序章 鉄徒目付 糸原佐武郎

 

「すべては拍子ひょうしだ」

 たたら師の〈けむり〉は針をぎながらいつもの言葉を口にした。

 たたら場から歌が聞こえてくる。

 鉄を溶かすには炭の火を極限まで高めなければならない。

 たたらと呼ばれるふいごを何人もで交互に踏み、風を送り込むのだ。

 この歌は皆でたたらを踏む拍子をあわせるためのものである。

「歌と踊りはどちらが先だ? 歌があってそれにあわせて身体を動かすのが踊りだが、そればかりではない」

〈煙〉は手元を拍子よく動かしている。

 砥石といしと鉄とがこすれる、小さく鋭い音が小気味よく響いている。

 ──……シュッ、シュッ……。

 それがたたら場の歌の拍子と、うまくあっている。

 針を研いでいるのだ。

 ただの針ではない。

 箸ほどの長さがある、長い針だ。

 革や畳など、厚くて硬いものを突き通すのに使うものである。

「たたらを踏むには皆で拍子をあわせなければならん。最初はかけ声だったろうな。それがそのうち歌になった。動きが、踊りが歌と化すこともある。百姓のやる田楽でんがくもそうだ」

〈煙〉の言うことはいつも同じである。

 大事なことを根気よくくり返す。

 彼ら彼女らはなすことをそうやって伝えてきたらしい。

 佐武郎さぶろうですらこの話を何回も聞いている。

 飽きないのは佐武郎のさがもあるが、実に面白いからだ。

 町では決して聞けない話である。

「歌にしろ踊りにしろ、まず拍子がある。風のようにうねり、川のように流れる、その拍子に身をゆだねろ」

〈煙〉は研いでいた長針を灯りにすかすようにして、切先を指でこすった。

 研ぎ具合を確かめているのだ。

 ひげを伸ばしていて老人にも見えるが、もしかしたら四十ほどかもしれない。

 つぎだらけの粗末な服をまといながらも、実は皆から一目置かれる腕のよいたたら師である。

「鉄をつくり、刃物を研ぐだけではない。生き延びるためのすべてにおいて、拍子が肝要なのだ」

 そう言って〈煙〉は、じろり、とこちらをにらんだ。

 時は文久ぶんきゅう、黒船来航以来、異国と対峙するための武器をつくるため、鉄が今までにも増して必要になった昨今。

 ところは安芸あき加計かけの山中である。

 山陰さんいん山陽さんようをわける高い山々では、砂鉄がよくとれる。

 出雲いずもをはじめ、石見いわみ 、備後びんごなど、有名なたたら場が数多いのはそのためである。

 広島ひろしま藩安芸国も例にもれず、たたら師たちが集落をつくり、その腕をふるっているのだ。

 糸原いとはら佐武郎はその小屋の囲炉裏いろりばたに座り、口をつぐんで〈煙〉の話を聞いていた。

 二十と五になるというのに落ち着かず、しゃべり好きであるから、気を抜くとすぐに余計なことを話し出しそうになる。

 しかし、今はいけない。

〈煙〉がこのように語る時は大事なことを口にする時なのだ。

 佐武郎は広島藩に仕える武家で、代々、鉄づくりに関わるお役目についているのだが、父母はすでに没していて兄弟も嫁もおらぬから、正真正銘の独り身である。

 それをいいことに山中異界に開かれたこのたたら場に入り浸っている。

 なんということはない。

 徒目付かちめつけの仕事と称して、たたら師たちの集落に身を投じているのだ。

 その考え方から身のこなし、鉄づくりから食べるものまでを、佐武郎は好いていた。

「あれ、〈煙〉はまた佐武郎をつかまえてそんな話をしとるんか」

 割って入ってきた声に顔を上げれば、小屋の入り口に老婆が立っていた。

「おばあ、邪魔せんでくれ。大事な話なんじゃ。佐武郎は明日、下界に帰るんよ」

「そんならなおのことそれじゃいかんよ……佐武郎、ちょっと待っといて。今おばあがうまいもん持ってくるで。ほれ、おェら、佐武郎は今日までしかおらんらしいぞ。食いもん用意せんといかんぞ」

