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 二〇一二年五月──

 

 その日は初夏らしく気持ちのいい朝だった。朝の七時になるとタイマーでセットされたステレオからアリシア・キーズが大音量で流れ出した。ベッドで丸まって寝ていた原田由香は、薄手のブランケットをはねのけると大きく伸びをした。流れてくるリズムに合わせて小刻みに首を振りながらベッドから下りる。寝起きに苦労したことがないのは由香の自慢の一つだ。リズミカルな動きで窓辺に向かうと、薄紅色のカーテンをさっと引いた。

 朝の光が由香をやさしく包み、十七歳になったばかりの身体を祝福しているようだった。

 素早く制服に着替えると二階の部屋からキッチンに降りていき、コーヒーメーカーから熱いコーヒーをマグカップに注いで、ひと口飲んだ。ダイニングテーブルの上にはフルーツサンドとヨーグルトがラップをかけて置いてある。その横には、バンダナに包まれた弁当と母のメモがあった。

『今日の三者面談、五時半だよね!』

 そのメモを見ると、由香は唇を小さくへの字にした。

 さほど広くないリビングの窓外には母の裕子が植えたハーブの繁っている小さな中庭があり、その左手に父親の悟の仕事部屋がある。視線の先に、アイマスクをして眠り呆ける悟の姿が目に入った。由香は無表情でフルーツサンドを咥えると、弁当箱をリュックに入れた。メモは丸めてゴミ箱に捨ててしまった。

 赤い五段変速の自転車に跨がるとiPhoneのイヤフォンを耳に着けて、由香はいつもの路地を走った。音楽を聞いている時は、家の中の空気がどこか淀んでいることも遠くに流れていく。

 耳に音楽しか聞こえないと街の景色は違って見える。現実の世界なのに、まるで映画やミュージックビデオのワンシーンのようだ。足早に歩く人の姿も立ち止まって話す人の姿も道行く車も、由香が視線を切り替えるだけで、それぞれがワンカットの映像になる。

 そんな風景を見るのが由香は好きだった。音楽だけが由香を包み、その中で由香は時々「イエイ!」と声を出した。いつもその声だけは頭の中でくっきりと響いた。

 駅の近くで自転車を乗り捨てると、由香は改札を走り抜け、小田急線に飛び乗った。下り電車は混雑が緩く、自分が立つスペースは確保できる。しばらくすると、電車は世田谷区内を通り抜けて多摩川を渡る。この時の、空が大きく抜けた景色は由香のお気に入りだった。

 

 原田裕子が砧にある花市場で仕入れを終えて、空色のフィアットの荷台に初夏をたっぷり詰め込み帰宅したのは、由香がすでに出かけたあとだった。裕子は花屋カフェ『FOWLER』のシャッターを上げ、アコーディオン式の扉を引いて風を入れた。手慣れた動きで花の束をアルミ製のバケツに入れていき、店頭にバランスよく並べ始めた。

 彩り次第で見え方がまるっきり変わってしまう、と裕子は思う。季節を少し先取りした花と、ちょっと珍しい花と定番の花を少し。それがうまくいっている日はよく売れた。市場にあれば必ず数色仕入れるのはガーベラだ。裕子はガーベラが好きだった。一輪でも束でも、部屋の雰囲気を少し力強くしてくれる。

 あらかた並べてしまうと、裕子は大きく伸びをして腰を反らせた。先月、裕子は四十三歳になった。同年代の女性に比べると若々しいと周囲からは言われる。

 ランチタイムの仕込みまでにはまだ時間があった。裕子はキッチンで由香の残したフルーツサンドをつまみながら、残っていたコーヒーをひと口飲んだ。

 視線の先では悟がまだ寝ているのが見える。どうせ昼過ぎまでは起きるはずがないのだ。新しい曲はできたのだろうか、と裕子は一瞬思ったが、悟がここ何年もまともな曲を書けていないことを思うと、その期待は虚しいものだった。

 かつて才気に溢れて颯爽とJAZZシーンを駆けていた面影は、今の悟の音楽にはなかった。それを一番わかっているのは彼自身なのだろう。だから、放っておいた。話し合うこともぶつかり合うことも避け、自分は毎日の暮らしをどうしていくかに集中した。

 裕子の母親が五年前に亡くなったあとに(父親はとうに他界していた)、思い切って花屋だった実家をフレンチスタイルのカフェに改装した。たまたま信用金庫から低金利でまとまった金を借りることができたのもあるが、カフェを併設することにしたのは自活するためだった。店名は裕子が考えた。もちろん花屋だから〝フラワー〟なのだが、それだけだと面白味に欠けると思い、アルファベットを入れ替えてみた。裕子のちょっとした悪戯だ。

