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 保健室は校舎の果てにある。

 月島と彩雲は、小杉が再び首を吊ろうとしないか見張りつつ、保健室へと向かった。

「保健室の先生って、今年来たんだっけか。俺らと同じじゃね?」

 彩雲の言葉に、月島は頷く。

「そうみたい。ちょっと変わった先生って聞いたけど……」

「俺は、イケメンだって聞いたぜ。女子がざわついてた。すごいよな。話題になるくらいのイケメンって」

「君も似たようなものだけどね……」

 月島は、無自覚な人気者に苦笑する。そうしているうちに、保健室へと辿り着いた。

「せんせー! 失礼しまーす!」

「おう、入れ」

 彩雲の呼びかけに応じたのは、若い男の声であった。男性の養護教諭は珍しいなと思いながら、月島は彩雲や小杉とともに保健室に入る。

 白い壁と天井の保健室には、ベッドが二つ並んでいた。手前に丸テーブルがあり、椅子が乱雑に置かれている。薬品などを収める棚の上には、書類や封筒が山積みになっていた。

 奥には教諭用の机があり、保健室のあるじは椅子の背もたれに背中を預けていた。

「おう、どうした」

 ひらりと手を上げたのは、若い男性であった。

 白衣を着崩し、眼差しは気だるげである。よく見れば無精ひげも生えているのだが、整った顔立ちと均整の取れた身体つきのせいで、そんな姿もやけに様になっていた。

「噂通り、イケメンじゃん! 俳優みたいだ! かっけー!」

 彩雲は賞賛の声をあげる。養護教諭は、得意げな顔で言った。

「ありがとよ。イケメン先生になにか用かな?」

「えっと……、星詠ほし よみ先生でしたっけ」

 月島は記憶の糸をたぐり寄せ、養護教諭の名前を思い出す。

 星詠白亜はく あ。それが、この調子がいい無精ひげの養護教諭の名前だったはずだ。

「そう。俺は星詠。この学校では、お前たちと同じ一年生だな」

 星詠は軽く片目をつぶる。ウインクのつもりだろうか。やはり、妙に様になっていて、月島はなんとなく腹が立った。

「で、どうした。ケガか? 病気か? 食あたりか?」

「呪いです、センセー!」

 彩雲は小杉を指しながら星詠に言った。月島もまた、藁にもすがる想いであったが、星詠は訝しげな顔をする。

「呪いだぁ? そんなもん、あるわけないだろ」

「ええーっ」

 月島と彩雲は、思いも寄らぬ反応に声をあげる。小杉の顔は更に青くなり、もはや、黒ずんでいると言えなくもなかった。

「いや、マジですって! 小杉が『傘をさす少女』を見たんっすよ! それで、自分で首を吊ろうとしてて……!」

「死にたくなることの一つや二つ、若い時はあってもおかしくない。そういうのは大抵、本当に死にたいんじゃなくて、悪いことや不自由なことから逃げたいだけなんだが……。まあ、座んなさい」

