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第2章

 

 一九九一年一月二八日、午後七時一五分、僕は家でソワソワソワソワしていた。いよいよ今晩、一九時五二分発の寝台特急『出雲』に乗って大学受験のために東京へ向かうのだ。イチモン(スカしたバンド野郎)、エロ川(寺の息子の毛深いエロ野郎)、ガンデン(幼稚園から一緒の幼なじみ)、セノマン(裁判傍聴マニアで偏差値五〇の我々の中の最秀才)、中本(身長一八〇の元野球部のエース、プーメン(文学青年もどき 以上アイウエオ順に友人のキャラを簡単に復習した)、そして僕の七人は、余裕をもって七時半に倉吉駅に集合ということで話を決めていた。倉吉駅までは家から歩いても一五分ほどの距離なのだが、荷物も多いし父の車で送ってもらうことになっている。だがその父がまだ仕事から帰ってこないのと、いらないと言っているのに母が『出雲』の中で食べるようにと弁当を作っているのだ。

「ねえ、会社に電話してよ。お父さん、忘れてんじゃないの。あと、お弁当なんかいらないよ、多分誰も持ってこないよ」と僕はイライラしながら母に言った。でも母は返事もせずに弁当を作っている。

「あれ、たぶん中本君やみんなのぶんも作ってるよ」とワコが言った。

 見ると確かに母は七つもタッパーを出してその中に炊いた米を敷き詰め、その上に豚肉を甘辛く炒めたものと、甘い玉子焼きとウィンナーと炒めたほうれん草をのせている。本当に人数分作るつもりのようだ。

「ちょっとそんなにいらないからね! みんなで駅弁買おうって言ってるんだから」僕はさらにイライライライラして言った。

「駅弁なんてやめなさい、栄養ないんだから。お母さんが作るほうが美味しいに決まってるでしょ。みんなウチのお弁当が大好きなんだから」

 確かに母の弁当は人気があり、その証拠もある。

『ゴリラーマン』というマンガの登場人物たちがやっていた「ジャンケン弁当取り換えゲーム」というのを僕たち鳥取中央高校3年D組男子有志で週に二度ほどやっていたのだが、母の弁当は人気があった。各家庭それぞれの味付けがあり、誰の弁当を食べても新鮮な気持ちになれて美味しかったのだが、僕は野球部エースの中本の弁当が好きだった。エビフライとか鶏のから揚げとかやたらと揚げ物の多い中本の弁当は、まるで巨大なお子様ランチのようで美味しかった。

 ちなみに人気がないのはエロ川の弁当で、なぜかと言うとグリーンピースの混ぜご飯が多いからだ。みんなグリーンピースが苦手なのかご飯に混ぜてあるのが嫌だったのかはよく分からないが(僕は混ぜてあるのが嫌だった)、とにかくエロ川の弁当が最後まで残ることが多かった。そんなどうでもいいことを思い出しているとようやく父が帰って来た。

「おい、行くぞ。早よせえや」

 予定より遅く帰ってきたくせに父はそう言いながら家に入って来た。

「遅いよ。もうすぐ六時半になっちゃうじゃん」と僕は文句を言った。

「車で行けば五分だがな。なんだいや、すぐに出られるようにしとけいや」

「だってお母さんがみんなの弁当作るって言い出したから」

 僕が口を尖らせて言うと、「はいはい、できたできた」と母が大きな袋に七つのタッパーを入れて玄関に持って来た。

「それじゃ行ってくるね」

 僕は弁当の入った袋をありがたくなさそうに受け取りながら言った。父はもう車に乗って待っている。

「東京は楽しいから遊んでばかりいちゃダメよ。落ち着いて受けるのよ」母が言った。

「分かってるよ」

「落ち着いて受けても落ちるでしょ」とワコ。

「うるさい。じゃあ行ってくる」

 僕は背中を向けたままそう言うと家を出て、父の車に乗り込んだ。

「どうだいや、受かるんか?」

 車を出しながら父が聞いてくる。

「わかんないよ」

「わからんじゃいけんがな」

 駅までの五分、会話はそれだけだった。父はもっと確証のある言葉を聞きたかったのかもしれない。僕がまるっきり勉強をしていないことを両親はどこまで知っているのだろうか。模試の結果などはまったく報告していない。教えろと言ってこないのだから報告するわけがない。

 倉吉駅に着き、車を降りるときに父は「まあ、頑張ってこいや」と言って、僕は「うん。行ってくる」と返事をして車を降りた。

 倉吉駅は県内では米子駅、鳥取駅についで三番目に大きな規模の駅だが、結婚前に知佳を初めて倉吉に連れてきたときに「すごい! 阿佐ヶ谷よりぜんぜん小さいじゃん」と当時同棲していた阿佐ヶ谷駅を引き合いに出して言った。

