第1章
「ロン! メンタンピン一発ドラ三! 親っパネ!」
中本が捨てたリャンピンを見て僕は大きな声でそう言うと自分の牌を倒した。東一局で親の僕がこれで四連荘だ。昨日のボロ負けが嘘のように今日はツキまくっている。
「マジかいや、ええかげんにせえよ、お前」
南場の中本はそう言うと、僕に一万八千点ぶんの点棒を投げてよこした。
「アホ。四本場だけえあと九百点だ」
僕が言うと、中本はさらに千点棒を一本投げてよこした。
元野球部のエースで身長一八〇センチを超える猫背の中本は、麻雀を覚えたてだからいつも僕たちにカモにされている。弱い野球部のくせになぜか練習は厳しく時間も長かったものだから中本は麻雀を覚えるのが僕たちよりも大幅に遅れてしまったのだ。
「まあ、俺は昨日五千円負けたけの。今日で取り返したるわ」と僕は言った。
「にしてもごっついキとるな、瞬」
僕の正面に座っている西場のガンデンが言った。ガンデンの本名は岩田というのだが、あだ名のガンデンはその本名を音読みしただけのものだ。僕とガンデンは幼稚園から高校まで一緒だが、僕たちの住んでいる鳥取県倉吉市の田舎町ではたいして珍しいことではない。その証拠に幼稚園から高校まで一緒のやつはガンデンの他に七人もいる。
「なんか降臨しとるんじゃないか、瞬君」
ぷつぷつと伸びたあご髭を抜きながら言ったのは北場のプーメンだ。プーメンの本名は才本というちょっとばかり変わった苗字なのだが、その意味不明なあだ名がどこから来たのかというと、一年生のときに教室で『THE レイプマン』というマンガを読んでいたことから『THE レイプマン』のレイを抜かしてまずはプーマンとなり、そこからなぜだか複数形のプーメンとなったのだが、なぜ複数形になったのかは知らない。プーメンと同じクラスになったのは二年生からだしきっと誰かがなんとなく複数形にして、それが少しばかりウケたからそうなったのではないだろうか。
『THE レイプマン』を読んでいたからと言ってプーメンがエロいやつかというとそうではなく(まあ高校生男子としての真っ当なエロさは持っているが)、プーメンはいつも文学的な本ばかり読んでいる。筒井康隆とか小松左京のようなSFから田山花袋とか谷崎潤一郎のような古いもの、モーパッサンの『脂肪の塊』なんていう変な題名のものも読んでいる。だがプーメンは文学青年というよりは飄々としてちょっとどこかふざけたところのあるやつで、僕やガンデン、中本、エロ川なんかのくだらない話を聞いて「君らはほんとおもろいわ」などと俯瞰しているからバカと文学の二刀流なのだ。しかも、誰のことも呼び捨てせず、あだ名でも呼ばずに苗字か名前かあだ名に君を付けて呼んでいる。ちなみにプーメンが一年生のときに読んでいた『THE レイプマン』はこのあと紹介するお寺の息子のエロ川が学校に持ってきていたもので、もちろんエロ川もあだ名で本名は江川という。それをプーメンが読んでいただけなのだ。
今は一九九一年一月十四日の午後五時二十三分。大学受験を控えた僕たち三年生はすでに自由登校となっており、学校に行って自習をしてもいいし、登校せずに家や塾で勉強してもいいという状況なのだが、僕はどうせ家にいても学校に行っても勉強しないのだが、麻雀をしたいから親には学校で勉強してくると言って家を出て、冬休み明けの一月八日から毎日学校に来ては夕方までこうして所属していたソフトボール部の部室で麻雀をしていた。ちなみに僕が入部した時にはすでにこの部室は鳥取中央高校の雀荘と化していた。
申し遅れたが東場の親で四連荘中の僕は高崎瞬という名前で、言うまでもないがプロローグで離婚したことを必死にかっこつけというのかスカした文章で告白した「私」のことだ。この物語の主人公でもあり、プーメン以外のみんなからは「瞬」と呼ばれている。
僕は五連荘目指して二つのサイコロを振った。出た目から最初に牌をとるのは親の僕だったので目の前に並べた牌の山から四つ摘まんだ。中本、ガンデン、プーメンが次々と牌を摘まんでいき、最後に僕がチョンチョンと二つの牌をつまんで十四個の牌を並べてみると、今度は一瞬ロクでもない配牌と思ったのだが、よく見るととんでもない配牌だった。
「おいおい、お前どうなっとっだいや!」
