「出たんすよ!」
保健室に入るなり、男子生徒は言った。
名は大井。クラスの中では不良グループとして恐れられている四人のうちの一人だ。
連れてきたのは月島である。と言っても、月島が積極的に声を掛けたわけではなく、半ば強制的に付き添いを依頼されたのだ。
『傘をさす少女』の一件以来、彩雲があちらこちらに「星詠先生が心霊事件を解決してくれた。怪談キラーだ!」と吹聴して回っており、星詠の評判は広まっていた。
そこに、保健室に出入りしている月島である。大井は「保健のセンコーを紹介しろ」と月島に迫った。
丁度その日は教材の集金があったため、お金を巻き上げに来たのかと月島は思ってしまった。ただの紹介の依頼でよかったと、月島は心底安堵していた。
「出たって、何が?」
星詠は口をつけていた炭酸飲料のペットボトルの蓋を閉め、椅子をぐるりと回転させて大井に向き合う。
「おばけっす! マジパネェっす!」
「今は昼間だぞ。昼型のおばけは……まあいるか。で、詳しく聞かせてくれ」
「俺らが見たのは夜型のおばけっす! 理科室の骸骨っすよ!」
「おっと」
星詠と月島は顔を見合わせる。つい昨日、月島がその話を星詠に伝えたばかりであった。
「夜型ってことは、放課後か」
「そうっす!」
「日が落ちている頃だよな。なんでそんな時間に学校にいたんだ? 下校時刻は過ぎてるはずだが」
大井は一瞬だけ言葉に詰まるが、絞り出すように言った。
「忘れ物を取りに……教室に行こうかと」
「はーん。なるほどね」
星詠は適当に相槌を打つ。たしかに不思議だな、と月島は思った。肝試しでもしようとしていたのだろうか。
「その場は骸骨から逃げたんっすけど、家に帰っても視線を感じるような気がして……。俺、骸骨に皮と肉を剥がれるんじゃないかって……」
大井はそわそわしている。今もその視線を感じているという。
「そう言えば、一緒にいたっていう他の三人も今日は欠席してたような……」
月島は思い出しながら言った。
「あの骸骨がいる学校なんて来れるか! けどよ、うちはおふくろと親父が共働きで、家にいても一人だし……」
「まあ、人が多い方が安心だろうしな」
星詠は納得顔だ。
「だから、僕を同行させたんだ……。廊下で一人になるのが怖いから……」
「怖くねーし!」
月島の呟きに、大井は反射的に声を荒らげる。しかし、怯えているのは明らかであった。
「しゃーなし。調べるか」
星詠は気だるげに言った。
「今日の放課後、同じ時刻に同じ場所に行くぞ。大井君、君は一人になりたくないだろうから、放課後になったらこの保健室で待っていていい。俺も一緒にいる」
「ありがてぇっす!」
大井は星詠に深々と頭を下げる。だが、星詠は何か別のことを考えているのか、明後日の方を眺めていた。
放課後になると、大井は月島を連れて保健室にやってきた。
それから待機し、最終下校時刻のチャイムが鳴り終わってしばらくしてから、保健室を出る。
先ほどまで、生徒の慌ただしい足音が聞こえて騒がしかったのだが、今はしんと静まり返っている。
廊下も消灯され、外から射すわずかな光と非常灯だけが頼りであった。
暗い廊下は、昼間よりもやけに広く、そして、ずっと長く感じられた。
「怖っ……」
「ぱねぇ……」
月島と大井は思わず呟く。しかし、星詠は平然としており、頼もしい存在だった。
「足元に気をつけろよ」
「それ、足元に骸骨野郎がいるかもしれないってことっすか……?」
「いや、暗いし。普通に危ないだろ」
星詠がスマートフォンの明かりを頼りに先行する。その後ろから、白衣を掴みながら月島と大井が続いた。
足音を忍ばせながら階段を上り、理科室があるフロアまでやってくる。
当たり前だが、廊下を歩いている人間はいない。
生徒で溢れている昼間からは想像ができないほど寂しい光景であり、不気味でもあった。
月島と大井は息を呑む。
すると、ひたひたと廊下の奥から足音がやってきた。
「見回りの先生……?」
月島は目を凝らす。
「いや、違うな」
星詠はそう言って、開けっ放しの教室の中へと入る。そこは、月島たちの教室だ。星詠はスマートフォンのライトを消し、月島と大井をかばうようにしながら、息をひそめて身を隠した。