 駅の大きさ自体はどちらが大きいのかよく分からないが、阿佐ヶ谷駅なんかと比べるのもおこがましいほど倉吉駅前は閑散としているから、僕はむしろ阿佐ヶ谷と比べられたことに驚いてしまった。せめて引き合いに出すなら日大芸術学部のある江古田くらいにしてほしい。江古田とも比べ物にならないくらい閑散とはしているのだが。

 駅舎に入るとすでにエロ川、ガンデン、中本、セノマン、イチモン、プーメン、つまり僕以外の全員が売店で買い物をしている。

「よう」と僕が声をかけると中本が「ビール買わいや、ビール」と言った。すでにやつは何本かの缶ビールと鳥取名産あごちくわを手に持っている。

「弁当も買おうぜ」とガンデンが言った。

 僕は母にみんなの分の弁当を持たされたことを言うのが恥ずかしかったが、せっかく作ってくれたので、言わないと申し訳ないような気持ちにもなり、勇気を出して言った。

「俺んちのオカアが弁当作ってきたけど……。一応、みんなの分ある」

「マジかいや。じゃあ、それでええがな。『元祖 かに寿し』より美味いだろ」とガンデンが言うと、「すげえな、お前のお母ちゃん」とエロ川が言った。

「ウチのオカアなんか『かに寿し』食べないなって言っとったわ」とプーメン。

「結局『元祖 かに寿し』って一回も食ったことないわ」とセノマンが言った。

「駅弁なんかうまいもんないだら」とイチモン。

 母が作った弁当をみんなが受け入れてくれたので僕は少し嬉しかったが、さすがに「いらない」とは言えないだろう。実はこのとき、僕自身は密かに『元祖 かに寿し』を食べてみたいと思っていたのだ。何度も目にしながら、まったく美味しそうじゃないという理由で手に取らなかったこの弁当を、大学受験のための上京という気分の高揚するイベントのときなら食べてみてもいいのではないかと考えていたので少し残念だった。

 ビールを買って、僕たちは改札を抜けた。寝台特急『出雲』は、すでにそのブルーの車体を駅のホームに停めて、まるでこれからの長い行程に備えてつかの間の休憩をとっているように見える。

 僕たちは六号車一三番というちょっとばかり不吉な番号のB寝台車両に乗り込んだ。列車内は寝台車特有の匂いがする。布団やカーテンのちょっとすえたような匂いに洗剤が混ざったようななんとも言えない匂いだ。僕は母の実家の熊本に行くときも、米子から博多まで寝台急行『さんべ』という列車に乗っていたから、ちょっとばかり寝台車には乗り慣れているのだ。『出雲』に乗るのは初めてだが『さんべ』と同じ匂いがする。

 B寝台は一つの部屋というかスペースに上段・中段・下段のベッドが向かい合って六つある。つまり一三番のスペースに寝られるのは六人だから一人だけ一四番に行かなければならない。それをジャンケンで決めようと僕が言ったらプーメンが、

「僕は読書するけぇ一四番に行くわ」と言ってプーメンが行くことになった。

「読書するは余計だわい」とガンデンが言った。いちいち読書家をアピールするなということだ。

 あとはみんなでジャンケンをしながら寝床を決めていると、ゆっくりと列車が倉吉駅を出発して車内アナウンスが流れ始めた。

「お待たせをいたしました。山陰線、東海道線を通ります寝台特急出雲号東京行きです。車は前から一号車二号車の順で、一番うしろ八号車まで八両編成で運転いたします。途中停まります駅と時刻をご案内いたします。次の鳥取には二〇時二九分、浜坂二一時一四分、香住二一時四四分、城崎二二時〇四分、豊岡二二時一六分、福知山二三時〇八分、綾部、京都、静岡、沼津、熱海、横浜……」

 次々と流れてくる停車駅と到着時刻を僕らはなぜか黙って聞いていた。

 沼津や熱海などと聞いても名前は知っているがあまりピンとこない。僕は修学旅行で行った大阪より東に足を踏み入れたことがなかったのだ。横浜など「あ、やっぱり本当にその街はあるんだ」とさえ思ってしまうようなほとんどファンタジーの世界で、東京はその横浜よりもさらにファンタジーだ。

「終点の東京には七時三〇分の到着です」

 そのアナウンスが流れると、「ああ、やはり東京にこの列車は着くのだな」「俺たちは東京という場所へ行くのだな」と改めて実感した。みんな黙って聞いているのは、東京に行ったことのあるガンデン以外はもしかしたら僕と同じような気持ちなのかもしれない。ガンデンは姉ちゃんが東京の大学に行っているから何度か遊びに行ったことがあるのだ。いつも原宿とか渋谷には美人が溢れているという自慢話をしてくるし、その頃はオシャレ雑誌の代名詞だった「ホットドッグ・プレス」を愛読しているし、東京でオシャレな服を買ってきて着ているから僕たちの中では断トツで都会の匂いを醸し出しているのだ。ガンデン以外の僕らはみんなケミカルウォッシュとかダボダボのジーンズ、洋品店に売っていそうなチノパンなんかをはいている。

