プロローグ 晴れていて、とても寒い。

 

 

 二〇二〇年一月──

 

 東京に初雪が舞った次の日は、朝からとても晴れていて、その分とても寒かった。北風が強く吹いていて、自転車に乗ると耳がちぎれそうだった。私はマフラーで鼻先まで覆って、ふた駅先へと向かった。マフラー越しに吸う空気が張り詰めていて、胃の中まで冷たくなる。

 私は、冬が嫌いじゃない。

 空を見上げると抜けるような青が見えた。

 

 バイト先の建築事務所に少し早めに着くと、まだ誰も来ていない。まず昨日の仕事の残り香を窓を開け放して外に出す。五分間だけ窓を全開にして、その間にお湯を沸かす。お湯が沸いた頃に、窓を全部閉めて暖房を最強にする。ゆっくりと部屋が暖まるまで、私はインスタントコーヒーを飲むことにしている。私はこの時間が好きだ。

 これから始まる一日がまだ少しも損なわれていないオフィスは、無音だ。

 私は耳がよく聞こえない。

 でも、仕事をする上では、大抵の指示が社内メールで来るから問題ない。設計のための資料を作成したり、過去の記録を調べたりするのに聴力はあまり関係がない。私はこの八年でちょっとしたPCスキルを身につけていた。二十人ほどの人たちが一日中忙しく打ち合わせしたり、図面を引いたり、建築模型を作ったりするのを横目で眺めていると、サイレント映画のようだ。

 ここのオフィスの人たちは、私が中途失聴者であることをあまり気にしていない。無視するわけでもなく、目が合えば微笑んでくれるし、口を動かして挨拶もしてくれる。『アリガト』とか『オーケー』とか簡単な感じで。私もできるだけにこやかにして、普通に話してそれに応える。ここでの私も、私なのだけれど、私全部というわけではない。

 昼になると、私は事務所のビルの屋上に上がる。世田谷の広い空が見える。この辺りには高い建物はないので、ずっとずっと先には富士山が見えることもある。例えば今日のような、晴れていて、とても寒い日に。

 私は靴をダンス用のスニーカーに履き替えるとiPodを取り出し、耳にヘッドフォンを当てる。ソウルに住んでいるトラックメイカーが、私のために低音を強調した音質にアレンジし直してくれた楽曲が入っている。薄く感じるリズムに身を任せていると自然に身体が動き出す。

 脳内でリズムを増幅させ身体の隅々まで行き渡らせる。腰が振り子のように左右に揺れ、足が自在にステップを踏む。指先が音の先端を捕まえ、腕がしなうように柔軟に巻き付く。私の目指すのはキレがいいだけのダンスではなく、リズムを体幹で感じながら、しなやかさを表現できる振り付けだ。

 そのことはソウルのトラックメイカーも重々承知で、彼の作るリズムは、ビートが重くはっきりしているけれど、最終的に上に乗るメロディは少しウエットな感じを考えてくれていた。残念だけど、そのメロディを私は聞くことができない。なんとなく感じるだけ。でも、その曲で踊る私を見た人たちは、すごく楽曲とダンスがマッチしていると言ってくれるから、けっこうコラボとしてはうまくいっているのかもしれない。韓国はすごいダンスグループも多いし、目が肥えているから一ミリも気を抜けない。

 今回のコラボは、私たちのダンス映像をYouTubeで見たソウルのサウンド・クリエーターが一緒にやらないかと声をかけてくれたものだ。彼らとは英文のメールでやり取りしている。ブロークンかもしれないが、英会話とかにしたら、けっこうしゃべれてるのかも。そのうち英語の手話も、〝なんちゃって〟で、できるようになった。彼らの書く詞は英語のものも多いから。

 彼らは「僕らの音楽は世界目指してるからね」といつも言っている。

 実際、サブスクリプションで配信された音楽をふつうに聞くようになって、音楽シーンはボーダーレスになった。いつかダンスも……と、私は密かに期待している。

 身体性。言葉のいらない表現。それはダンスの最も得意とするところだ。

 私は耳が聞こえなくなってからも、ずっと踊っている。もちろん、それだけじゃ生活……というか自活はできないから、バイトもする。この建築事務所を紹介してくれたのは母の店の常連さんで、彼はこの事務所で設計士のアシスタントをしている。

