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第二話 動く人体模型

 

 星詠と出会って以来、月島は保健室に入り浸るようになった。

「また君か。どこも悪いところのないやつは帰った、帰った」

 月島が保健室にやってくると、星詠はぞんざいに扱った。いわゆる、塩対応と呼ばれるものである。

 星詠は整理整頓が苦手なようで、もらった書類はその場に積み上げる。それゆえに、保健室のあちらこちらに書類の山が築かれていた。

 そして、隙あらば炭酸飲料を飲んでいる。先日、歩き飲みをしていて生徒指導の先生に注意されていた。一部の生徒からは、常飲している炭酸飲料にちなんで、『ドクペおじさん』と呼ばれるようになった。

 気だるげなイケメンと言ったら聞こえがいいが、たまたま容貌がいいだけの無気力な男性とも言えるだろう。

 しかし、清潔感が損なわれたことはない。白衣も常に洗濯されていて綺麗だったし、無精ひげに見えたものはファッションで伸ばしているらしく、常に整っていた。

 ケガや体調不良で来た生徒には真摯に向き合い、どんなにベッドを占拠していても追い返すことはない。

 これで整理整頓ができれば、完璧に近いのだが。

「ところで月島君。俺が職員会議でもらったプリント、どこにやったっけ」

「知りませんよ……」

 星詠はプリントの山をひっくり返す。地層のようになったプリントの山に地殻変動が起き、時系列がめちゃくちゃになる。こうなると、目的のプリントを捜し出すことは不可能に近い。

「データで寄こせばいいのに。変なところが古いんだよな、この学校」

「星詠先生は、データ上では整理整頓ができるんですか?」

「できないよ。でも、検索すれば出てくるし」

 星詠はあっけらかんとした顔で言った。どうやら、整理が苦手なのは筋金入りらしい。

「で、君は何しに来たんだ? 授業をサボろうという気はなさそうだ。俺に何か聞きたいことでもあるんじゃないのか?」

 星詠はそう言って、にやりと笑った。

 内心を見透かされたような気がして、月島は居心地が悪くなる。

「先生の噂を聞いて」

「ドクペおじさんっていう?」

「その呼称はさておき……」

 星詠のあだ名は置いておくとする。

「星詠先生は、理事長から直々にこの学校に呼ばれたって噂を聞いたんです。養護教諭を理事長が指定するの、珍しい気がして……」

「はーん」

 星詠は興味深げに月島を見つめた。

「その理由は、君も薄々察しているんじゃないか? それで、答え合わせをしたいわけだ」

 図星だ。月島は更に居心地が悪くなる。

 しかし、星詠は焦らそうとはせず、あっさりと答えた。

「お察しの通り、怪事件を解決するために呼ばれたのさ」

「やっぱり……!」

「タケウメ高校には多数の怪談がある。多感な時期の生徒が、面白半分で怖い話をするのはよくあることだが、どうやらこの学校の怪談では、実際に死人が出ているようだ。怪談によって死んだのか、死んだから怪談が囁かれるようになったのか。それはまだわからないが」

