2024年に『音のない理髪店』が話題となった著者の最新作『オークションの女神』がついに文庫化された。

 

 美術品専門のオークションハウス「東京オークション」が、社運をかけてウォーホルやピカソの作品を集結させた大きな商い。その開催を目前に控え、「中止しなければ会場を爆破する」との脅迫文が届く。噓、裏切り、エゴ……オークションを支配するのは、金への欲望か、美への欲求か――。

 

 人間模様の意外な展開から目が離せない傑作アートサスペンスの読みどころを、「小説推理」2025年5月号に掲載された書評家・吉田大助さんのレビューでご紹介します。

 

 

■『オークションの女神』一色さゆり  /吉田大助 [評]

 

著者の話題作『音のない理髪店』のラストの感動とは異なったカタルシスが待ち受ける最終第五章。オークション会場に主要登場人物全員が集結し、大事件と大団円が巻き起こる!

 

 日本初の「ろう理容師」だった祖父の人生を孫娘が辿る、『音のない理髪店』が話題沸騰中の一色さゆり。ひとりの人生を複数の視点人物の語りによって重層的に表現する、同作の魅力の支柱となった多視点群像形式を、著者は最新刊においてエンタメ方向で炸裂させた。

 

 江東区有明に事務所を構える、美術品専門のオークションハウス「東京オークション」。同社に勤める冬城美紅は、彼女のオークションに関わった人間はみな幸せになれるという都市伝説の持ち主で、「オークションの女神」と呼ばれている。物語は、5日後の日曜日に開催されるオークションに備え、出品作をお披露目する「内覧会」の場面から幕を開ける。爆破予告が舞い込みライバル会社がちょっかいを出してくるなど、今回のオークションは波乱含み。

 

「第一章 ウォーホルの死」でメインの視点人物となるのは、日本有数の資産家一族の令嬢である富永姫奈子だ。オークション初参加となる彼女には是が非でも、ウォーホルの「192枚の1ドル札」を落札したい理由があった。「第二章 ポロックの妻」はサラリーマン・コレクターの安村康弘、「第三章 ダリの葡萄」ではギャラリストの水久保良平。一章ごとにメインとなる視点人物が変わり、オークションに集う人々──買い手、売り手、作り手、そして届け手のドラマがリアリティたっぷりに描き出されていく。

 

 誰もが知る有名アーティストの知られざるエピソードが、さまざまな負の感情を抱えた登場人物に染み込み、化学反応を引き起こしていくドラマ作りが抜群にうまい。その裏には美紅の時空をも超えた(!)活躍があった、というケレン味も本作の魅力だ。オークション当日を舞台に据えた最終第五章で、主要登場人物全員が集結し大事件と大団円が巻き起こる展開には、『音のない理髪店』のラストの感動とは異なるカタルシスが宿っていた。

 

 何より素晴らしかったのは、第一章の時点で美紅の口から放たれ、その後の章でも繰り返し現れる「身の程を知る」というワードの意味の変化だ。それは、決してネガティブなだけの意味ではなかった。人は「身の程を知ること」で、今の自分に足りないものは何かと見極め、人生を好転させるための未来への一歩を正確に踏み出すことができる。最終第五章で描かれているのは、そうした一歩の連鎖だ。

 

 著者がデビュー作『神の値段』から追究してきた、アートとビジネスの関係性というテーマも深掘りされている。続編を期待せずにはいられない、傑作です。