最初から読む

 

 不破はあらためて居心地の悪さを覚えた。

 それは自分が今回の参加者の中で唯一の学生であることや、こういった初対面の人間が集まる場に不慣れであることなどももちろん理由に挙げられたが、その最大の要因は彼が感じている後ろめたさにあった。自分はこのひとたちとは違う目的でここにいる、ということ。

 自分は神を信じていない。

 本気でそんなものを信じている人間がいるということが、不破には理解できなかった。未開の土地から来たわけでもない、科学の発展以前の過去に生きているわけでもない、現代社会に暮らす「ふつう」の人間が、いったいどういう脳の働きでもって神などというものを信じることができるのだろう。大人になって現実を知ると共に、魔法や妖精やユニコーンの存在を信じることを止めるのと同じように、どうして神を信じることを馬鹿らしいと感じないのか? 彼には不思議で仕方がなかったし、ここに来るまでほとんど疑っていた。他の参加者も、もしかしたら自分と同じ目的を持って来ているのかもしれない。宗教なんて非科学的だとあきれつつ、その主題ではない部分に用があって──。

 でも、集合場所の港で自己紹介をし、船に乗って軽い雑談を交わすうち、少なくとも彼らのうちの何人かは、本気で神を──BFHの教えを──信じているようだとわかった。その礼拝施設となる月蝕島の見学ツアーに参加できるということに心から感激している様子で、熱い思いを口にする。「待ちきれないわ」とこぼした、やたらと派手な化粧をした巨大な瞳の女が、目を潤ませ船首側の窓を見やる。

 不破は、皆がつられて目を向けた窓とは反対側の、階段上の扉をちらりと見る。先ほど、そちらから葛西ミアと名乗った女が出て行ってしばらく経つ。思わず息を吞むほどに美しい彼女も、どうやら本気でBFHを信じているようだった。理解はできないが、その信じる心というもの自体は決して悪いものではなさそうだという気持ちが、不破の中に発生しつつある。不破はあくまで、消極的無神論者だった。神の不在を堅く信じてはいるものの、その考えを大声で主張するつもりはない。

 皆、いいひとそうだ。後ろめたさを感じつつ、そのことには純粋に安堵していたし、皆に気に入られたい、うまくやりたいという思いは強い。

 ただ──不破は、階段の上に立ちソファの面々を見下ろす新堂を盗み見る。

 彼だ。

 まずなにより得なければならないのは、彼の信頼。

 そうでなければ、なけなしの奨学金を使って高額の寄付をした意味がない。

 

 この子、大丈夫なのかな。

 ますともはかすかに眉をひそめ、隣に座った不破を見やった。

 大学生だと言っていた。二十歳になったばかりだとか。でも、あどけない表情と落ちつかない雰囲気とつるりとした肌は、高校生や中学生にだって見える。まだまだ子供の面影がある。下手をしたら、赤ん坊の頃の面影だって……。

 あと十五年もすれば、ゆうもこの子と同じ歳になるのだ。

 そう考えると、どうにも目を離せなかった。二十歳になれば子育ては卒業、そんなふうに思っていたけれど──ハタチでもこんなに子供っぽい子もいるのだ。友哉がこんなあどけなさを残したまま、親から離れてひとり無人島へと向かう船に乗っていく様を想像しただけで、友恵は胸が潰れる思いがした。

 友哉と離れて、もう六時間になる。五歳になるひとり息子とそれほど長い時間離れて過ごすのは、彼女にとって初めてのことだった。

 本当に来てよかったのだろうか?

 もう何十回目にもなるその疑問を、彼女は小さく息をついて胸にしまった。今さら後悔したところで手遅れだ。自分はもう船に乗ってしまった。三日後に復路の船が来るまでは、どうあがいたところで引き返すことはできない。まさか泳いで戻るわけにもいかないし……。

 友恵が今回のツアーに参加することを考えた理由はそこにある。少なくとも四日間、強制的に友哉から引きはがされるということ。自分にはそういう荒療治が必要なのではと考えた。ひとりで買い物に出かけても、友人とランチに出かけても、結局は数十分と経たずに耐えられなくなり、そわそわと席を立ってしまうのだから。

 ツアーへの参加について、夫のかずにそれとなく話すと、彼は友恵以上に積極的に、もろを挙げて賛同してくれた。BFHというのが何を目的とした集まりなのか詳しく確かめることもなく──それはいいね、行ってみなよ、友哉のことはなにも心配しなくていいから、と。そこで友恵は、自分は本当は止めてほしかったのだと気づいたけれど、もう遅かった。

 友哉は今、夫と共に彼の実家にいる。信頼できる義両親だ。義実家に子供を預け、応援している配信者のツアーに参加すると話すと、同じ時期に子供を産んだ友人たちは皆一様に羨ましがった。いい旦那さんね、素晴らしい義両親ね、そんなに理解して自由にさせてくれる環境、なかなかないよと。

 でも今、私はただひたすら、友哉のことを考えている。ただここに座っているだけで、自分の心臓と離れて過ごしているような恐怖が増していく。

 分離不安、という言葉を夫は使った。友恵はちょっと、友哉への心配が過ぎる気がするよ。そのうち、友恵のほうがまいっちゃうかもよ、と。

 友恵の調べた限り、母子分離不安といえば、子供が母親から離れることに強い不安を覚えることを指す言葉だ。その逆の現象については、別に、特定の名前などついていないようだった。親が子供から離れることに不安を感じるのは、ごく自然、当たり前の親心だから。

