい。
「へえ、熊本!? ばってんって感じ?」と山口真理さんは言った。
「あ、そうですね。そういう感じです……ばってん」と返事をしながら、僕は山口真理さんの打てば響くような反応にまたもトキメキつつ、咄嗟についてしまったウソがすぐにバレはしないかとちょっとばかり狼狽していた。
「なにがあるんだっけ? 熊本は」
「えーと……」
母の出身地で、今も母の両親、つまり僕の祖父母が住んでいる熊本には何度も行ったことがあるのに、何があるのかパッと出てこない。
「あ、水辺動物園が……」
言いながら、「おいおい、水前寺公園のほうがぜんぜん有名だろ」と僕は心の中で自分に突っ込みを入れてしまった。
祖父母宅の近所にある水辺動物園よりも、水前寺公園のほうが当然全国的に有名なのだが、単なる庭園でしかない水前寺公園には僕は三、四歳の頃に一度行ったことがあるだけで、馴染のある水辺動物園の名前が出てきてしまったのだ。
「え、何それ? 有名な動物園なの?」と山口真理さんが言った。
「あ、いえ……そうでもないかも……あ、あと阿蘇だ」
「あー、阿蘇か。あそうか。ヤダ、シャレ? アハハ」と山口真理さんは一人で言って笑った。
なんて明るくてよく笑う人なんだろう。少し前に書いたが、僕は小学校中学校と隣の席になった女子を常に好きになってしまうくらい惚れっぽい性格なのだが、会って間もない山口真理さんのことを早くも好きになりそうになっている。こんなによく笑う人は良い人に決まっている。