僕のうしろで対局を見ていたエロ川が言った。
「あー、ごめん、国士だ。えーと、テンホーと国士でダブル役満九万六千だがな」
「やっとられんわい!」
中本はそう言うと点棒をバラまいた。
「お前、大学落ちるぞ」
と僕に言ったのは煙草を吸いながらギターだかバンドだかの雑誌を読んでいるイチモンだ。イチモンは本名が山谷一文という。ヤマタニカズフミと読むのだが、硬派を気取ったスカした奴で下ネタや異性の話題にはほとんど入ってこない。
僕たちの話題の八割が下ネタか異性のことなのにイチモンがなぜ僕たちのグループにいるのかというと、ガンデンとバンドを組んでいるからというのもあるだろうが、プーメンのように何気なく僕らの下ネタや異性の話を聞いているのが楽しいからなのではないかと僕は思っている。ただ、イチモンはプーメンのように楽しそうに僕たちの話を聞いてはいなくて、どこか斜に構えているというか半分バカにしたような笑みを浮かべながら聞いていて、時おり「お前らほんに(本当に)アホだな」などと突っ込んでくる。
そんなスカしたちょっと硬派なバンド野郎なのだがイチモンには女の影がまったく感じられない。きっと奴には決定的にユーモアのスンセがないからモテないのだ。スンセというのはセンスのことでスンセという言葉は僕たちが在籍している鳥取中央高校三年D組私立文系コースの男子の間でしか通じない言葉だ。
「いや、瞬がこのまま運を持続すればレートストかもしれんで」
先ほどから鉄道の時刻表を読んでいたセノマンが言った(本名瀬野満太郎)。レートストという言葉も3年D組の男子の間でしか通じない言葉だ。スンセ同様に単にストレートを逆にしただけなのだが、この時期「〇〇したらレートストだったらする?」というやり取りが僕たちの間で流行っていた。つまり大学にストレートで受かると言うことなのだが、〇〇に入る言葉としては、「校舎の渡り廊下から中庭に飛びおりる」とか「デブゴリとキスしたら」とかくだらないことばかりだ。デブゴリというのは3年D組にいる川上静美のことでその美しい名前とは正反対の見た目をしていることからそう名付けられた。今では(当時も?)絶対にアウトなあだ名である。
セノマンは僕らの中では一番偏差値が高くて十一月の代ゼミ模試ではなんと全国偏差値が五十を突破した。これは学内でもベストテンに入る成績で僕たちの中では唯一レートストで大学に受かるかもしれない逸材だ。趣味は裁判を観に行くことで将来は裁判官になるべく法学部を目指している。
「もうやめようで。今日は帰らい」
ハコった中本が言った。
「まだ六時だがないや」とガンデン。
「少しは勉強しないな、君ら」とプーメン。
「アホ。お前もせえ」とイチモンがやっぱり煙草をくわえて雑誌を読んだまま言う。
家に帰っても受験という現実を一人で抱え込まねばならない僕らは、三学期から学校には来ても来なくてもいいという夢のような状況なのに、なぜかこういうときに限って真面目に登校しては、夜の七時か八時くらいまでウダウダと麻雀をしていた(真面目ではないな)。だがさすがに年が明けたらいよいよヤバさを感じ始めた。感じ始めてはいたが、僕はもはや勉強の仕方すら分からない状態だから、みんなの足を引っ張る意味でもウダウダと麻雀を続けたかった。みんなの足を引っ張ると言っても満太郎の全国偏差値五十という成績で学内ベストテンに入るくらいだから足を引っ張るもクソもないのだが、鳥取中央高校のレベルはそんなものだ。
かつてはこの高校の学力はそんなに悪くはなかった。歴史も古く、一九九〇年現在創立九十有余年の歴史をほこり、古い卒業生には大企業の社長や会長、大学教授になった人もいる。僕たち三年D組私立文系コースの担任である英語の池もっちゃんは今年三十五歳の比較的若いOBだが(池本紀夫先生)上智大学出身だ。他にもOBの先生は数人いて当然先生になっているくらいだからみんな大学を卒業している。
「ほんに、いつ頃からこんなアホな学校になっただらーかいな。なあ?」と池もっちゃんは僕たちを見て笑っているが、そんなこと僕たちに聞かれても困る。僕たちが入学するときには、すでに今のような状態になっていたし、学区内にあるいくつかの高校からまともな大学に進学しようと思ったら倉吉南高に行くしかないと中学の先生からは言われていた。中央高校OBの方々にとっては実に嘆かわしい事態なのかもしれないが、きっと徐々にこうなってしまったのだろうから誰のせいでもないだろう。
