プロローグ

 

 二〇二五年十月六日月曜日、二十一時十五分過ぎの東京駅構内にある駅弁屋は多くの人で賑わっている。恋人同士と思われるカップルや友人同士、家族連れが、日本中から集まっている数多の駅弁を選んでいる。その姿がとてつもなく幸せそうに見えるのは、私が今、不幸のどん底にいるからというよりは、夜に出発する旅というものが、日中に出発するそれよりもはるかにワクワクするからだろう。「夜汽車」という言葉もあるくらいだから、昔から夜の旅というものは、どうしてか人を高揚させるものなのかもしれない。それに不幸のどん底といっても妻と離婚して高校生の娘や中学生の息子とも離れて暮らすことになり、仕事もほぼ失っている程度の状態など不幸のどん底というのもおこがましいだろう。本物の不幸のどん底にいる人間は、自分が不幸のどん底にいるなどと自覚する余裕もないはずだ。

「別れたい」と妻の知佳ちかから切り出されたのは一年近く前だ。

 その頃には私に仕事がほぼなかったということもあるし、娘のちようは十七歳にしてちょっと遅めの反抗期まっさかりで、十四歳の息子のろうは軽度の自閉症でなぜだか私にはまったく懐かないうえに、ようやく見つけたフリースクールにもなじめず、家でずっとゲームをしている状態だった。そういう大変な状況に疲弊しつつもどうにか子供たちが生きやすい場所を探そうとする知佳と、自分のことしか考えられなかった私との間に溝ができてしまうのは当然だし、なおかつ知佳はその状況の中で人生の新たな目標まで見つけた。蝶子や太郎にとって、日本は暮らしにくいのではないかと考えた知佳は、二人を連れて海外に移住することを決めてしまったのだ。知佳の幼なじみがカナダに住んでいて、二年前にそこに十日ほど家族で旅行に行ったとき、わずかな期間ではあったが蝶子も太郎もとても生き生きとしていたのだ。

「カナダもあわなかったら戻ってくればいいだけだから」

 知佳は別れを切り出したときに私にそう言った。その移住計画には私は最初から入っていなかったのだ。

 そんな大事なことを勝手に決めてしまったことに一応私は抗議したが、それが形だけのものだと知佳は見抜いていた。

「相談しても、あなたは子供たちのために覚悟を決められないでしょ」と知佳は言った。その通りだった。きっと私はどうにかして移住計画を阻止しようと躍起になったに違いない。海外に移住した場合の自分の生活というものがまったく想像できないからだ。

「パパは一緒に行けない」と蝶子と太郎に伝えたとき、太郎はいつものようにゲーム画面から目をそらすこともなく「うん」とだけ言い、蝶子も私の顔は見ずに、でも少し寂しそうに「わかった」とだけ言った。離婚するということも、二人はすでに分かっていたようだ。

「子供たちが会いたいと言えば、いつでもあなたと会えるようにするから」と知佳は言ったが、蝶子はともかく太郎が私に会いたいと言うことはきっとないだろう。

 そんなことを思い出すと胸の奥が少しだけ痛む。私はその痛みを吹っ切るかのように並んでいる数々の駅弁に目をやった。お目当ての鳥取県代表の駅弁『元祖 かに寿し』はすぐに目に飛び込んできた。

 故郷の鳥取県倉吉市にある倉吉駅の売店で子供の頃から何度もこの弁当のパッケージを見ていたが、一度も食べたことはなかった。青い包み紙に真っ赤な蟹の絵が描いてあるその外見はなかなかにインパクトのあるものだが、子供の頃からなぜかまったく美味しそうには見えなかったし、その印象は今も変わっていない。それでも『元祖 かに寿し』を選んだのは、離婚して実家に帰るという五十三歳の中年男の行動を、より感傷的なものにしてその気分に浸りたいという、つまらないというのか、しょうもないというのか、まあ恥ずかしい理由からだ。

 それはあえて『サンライズ出雲』という電車の切符を一か月前から予約してまで東京を去ることに決めたのと同じ理由だ。この年齢での都落ちをより感傷的なものに私は演出したいのだ。その程度の演出しか思いつかないのは、職業として名乗っている映画監督としてもそうで、だから仕事も徐々に減っていった。

 収入のほぼなくなった私が離婚したら、残されている道は年老いた両親の住む故郷の倉吉に帰ることだけだった。

 

 九番線のホームに来ると、すでに『サンライズ出雲』はホームで待ち構えており、群がる撮り鉄たちにそのピカピカの車両を見せつけるかのように堂々と停車している。

 私は切符を買った九号車『B寝台個室シングル』に乗り込んだ。シングルは二階建てになっていて私の部屋は二階の十三番だ。室内は一畳半ほどの広さでベッドが一畳分、その他のスペースが半畳ほどといったところでカプセルホテルよりも少しばかり広い。足元には私の古びたノートパソコンを開いても十分な広さのミニテーブルがあり、その左わきにはテーブルから天井まで届く大きな鏡がついている。ベッドに乗って立ち上がっても身長一七〇センチにギリギリ満たない私には高さも十分だし、なんといっても壁一面に広がる大きな窓が開放的だ。と言っても出発してしまえば、この時間帯だと外は真っ暗闇なのだが。