 月島は、保健室に積み上げられた書類の数々を見やる。星詠が来てからいきなり増えたこの資料の山は、調査の痕跡なのかもしれない。

「怪談、多いですよね。一般的には七不思議だと思うんですけど」

「恐らくな」

「星詠先生は、怪異を退治することができるんですか?」

 月島の問いに、星詠は肩をすくめた。

「そんな馬鹿な。マンガじゃないんだぞ。俺はちょっとだけ向こう側が見えるだけ。だから、少し対処ができるんだ」

 星詠は苦笑する。

 謙遜なのだろうか、と月島は思うものの、その苦笑には様々な感情が渦巻いているようにも思えた。

 彼の感情を正確に推し量ることはできない。だが、わかっていることは一つある。

「僕も」

「ん?」

「怖い思いをする人や悲しい目に遭う人を減らしたい……です」

「いい心掛けだ」

 星詠は歯を見せて笑った。春の陽射しのようにあたたかい笑顔だと月島は思った。

「月島君は、それを伝えたくて俺のところに来たのかな?」

「えっ……。たぶん……そうかと……」

「へー。可愛いやつ」

 星詠のからかうような笑みが鬱陶しい。太陽のような温もりを感じたのは、錯覚だったのだと月島は溜息を吐いた。

「まあ、何か気になることがあったら教えてくれ。あと、心霊関係で困っていそうなやつがいたら連れてこい。ここは心霊保健室ってやつだ」

 まるで心霊事件専門の探偵事務所のようだ。

 月島はそんなことを思いながら、星詠に頷いた。

「そう言えば、星詠先生」

「なんだ? さっそく怪事件か?」

「いや、ちょっと前に聞いた噂を思い出したんです。定番の怪談だからあんまり気にしてなかったんですけど、もしかしたら、お役に立てるかと思って」

 月島はそう前置きをして、星詠に話し始めた。

 

 理科室の人体骨格模型がひとりでに動くという。

 理科室にある白骨は模型ではなく、実は本物だというのだ。しかも、使われているのが罪人の骨らしい。

 人体骨格模型は、自らが晒し者になっていることに耐えられない。だから、身代わりを探しているのだ。

 罪を犯した者──おもに、遅くまで残っている生徒を探して捕まえて自分の代わりに理科室に飾ろうと、放課後の校内をさまよっている。

 もし見つかったら、皮と肉を剥がれて骨にされてしまうだろう。人体骨格模型はその皮と肉を被って、その生徒として過ごすそうだ。

 

 生徒の間で、そんな噂が囁かれていた。

 と言っても、人体骨格模型が入れ替わった形跡はなく、ただの噂話だというオチがセットになっていた。

 

「だいたい、理科室の骸骨がい こつの怪談なんて小学校までだろ」

 時間は変わって夜間。部活動の生徒も帰宅して校内がすっかり静まった頃、校内を闊歩かつ ぽしている一人の生徒が言った。

「骸骨が怖いなんて、ガキの感覚だしな。俺らはもう怖くないっての」

 もう一人の生徒も笑いながら言った。

 見回りの教師の目をかいくぐった四人の男子生徒が廊下を歩いていた。

 向かう先は彼らの教室である。そのためには、理科室の前を通らなくてはいけない。

 だが、ここにいるのは体格がよくて喧嘩に強い四人組だ。教師の手を煩わせる不良グループの一つで、怖いものなどない。

「それにしても、夜の学校って全然雰囲気が違うな」

 四人組のうちの一人が言った。

 昼間は窓から陽が射して明るい廊下も、いまやしんと静まり返って薄暗い。辛うじて外の光がぼんやりと照らすものの、あちらこちらで闇が渦巻いていて不気味であった。

「おばけが出そうな雰囲気だけどな……」

 もう一人がぽつりと言うが、残りの三人は爆笑した。

「おばけが出そうって、お前、いくつだよ」

「怖かったら帰っていいんだぜ」

 彼らは、仲間をからかいながら先へ進もうとする。空気はやけにじっとりとして重く、足取りはどうしても鈍くなる。

 だが、彼らは陰鬱な空気を振り切る。仲間がいるのだから怖くない。

 外界のわずかな光に照らされて、やけに長い影が暗い廊下に落ちる。

 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。

 五つ目の影が現れた時、四人はギョッとして顔を見合わせた。

「えっ、センコー?」

「いや、違う……」

 シルエットは、自分たちと明らかに違う。やけに大きくて空白が多い、これは──。

 四人が恐る恐る振り返ると、五人目がいた。

 どんよりとした闇に包まれた廊下の、煌々と灯る非常口のランプを背に、白骨がたたずんでいるではないか。

 両眼があるはずの場所には、ぽっかりと虚ろな穴が開いている。中は真っ暗闇だというのに、一同をじっと見つめているような気すらした。

 その屈強な肉体を、欲しているのだろうか。誰がいいかと、吟味しているのだろうか。

 一同の恐怖は、頂点に達した。

「うわああああっ!」

 動く人体骨格模型を目の当たりにした四人は、蜘蛛の子を散らすように逃げたのであった。

 

「心霊保健室の怪異解体」は全4回で連日公開予定