本サイトCOLORFULにて『わざわざ書くほどのことだ』を連載していた作家・長瀬ほのかさん。ある日、彼女のもとに担当編集者から「変な仕事のご相談」という怪しげなメールが届きます。
その中身は、サイトのランキングでかつて激しいデッドヒート(?)を繰り広げていた『有吉メモ』のブックレビューの依頼でした。
そんな長瀬さんが明かしたのは、幼少期にテレビで目撃した「ある丸顔の人物」への淡い記憶。そして、自身も10年以上書き溜めてきたという「意味不明なメモ」の数々。メモ魔である長瀬さんだからこそ気づいた、淡々と紡がれる『有吉メモ』の不思議な魅力とは? 読めばあなたも、意味のない何かを書き留めたくなること間違いなし!
作家・長瀬ほのか氏のレビューで『有吉メモ』の読みどころをご紹介します。
双葉社の担当編集U氏から【変な仕事のご相談です】という件名のメールが届き、右も左もわからぬ新人作家である私は、「出版社から変な仕事の相談がくることもあるのだなぁ」と、純粋無垢な気持ちでそれを開いた。読んでみると「変な仕事」とは、昨年書籍化した『有吉メモ』についての記事を執筆してほしい、というものだった。『有吉メモ』の担当者から、U氏に打診があったらしい。
私は昨年まで双葉社の文芸総合サイト「COLORFUL」にて、『わざわざ書くほどのことだ』というエッセイを連載していた。現在も同サイトで連載中の『有吉メモ』とは、双葉社の社員以外誰も見ていなさそうなサイト内ランキングで熾烈なデッドヒートを繰り広げた仲である。連載同期という理由から記事の執筆を依頼されるのが業界的にみてどのくらい「変な仕事」なのか判然としないが、何を隠そうこの担当編集U氏、毎晩19時に就寝し、日付が変わる頃に目覚め、そこから朝方までバラエティ番組を一気見するという独特なタイムスケジュールで日々を送るお笑いフリークであり、有吉氏の出演番組はかなりの数を押さえている。「変な仕事」などと言いつつ、これで内心なかなかの期待を持ってメールをくれたに違いない。メモを淡々と掲載するだけのシンプルな連載である『有吉メモ』。やっつけ企画めいた緩さを纏いながらも、その人柄が存分に発揮されたメモの数々は不思議と読み応えがありクセになる。私も毎回楽しみにしているので、記事の執筆についても是非とお受けした。
とはいえ、私は普段エッセイばかり書いている人間で、誰かの本を推薦するような文章は不慣れである。よって一旦、特技の自分語りを披露させていただく。
小学生の頃、私はキムタクがかっこいいのかどうかわからなかった。親の方針により、『どうぶつ奇想天外!』以外のバラエティ番組を視聴することが許されていなかったため、周囲と比べて芸能人全般に疎く、キムタクはイケメンである、という情報だけは得ていたが、実物を見たことがなかった。そもそも美人だとかイケメンだとか、人間の美醜がよくわかっていなかった。だからイケメンの代表たるキムタクの顔さえ拝めば、イケメンというのがどんな顔なのか、その実体が掴めるに違いない、なんなら一瞬にして虜になってしまうかもしれないと、キムタクの顔面に多大な期待を寄せていた。そしてある時ついに友人から、「この人がキムタクだよ」とその姿を見せられたのだが、虜になるどころか、まったく腑に落ちなかった。どこに決定的な違いがあるのだろうか。私は何か重大な感覚が欠如しているのだろうか。毎週、野生のゴリラのリーダー争いや世界の珍しいサル特集、人の顔みたいな模様のカメムシなどを見て動物の生態に詳しくなる一方、私のイケメン観はますます混沌を極めていった。