 店舗デザインは、幼馴染みが経営する工務店に格安で頼むことができた。下北沢は若者が多い街だが、あえて大人っぽい造りにしてもらい、地元の同世代のニーズに応えるようにした。

 裕子はお気に入りのパン屋と交渉し、焼き立てのバゲットを卸してもらうことにした。加えて近所の珈琲店で深煎りの豆を好みの味にブレンドしてもらい、少しずつ店の形を作っていった。

 花とパンと珈琲。店は三年前にスタートした。多分、この三年間で休んだのは数日しかない。それくらい必死だった。それでいて楽しかった。ようやく生きていく上で、自分の居場所ができたような気がした。

 コーヒーを飲み干すと、そろそろ仕込みの時間になっていた。夕べのうちにヨーグルトに漬け込んでおいた鶏肉をトマトソースでじっくり煮込んでローズマリーを添えよう、悟のだらしのない寝顔を見ながら、裕子は思った。

 

 二限目は古文だった。誰かが例文を読む声が頭上を上滑りしていく。由香は古文が好きではない。自分たちがしゃべっている言葉と同じ日本語とは思えなかったし、『伊勢物語』とか『源氏物語』が面白いとは思えなかった。光源氏が誰と付き合おうと私には関係ないし……と、いつも笑い話で友達と話した。授業を聞いているふりをしながら視線を外に向けた。窓から入る風が気持ちよかった。

 私は三年後、何をしてるのだろう。このところ、しょっちゅうそんなことを考えるようになった。三者面談とか進路決定とか、うっとうしい言葉が周りに飛び交うようになったせいだ。

 二十歳の私は何者かになれているだろうか?

 二十五歳の私は?

 未来の計画は、ないよりあったほうがいいに決まっている。でも、まずは今年の地区大会だ。団体戦で絶対優勝する。今年はチャンスだ、と顧問は言う。私もそう思う。多分みんなも。自分たちはいけるんじゃないかって本気で思えるメンバーが揃ったし、毎日みんなの息が怖いほど合ってきている。そして全国大会だ。全国大会の決勝にはダンス関係者も審査員で見に来る。客席にもさりげにいるらしい。そこで一番輝いてスカウトされる。それからどこかのダンスグループに所属してプロのダンサーになる。そして……そして……由香はいつもそこから先のことがうまく想像できなかった。

 プロになる、それから私はどうしたいんだろう。そもそもプロってなんだろう。一年中踊ってていいのだろうか。

 うまく考えられなくなると由香は考えるのをやめてしまう。考えることが苦手なのだ。

 やがて、チャイムが鳴り二限目が終わった。

 

 原田悟が目を覚ましたのは昼前だった。アイマスクを押し上げると、ソファの上で猫のように身体を丸めてから大きく伸びをした。昨夜のウイスキーが口の中に残って嫌な苦さがあった。煙草を探したが残っていなかったので、灰皿からまだ吸えそうな物を適当に探して火をつけた。

 サイドテーブルの上には書きかけの譜面が無造作に置かれていた。到底気に入る仕上がりではなかった。悟はサイレントピアノをゆっくりと撫でた。鍵盤は昔とは違って何も応えてくれなかった。

 原田悟はジャズピアニストだ。シンプルなメロディでも彼が弾くと愁いのあるリリカルな表現になる、生来備わったある種の才能があった。

 悟は二十歳を過ぎると音楽大学に通いながらプロとしてステージに上がっていた。ビル・エバンスのように繊細な演奏ができ、見た目も彫りの深い陰のある顔立ちだったことも味方して、音楽好きの女性たちが悟を支持した。それに目をつけたレコード会社が悟をスカウトし、スタンダード曲を中心に据えたアルバムを作った。

 レコード会社のあと押しでニューヨークのジャズクラブでも演奏した。しかしアメリカでは、悟の演奏は全く通用しなかった。美しい曲を作り、きれいな演奏をする東洋人。それが大方のレビューの評価だった。それでも国内の評価が落ちることはなく、悟はプロとしての活動を続けていた。

 自分の演奏に欠落しているものを探すこと、それが悟の音楽的なテーマとなった。初めは必死に探していた。そして探しているうちに悟の才能の光は徐々に失われていった。少しずつ沈み込むような十数年を送り、悟は四十一になった。

 サイドテーブルの上の冷めたコーヒーに手を伸ばした。口に含んだが不味くてカップに吐き出した。さしあたってすることはなかった。プレイヤーに針を落とし、スピーカーから流れる他人の確かな演奏を聞きながら、悟はまた目を閉じた。

 

「透明な耳。」は全4回で連日公開予定