 星詠はそう言って、丸テーブルの椅子に三人を促す。三人は顔を見合わせるが、おずおずと星詠に従った。

「でも先生……。俺は、本当に……」

 小杉が口ごもっていると、星詠は小さな冷蔵庫を開けた。そこから炭酸飲料の缶を四つ取り出すと、丸テーブルの上に置く。

「飲め」

「えっ、いいんすか? あざーっす!」

 彩雲はなんの躊躇いもなく手に取る。小杉も彩雲の勢いに流されるように手に取った。

 だが、月島は戸惑うように見つめるのみだ。

「お前は飲まないのか?」

「炭酸飲料……苦手で。というか、保健室の冷蔵庫って薬品とか入れるためにあるんじゃないんですか? 炭酸飲料を備蓄しておくなんて……」

「いいんだよ。俺はこれがないと始まらないんだから」

 星詠は自分の分の缶を開け、炭酸飲料を一気に呷る。彩雲もそれに続き、小杉はちびちびと飲んだ。

 炭酸が弾ける音がする。口にしていない月島にも、清涼感が伝わってきた。

 小杉もまた、炭酸飲料を一口飲むごとに表情がハッキリしていった。濁った表情だったのが嘘のようだ。

 星詠は、すっかり空になった缶をテーブルの上に置き、小杉の変化を見つめていた。

「どうだ? 呪いはさておき、お前は心に何か引っかかっていたことがあるんじゃないか?」

「その……、中間試験の成績が悪くて……」

 小杉は、星詠の見守るような眼差しを居心地悪そうに受けながらも、ぽつぽつと話し始めた。

「親にすごく怒られて……。私立で学費を払ってるんだから、ちゃんと成績を出せって……。この学校、滑り止めだったし……」

「へー、マジか。なんか、中間試験の成績発表の辺りから元気なかったと思ったら、そういうことか!」

 彩雲は納得したように目を丸くする。

「でも、それとは別に『傘をさす少女』は見たんです!」

「見たというより、見えちまったんだろうな」

 食い下がる小杉に、星詠はぽつりと言った。

「えっ?」

「悪いモンっていうのは、精神的に悪い状態の時に見えやすいんだ。落ち込んでいたり、悪いことを考えていたり、生死の境をさまよっていたりと様々だが。とにかく、負の状態である時に、負の存在と波長が合いやすい」

「じゃあ、俺は落ち込んでいたから『傘をさす少女』が見えたってことですか?」

「そうかもな」

 深刻な表情の小杉に、星詠は軽い調子でそう答えると、教諭机の上にあるティッシュボックスからティッシュペーパーを何枚か取った。

「いつまでも落ち込んではいられないってことか。次、結果を出すつもりで頑張るしかねーじゃん」

「……それは、そう。頑張る……」

 彩雲の言葉に、小杉は頷く。炭酸飲料をもう一口含むと、決心したように前を向いた。

「まあ、結果が出てしまったものは仕方がない。落ち込むくらいならば、前に進んだ方がいい。そういう気持ちでいれば、お前はもう悪いモンを見ない」

 星詠はそう断言する。そんな彼の手の中には、いつの間にかティッシュペーパーで作ったてるてる坊主ができあがっていた。

「それ、どうするんですか?」

 月島が問うと、星詠はにやりと笑う。

「今後は頑張ればいいとして、今は呪いを解かないとな」

「呪いなんてないって言ったのに!」

「そうでも言わないと、現実を省みないだろうが。重病の患者に『ヤバい病気です。明日にも死にます!』って煽るやつがいるか。まずは原因を見つけて、症状を正確に知るべきだろう」

「そ、それもそうですね……」

 もっともなことを言われ、月島は黙るしかなかった。

 一方、星詠は小杉の髪に手を伸ばす。

「悪いな。痛いぞ」

「痛いっ!」

 星詠は小杉の髪を数本抜いて、ティッシュペーパーのてるてる坊主の中に乱暴に詰める。

「件の怪異のことは、多少調べた。生贄を求めて現れているようだからな。波長が合うやつに呪いをかけて、首を吊らせようとしている。そして、首を吊れば呪いは解ける」

「吊ったら死ぬじゃん! 駄目っすよ、センセー!」

 彩雲は小杉をかばうようにするが、星詠の狙いは別にあった。

「だから、てるてる坊主を代わりに吊って目を眩ませる。ただし、てるてる坊主の首を吊るのはお前だ。そうでないと、自ら首を吊ったことにならないからな」

 星詠は、紐とてるてる坊主を小杉に渡す。

 儀式めいた行為だ。小杉は躊躇いがちにそれを受け取るが、やがて、深く頷いた。

「わかりました……!」

 小杉は震える手でてるてる坊主の首に紐を掛け、保健室の窓に下げる。

 気づいた時には、雨はすっかり上がっていた。それにもかかわらず、向こうから傘をさした何者かがやってきたので、小杉はぶるりと震えた。

「こっちだ」

 星詠は小杉に手招きをする。彩雲と月島も呼び、ベッドのカーテンの裏へと隠れて窓際の様子を見た。

 現れたのは、小杉が見た少女であった。シルエットこそは人間の女児に似ているが、真っ白な顔と黒目だけの双眸は人間離れしていて、てるてる坊主のようであった。

 少女の姿をした怪異が傘をひと振りすると、どういうわけか紐が切れ、てるてる坊主が地面に落ちる。

 怪異はそれを拾い上げると、雲の隙間から射す陽光の中へと消えていった。

「助かった……のか?」

 星詠がカーテンを開け、小杉が胸をなでおろす。

「目を眩ませるのに成功したみたいだ。あとは、お前があいつらと波長を合わせないことだな」

「はい……!」

 片目をつぶる星詠に、小杉が力強く頷く。

 彩雲が、小杉が助かったことに両手を上げて喜ぶ中、月島はこの心霊養護教諭のことを見つめ、決意を新たにしたのであった。

 

「心霊保健室の怪異解体」は全4回で連日公開予定