そんなある日、何らかの事情で普段より遅くまで起きていたことがあった。居間のテレビでは私の知らないバラエティ番組が流れていて、そこに出演していたある人物がふと目に留まった。顔立ちが丸っこく、可愛らしい感じの人だった。私は人生で初めて、「この人の顔、好きかもしれない」と思った。一瞬だったので名前を確認できなかったのは悔やまれたが、これが世間でいうところの「好みのタイプ」というやつなのかもしれないと、しみじみ感動したのを覚えている。その後、我が家のテレビ視聴ルールも年を追うごとに緩くなり、バラエティ番組などを見る機会も人並みに増えていった。時折、「あの時のあの人は誰だったのだろう」と思い起こすこともあったが、その姿を再びテレビで見かけることはなかった。さらに時は流れ、大学生になった頃、「アメトーーク!」で「おしゃクソ事変」を巻き起こし、毒舌あだ名芸で大ブレイクを果たしたその人を見て、「あっ!」と思った。その頃の私はすっかり妻夫木聡のファンになっていたわけだが、とにかく、「あっ!」と思ったのだった。
さて、ここからメモの話である。
私は物書きになりたいという野望を抱きながらも奮起することなく10年以上何も書かなかった自堕落人間なのだが、努力しないくせに志だけは高いので、いつか役に立つかもしれないと、ずっとメモだけは続けてきた。嬉しかったこと、恥ずかしかったこと、腹が立ったこと、何から何まで、とにかくメモりにメモってきたメモ魔である。が、その膨大なメモが今の執筆活動に役立っているかというと、正直微妙なところである。たまに読み返してみるのだが、はっきり言って98%以上は意味不明というか、なにが面白くてこんなことを書き残したのか、過去の自分に問いただしたいような問いただす気も起きないようなメモばかりである。しかし、意味不明だから無意味かというと、そんなこともない。『有吉メモ』の「はじめに」でも書かれているが、メモすることによって感情が整理され、嫌な出来事もネタとして昇華される。生産性を高めることだけがメモの意義ではない。次第に手段が目的に成り変わり、メモをしたいからメモするという境地に達する。ブチギレそうな目に遭っている最中、「あーこれ早くメモしたい」という欲求により気が紛れたことは数知れない。
『有吉メモ』の中身は、共感できるもの、できないもの、自由律俳句っぽくて思わず唸るもの、心底わけのわからないものなど、実に様々である。
「おでこを蚊に咬まれるやつはマジでアホしかいない」というメモが特に気に入っている。これは大変鋭く、無慈悲な指摘である。私もかつて、飲み会がはじまって早々、おでこの中心に蚊がとまったことがあった。ビールを飲み進めるごとに腫れていき、酒を飲むとおでこの中心が赤くなる珍体質の持ち主のようで、かなりのアホさだった。
「浅草寺のおみくじ、凶多い」というメモも好きだ。決めつけているが、どこまでも個人の経験でしかないところがいい。メモに統計はいらない。なぜならメモだから。
たまに少し長めのメモに当たると、ちょっと嬉しい。歩かない犬のメモと、カニが好きな母のメモに和んだ。
メモの包容力はすごい。なんでもありだ。長くても短くても、面白くてもつまらなくてもいい。形式も技術も品位もいらない。それでこそメモだ。メモ魔から言わせてもらうと、理路整然としたメモなど真のメモとは言えない。継続性も有用性も二の次で、もっと刹那的であるべきだ。まずは、『有吉メモ』に掲載されている最初のメモを読んでもらいたい。メモへのハードルが格段に下がること間違いなしである。この本そのものが読者のメモ帳として使える仕様になっているので、何も考えず、何も決めず、読んだ流れのまま、何となくメモをはじめてみることを推奨する。
これを書くにあたり、何か使えそうなネタはないだろうかと、私が記してきた膨大なメモに検索をかけた。「有吉」と入れてみると、数年前のメモが一件だけ引っ掛かかった。ただ一言、「有吉みたいなもんだよ」と書かれていた。「あっ!」とは思わなかった。いくら考えてみても、なんのことやらさっぱりわからない。