 でも、私の不安はたぶん、子供を思う気持ち、それだけじゃない。

 自覚があるからこそここに来た。大きな不安にさいなまれ拠り所を求めた友恵は、もとはスピリチュアル界隈に傾倒しつつあった。しかし、それよりも深いところで心を預けられると感じたのが、塙のSNSを通じて知ったBFHの教えだった。私たちは私たち自身の善性に守られている。神から与えられた尊い善意に。

 大丈夫だ。私の感じている混乱は、BFHの教えが確かなら、すべて解決可能なもののはず。

 自分が本当に神を信じているのかどうか、友恵にはわからなかった。それでも、ひとの善性がその大いなる存在に与えられた確かなものだと信じたかった。

 大丈夫、と友恵は胸の中でもう一度強く念じ、彼女の不安をあおるだけの隣席の学生から目を逸らす。腕時計を見た。友哉と離れてから、もうすぐ六時間七分になる。

 

 野々ののむらけいは不安気に息を吐いた目の前の女性の抱える苦悩を思い、祈った。

 斜め前に座るあどけなさの残る学生の未熟さについても祈ったし、隣に座る派手な女の軽薄さにも祈った。少し前にデッキに消えた美しい女性の未来についてはもちろん積極的に祈ったし、続いて席を立った中年の男の不遜な態度にも祈った。スマホを掲げて船のそこらをうろうろしている配信者の無遠慮な振る舞いについても、広い心で祈った。

 参加者の中で、最も重い苦しみを抱えているのは自分だ。だからこそ、自分がもっとも深い心で祈ることができるはずだと、野々村は信じていた。なぜなら、善意とはすなわち想像力なので。

 彼がそう考えるのは、少し前の配信で天羽がそのように語っていたからだが、それを聞く前から自分もすっかり同じように考えていた、と野々村は信じている。ひとの痛みを想像できること。それこそが人間の持ち得る最大の能力であり、強さであり、美しさであり、調和なのだ。そしてその素晴らしい善意──想像力を、ひとは皆、持っている。

 常に周囲と比べることを強いられるこの強迫的な社会の中で、己になどなんの価値もないのだと苦しんでいた自分に、天羽は言ったのだ。善なるひとはそれだけで神に等しく尊いのだと。

 そのことが苦痛に満ちた自分の毎日を、どんなに救ってくれたことか。澄んだ瞳で語る天羽をスマホの中に見つけたとき、目の前が開けたように感じた。それは例えば思春期の少年が、人生で初めてお気に入りのアーティストを見つけたときの感動に似ていた。崇拝できる対象を見つけた喜び。ややはすに構えた少年時代を送った野々村にとって、それは二十代も終わりに差し掛かる今になって初めて知る衝撃だった。

 天羽の語る通り、幼いころの自分は、自分が善人だと当然のように知っていたと思う。いつのまに忘れてしまっていたのだろう。特に社会に出てから──新卒で入った会社でほんの数歳年上なだけの上司とそりが合わず、転職をしてから──その後も環境を理由に転職を重ね、そのたびに会社のランクがじりじり下がっていく現実に直面してから──自尊心と、自分は愛されて当然の存在だという事実を見失ってしまっていた。

 俺は尊いんだ。

 その圧倒的な事実に救われ、涙が流れた。皆がBFHの教えを知り、この事実を思い出せば、すっかりじれてしまった社会もきっと元通りになる。皆が救われる。そのためになると思えば、投資の資金として貯めてきた貯金をBFHの運営費として寄付することにも大きな喜びを感じた。

 なにより、このツアーだ。BFHは過去にも何度かオフラインでのイベントを行ってきたが、それは都内のオフィスビルの一室で慎ましく開催される講演会のようなもので、普段の配信がそのままオフラインになっただけの内容だった。こんな少人数で、俗世を離れた海の果てにある無人島で、いずれ教団の本部となるべき施設の視察という大いなる目的を持って、さらには教祖と自由な会話すら叶うという企画は、初めてのことだ。

 善意を持った人間は皆、等しく尊い。そのなかでもこんなツアーに参加している俺は取り分け尊く、特別な人間であるという感覚が全身に満ちる。

 だって俺は、BFHの存在、その価値にいち早く気づき、最大額の寄付を行った人間なわけだから。他のやつらとは、もちろん差をつけてもらわなくては困る。

「見て!」

 隣に座った派手な女が立ち上がり、窓の向こうの航路をまっすぐ指さした。

 白く垂れ込める雲。その切れ間から射す光がはっきりとした線を描き、海まで届いている。穏やかに凪いだ海面。そこにひとつの島が見える。これまでぽつぽつと遠く横を通り過ぎてきた小さな島々とは違い、大きく隆起した小山のような島の一角に、はっきりと人工物に反射する光と影が見えた。

「きっとあれだわ。……月蝕島」

 陽光を受ける島が少しずつ大きくなるのを見つめながら、野々村は目の表面に涙が盛り上がるのを感じる。喜びでも悲しみでもない、ただ静謐な、感動の涙だ。そういう種類の涙の存在を、彼は信仰を得てから初めて知ることができた。

 皆が導かれるようにデッキに出ると、船を歓迎するように雲の切れ間が広がる。考え抜かれた演出のような自然現象の美しさを前にして、そこに、この島に神様がいるということが、当然の真実として理解できた。

 それがいったい、誰が信じる神なのかということはさておき。

 月蝕島という名称は、今回のツアーにあたりBFHの運営が仮でつけた呼び名である。礼拝施設として信者に等しく公開される段になったら、ふさわしい新たな名が正式に与えられる予定である。月蝕島の呼称は、ツアー最終日、三日後に見られる皆既月蝕に由来する。

 しかし船に乗っている人間の中で、三日後の月蝕を島から眺めることができた人間は、二人しかいなかった。

 

この続きは、書籍にてお楽しみください