「絶対に東大合格しなきゃ許さない」――両親の熱烈な期待に応えるため、高校三年生の高志は勉強漬けの日々を送っていた。そんなある日、クラスメートの星という少女から、自身をとりまく異常な教育環境を「虐待」だと指摘される。そんな星もまた、自身が親からネグレクトを受けていることを打ち明ける。心を共鳴させあう二人はやがて、自分達を追い詰めた親への〈復讐計画〉を始動させることに――。

 

 教室で浮いていた彼女と、埋もれていた僕の運命が、大学受験を前に交差する。驚愕の結末と切なさが待ち受ける極上の青春ミステリー。『サクラサク、サクラチル』の読みどころを小説家・丸山正樹さんの解説でご紹介します。

 

 

サクラサク、サクラチル

 

 

サクラサク、サクラチル

 

 

 

■『サクラサク、サクラチル辻堂ゆめ丸山正樹[評]

 

 

 本書をこれから読もうという方は、どんな作品を期待して今、これを手にしているだろうか。

 タイトルと表紙のイメージから、受験期の高校生の悩み多き成長物語?

 作者のこれまでの作品を読んだことがある方は、青春物の形を借りた社会派ミステリ?

 東大卒という作者の経歴を知っている人は、受験ノウハウを交えたエンターテインメント?

 ――そのどれもが正解なのでご安心を。

 つまりこの作品は、「東大受験を背景に高校生男女を主人公とした青春ミステリ小説」なのだ。昔、「1粒で2度おいしい」というお菓子のキャッチコピーがあったが(古すぎてすみません)、二度どころか三通り、四通りの楽しみ方ができる一冊なのである。

 そのあらすじを少し紹介すると――。

 

「僕」こと染野高志は、進学校に通う高校三年生。東大を目指し、いや絶対に東大に合格しなければいけない事情を抱えているにもかかわらず、一学期の中間テストで成績を落としてしまう。そのショックで体調不良を起こしたのをクラスメイトの星愛璃嘉に目撃され、声を掛けられる。はっとするほどの美少女でありながら普段は誰とも交流しない孤高の存在である愛璃嘉が、なぜ成績はトップクラスでもいたって冴えない男子である自分のことを気にするのか?

 

「染野って、同じ匂いがするんだよね」

 

 謎めいた愛璃嘉の言葉をキッカケに、やがて互いに共通する事実を知ったことで、二人の仲は接近していく……。

 

 王道の恋愛青春小説のように始まる物語だが、次第に明らかになってくる二人の置かれた境遇、親との関係を知るにつれ、戦慄を覚えずにはいられないだろう。

 高志の両親は、教育熱心とかスパルタ教育などというレベルを超え、身体的な暴力により子供に「東大合格」という絶対的な命令を強いる毒親。

 かたやシングルマザーである愛璃嘉の母親は、親の自覚なく養育を放棄してきたばかりか、高校生の娘にすべてを依存する。愛璃嘉はヤングケアラーとしてアルバイトで家計を支えるとともに、家事のほとんどを担っているのだ。

 親からなされている仕打ちを、高志はそれまで「虐待」とは思っておらず、愛璃嘉は「仕方のないこと」と受け入れてしまっていたが、互いに指摘し合うことでその異常性を自覚する。

 

 こうして〝出会った〟ことで、ようやく目が覚めた。深い共感と、怒りと憎しみが生まれた。

 そして何かが、化学反応的に動き出そうとしている。

「あんな奴ら、死んでしまえばいいのに……」

 

 二人が協力して双方の親への「復讐計画」を練り始めるとともに、高志が正体不明の人物から受けていた嫌がらせがエスカレートしていく辺りから、物語は俄然ミステリの様相を帯びていく――。

 

 高志の両親、特に父親からの虐待は度を越しており、さすがに現実にはこんな親はいないだろうと思う向きもあるかもしれないが、二〇一六年に名古屋で「父親が息子を包丁で脅して無理やり勉強させ、その結果、息子を死亡させる」という事件が起こっている。逆のケースも、長年にわたる母親からの教育虐待が原因で、看護学生の女性が母親を殺害するという事件が二〇一八年に起きている。

 小説の設定とは事情が異なるが、構想の背景には、このような悲劇が二度と繰り返されないように、という作者の願いがあったのではと想像する。

 しかしそれがあからさまな問題提起型の小説にはされておらず、主人公二人の行く末をハラハラドキドキしながら追っているうちに、読者が自然に「本当の親の愛とは?」「幸せに生きるために本当に必要なものとは?」ということについて考えるような物語になっているのである。