でも僕は、いやここにいる僕たちは志望大学だけは誇れた。そこだけは南高どころか全国の一流進学校並みだった。僕の第一志望は日本大学芸術学部映画学科だ。なんだ日大かよと言われそうだが(日本大学さんごめんなさい!)これは僕の将来の夢が映画監督だからで、第二志望は同学部放送学科、第三志望を同演劇学科としている。その三つ以外に受験するのは早稲田大学、明治大学、立教大学、成城大学で計五大学七学科を受験する予定だ。日大芸術学部に行けなければそれ以下の大学に行く気はさらさらなかったから、いずれもモテそうという理由と、少しでも自分の好きなことに近いのが学べそうな大学と学部をチョイスした。
早稲田に関しては問答無用のそのブランド力で第一志望としたので学部などどこでも良かったが何となく有名人の出身者も多いし第一文学部にした。明治大学は文学部演劇学科で立教大学は文学部だ。
プーメンほどではないが、僕だって一応映画監督志望だからごく稀に本を読むこともあるし、なんとなく文学部なら映画とも少しは近いとも思った。それに、母が立教大学を大好きなのだ。なんでも大学時代にお付き合いしていた男性が立教の学生だったらしく、「あんたも立教ボーイになりなさいよ」と小学生の頃から言われていたのでその刷り込みで受けることにしたのだが、よくもまあこれだけ出来の悪い息子に立教を受けろなどと言えたものだと思う。
成城大学の志望学科は文芸学部マスコミ学科というところで、これも少しは映画に近いと思ったというかマスコミってなんかカッコ良さそうというのと、なんとなくこの大学は美女のお嬢様が多いイメージがあって、そういう女性とお付き合いしてみたいと思ったからだ。ちなみにこの十二年後に結婚することになる知佳は成城大学出身だがお嬢様でもなんでもなく東京の練馬出身のごく普通の家庭の女の子だった。
僕に限らず志望校は大学受験をしないイチモン以外みんな似たような一流どころを選んでいたけれど、僕以外の連中は日東駒専とか大東亜拓桜帝国などの大学も「滑り止め」で受ける。だがそのような大学でもこの鳥取中央高校から進学するのは至難の業で、僕たちは軒並み志望大学にE判定しかもらえていなかった。そんな中、セノマンだけが大東文化大学でC判定を叩き出していた。E以外の文字を判定結果用紙で見たことがなかったから、Cの文字は燦然と輝いて見えたものだ。
あと、エロ川はお寺の息子ということもあり駒沢大学は受かるんじゃないかとみんなから思われていた(判定はEだが)。イチモンは音楽の専門学校に行くことを早い段階で決めていた。一応その専門学校にも試験はあるらしいが、「落ちるやつなんかおらんだろ」とイチモンは余裕の風を吹かしている。
そんな無謀な大学受験ではあったが、担任の池もっちゃんは「まあ、マークシートが多いけの、どうなるか分からんぞ。受かるか落ちるか確率は半々だけえの。受けるだけ受けてみいや」と言っていた。言われるまでもなく僕たちはそうするつもりだったし、受かるか落ちるか確率は半々ということにまったく同感だった。特にマークシート試験にはなにが起こるか分からない幻想があった。僕たちの麻雀の先輩である一学年上のタコシさん(本名西田隆志)はこの中央高校でもどん尻から数えたほうが早い順位なのに、なんと去年、追手門学院大学という関関同立の2ランクくらい下の関西の大学に奇跡の合格を果たしたのである。その大番狂わせが僕たちにとってどれほどの希望になったことか言葉ではとても言い表せないのだが、先生たちは「あんなことは千回に一回もあらせんぞ。ちゃんと勉強せえ」と言った。
「じゃあそろそろ帰るか」とガンデンが言うと、反対意見は誰からも出なかった。やはりみんな今の状況を少しはヤバいと思っているのだろう。きっと家に帰ってもみんな勉強するわけないだろうが、意地になってここで麻雀していても埒があかないことも分かっていたから僕たちはソフトボール部の部旗の上に並べていた麻雀パイをしまいだした。