足音が近づいてくる。だが、明かりを手にしていない。見回りの先生であれば、明かりを持っているはずだ。
外界の光に照らされ、足音の正体が明らかになる。ひっそりと様子を見ていた大井であったが、思わず声をあげそうになった。
それは、理科室の人体骨格模型であった。何かを探すように、ひたひたと廊下を歩いている。
「俺を探しているんだ……」
「そうかもしれないな」
星詠の発言に、大井はびくっと身体を震わせた。
「あいつは罪人を探しているんだ。こんな時間にいるだけじゃなくて、悪しき計画を企てようとしているやつは格好の餌食だろう。どんなに取り繕ったとしても、奴は心の奥の真実を見通す──」
「す、すいません!」
大井は震えながら声をあげる。
「やっぱりな。こんな時間に四人がかりで忘れ物を取りに来るなんて、おかしいと思ったんだ」
星詠は事情を察していたようだ。大井は、観念したように白状した。
「そうっす……。集金の前日だし、親から早く金を渡されて、教室に放置してるやつがいるかもしれないって……」
「あ、そういう……」
月島は合点がいった。大井たちは、教室にある金を盗もうとしたらしい。
「でも、やれてないっす……! それに、もうやる気もない……。盗みで皮と肉を剥がれて、理科室で晒し者になるなんてごめんだ……!」
「なるほどな。だが、最終下校時刻を過ぎた校舎に潜入したのは事実。何らかの指導は必要だ」
星詠の声ではない。
気づいた時には、教室の中に生徒指導の教師が立っていた。白髪交じりのベテラン教師で、厳つい顔から『鬼瓦』と呼ばれて恐れられていた。
大井はしばらくの間、狐につままれたような顔をしていたが、やがて、諦めたように鬼瓦の説教を受け入れたのであった。
大井とその仲間は、しばらくの間、指導を受けることとなった。
星詠が同行していた日のことは、教師がともにいたためお咎めなしだったが、あまりにも余罪が多かったのだ。
だが、人体骨格模型のことは解決していない。
後日、鬼瓦は厳つい顔を苦々しげに歪めながら、保健室にやってきた。保健室にすっかり入り浸っていた月島は、思わず姿勢を正す。
「星詠先生、事前に教えてくださってありがとうございます。お陰で、あの四人組の余罪がわかりました。あれよあれよといううちに白状しましてね」
「それはなにより。あの件は、俺の領分ではないと思いましてね」
どうやら星詠が、大井があの場に来るというのを鬼瓦に教えていたらしい。鬼瓦は教室にあらかじめ潜んでいて、事態を見守っていたのだ。
「しかし、奇妙な話ですな」
「理科室の骸骨のことですか?」
「あれが実際に動いているのに、私はたまげました。あれは罪人の骨でもなんでもない。ただの模型です。そもそも、動くという噂は私が流したんですよ」
十年以上前だったかな、と鬼瓦は記憶の糸をたぐり寄せる。
「理科室の骸骨が動くという噂が、彼を動かしたのでしょう。怪異は認知の存在だ。人間に認知されれば、それは実在のものになる」
「噂が本当になる、と?」
「そうかもしれませんし、そういう風に思い込んで、そう見えたのかもしれません」
「ははあ。私も私の噂に惑わされたということですか」
鬼瓦は納得したように笑う。笑うと更に怖い顔になったので、月島は震えあがった。
世間話を少しした鬼瓦は、満足したように保健室を去る。月島はそれを見送った後、星詠に尋ねた。
「あれは噂が生み出した怪異だったんですね。どうするんですか?」
「放っておくさ。あいつの素材はプラスチック製だし、入れ替わる気は毛頭ないらしい。実際、大井君の悲鳴を聞いても無反応だったしな」
「そう……ですか」
「あいつが動くのは、本来、生徒がいてはいけない時間帯だ。そんな時間まで生徒が残るのは、防犯上、よくないしな。動く骸骨の噂は丁度いいだろう。教訓から生まれた怪異だし、もう一人の鬼瓦先生みたいなものだ」
「そういう怪異も……あるんですね。熱心に見回りをしていると思うと、ちょっと愛着が湧くな……」
「それでいい」
星詠は片目をつぶって笑ったかと思うと、机の上に置かれた炭酸飲料を呷ったのであった。
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