最初から読む

 

 どのくらい、そうしていたのだろう。

 ぼくらはぎこちなく手を繋ぎ、はにかみながらお互いを見つめた。首元に、相手の熱が残っている気がして、手のひらで軽く擦る。

 日没が近い。あたりが暗くて助かった、と思った。真っ赤に染まったぼくの顔は、きっと世界で一番情けなく見えただろう。

「ごめん」彼女はそっと身体を離した。「電話、かけてくるね。ここだと電波入らなくて」

 折り畳みの携帯電話を開きながら、彼女が薄闇の奥へ駆けていく。ぼくは白い息を長く吐き、その背中を見送った。きっと、クラスのみんなに連絡するのだろう。これからパーティに向かうことを伝えて……、ぼくたち二人の関係についても、みんなに話してしまうのだろうか? そう考えると、すっかり照れくさい気分になった。

 まだ鎮まらない心臓を落ち着かせるために、その場をぐるぐる歩き回る。ブルーシートの端に足を引っかけ、思いきり前につんのめった。役目を終えたそれが、地面にごろりと転がっている。

 せっかくだし、埋めておこうか。そんな考えが頭に浮かんだ。このまま転がしておくわけにもいかないし、自転車に載せて持って帰るのも面倒臭い。どうせ穴は埋めないといけないのだし……。

 ブルーシートはすっかり闇に紛れてしまっていたけれど、ロープは辛うじてまだ目立っていた。傍らにしゃがみこみ、両腕で抱えるようにして持ち上げる。

 不格好なその包みは、ゾッとするほど重かった。

「──え?」

 頭の中が真っ白になった。力の抜けた両腕から、それが滑って地面に落ちる。チリン、という鈴の音が確かに聞こえたような気がした。

 聞き覚えのある音だった。由佳がお揃いで買ってきた、北海道土産のキーホルダー。それがどうして、ここで鳴るんだ?

 ──本当はね。

 彼女の声が蘇る。

 ──この役、有賀さんがやるはずだったんだ。

 でも、あの由佳が誰かに頼まれたくらいで大事な役を譲るだろうか?

 足音が聞こえる。星野さんが早足でこちらに戻って来るのが、夕闇越しにぼんやりと見えた。

「東くん」

 星野さんはぼくを見た。ぼくが見ているものを見た。ぐにゃりと折れ曲がった、足元の青い芋虫を。

 いつの間にか、蛙の声は消えていた。

 どうして、シャベルに土がついていたのだろう。

 ふいに、そんな疑問が頭に浮かんだ。彼女に手渡されたシャベルは、最初から土だらけだった。ぼくが来る前に、彼女が自分で使っていたというならわかる。でも、このあたりの地面はどこも綺麗で、穴を掘ったような痕跡は見当たらなかった。

 それなのに、シャベルは土にまみれていた。何年もかけて乾燥した土じゃない。新鮮な、湿り気のある土だ。ぼくがやって来る前に、彼女があらかじめ汚したとしか思えなかった。

 シャベルについてしまった、別の何かを隠すために。

「東くん」

 胸が苦しい。どれだけ息を吸っても、身体が酸素を拒んでいた。ぼくの意思とは無関係に、脳みそが真実を紡いでいく。

 たった一人で死体を運べるわけがない。星野さんはそう言った。ぼくもそう思った。たとえ誰かを殺したとしても、その死体をここまで運ぶのは無理があると。だから、星野さんは人殺しではないと、そう思った。

 でも、例外がある。殺害現場がこの場所だった場合だ。彼女が被害者をここに呼び出していた場合。あるいは、被害者が自分の意思でここに来て、彼女がそれを追いかけてきた場合。たとえば、二人が物置小屋で口論になり、狭い小屋の中で揉み合い、勢い余って一方がもう一方を殺してしまった──そんな場合だ。

「事故──だったの?」

 ぼくは訊く。星野さんは答えない。二つの瞳が、告発するようにぼくを見つめた。

 ──女子のいじめは結構えげつないからねぇ。

 ぼくは何もわかっていなかったのかもしれない。

 最初から。何もかも。

「東くん」

 どうして、星野さんの筆入れは、毎日のように中身が変わっていたのだろう。

 どうして、星野さんのお父さんは学校に電話をかけてきたのだろう。

 どうして、由佳はホワイトデーのお返しを早くに欲しがったのだろう。それを誰に見せつけるつもりだったのだろう。

「東くん」

 もしもあの日、坂下くんの見た光景が、本当は逆だったとしたら。破った答案用紙を捨てていたのではなく、誰かに捨てられてしまった答案用紙を拾い集めていたのだとしたら。

 もしも、あのチョコレートが、ぼくのために用意されたものだったとしたら。彼女がうっかり落としてしまったのではなく、悪意を持った誰かによって、それを砕かれていたのだとしたら。

 その誰かを、彼女がずっと許せなかったのだとしたら──。

 遠くで、サイレンの音が聞こえた。パトランプ。消えたはずの夕焼けが空に戻り、世界が朱く染まっていく。

 彼女はいったい、誰に電話をかけたのだろう。

「星野さん──」

 言いかけの言葉が、千切れて消える。震えるぼくの口を、彼女の右手が優しく塞いだ。背中に回された左腕が、ぼくをぎゅっと締め付ける。

「ダメ」彼女は耳元で囁いた。「三回までだよ」

 サイレンの音が大きくなる。どこまでも深い夕闇のなかで、罪がぼくらを満たしていった。

 

 

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