ネットで爆発的な人気の新興宗教が、礼拝施設建設のためのクラファンツアーを無人島で実施した。しかし上陸した翌朝、信者のYouTuberが首なし死体で発見され、その後も次々と人が殺されていく。探偵不在の孤島で、連続殺人事件の謎は果たして解明されるのか?
「小説推理」2025年6月号に掲載された書評家・あわいゆきさんのレビューで『月蝕島の信者たち』の読みどころをご紹介します。


■『月蝕島の信者たち』渡辺優 /あわいゆき [評]
事件が起きる島には探偵がいない。次々と殺人事件が起こってみんなパニックに陥るが事件は解決に向かわない。極限状態を通じて人間が抱く「信じたい」を描くミステリ!
探偵は真実を追い求める。いかなる状況でも冷静な推理から論理に裏付けされた唯一の真実を暴く。これまで多くのミステリで、探偵は難解な事件を解決に導いてきた。
しかし、考えてみてほしい。殺人現場を前にしながら理性を保ちつづけ、真実を追い求められるような人間は現実にいるものだろうか? あるいはこう言い換えてもいい。論理的な正しさや明確な証拠だけを頼りに生きていく探偵的な生き方は、はたして人間にできるものだろうか?
事件が起きる「月蝕島」に探偵はいない。巻き込まれるのはあらゆる教義をキメラのように繫いだ新興宗教「BFH」を立ち上げた後藤とその関係者、あるいはBFHのクラウドファンディングに多額の支援を寄せた見返りに、礼拝施設を作る予定の月蝕島に招待された計10人だ。
10人のなかにはBFHを信じる人間もいれば、BFHの欺瞞を暴こうとする人間もいる。ほかにもビジネスに繫げようと目論む人間、神はいないと思っている人間……価値観が異なるからこそ、孤立した月蝕島で参加者の首なし死体を発見した後藤たちは十人十色な反応を見せる。そして探偵がいない空間では推理も機能しない。次々に起きる殺人事件を前に後藤たちがパニックに陥り、それぞれが信じたいものを信じようとするカオスな光景が描かれる。
その光景を読みながら、宗教を「非科学的」だと切り捨てたり、うろたえる登場人物を愚かだと断じて、探偵になったかのような高揚感を得たりするのは容易い。しかし「自分こそは真実を知っている」と信じて振る舞うのは、実のところ切り捨てている相手の行為と変わらないのではないだろうか? BFHを「金儲け」の手段にしていた後藤ですら非現実な真実に縋ろうとしてしまう極限状態を通じて、本作は人間が抱える「信じたい」本能を暴く。
そして、異なるものを信じる相手と接するためには、常に信じすぎず、信じていないものにも耳を傾けようとする必要がある。優れた探偵が論理的な正しさばかりを盲信せず、真実を暴くことの罪深さに対して葛藤するように、相手の気持ちに寄り添うことが欠かせないのだ。
きっと現実に探偵はいない。私たちは理性を貫けないただの人間だ。しかし「なぜ信じたいのか」を考えることで、探偵の生き方に近づける。探偵不在のミステリ小説として話題を呼んだ著者の『私雨邸の殺人に関する各人の視点』を発展させた、人間しかいない、それでも探偵であろうとする人間らしさに溢れたミステリだ。