嫌なことも、うれしいことも
なにかの文学賞の授賞パーティーの帰りだったと思う。とある若い女性編集者さんと同じ駅を利用することがわかって、一緒に夜道を歩いた。華やかな場所から抜け出したおだやかな解放感とともに雑談をしながら歩いているうちに、その彼女が小さな子どもを育てていることに話が及んだ。働きながら子育てをする大変さを話していると、ふと顔が陰り、きっとこんなお母さんじゃ嫌だって子どもに思われている気がするんです、と言った。
あ、と思った。私もそういうことを思った気がする。そして、自分自身の母親のことを、嫌だなあと思ったことも。私はあいまいに同意しつつ、でも、と言った。
「親のことに全くなんの不満も持っていない子どもなんて、いないんじゃないかな。自分の親に百パーセント満足している子なんて、いない気がします」
彼女がしずかにそうですかねえ、と答えるのを聞きながら、今の台詞は、かつての自分に対して言ったのかもしれない、と思った。
私のことを不満に思っているであろう子どもたちへの言い訳のようにとれてしまう気もするが、間違ってはいないと思う。割合は違っても、子どもというのは、親のすることに対して、なにかしら不満を持ってしまう生き物なのだ。
子どもがやりたいこと、それは、本能の赴くままに好きなことをやる、という一点につきる。子どもがやりたいことをどんどん好きにやらせたら、子どもからの不満は起こらないだろう。が、そういうわけにはいかない。親は、子どもが人間として生きていくための先導者でなければいけないのだ。当然、時にはやりたいことを禁止し、やりたがらないことをやらせなければいけない。嫌われることをしなければ、親になれないのだ。
でも、大丈夫。なにしろ、一番そばにいて、ごはんを食べたり、遊んだり、眠ったり、抱きあったり、子どもが一番うれしいことを一番一緒にできる存在なのだから。一番嫌われることをしても、一番好かれることをしているのだから、大丈夫なのだ。
時には仕事をしていて、なかなか一緒にいられない、遊んであげられない、というお母さんもいるだろう。人間だから体調の悪いときもあるし、感情が不安定なときもある。いつも上機嫌で楽しいお母さんとして一緒にいられたらいいけれど、いろんな事情がある。それは、仕方がない。そんなときに「なんの不満も持たない子どもはいない」という認識が、心の負担を軽くしてくれる。
子どもにとって嫌なことを重ねてしまったな、と思ったら、子どもがうれしいことをそれ以上に重ねてあげればいいのだ。
ということを、子育て真っ最中のときに気づける冷静さがあればなあ、と、昔の自分に語りかけるようなつもりで、これを書いています。
「一緒に生きる 親子の風景」は全3回で連日公開予定