 すると、いつの間にいたのか、小さな子どもや女たちがおばあのまわりから顔を出した。

 佐武郎がそちらへ手を振ると、嬉しそうに笑っている。

「次はいつ来る、佐武郎?」

「また一緒に山刀を研ごう」

「今夜はたたら踏んでくのか?」

 口々にそう問うてくるのへ、今度は〈煙〉がこぶしを振り上げた。

「大事な話と言っとるだろう! あっちへ行っとれ……すまんの。女子どもがお前ェにすっかりなついちまった」

「嬉しい限り。ここにいると自分が武家だというのさえ忘れる」

「やっぱり変なさむらいだな。今まで下界から何人もやってきたが、お前ェみたいに長逗留するやつはいねえ。はじめて来た時、とつぜん羽織はかまをぬいだ挙句、俺らと同じような野良着を着はじめたのも驚いたがな」

〈煙〉が首を振るので、佐武郎は下山のためにまとめた荷物を見やった。

 羽織袴と大小の刀。

 里におりたらそれらをまとって「武家」に戻らなければならない。

〈煙〉は眉間にしわを寄せてひとつうなずくと、こちらを見た。

「話を戻すぞ。山に呼ばれたお前ェにはきっと必要になる話だ。いいか、『拍子』を用い、制するにはいくつかの方法がある……そこの酒をとって持ってきてくれ」

 言われて佐武郎が立ち上がろうとした途端、奇妙な音が響いた。

「──ブン……ブンム……──」

 と、なにかが脈動するような気味の悪い響きである。

 そのまま、その音が拍子を刻みはじめた。

〈煙〉の口神楽くちかぐらだ。

 はじめて聞いた時はいささか信じ難かったが、たたら師たちは口やのどを使い、息を吹き込んだり吸ったりして、この奇妙な音を出しているのだ。

 その拍子は、佐武郎が立ち上がり、酒の入った竹筒をとりにいく歩みに見事にあっている。

 佐武郎が拍子にあわせているわけでもない。

〈煙〉が佐武郎にあわせているわけでもない。

 まるでその口神楽の刻む拍子から、佐武郎の立ち居振る舞いが生み出されるようである。

 こうなると佐武郎がその拍子からはずれた動きをすることも難しい。

 わざとはずしても、ただの裏拍子になってしまう。

 口神楽からなんとか逃れようと、佐武郎が妙な格好でしゃがんで酒の入った竹筒をもちあげると、今度は、

「──ヒュッ……──」

 という、風の吹き込むような音が加わる。

 そうして、まるで獣の叫びや鳥の鳴き声が拍子をとっているかのようになった。

 その時、いきなりである。

〈煙〉が研ぎあげたばかりの長針が、たん、と床に突き立った。

 しかも、佐武郎が次の一歩をおろそうとしたところだからたまらない。

「ああっ!」

 と、思わず口から声が飛び出た。

 針を避けながら酒の入った竹筒を守ろうとしたせいで、妙な格好のまま身体が宙に浮き、胸を床に打ちつけてしまった。

 痛みにうめいていると、〈煙〉はその手先から竹筒をもぎとり、ふたを開けて酒を呑みはじめた。

 佐武郎は胸をさすりながら座り直すと、笑いながら首を振った。

「……くるのがわかっていても、やはり駄目だ……」

「拍子を読まれてしまったら、逃れられぬよ」

 酒を呑みながらそう言う〈煙〉の顔に、不敵な笑みが浮かんでいた。

 佐武郎がこうされるのは何回目だろう。

 今日は転ばされたが、時によると、いつのまにか背に回り込まれて頭をはたかれることまである。

 痛いのは痛いのだが、まるで話に聞く剣の達人との立ち合いのようで、佐武郎はそれを楽しんでいた。

〈煙〉はまた竹筒をあおり、口をぬぐった。

「これは初歩だ。さらなる先がある……おや、またおばあか?」

 小屋の戸を叩く音がしたのだが、入ってきたのは若いたたら師であった。

 炭の熱に浮かされて赤い顔をし、片足を軽く引きずっている。

 たたらを踏み続けることで足腰を痛める者も多いのだ。

「〈煙〉、炭に火が回った」

「なにっ。早すぎるぞ。それでは熱がじゅうぶんに上がらぬ」

「炭に難があるようだ。〈煙〉に来てもらわなければならないと皆が言っている」

「仕方ない……佐武郎、明日はいつ頃たつのだ」

「日の出とともに下山しようかと」

「またいつでも来るがいい」

 それだけ言い残し、そのまま小屋を出ていってしまった。

 ぶっきらぼうなのはいつものことである。

 佐武郎は囲炉裏の炭火を見ながら、〈煙〉の口神楽を写すように拍子を刻みはじめた。

 そうしてしばらく後、また小屋の戸が叩かれる。

 おばあや子どもたちが食べ物を持ってきてくれたのかもしれない。

 食べたら早く眠ろう。

 明日は早いのだから。

 