 何曲も続けて踊っていると、身体の芯が熱くなる。鼓動が速くなる。白い息が私に絡みつく。

 昼休みの屋上は私のステージだ。ワンステージ二十分。ノンストップ。

 それから、休憩しながら缶コーヒーを飲み、家で作ってきたサンドイッチを食べる。最近のこだわりは卵サンド。実家のある下北沢の商店街に美味しい卵屋さんがあって、そこの三種類の卵をローテーションで使って卵サラダを作っている。卵の茹で時間も一分単位で変えたり、マヨネーズもいろんなメーカーの物を試したり。一度ハマるとしばらく続けるタチなのだ。

 冬の缶コーヒーが大好きだ。少し甘くて、缶の温もりが直接手に伝わるのがいい。両手でしっかり持っていると、私はやさしい気持ちになれる。

 耳が聞こえないことを同情する人がたまにいる。この人はわかってないなぁと思う。ダンサーとして聞こえないことは、不利なんかじゃなくて個性なのに。

 耳が聞こえないダンサーだから、工夫する。その工夫が私をさらにいいダンサーにしてくれる。そうやって何年も階段を一つ一つ上がってきた。中途失聴する前の、聞こえていた頃の自分を懐かしむことは年々少なくなってきた。聞こえようと聞こえまいと、私は私でしかない。

 それよりも青だ。この澄み切った青。こんな色を私のダンスで表現したい。それにはどうしたらいいんだろう。見る人の心の中にすっと色を乗せるにはどうしたらいいんだろう。

 風が冷たく感じ始めた。私はレザージャケットのジッパーを首元まで上げた。襟元のボアの感触が気持ちいい。柔らかくて、ふんわりしていて、冬の匂いがする。私は空に向けて手を伸ばし、青を掴もうとした。白い息の先に、私の指先がある。指先はまだ何も掴めない。だが、やがて掴めるだろう。そんな気がした。

 

 夕方、仕事が終わると自転車でスタジオへ向かう。

 スタジオの入っている雑居ビルの一階には最近カフェができた(以前は古いクリーニング屋さんだった)。感じのいい三十代後半の夫婦がやっている。カウンターにある大きな瓶に、いつも奥さんが焼いたクッキーやビスコッティが入っている。ここでコーヒーを頼むと、どちらか一つがサービスだ。

 私は、あとでね、と合図してからカフェの横の階段を上がっていく。練習のあと、ここで砂糖をたっぷり入れたミルクコーヒーと焼き菓子を食べるのも私の毎日に加わった。

 スタジオには数名のダンサーがすでに集まり、それぞれストレッチや軽いステップを踏んだりしてウオーミングアップしていた。

「おせーよ」

「ごめん。ちょっと明日の資料探しに手間取っちゃって」

「振り付けはできてるの?」

「もちろん」

 私たちは手話を交えて会話する。

 ここにいるダンサー全員が、手話ができるわけではないし、耳が聞こえないわけではない。ふつうに聞こえる人もいる。

 私たち五人がチームを結成したのは去年の夏のことだ。好みのダンススタイルが似ていて、何より気が合った。気の合う仲間と踊れるのは最高の気分。

 誰かが音響をセットアップして、スピーカーからカウント音が聞こえ始める。

 ドン・ドン・ドン・ドン・ドン! お腹に響くような重低音。クラッパーが光る。私たちの会話はダンスだ。ステップとビートが私たちをどこまでも自由にしてくれる。

 身体が、揺れる。

 ビートとビートの僅かな時間が繋がってゆく。曲が続くなら、私たちは永遠に踊り続ける。指先が宙を彷徨い、掌が空を掴む。足の裏で大地を感じる。私たちは話し続ける。無になって踊り続ける。

 二十分ノンストップ。突然、皆の動きが止まる。ピタッと止まる。音が終わり、ダンスが終わる。激しい息遣い。吹き出した汗。私たちの頬は上気している。

 

 好きなこと。

 好きじゃないこと。

 できること。

 できないこと。

 私たちの毎日は、そんなことを行ったり来たりしながら、日々あっという間に過ぎていく。

 毎日は晴れない。

 曇ったり、雨だったり。時々、外に出られないくらい激しい天気だったり。

 でも、今日は晴れていた。

 晴れていて、とても寒かった。

 空は青かった。

 抜けるような青だった。

 それで十分だ。

 

 生きていてよかったな、と思うのはそんな日だ。

 

「透明な耳。」は全4回で連日公開予定