 それにしても私の知る三十五年前の寝台特急『出雲』――『サンライズ出雲』に代わる前の夜行列車――にはA寝台だとかB寝台だとかがあったのかどうかも覚えていないが、こんなにも立派なものではなかった。一つの個室というのかスペースに大人一人がギリギリ寝られる三段ベッドが向かい合っていた。つまり満席だと一つのスペースに六人が寝られるというものだった。窓は通路側とは反対のスペースの奥にあるのだが、上の段のベッドに行く乗客のために梯子がついているので、窓から外の風景がとても見づらかった記憶がある。そもそも夜行列車なのだから窓外の風景などほとんど見えないのだが、窓外を見たければ通路に出て反対側にある大きな窓から見るのだった。

 その窓の下に開閉式の小さな椅子がついていたが、妙に座りにくかったのを覚えている。窓のついている車内の壁と体を並行にして座らなければならないからだ。

 今から語る話は、そんな寝台特急『出雲』に、私が初めて乗った三十五年前の話だ。十八歳の高校三年生だった私は、イチモン、エロかわ、ガンデン、セノマン、中本なかもと、プーメン(以上アイウエオ順)という六人の友人たちと私を含む七人で、一九九〇年の一月二十九日十七時五十八分、倉吉駅から寝台特急『出雲』に乗り込んで、大学受験のために東京へと旅立った。それが私にとっては初めての上京だった。

 翌朝六時五十八分に東京駅に着き、それからすべての大学の受験が終わる二月十九日までの三週間近く我々は東京に滞在した。その三週間は、私にとって間違いなく人生のターニングポイントになった三週間だった。

 いや、ターニングポイントというといささか大げさかもしれない。その三週間の出来事をきっかけに私のなにかが大きく変わったわけではない。だが長い目で見れば、その三週間ばかりの期間に、ターニングポイントよりももっと重要なことを私はいくつか経験したような気がしている。といってもそれらの経験はしょぼくて情けなくて、他人から見ればバカで呆れるようなことばかりだろう。それでも私が今、語りたいと思う理由は、蝶子と太郎にこの物語を読んでほしいからだ。

 父親としては失格だったが、私がどんな人間だったのか少しでも知ってもらいたいという欲望をおさえられないからだ。そして二人が今後なにか人生に迷うようなことがあったとき、奇跡的にこの物語に触れて、少しでも生きる力のようなものを得てくれたら嬉しいと思うからだ。

 もちろん蝶子や太郎だけでなく多くの人の目に触れてほしい。私はその三週間を人生の宝物のように今でも思っているからバカと思われようが呆れられようが、その宝物を他人にひけらかしたいとずっと思っていた。できれば映画かドラマにしてひけらかしたいと思っていたが、その夢はもう99.99999%叶えられることはない。であればこうして紙の上に物語として書くしかない。

 これが人目に触れることがあるのかどうか分からないし、離婚して田舎に帰るこのタイミングでこんな物語を書くというのも、それが私の映画監督というか表現者としての限界を物語っているような気もするが、まあその問題は今は忘れることにする。

 この出来事を語るために、私は三十五年前、初めて東京へ行くときに乗った寝台特急『出雲』の生まれ変わりである『サンライズ出雲』で故郷に帰ろうと決めたのだ。寝台特急『出雲』が停車していた故郷の倉吉駅には『サンライズ出雲』は停車しないが、その先の米子駅には停車する。翌朝、米子駅に着くまで、私は徹夜で書き続けるつもりだ。

 発車のベルが鳴った。『サンライズ出雲』はゴトリと音をたてて、その優雅な車体を西日本に向けて進め始めた。窓外を東京駅のホームがゆっくりと流れていき、徐々に東京の街の夜景が広がっていく。今のところ、私が再び東京に来る予定はない。もしかしたら、これが最後に見る東京の風景になるかもしれない。

 三十五年前の、希望とワクワクに満ちた出発のときとは当たり前だが大違いだ。いや、満更そうでもないような気もする。なぜなら私はこれから自分が宝物だと思っている出来事について書いていくのだから、少なくともその高揚感には包まれている。

 私はスーツケースからノートパソコンを取り出すと、足元のテーブルの上に開いた。そしてまずは、「蝶子と太郎にこの物語を捧げる」と書いてみた。が、この一文を残すかどうかは分からない。

 物語の書き出しの場面は決まっている。一緒に大学受験に行った六人の友人たちと、私が高校時代に所属していたソフトボール部の部室で麻雀をしていた場面からだ。その日、私たちは大学受験のための上京手段として、寝台特急『出雲』に乗って花の都・大東京に行こうと決めたのだ。

 

(つづく)