天才錠前師の錠二が、元パン屋の強盗・太陽を殺そうとした瞬間、世界は二つに分かれた。一つは、太陽を撃ち殺して冷酷な「ボス」として裏社会で生きる道。もう一つは、拳銃の故障で太陽を殺せず、彼とともに「パン屋」を営む明るい道。正反対の並行世界を歩む二人の運命がぶつかり合う。
幸せを手にするのは、泥棒か? それともパン屋か? 世にも奇妙な平行世界ミステリー! ミステリ書評家・若林踏さんの解説より、本書の読みどころをご紹介します。

■『泥棒は二度パンを焼く』上田未来 /若林踏 [評]
運命のままならなさを風変わりな犯罪劇で描く。それが上田未来という作家の特徴ではないだろうか。
本書『泥棒は二度パンを焼く』は元々『ボス/ベイカー』の題名で2023年に双葉社より刊行された長編小説で、文庫化に当たって改題したものだ。作者の上田未来にとっては2冊目の著作であると同時に、初の長編作品となる。
語り手の“ぼく”は自衛隊の第一空挺団に所属する自衛官だったが、家族全員が放火によって死んだことにショックを受け、自衛隊を辞める。叔父の打ち明け話によると、“ぼく”の父親はプロの窃盗犯という裏の顔を持っており、その腕を買われてある建設会社の社長から盗みの仕事を依頼されたという。ところが”ぼく”の父親はその仕事を拒んだため、依頼主の社長が口封じと見せしめのために家へ放火して殺したのだ。復讐のために“ぼく”は自衛隊で培った斥候の技術を活かし、社長の自宅へ潜入して大金を盗み取ることに成功する。それ以来、“ぼく”は悪人のみをターゲットに盗みを働く泥棒として生きるようになる。
ある時、“ぼく”は吉田太陽という男と出会う。太陽はもともとパン職人で自身の店も構えていたが、“ぼく”と同じような境遇を辿ってプロの泥棒になったという。義賊のような矜持を持って生きるお互いの姿勢に共感した“ぼく”と太陽は、チームを組んで盗みを行うようになる。だが、ある盗みの仕事を終えた後、太陽は”ぼく”に向かって銃口を向ける。“ぼく”が仕事の分け前をチームメンバーに渡す前に盗っている疑いがあるというのだ。太陽との関係が完全に変わってしまったことを悟った“ぼく”は、自分が隠し持っていた拳銃を太陽へと向ける。
以上が第一章の大まかな内容だ。主人公が職業的犯罪者へと至るまでのドラマ、同じ志を持つ仲間との友情、裏切りへの疑惑と、本書の序盤は犯罪小説のお手本のような展開が描かれていく。ところが第二章に入ると奇妙なことが起きる。銃弾が発射されず“ぼく”と太陽が和解する物語が描かれる「パン屋」と題されるパートと、“ぼく”が太陽へ向けて銃を撃った後の物語が展開する「泥棒」と題されるパートがそれぞれ書かれていくのである。そう、本書はいわゆる並行世界の物語が同時進行していく小説なのだ。
本書が並行世界を題材とした作品であることは、実は第一章の段階で仄めかされている。冒頭、“ぼく”は拳銃の密売を行っている時計屋の主人から、銃を渡される前に「君は並行世界を知っているかね?」と尋ねられる。老人は「並行した世界は、互いに共鳴し合って、引かれ合うんだ」など並行世界に関する哲学的な持論を“ぼく”に言って聞かせる。とうぜん“ぼく”は困惑するわけだが、これが第二章以降の展開への前振りとなっていたわけだ。
「パン屋」パートと「泥棒」パートでは物語のトーンが面白いくらい対照的になっている。一人称が“ぼく”から“僕”という記述に変わって展開する「パン屋」パートは、和解した“僕”と太陽がパン屋を開くことを決意し、開店まで奮闘する姿が描かれていく。太陽と違って“僕”にはパンを作る技術が無いため、まずはパン職人としての修業を始めなければいけないのだ。プロの腕利きの犯罪者が仕事を辞め、第二の人生を送ろうとする物語はこれまでも多く書かれてきたが、これほど引退後の職業が愛らしい響きを持つものはないだろう。店を始める前に他店には無いコンセプトを二人で考えるなど、かつて職業的犯罪者だった人物たちが丁寧に手順を踏んで起業しようとする様子も笑えてしまう。
