探していたもの
ときどき読んでいた雑誌に短歌の投稿欄がはじまって短歌をつくりはじめたとき、二人の子どもはまだ赤ん坊だった。育児に追われながら、自分もなにかを表現したいという願いが自分の中にずっとあったことが、投稿を続けさせたのだと思う。
創作のために長い時間を確保することは難しかったけれど、子どもを遊ばせながら、家事をしながら、ふと心にうかんだ言葉をノートにメモしておいて、子どもが昼寝をしたときなどのわずかな「一人の時間」に集中してまとめていた。当時はワープロも持っていなかったので、原稿用紙に鉛筆で清書して投稿していたのだった。
はじめて雑誌に掲載された短歌のことを、今でも覚えている。
子供らが散らかした部屋を抜け出して何を探そうとしていたのだろう 東 直子
選者の林あまりさんによる、厳しくもあたたかい選評とともに、自分の名前が、作品があった。うれしかった。一日中、赤ん坊としか話をしないような閉ざされた世界にいたので、自分の言葉が活字になったことで、社会と自分がつながっているのだという実感がやっと持てたような気がしたのである。拙い作品だが、「何を探そうとしていたのだろう」という問いは、切実なものだった。逃避したいような気持ちと、今をもっと大切にしたいという気持ちがないまぜになっていた。その遠い昔の問いに対する答えは、いまだに見つかっていない気がする。
先日引っ越しをしたのだが、荷物の中からたくさんの絵本が出てきた。上の子が十歳くらいになるまで毎晩読み聞かせしていた、思い出深いものばかりである。この絵本、なんどもなんどもせがまれて読んだなあ、と思いながらページをめくると、胸が熱くなった。眠る前にひととき入りこんだ、不思議な世界。あの子たちも、思い出すことがあるのだろうか。
「一緒に生きる 親子の風景」は全3回で連日公開予定