キッチンでは、コンロにのった圧力鍋が激しく蒸気を吹き出していた。クスクス用のシチューの支度がすでに始まっているらしい。そちらの作業はお姉さんに任せて私たちは庭に出た。砂漠を囲って作った庭にはオリーブの木が植えてあり、たくさんの実を付けていた。私たちは姪っ子と一緒にテーブルの準備に取りかかった。その隣の日陰に、彼はバーベキューコンロを出してくると、木炭を並べて火を起こし、骨付き羊肉の塊を網の上にびっしり並べた。うちわでのんびりあおぎながら、炭火でじっくり焼き上げていく。国民食のクスクスに加え、たくさんの羊肉のグリルまで用意してくれているらしい。
「これ、よかったら食べてみて」
姪っ子が持ってきた器の中身は、庭で採れたオリーブの実を塩漬けにしたものだった。その自家製のオリーブの実は、緑のものから、うす紫や、黒に近い紫色まで、自然のグラデーションをそのままにした、目にも楽しい食べ物だった。市販のものより実が小さく、大きさも形も不揃いだったが、むしろその歪な出来に親しみが湧いた。塩気も酸味も控えめで、素朴な風味が食べやすかった。一旦つまみだしたら止まらなくなる味だ。
羊肉に香ばしい焦げ色が付き、クスクスがお湯を吸って膨らんだ。食事の準備がいよいよ整い、テーブルに並んだランチを囲むと、私より先に感嘆の声を上げたのは、あんなに渋っていたトルコ人の方だった。
「なんて豪華な食事なんだ!」
トルコ人は子どもみたいにはしゃいで、山盛りのクスクスをかっ込み、骨付き肉に手を伸ばした。
「うまい! お世辞じゃなくて、真剣に言ってるんだ。なんてうまいクスクスだ! 本当だよ!」
クスクスの山の上には、唐辛子とトマトでじっくり煮込んだマトンに野菜、レンズ豆が雪崩のようにかけられていた。シチューの旨味をたっぷりと吸い上げたクスクスの粒が、舌の上でさらりと崩れ、染み出してきたスープの出汁が口のなかに広がっていく。どんよりと暑い砂漠の午後を、唐辛子の刺激がピリリと引き締め、ますます食欲を掻き立てた。ふと顔をあげると、彼がこちらを見ていた。やさしく潤んだ二つの瞳が、美味しい? と問いかけてきて、私は口をモゴモゴしたまま満たされた笑みを返した。
食事の後、彼はお茶の準備をするために席を立った。その間に私は、お姉さんと姪っ子さんに彼のことを訊ねた。
彼は長年、隣国のリビアでビジネスをやってきた人だった。ところが革命による内乱が起こり、チュニジアへ引き揚げようとしていたところへ爆撃を受けた。車も、車に積んでいた所有物も、持っていたすべての財産が木っ端みじんになったという。そして傷心のまま身一つで姉のところへ帰ってきたらしい。そんな大変な状況にある人に、こんなにも親切にしてもらうばかりでいいのだろうか。さすがに今回は状況が状況であるだけに、彼の境遇に加えて、与えられたものの大きさについても心配しないわけにはいかなかった。すると姪っ子がこう言った。
「今日の叔父は、お客さんがきたので張り切っているのか、とても嬉しそうです。こんな風に楽しそうにしている叔父を、私たちも久しぶりに見ました。だから今日は、私たちの家に食事に来てくださったことに、家族の者として感謝します」
話を聞いていたお姉さんが、同意するように頷いて、温かな眼差しをこちらに向けた。
出入り口の方からカチャンカチャンと音がして、お茶のセットが運ばれてきた。彼は甘く煮出したグリーンティーを、高く掲げたポットからグラスの中へ落とし入れ、表面をきれいに泡立てた。カラカラに乾いた砂漠の風が、今日はなんだか心地よかった。私は熱々のお茶を飲み、出してもらったお茶菓子を食べた。女性たちがヘンナ(染料)を持ってきて、キャーキャーはしゃいで遊び始めた。お姉さんは私の手を取り、足を取り、しまいにはTシャツの袖もまくし上げ、二の腕や肩の辺にまで、あちこちに模様を付け始めた。私はとうとう椅子の上にひっくり返って、足の裏にも描いてもらった。そんな私たちのふざけた様子を彼は満足そうに眺めていたが、そのうちにいそいそと立ち上がり、今度はシーシャ(水タバコ)を持ってきた。煙の出具合を確かめてから、彼は吸い口を私に向けた。私は両足にヘンナをくっつけ、椅子の上にひっくり返ったまま、彼の伸ばしたチューブから水タバコの煙を吸い込んだ。もう何から何まで、至れり尽くせりの1日だ。それにしても私は、なんという格好をしているのだろう……。吸い込んだ煙が顔中に広がり、甘いベリーの香りに包まれていく。彼がおかしそうに笑いだすと、つられてみんながゲラゲラ笑った。私たちは庭の木陰で陽が傾くまで遊び続けた。
帰りのタクシーを降りると、お礼を言って彼と別れた。往復のタクシー代さえ、彼は払わせてはくれなかった。
去っていく彼を見送りながら、トルコ人が呆然とした表情で言った。
「なんと親切な人なのだろう……」
そして、なぜだ、と私に問いただしてきた。
「最初から君は、あの男を信用していただろう。なぜだ。どうやって分かった」
ジャスミンの小さなブーケをもらったあの夕暮れどきを思い返しながら「何も知らなかったし、今でも分からない」と、私は言った。彼が信用に足るかなんて、私にとってはどうでもよかった。深く考えもしなかった。
「あなたは、人に会ったら欺きたい? それとも喜ぶ顔が見たい?」
「そりゃ、俺だったら当然……」と言いかけて、ややあってから「いいよ、分かったよ」と、トルコ人はとうとう諦めたように言った。
この続きは、書籍にてお楽しみください