「おお、新右衛門しんえもん、今ちょうど山から戻ったところだ。久方ぶりだな……いや、ちょっと待てよ、山に入ったのが先月の終わりであったから、十日ぶりほどか。そこまででもないな。まあよい。お主もうた殿も元気にしているか。どうだ?」

 佐武郎は矢つぎ早に口を開いた。

 屋敷へ帰ってきたばかりでまだ野良着のまま、着替えてもいないところへ、黒部くろべ新右衛門が訪ねてきたのだ。

 新右衛門は、幼い頃からともに過ごしてきた同い年の親友である。

 せ気味の佐武郎とは違い、壮健で上背もある。

 軸の通ったその立ち姿は、見る者が見れば、かなりの剣の使い手だということが一目でわかる。

 天から吊られているように真っ直ぐなのは姿勢だけではない。

 目鼻まではっきりと整っている顔だちであるから女たちが噂をしてやまぬのだが、なぜか嫁をとらない。

「唄は相変わらずだ……お前に会いたがっていたから早々に屋敷に来てくれ」

「おいおい、どういう風の吹き回しだ。『佐武郎のような風来坊と話してはいかん』などと言って、唄殿を俺から遠ざけているだろうに」

「……別になんでもない」

「そもそもお主は唄殿を可愛がりすぎなのだ。まるで孫を甘やかす爺じいさまだぞ。歳のはなれた妹とはいえ、唄殿はもう十八。大人だぞ、大人。そんなことだからお前の縁談はいつまでたってもまとまらんのだ」

「………」

 新右衛門はうつむいた。

 どこか妙だ。

 かつて親同士の仲がよかったこともあり、新右衛門や唄をはじめ、黒部家の一同は天涯孤独となった佐武郎を家族同然に扱ってくれる。

 佐武郎がこう言えば、

「そう言うお前は浮いた話ひとつないではないか」

 と笑いながら反撃をしてくるのが常なのだ。

 しかし、今日は違った。

 訪ねてきた時から妙に表情もかたい。

 それにどこか上の空である。

「……どうだ、上がって酒でも呑んでいかないか。お主にも唄殿にも土産があるのだ。話したいこともある。今回も山でたたら師たちの武術を習ってきた。これが実に面白いのだ。前にも話したが『口神楽』といってな……」

 新右衛門の元気を出させようとさらにまくし立てるが、空回りしている。

 どうもおかしい。

 すると、新右衛門は黙って油紙の包みを突きだしてきた。

「これを預けておく。決して誰にも渡さないでくれ、、、、、、、、、、、、、 。よいか、誰にもだぞ」

 思い詰めたようにそう言って、押し付けるように佐武郎に受け取らせた。

 そうして、ぷい、と身をひるがえして出ていこうとする。

「待て待て、新右衛門。酒はよいのか。それともあれか、腹具合でも悪いのか。ならば茶でもよい」

「……急ぎの用があるのだ。唄をよろしく頼む……」

 新右衛門は振り向きもせずにそう言い残すと、去っていってしまった。

 佐武郎は呆然として見送っていたが、しばらくして一人言を呟つぶやいた。

「妙なやつだな。もしかしたら本当に腹具合でも悪いのかもしれぬな。しかし、これはいったい……」

 渡された包みを開けると、三冊の帳面が入っている。

 帳面を開くと、新右衛門の丁寧な字でびっしりと埋めつくされていた。

「なんだ……? 鉄奉行様のご意向……黒部家にて……日付けもあるな。日記か? なぜこんなものを俺に」

 首をかしげながらも自分の部屋に行った。

 棚には様々な書がみっしりとつまっているから天袋の中に放り込んだ。

 その戸には引手がなく、外からわかりづらいので、山に入る時に大事な物を入れているのだ。

 そのままの足で新右衛門を追い、黒部家に向かおうとしたがやめた。

 屋敷におもむいて唄やその家族に挨拶するには、身を清めなければならない。

 風呂を沸かして湯に浸かると、実に気持ちがよい。

 湯をすくって顔に浴びせながら、また一人言を呟く。

「明日には新右衛門のやつと酒が呑めるだろうか。まあ、呑めばいつもの説教がはじまるから、それはそれで面倒だが」

 

「針ざむらい」は全4回で連日公開予定