対する「泥棒」パートは“俺”という一人称で展開する。太陽に変わって“俺”は窃盗チームのボスとなり、泥棒としての活動を続けることになる。だが、“俺”はチームのメンバーに対して常に不信感を抱いていた。太陽が“俺”に疑いの目を向けたのは他のチームメンバーからの密告によるものであり、“俺”を貶めようとする人間がメンバーの中にいるのではないか、と考えられるからだ。第一章の終盤に描かれた緊張感が途切れず続いたまま進むのが「泥棒」パートである。
犯罪小説には強奪小説、あるいは“ケイパーもの”と呼ばれるものがある。主人公もしくは複数人のチームが綿密な計画を立て、標的を奪い取るまでの一連の行動を描くもので、その過程で発生する予期せぬ事態や裏切りをいかに登場人物たちが解決するのか、というスリルが作品の肝となる。強奪小説の代表作といえば犯罪小説の大家であるドナルド・E・ウエストレイクがリチャード・スターク名義で書いた〈悪党パーカー〉シリーズだろう。『泥棒は二度パンを焼く』の「泥棒」パートも〈悪党パーカー〉シリーズほど徹底した非情さはないものの、人間不信の中で泥棒仕事を遂行しようとするスリルが強奪小説としての読み味を生んでいるのだ。
こうして明暗がはっきりと分かれた並行世界の模様を、読者は神の視点から眺めて楽しむことになる。「パン屋」パートと「泥棒」パートはそれぞれ別の世界線に生きる“ぼく”であり、異なる道筋を辿る物語が展開する。だが第一章の時計屋の主人によれば、「並行世界は、引かれ合う」のだ。それぞれの世界でどこが共鳴し、どこが引かれ合っているのか。それを確かめることが出来るのは神の視点にいる読者だけである。『泥棒は二度パンを焼く』にはそうしたポイントを読者が拾っていくパズル的な興趣も込められた作品であると言える。
上田未来は2019年に「濡れ衣」で第41回小説推理新人賞を受賞した後、2021年に『人類最初の殺人』(双葉文庫)でデビューする。同書は殺人、詐欺、盗聴といった犯罪が生まれた経緯を国立歴史科学博物館の鵜飼半次郎が語って聞かせるという、奇抜な設定の連作短編集だ。秀逸だと思ったのは各編が「ディスカバリー・クライム」というラジオの科学ドキュメンタリー番組の体裁を取っていることで、番組の冒頭で最初の犯罪が行われた痕跡を説明した上で、そこに至るまでの奇妙な顛末を語っていく点が非常にユニークだった。
第3作の『妻が夫を完全犯罪で殺す方法(あるいはその逆)』(2025年、双葉社)もまた捻くれた趣向の犯罪小説だ。不倫を繰り返す夫の殺害計画を立てる妻が登場する話で、犯罪小説では古くからお馴染みの配偶者殺しを目論む主人公の物語だと表面上は思うだろう。だが“あるもの”が物語を構成する大事な要素として加わった途端、古典的だと思われた犯罪劇が変な方向へどんどんねじ曲がっていくのだ。面白いのは本のタイトルに〈あるいはその逆〉という言葉が入っていることで、標的となるはずの夫もまた妻の殺害を企てる可能性を前もって読者へ示しているのだ。これは上田作品に共通する特徴で、物語の趣向や帰結をあらかじめ大胆に読者へ伝えておきながら、なおも意外性に富んだ展開で楽しませるということに上田は毎回挑んでいるのである。
もう一つ、上田未来の小説における共通点を挙げるならば運命の不可思議さ、人生のままならなさを描いていることだろう。上田作品の登場人物たちは偶然や予期せぬ出来事に翻弄されて、自身が望んでもいない方向へと流れていく。だが、そうした奇遇を受け入れながら続けるのが人生であり、不可思議さ、ままならなさに左右されながら人間の歴史は紡がれていくものではないだろうか。上田未来の作品は思わず笑ってしまうような奇抜な犯罪小説ばかりだが、その根底には人生の深い真理がある。