 

 高志・愛璃嘉の親はともに身勝手で、自らの見栄や利益のために子供を利用している。それを「子を思う親の愛」と勘違いしていた二人が、そんなものは愛情などではないと気づき、「親のために生きるのをやめる」決意をする。

 しかし、ここでふと思う。

 では、それが「愛情ゆえ」であれば許されるのだろうか。

 親は、「子供のため」としばしば口にする。「良い学校」を目指せというのも、その後に続く「良い会社」に勤め「良い家庭」を築くことが子供の幸福であり、親であれば子供の幸福を願うのは当然ではないか、という思いからだ。

 しかし、親とて間違うことはある。たとえそれが「愛情ゆえ」であっても子供のためにならないことはあるのではないか。

 

 ――やっと分かったんだ。人生ってさ、楽しむためにあるんだね。知ってた?

 ――なんで今まで分からなかったんだろう。私たちがこの世界に生まれてきたのは、頑張るためでもなく、我慢するためでもなく、苦しむためでもなかったんだって。別にそんな思いをしなくても、人生は成り立つんだって。

 

 この小説にこめた作者の思いが伝わってくる。

 

 辻堂ゆめさんは、これまで実に様々な年代の人物を描き、多様な物語を紡ぎだしてきた。

 四作目の作品である『悪女の品格』(創元推理文庫)のあとがきで、作者自身がこう言っている。

 

 デビューしてしばらく、私は「主人公の年齢や境遇を偏らせない」ことを意識していました。一作ごとにいろいろなタイプのキャラクターに乗り移って、その視点でどこまで面白いストーリーを作れるか、挑戦してみたかったのです。

 

 その言葉通り、『悪女の品格』以降も、第二十四回大藪春彦賞受賞作である『トリカゴ』(創元推理文庫)では女性刑事を主人公に本格的な警察小説を。近著の『今日未明』(徳間書店)では、イヤミスかと思わせるほど人間の内面を深くえぐる作品を送り出している。

 その多彩な作品群の中でも特に驚かされるのは、『十の輪をくぐる』(小学館文庫)と『山ぎは少し明かりて』(小学館文庫)だ。前者では、八十代の女性の過去の話として一九五〇年代・六〇年代の炭鉱町での青春が描かれ、後者では、実に三世代にわたる女性たちの来し方が語られる。なぜ全く経験したことがない(はず)の時代及び土地のディテールや、はるかに年長である人物の心情をここまで細やかに描けるのか!

 翻って、本作の主人公は高校生の男女。作者がこれまで『コーイチは、高く飛んだ』(宝島社文庫)、『卒業タイムリミット』(双葉文庫)などの作品で数多く描いてきた年代である。淡い恋愛とミステリの掛け合わせは、作者の最も得意とするところなのではないか。

 突然の自分語りで恐縮だが、私は高校時代の三年間を男子校で過ごし、同年代の女子とほとんど会話を交わすこともないという灰色の青春を過ごしたため、高志と愛璃嘉が昼休みに二人だけで(憧れの体育館裏!)過ごす時間などは、それぞれの辛い現実を知っていてもなお、身もだえするほどの羨ましさを覚えながら読んだ。

 

 気づくと顔と顔との距離が近くなっていて、どちらかがはっとして背筋を伸ばす。そんな昼休みのひとときが、僕らの深い傷を、端のほうから少しずつ癒していく。

 幼稚な嫌がらせを繰り返す犯人も、そして両親も、僕がもう孤立無援ではないことを、おそらく知らない。

 

 このような甘酸っぱい描写もありながら進んでいく物語の後半で、高志の東大合格を阻止すべく妨害行為を続けていた「犯人」の正体が明らかになる。その動機が判明するシークエンスは実に切ない。

 一方で、二人の「復讐計画」がいかなるものであったか明かされる場面は、さわやかな印象を残す。

 このコントラストが見事だ。

 ラストに至り、我々読者の残る関心は「二人の関係がどんな結末を迎えるか」なのだが、そこは読んでのお楽しみ。

 その場面で愛璃嘉は高志にこう問いかける。

 

「『幸せ』って、どういうことだと思う?」

 

 この小説を読む前と後では、あなたの答えも変わっているかもしれない。