 車内アナウンスが終了すると、

「まあ、とりあえずは乾杯しゃいや」と中本が気持ちを切り替えるように言った。

 僕たちは一三番の下段ベッドに四人と三人で向き合って座ると(四人のほうはかなり狭い)、缶ビールをあけた。

 こういうとき、大人ならば「お疲れ」などと言って乾杯するのだろうが、僕たちは別に疲れてもいないし、乾杯のときになんと言っていいのか分からない。「大学受験に乾杯」などと言うのも恥ずかしい。みんなどんな言葉を言っていいものやらよく分からず、なんだかニヤニヤしてしまう。

「おい、誰かなんか言えーや」とイチモンが言った。

「お前が言えーや」とセノマンが言い返す。

「じゃあパイパンでええがな」とガンデンがギャグでもなんでもないかのように普通に言った。くだらない。実にくだらないし、令和の読者の方々には不快に思われる方もいらっしゃるかもしれない。でも、昭和世代の(時代は平成だけど)高校生の僕たちはそんなくだらないギャグに笑ってしまった。いや、くだらないことを言い合っている自分たちがおかしかったのかもしれない。そしてそんな僕たちを僕は好きだった。「スンセ」があると思っていた。

「よし、じゃあガンデン言え」と僕は言った。

「よっしゃいくぞ。じゃー……パイパン!」ガンデンはそう言うとビールを掲げた。

「パイパン!」

 僕たちはニヤニヤしながら缶ビールをつき合わせた。

「あー、うまいがな!」

 真っ先に言ったのは中本だ。中本はビール好きで毎晩父親と飲んでいるらしい。実はここにいるメンバーは中本とセノマン以外ほとんど酒が飲めないことは去年の一一月の学園祭の打ち上げで分かっている。僕なんかビール一口で顔が真っ赤になるし、味もなにが美味しいのかさっぱり分からない。ではなぜ中本とセノマン以外のメンバーもビールを買ったのかというと、これはもう気分としか言いようがなかった。ガンデン以外みんな初めての東京だ。大人は誰もいなくて、気の合う友人たちだけで東京に行くということに僕たちの気分は高揚しているのだ。しないほうがおかしいだろう。

「とりあえず、弁当出すわ」

 母の作ってくれた弁当をあけると、甘じょっぱい肉の香りがあたりに充満して一気に食欲が刺激された。それは僕だけではなかったようで、みんな弁当のタッパーを手に取ると、ビールのつまみというよりは、しっかりとした食事となり、いつも教室で弁当を食べているときのように、無言で口にかきこんだ。その間の時間は三分ほどだ。どうして高校生の男子というのはこうも早食いなのだろうか。

「とりあえず俺ら以外には受験組はおらんかったな」と弁当を食べて、一〇秒ほどの沈黙ののち僕は言った。

 もしかしたら他に東京に受験に出るやつらに駅でばったり会ったりするかもしれないと思っていたのだ。

「『出雲』で行くバカなんか俺らくらいだら」とイチモン。

「バカって言わんといて」とプーメン。

「バカだら。受かる気があるなら飛行機か最悪でも新幹線でいくわい」とガンデン。

「俺は受かるつもりだけどな。ていうか受かるけどな」と我々の中でもっとも偏差値の高いセノマンが言った。だが、ここはガンデンの言うとおりだ。受かる気があるなら飛行機か新幹線で行って、疲れをためないように体調を整えるだろう。

 でも、実は僕はこいつらには内緒だが密かに受かる気でいた。確かに偏差値では大きく及ばないが、僕はなにがなんでも日大芸術学部映画学科に行きたいのだ。この僕の熱い気持ちを神様と日大芸術学部の先生たちが見捨てるはずがないという妙な自信があった。家の近所の波波伎神社にも数日前にちゃんとお参りしておいたし(正直なにを祀っている神社なのかも知らないけれど)、なんなら僕は、みんな落ちるのに自分だけ受かって一人ぼっちで東京に行くことになるのかな、それは寂しいななんていらぬ取り越し苦労をしているくらいだ。

 そんな僕たちは、もう何回目になるか分からないが、東京に出たらどこに住むかという話をまた始めた。トレンディドラマやガンデンの読んでいる「ホットドッグ・プレス」などのオシャレ雑誌に出ていた「この街に住みたい」という特集記事で得た知識だけだと、やはり代官山か広尾か渋谷あたりだろうという結論になる。僕は渋谷ならばスペイン坂あたりに住みたいとなんとなく名前のイメージと写真の雰囲気で思っている。スペイン坂あたりが人の住むようなところではないことを、当然このときは知る由もないのだ。

「まあ、そのどこかに住んどれば間違いはないだら」とセノマンが言った。

 どこまで本気でこの七人で住むのか、その本気度の確認を取り合ったことはなかったが、僕はけっこう真剣に七人で一緒に住んでもいいと思っていた。東京に出て独り暮らしはなんだか寂しすぎて耐えられる自信がない。

 

(つづく)